リッチを起こそう
簡素な扉だ。
私に宛てがわれた部屋よりも、安っぽい扉の前に立つ。
これがあと女の部屋だと思うとおかしな気分だ。最も、朝から調子は乱されてばかりだけど。
ノックをする。
反応は無い。
ノックをする。
応えない。
強く戸を叩く。
それでも部屋の中は黙りだ。
どうやらまだまだ眠っているつもりか。鍵の類は着いていないし、これだけ確認したのだから、勝手に入っても文句は無いだろう。
それはそれとして小言は言われるだろうが。
「……リッチ。入りますよ」
屋敷の使用人たちはいい人ばかりだ。敵意もなく、警戒もなく接してくれた。
ミーシャとメイド長。あの二人は覚えておこうと思う。
胸ポケットから拳銃を取り出し安全装置を外す。
部屋の間取りを正確に知らないことが歯痒い。
準備不足は否めないが、それはあちらも知るところだろう。
勢い良く扉を開けて、彼女の寝込みを――
「……なんだこれ」
部屋の中には繭があった。
どこにも支えの見当たらない、真っ白な繭。それが部屋の真ん中に鎮座している。
折角のベッドが台無しだと思ったが、よく見てみると、この部屋に生活用品は一切無い。寝室と分けているような気配も無かったし、おそらくこの部屋のどこかにいるはずだ。
それにしても統一性のない部屋だが。
リッチの姿が見えない。
「……リッチ、聞こえていますか。そろそろ起きてください」
『シュインド・アポロニアの声紋を認証。アラームを起動』
「!?」
どこからともなく声がして、それが機械のものだと理解するのに数秒を要した。固まって居られたのもほんの束の間、次の瞬間――
「リッチ! 大丈夫ですかリッチ! なんなんですかこれは!」
繭の中から溢れんばかりの爆音で、音楽が鳴り始めた。
このクソうるさい音、出処はいったいどこだ。少なくとも私の好みではない。
思わず銃を構え直し、事態を見守る。あの繭にどんな仕掛けがあるか分からないし――
「ファ〜……ア……ん。音楽を止めて」
――その声と共に音がピタリと止んだ。
繭が解放されていく。恐る恐る中を覗いてみると。
「おはよう、アポロ。なんていい目覚めかしら?」
薄い肌着を着た――片腕と両足の無い――ミセス・リッチが眠そうに目を擦っていた。
「おはようございます。そろそろ起こすように言われましたので」
「ああ……うん。もう少し寝るってわけにはいかないみたいね」
大きく息を吸って。周りを見渡してから。
「抱っこしてアポロ」
「はい!?」
「自分一人じゃ起きられないのよ、分かるでしょう?」
「いやそれは……」今までどうしていたんだ?「……承諾しかねます」
「別になんにも気にすることないわ。早く抱き上げて頂戴」
ほら、と言って、手を伸ばす。……仕方がないか。ここまで無警戒だとなんだか毒気が抜かれる。
「ふふふ。力強くて頼もしいわ。……ああ、そこの椅子に下ろして」
「はぁ」
軽い。
あまりに軽い。
人間とはここまで軽くなれるのか。手足がないと言うだけで……。
「ふぅ。ありがとう。じゃあしばらくそこで見てて」
片手で器用に体制を整えて、リッチは繭の方を見た。
「オッケー『ジョーカー』、ヘビィメタルを流して」
『ヘヴィメタルをリスト再生』
そしてまた爆音が流れ始める。
今もそうだが、この機械音声は何なのだろう。
疑問符を浮かべるより早く、リッチが答える。
「この子はジョーカー。『ジョークを言う人』って意味の名前よ」
顔をしかめると同時にリッチが私を手招く。
「お嫌いかしら?」
「少なくとも、好きではないと言えます」
リッチは少女のように笑った。
「郷に入っては郷に従えって言うでしょう?」
リッチはこれが好きなのだろうか。
「ヘヴィメタルはいいわ。脳に直接届くように感じるから。なんだか直感的に手足を作れるの」
囁くようにそう言って、整った顔を下手なウィンクで崩す。
「……オッドアイ」
「片方は義眼よ。人間の眼より良く見えるけどね」
聞き飽きた問答なのだろう、退屈そうに答えながら彼女の胴体に分解された繭が絡み付いていく。
まるで意志を持っているかのように動くそれらは見ているだけで不安を煽った。
「そう怖がらないの」
「しかし……一体なんなのです?」
「ナノマシン」
片腕で空をなぞると、そこに脚が現れた。
酷く精巧に造られた――彫刻というよりむしろ、今しがた切り取ってきたばかりのような。
「誰に説明しても分かって貰えないから簡単に言うわね。物凄く小さな機械の集まりよ。それらが相互に干渉し合って手足を作り、神経の役割も果たすの」
痛みを感じる、ということだろうか。
いや、重要なのはそこではないような気がする。神経を造れるということはつまり、人の複製も――
「考えていることを当ててから、答えをあげるわ。それは無理よ」
――リッチは表情のない声で言った。
「人は作れない。実証済みなの」
「実験したことがあると」
「もちろん。私をなんだと思って? ヒーローである前に、科学者である前に、私だって一人の人間なのだから」
話すうち、リッチの手足は次々と出来上がって行く。
「別れを惜しむことだってあるし、失ったものをなんとか手に入れようとしたことだってある」
片脚が出来上がると、リッチはそれを支えにフラフラと立ち上がる。
「プア、杖をとって」
「かしこまりました」
すっかり毒気を抜かれてしまった。
リッチのことを、私は何も知らないのだなと、その実感が胸を覆う。
何者かである前に、人間だと彼女は言った。
私でさえ分かっていなかったことを。
「撃たないのね」
「え――」
「気付いているわよ。セーフティが外されてる」
「……今日は気分じゃない」
「そう。ありがとう。私も気分じゃないわ」
肩を軽く叩かれる。
「お化粧しないとね。出掛けるわ」
「今からですか!?」
「仕事がないから暇なのよ。予定があるのは明日だし。眠くなるまで付き合ってもらうわよ」
私は今どんな顔をしているのだろうか。
きっと、こういうのを、苦虫を噛み潰したよう、と言うのだろう。
「……で、執事服で行こうとしたら怒られたと」
「はい」
「ほーん……私んとこに寄越すなんて、ミセス・リッチはどうしちゃったのかね」
「すいません……」
「で。メイド長。どうします?」
「そうねぇ……スーツでも悪くないと思うけど、リッチェルはきっと嫌がるでしょう? もっとおしゃまなお出掛けがしたいはずよ。ミーシャは小さい癖にゴツゴツしてるものね。そういうのに合わない」
「なんですって!? あんただって年増でしょうが! 親子ほども離れてるくせに!」
「あらあら。そういうところじゃないかしら? リッチェルはきっとお姉ちゃんになりたいのよね」
「確かに私は妹ってキャラじゃないけどさ……サイズ合わないでしょうが」
「うーん、タッパがあるからねぇ。上は男物でビシッと決めましょうか」
そんなこんな、私は今鏡を見ている。
リッチに毎日見ろと言われていたっけ。まさかこうなるとは。
メイド長が私の硬い毛を梳かし、ミーシャが体の寸法を取っている。
忙しなく動く二人を見ながら、私は申し訳ないやら恥ずかしいやらで顔を伏せたくなっていた。
火が出そうに熱い。
「パンツはスキニーで行くか……脚を綺麗に見せればまぁまぁでしょ」
「化粧は薄目で行くわ。カッコイイ系で」
「何分かかるかね? 先に着替えてもらいましょっか」
「そうね……五分でお願い。今から言うところに――」
「あ、あの」
「――なるほどそれなら。承ったわ」
「あの!」
二人とも私の話を聞いてくれない。
「私の服装など、それほど気にかけずとも」
「あら? ダメよ。リッチェルとお出掛けするならそれなりの格好をしてもらいますからね」
「そうそう。ミセス・リッチに傍らに立つのは半端なデクの木じゃダメなのよ」
「ミーシャ、例えがわかりにくい」
「メイド長だって、それなりってどれくらいよ」
「そりゃあもう! それなりって感じよ!」
随分張り切っている二人には申し訳ないが、全く話についていけない。
そもそも最後に服を選んだのは何年前だろう。いつもは特売に出されている安いシャツとデニムで凌いでいたからイマイチピンとこない。
「ジャケットは必須よ! 下が黒なら上は地味でもOK!」
「了解! 直ちに急行する!」
私の戸惑いも知らず、ミーシャは駆け足に出ていった。
髪を梳かしながら、メイド長も鏡を見る。
「随分髪が傷んでいるのね」
「手入れをしたことがなくて」
「髪は女の命よ。リッチェルに言われる前に綺麗にしなきゃ」
「分かりました」
「素直でよろしい」
鏡台のタンスからヘアゴムを取り出し。
「今はまだ一纏めにするくらいしか出来ないけれど、きっと髪は長くてもいいわ。貴方にとっては邪魔かしら?」
胸の内を見抜かれた。「ハハ……」と笑ってみせると、メイド長も微笑む。
「きっと色んなことがあったのね」
その一言に、私はまた、苦し紛れの笑顔をみせる。
「これからあなたの人生は変わるわ」
物言いがまるで宗教だ。
「今でも充分変わってます」
「もっと変わるってこと」
ごそごそと化粧道具を並べながら、メイド長は満面の笑みを浮かべた。
「今日はその第一歩ね。たっぷりおめかししましょう!」