第7節 虚像
「ホンット、世の中色んな事考える奴がいるねェ」
大きなため息と共に、リアンはそんな言葉を吐き出した。ここはルチアーノ達が拠点としている、新市街の住居である。一階と二階それぞれワンルームの簡素な作りだが、四人で住めるだけの広さはある。
「人を攫って殺して腑分けして?売るの?………よくそんな事するな」
「お前がそこまで嫌うならやる気出るだろ」
ルチアーノはソファの上でゴロゴロしている彼に向かって言った。と、リアンはがば、と体を起こす。
「むしろ関わりたくない!俺ちゃんが捕まってバラされたらどうすんのさ」
「リアンはそんなヘマしないでしょ」
「………ちょっとは心配してくれてもいいんじゃないの?ハル君」
「あんたの汚い内臓なんか誰も欲しがらないわよ」
「テオちゃん!可愛い顔でそんなエグい事言わないで!」
ハルに続くテオドラの追い討ちに、リアンはばたりとソファの上に倒れた。その様子にルチアーノはため息を吐いた。
基本的に皆、自由な性格だ。こんな風景は日常茶飯事である。珍しくはない。珍しくはない故に、疲れる。
「…………お前らちゃんと聞けよ」
「俺やりたくねェよおルチアーノぉー、俺パス!」
「却下。いつも通り情報収集はお前と、ハルと、テオドラが行け。別行動な。その方が効率いいだろ」
「えー………」
「もー情けないわね、あんた男でしょ!」
「あいて!」
ばし、とテオドラがリアンの頭を叩いた。
「………テオちゃんこそ気を付けてね?悪い男に引っかからないでね?」
「あんたこそ変な女に引っかからないでね!」
テオドラに一方的に言われて、リアンは縮こまった。また一つため息を吐いて、ルチアーノは言う。
「いいな。15時に戻って来い。俺とラファエルはここで待つ」
「…………へーい」
「……頑張ってね」
と、ボソッとラファエルが言ったが、小さすぎて誰にも聞こえなかったようだ。
まずテオドラがさっさと外へ出て行き、その後をハルが追う様にして出て行った。最後に残ったリアンは、ソファで体を起こし、言う。
「…………なぁ、今さらケチつけてもしゃあねェのかもしれねェけどさ」
「……割りに合わない、か?」
「そうだよ。俺達の犯す危険に対しての対価が足りない」
「そうかもな」
ルチアーノは淡々として答えた。それに、リアンは少し苛立ちを覚えた。
「…………あのな!お前…」
「あの人には逆らわない方がいいぞ、きっと」
「!」
その言葉の重みに、リアンは言葉を詰まらせた。そして、少しの間の後。
「………何で……そんな事…、ただの神父だろあいつ……」
「あいつはそれなりに頭は回るぞ、俺が見た限り。正直、敵に回さない方がいいかもしれねェ」
「………」
「……利用出来るものは利用した方が得だ。俺達は情報を集めに行かなきゃ手に入らないが、彼には自然と入って来る」
「……………長い時間を掛ければな」
「まぁ、効率が良いとは言い難いな」
フッ、とルチアーノは笑い、そして追い払うようにして手を振った。
「ほら、さっさと行け。時間はあまりねェぞ」
「………全く、お前段々とアルヴァーロさんに似て来たよ」
「まさか。あの人は俺なんかよりもずっと偉大だ」
「そう謙遜しなさんなって、お前はお前が思ってる程酷い人間じゃあない」
「…………」
「俺みたいなロクでなしもちゃんと纏められんだから」
に、と笑って、リアンは外へ出て行った。
「……酷い人間だよ、俺は」
はぁ、とため息を吐いて、ルチアーノは傍らのラファエルを見下ろした。静かな瞳と視線がぶつかる。何か言いたげなその目に、ルチアーノは声を投げかける。
「…………何だ」
「………ルチアーノさんは、すごい人ですよ」
「……お前に言われると心苦しいなー…」
「何でですか?」
「…………何でって、そりゃ」
ルチアーノはずっと、不思議に思っている。…どうして、この少年は両親の仇を恨まないのか。それどころか、自分に懐いてさえいる。同時に不安だった。………それが全部演技で、いつか寝首を掻こうと狙っているのではないかと。
ただ、ラファエルにそんな器用さがあるとは思えない。そしてまた、疑問に立ち戻る。……何故、と。
「………こっちが訊きたい」
「?」
「何でもねェよ」
単にこの少年が壊れているだけなのか。……だとしたらそれは元々なのか、それとも自分のせいなのか………。
そんな心苦しさがあった。人を殺して淡々としているラファエルが時々心配になる。何も感じていないような顔をしている。……もし……もし、歯止めの効かない人物に育ったら。自分の手に負えなくなったら。…………その時こそ、自分はラファエルを殺さなければならないと感じていた。
………そんな事が、あればだが。
そんな起こるかも分からない先の事を考えるより、今は目の前のやるべき事である。
そう考えて、まずルチアーノはラファエルに自分の道具の点検をするように指示した。
*****
「そうねぇ……最近そういう話を聞くわ」
「攫われて行った人がいる?」
「攫われて行ったとは聞かないけれど、突然消えた人は何人かね」
スラムのとある小さな酒場。ちらほらと客はいるが、かなり貧相なものである。そのカウンターに座って、リアンはその女主人と話していた。
「一週間くらい前からうちの常連さんが来なくなって。他の人にも聞いたけれど、もうずっとその人の姿を見てないって言うの」
「………ふうん?そりゃ心配だな」
「他にもそんな人が何人かいるって、お客さんから聞いたわ。………やぁねぇ、怖くて外にも出られやしないわ」
と、困った顔で言う彼女に、リアンはにこやかに訊いた。
「………お嬢ちゃんは新市街へは移らないのかい?君みたいな綺麗な子は向こうの方が似合うだろうに」
「あらあら。……出来ることなら、そうしたいんだけどね、この店があるでしょ?ほとんど儲けなんか無いものだけど、ここの人達に少しでも安心できる場所があった方がいいだろうなって」
「はは、お嬢ちゃん、優しいんだね」
「もう、やぁねぇ、お嬢ちゃんなんて歳じゃないわよ」
「女のコはみーんな、生まれてから死ぬまでお嬢ちゃんなのさ、俺にとっては」
と、格好つけて言うリアンに、女主人はおかしそうに笑う。
「うふふ、変な人ねぇ。………あなたも気を付けてね、ここ、だいぶ物騒だから」
「なーに、俺にゃあなーんも怖えモンはねェのさ。ところで、その消えた奴らがどの辺に住んでたとか、分かるかい?」
「え?………うーん、そうね、そう言えば……皆んな南部に近い所の人だったような」
「………南部か」
やはり敵の拠点はその辺りか。その辺で、もう少し聞き込みをしてみる事にした。
「ありがと、お嬢ちゃん。酒美味かったよ」
「あら、もういいの?」
「俺ちゃんちょっと忙しいから。ゴメンね。また来る」
「そう……待ってるわね」
少し残念そうに、女主人は笑う。リアンも微笑んで、酒代を置いて立ち上がると、振り返る事なくスタスタと店を出て行った。
*****
リアンは一人、スラムの町を歩いている。人にはほとんど出会わないが、路地や民家の中に人の気配を感じる。家を持つ者と持たない者がいる。だが空き家もある。そういう所は大体盗人や何かが住んでいるから、家がないからと言って住処にしようと不用意に近付く事も危うい。………それ故に、外で野宿している人間もちらほらいる。勿論、住処がない生活には危険が伴う。アクバールが守りたいのはそういう人間なのだろうと、リアンは思った。
(………にしても方法が極端だよなァ)
やり方が遠回しな気もする。もっと、穏便に済ませられる方法が無いものか。そもそも彼はお人好しなのだ、誰も助けたがらないような人々の手助けをしようなど……。
(…………まぁ、別に悪い気はしねェけどサ)
ふん、とため息を吐き、隣の通りに出ようと細い路地に入った。人がいた形跡があるが、今は誰もいない。そこを抜け、大通りに出ようとした所でリアンは足を止めた。あまり会いたくない姿を見つけたのだ。暗い紺色の制服の、警察官だった。丈が短いので上官では無いようだ。男が二人、女が一人。一人が持つ何かの紙を囲んで、何か話しているようだった。
「…………珍しいな」
ここで警察の姿を見るのは初めてである。向こうもとうに諦めているのか、事件が起ころうと警察はほとんどやって来ない。無法地帯なのである。故に警察を恐れぬ者も中にはいて、むしろ警察の方がこの地域に入る事を恐れているざまである。………それなのに、何故。
何か探しているのだろうか、とリアンが首を伸ばして彼らの持っている紙を覗き込もうとした時。
「貴様、何をしている」
「!」
不意に背後から声がかかり、リアンは振り向いた。……そこに立っていたのは、短髪で、長い丈の制服を着ている警察官だった。
「…………あーいや、こんな所に警察が来るなんて珍しいなぁと」
暗がりで顔ははっきりとは見えない。見た感じ、相手は男のようだった。
「……そう言う貴様も、ここの者では無いようだが…?」
「…………えーっと、まァ、そうですな………」
明らかに向こうは自分の事を怪しんでいる。身なりである程度どこに住んでいるかは分かる。そして、新市街の人間がこちらへ来るのは大抵、何か良からぬ事を企んでいる時……。
「………こっちの方に昔の知り合いがいまして。けど今は住む所も無くて、この辺で待ち合わせしようって言ってたんですけど………どこ行っちゃったんですかね」
と、リアンがそう愛想笑いを交えて言うと、彼は少し考えてから言った。
「…………そうか。この辺りは危ないからな。気を付けろ。その知り合いとやらも無事だといいな」
「………ご心配ありがとうございます」
まだ怪しさは拭えていないようだが、なんとか凌げたようだ、とリアンは元来た道を戻る。その間ずっと警察官の視線を背中で感じていた。…………そして、明るみに出た時。
「待て」
「!」
呼び止められ、リアンは立ち止まる。振り返る前に、彼が言う。
「………貴様…………リアン・ローガンだろう」
「……………!」
まさか。何故自分の事を知っている、と思いながらリアンは振り向いた。
「……もしかして俺ちゃん事探してた?」
「貴様の顔は様々な所で目撃されている。それも、組織が潰されるような殺人事件が起こった街でだ」
「…………」
「何かしらの関係があるだろうと見て、捜査していた。ここで目撃情報が出たものでな」
「………参ったな」
怪しまれないように自然にしていたのが仇になったか。ともかく、今顔がバレているのは自分だけらしいし、どう関係しているのかも分かっていないらしい。
「…あーあ、今日は最高にツイてねェ」
深いため息。上げた顔に、陰が落ちる。
「…………撒くより殺した方が手っ取り早いか」
ポケットに入れていたナイフを出し、地を蹴る。急接近し、首を掻き切ろうとナイフを振る。彼は下がって避けると、銃を抜きリアンの足を撃った。
「おうっ‼︎」
がく、と撃たれた右足を崩す。彼が銃を構えながら近づいて来る。空いている左手では手錠を用意していた。
「………畜生………足ン中残った……」
「大人しくしていろ。そうすれば殺す必要もない」
と、彼が手錠を掛けようと手を伸ばしてきた時。不意にリアンは手にしていたナイフを投げた。
「んなっ………!」
拳銃を取り落とし、彼は怯む。リアンはもう一つ隠し持っていたナイフを取り出し、後ろを取った。首筋にナイフを当て、路地の暗がりに引き込んだ。そして、触れたその感触に、リアンは驚いた。
「…………あれー……男かと思ってたら女じゃん、君」
「!……貴様」
彼、否、彼女は目を見開いた。リアンは笑って言う。
「女の子じゃナメられるから?そうやって男装してるの?」
「…………情けをかける気か」
「うーん、そうね………俺ちゃん女の子は殺したくないなあー………ここは気絶させて逃げるのが俺としては正解かな」
「……………ふざけるな」
「死にたがりの子は嫌いよ?俺は。まァ、そんだから俺ならいつでもまた相手したげる」
「…………」
どう考えても不利な状況。生きられるのならば勿論その方がいい。だか、彼女にはどうしても自分が生きて、相手に逃げられる事の方が悔しかった。屈辱だった。ましてや、見逃される理由が『女だから』という事が。
「アデュー」
そんな事など知った事ではないリアンは、彼女を気絶させた。力を失った彼女の体を支えると彼は、そっと路地の壁にもたれさせた。
「…………あんらー、よーく見たら綺麗なお顔してますな」
しゃがんでそう言ったかれは、足の痛みを思い出し、「いててて」と呻く。
「……あの神父のとこ寄ったら抜いてくれっかな?」
そう呟いて、リアンはそそくさと、彼女の部下達が気付く前に去って行った。