ミセス・リッチの隠し事
君はスター眩くシャイン
(O-O-O-O O-O-O-O)
自分じゃ気付けないので初投稿です
「やっぱり似合うわねぇ……傍から見ると男装っぽいけど」
「そうですか」貴方が言うならそうなんでしょうね。「……高いです」
襲撃を受けた後だと言うのにリッチは溌剌としていて、戸惑ってしまうのが現実で。
もっと動揺して欲しいと思ったけれど、余りにもオドオドされてもそれはそれで期待外れだ。
結局のところ、私は彼女のことを何一つ知らないのだった。
ルンルンと服を選び、次から次へ私へ押し付けるその一面も、間違いなく、シュテルンスタイン家の当主そのものなのだろう。
無理矢理納得するのは簡単だったけど、どうにも腑に落ちない。
「どうしたの、アポロ。怖い顔してる」
「…………いえ、何も」
何も言うことなど無いし、言いたいこともない。
いや……流石に嘘か。
「ただ――」
「なぁに?」
「――いえ。やはりなんでもないです」
喉元まで出かかった、まだ何の整理も付けていない言葉を飲み込む。
私は何を聞こうとしたんだろう。
それがとても残酷な言葉に思えて、私は黙るしかないのだった。
「そう……?」
「問題ありませんよ。安心してください」
リッチが冷たい目を向けた。
同情でも敵意でもない。
興味の失せた目。
そっぽを向いたかと思うと彼女は店員を呼び付けて、手を一杯に広げた。
「ここからここまで全部頂戴」
私はやはり、この人のことを理解できない。
◆ ◆ ◆ ◆
どこからともなくやって来た車に荷物を預け、リッチは歩き続ける。
辺りはすっかり夕暮れで、人並みはぐんと背が高くなり、酒の匂い淫靡な空気とを煙たく纏って、街はそれを嫌うように、疎らにシャッターを下ろし始めた。
リッチの足取りは喧騒から離れていく。
街並みは、奇妙なくらい、ミセス・リッチを呼び止めない。
その歩みを遮るものは何も無く、私はただその三歩後ろを着いていく。
いつの間にやら象られた杖を片手に、リッチは進み。
進み続け。
私の全く意図しない場所で、止まった。
「時折ね。こうして、眺めていたくなるのよ」
そう言ったきり、彼女は振り向かない。
吸い寄せられるように、食い入るように、ただ、前を見つめている。
視線の先の観衆は遠い。
河川を一つ挟んだ先の、小さく見える人混みを、彼女はじっと眺めていた。
「隠し事は好きじゃないわ」
その背中は寂しそうで。
手を伸ばすけど、届かないことを、私は今日知ったばかりだ。
「……貴方だって」
貴方だって、隠し事ばかりだ。
「私は隠し事ばかりされて来ましたよ。私が生きてきたのはそういう世界でした。だけど、貴方は、違うと思った。貴方だからこそ違うと思ったんだなのに、それなのに、貴方も私から真実を隠そうとする! 貴方さえ!」
共にいれば、何かが変わると思った。たった一日だけど。
でも、確かに何かが変わったんだ。
生まれて初めて他人の持つ庭園を綺麗だと思った。
他人に頼られるのが嬉しいと思った。
服はどうやって選べばいいかを知った、化粧をすればどう変わるのかを知った、同僚と話すのは楽しかった。
そう、 楽しかったんだ。
ミーシャは頼もしくて、メイド長は温かくて、貴方は優しかった。
ハンバーグを食べる時の、屈託のない笑顔を。
愛おしいとさえ思ってしまった。
知らない世界に来たと思ったんだ。
だけど、やっぱり世界は元のままで、私に求められているものは同じで、誰も私を幸せにはしてくれなくて、だからつまり、この憎しみもそのままで、怒りも、悲しみも、後悔も、全部全部、私はまだ振り切ることなんて出来なくて! こんな思いはもうたくさんだと思っていたのに!
「私は! 私は、あなたを! 殺すべきだと思ってしまったんだ! 今までのように! なんの感傷も、後悔もなく! 出来ると思ってしまった!」
溢れ出た思いは止まらないし、止まれない。
違うと思っていた。リッチは金の亡者でもなんでもなく、ただ平和を愛する人だと思っていたかった。
たったの一日で。
数時間、一緒に出掛けただけなのに。
「戸惑う心と貴方は言った! ええそうですよ! 私には残っている! 揺れるだけの余白がまだ! いや、組織を抜けたからこそ出来てしまった! 貴方なら……貴方なら、埋めてくれると思っていたのに……!」
結局、忘れたかったんだ。
あの日の悲しみを、噴き出すような怒りを、忘れてしまいたかっただけ。
仇と一緒にいることを、誰かに許して欲しかっただけ。
だってそうだろう?
本当ならば、許せるはずもないのに。私の全てを奪ったのに。
この人は、そのことに、なんの憂いもないなんて、そんな顔をしているから。
だから私も、そうなれると思ってしまったんだ。
例え立つ為の足がなくとも、この人ならば与えてくれると。
私は、その「正義」を、愛しいと思ってしまったんだ。
「…………すみません。こんなこと、言うべきでは無かった」
息を荒らげて、一気に捲し立てたことを後悔した。
いつの間にか俯いていたらしい。
息を整えて顔を上げると、リッチは私のことを見ていた。
「言いたいのはそれだけ?」
「いや……」今は、もういい。「……これだけです」
リッチは落ち着いていた。
取り乱した自分を恥じて、私はまた頭を下げる。
「顔を上げなさい」
「は……」
「そして、私を見て」
すっかり伸びた影の中、リッチの表情は分からない。
「よく聞きなさい」
それでも、彼女がこれから、厳しいことを言うだろうと分かった。
「誰も貴方を変えたりしない。出来ないのよ。そんなことは。例えどこに行ったって、貴方の立つ世界は変わらないし、変えられない。世界を変えるなんて、誰にも出来ない」
公道を走るトラックのライトが、俄に私たちを照らした。
その両目の色の違いは、私が思ったよりも遥かに……
遥かに惨いと思った。
その片目の中に見える、人間のものでは無い輝きを。
「私のことが憎かった。そんなことはもう知ってる。でも変えられると思った。それも知ってる。そうやって私に縋ってきた人を、もう何人も見てきた」
「なら私は、私を、どうして――」
「貴方は、私に助けられたからじゃなく、自分の意志でここに立ってる」
思わず押し黙ると、リッチが一歩近付いた。
「全てを変革するのはいつだって自分の力なのよ。他人では他人をどうにも出来ない。貴方は『あの日』を引き摺る自分にケジメを付けたくて、自分の意志でここに立ってる」
叫んだ訳でもないその言葉に、私は一歩後ずさる。
「自分で自分を変えようとした。だから私は貴方が好き。何度だって言ってあげるわ。私は貴方を、シュインド・アポロニアを愛してるって」
追うこともせず、リッチはただそこに立っている。
私より数歩進んだ所で、私のことを見つめている。
「ごめんなさい。やっぱり恥ずかしくって。だから誤魔化してしまったの」
悪戯っぽく笑う彼女は、やはりまだ何か隠しているように見えたけど。
でも、一抹の答えが見えたのも、確かだったから。
「……申し訳ありません。これからも……私は貴方に仕えます」
「いい子よアポロ。私も貴方を愛してるわ」
別に愛した覚えは無いけれど、今日はただ、あの屋敷に帰ろうと思った。