第4節 御手に委ねよ
ロビンの葬儀は厳かに行われた。初めてアクバールは司会を務めた。参列者は、スラムの人々。葬儀は質素なものだった。だがそれでも、アクバールは心を込めて行った。自分を育ててくれた叔父へ感謝を。そして、最大の敬意を。
一方で、アクバールが殺した男達の遺体は警察に引き取られた。正当防衛として罪は罰金で済んだが、その金も危うい。
一からのスタート。とにかくこの教会を護って行く事だけは決めていた。それには力が足りない。………スラムの人々を、この教会を護るために、彼は力が欲しかった。
だが、そのアテは無い。何しろ頼れる人脈が何も無かったのだ。頼れる血縁者は他にない。
………まずは人脈を手に入れようと、アクバールはそう計画した。たった18の青年に出来る事は限られている。それでも、悲観はしなかった。手始めに医者の知り合いが欲しい。そう考えた。次に、“戦力となるもの”。
これが、アクバールが考えた“弱者の味方”の在り方だった。助けるだけではなく、“脅威となるものを排除する”。
それはロビンの想いに反するもの。そんな事はアクバールも分かっていた。だが、今まで通りの方法で行くつもりは毛頭無かった。
「……すみません、叔父さん。でも、貴方の方法では救えない」
教会裏の小さな墓地の簡易な墓の前で、アクバールはそう呟いた。刻まれた文字は『Robin・Anderson』。叔父の墓だった。
「……………文句は後でいくらでも聞きますから。ボクは…ワタシは………自分のやり方でこの街の人々を救う」
今までとは違うのだ。そう、自分自身に示す為に、一人称を変えた。新たな自分に生まれ変わる。一人の教会の主として、道を歩み始める。もう二度と………あれだけ焦がれた過去には戻れない。後戻り出来ない道へ、彼らを殺した時点で既に足を踏み入れてしまっていたのだった。
*****
それから一年半。20歳になったアクバールは一人、スラムを歩いていた。目的は以前の通り、食料と医療品の配布である。
無論、一人で歩くのは未だ怖い。だが立ち止まってはいられない。もしかすると“拾い物”もあるかもしれない……そう、今日の様に。
アクバールは足を止めた。そこは薄暗い路地だった。その奥に、誰かの気配を感じたのだ。
「……………」
奥の様子はほとんど見えない。アクバールは導かれる様にそこへ足を踏み入れた。近くは見える。木箱がたくさん置かれていた。見上げると屋根と屋根の間から細く空が見えた。
(……どうしてこんな所に………)
そう思って歩いていると、不意に後ろから殺気を感じた。カチャ、と音がして、アクバールは足を止める。……後頭部に銃を突きつけられたらしい。
「………動くな」
低い、男の声だった。アクバールは落ち着いて、答えた。
「……何かな」
「何しに来た」
「別に何もしないよ。…ただ、誰かの気配を感じたからね」
「………」
「スラムの住民かと思ったんだが、違ったかな」
アクバールは振り向かないでそう言った。背後の男は警戒を解かないまま言う。
「……そう言うあんたも、そこらにいる奴とは身なりが違うな」
「ワタシは神父だからね」
「………それにしては冷静だな」
「話の余地があるだけ、君達はマシと言うことさ」
「……“君達”?」
男が怪訝そうに訊き返すので、アクバールは笑う。
「もう一人いるだろう、そのもう一人を護る為に、君はワタシに銃を向けている。違うかね?」
ハッタリなどではない。アクバールは気付いていた。通り過ぎて来た木箱の中に、誰かがいた事を。
「………子供かね」
「……あんたには関係ないだろ」
「ワタシに出来る事なら力になるよ。食料かい?医療品かい?」
「………」
男は少し考えてから、銃を下ろした。それでもまだアクバールは後ろを振り向かないで、男の答えを待っていた。
「……ガキが一人………怪我してる。医者もいねェ、重症なんだ。……寄越せるモン寄越せ」
「………ふむ。そうかい」
アクバールは笑って振り向いた。暗がりの中見えた男は、右目に眼帯をしていた。身に纏った赤いシャツは所々破けている。戦闘の後と見えた。
「……見た所、カタギの人間じゃないようだけど」
「それがどうした。助けてくれるンだろ」
「うーん、どうだかね。ワタシは弱者の味方だから」
「なっ………!」
「君達はこのスラムでは脅威となり得る」
今はその脅威を排除する力はない。だが、一つだけ方法はある。一か八かだが、アクバールは賭けてみる事にした。
「……だがね、困っている人は放って置けない。取り引きしよう。ワタシの条件を飲んでくれれば、その子を助けてあげるよ」
「………………チッ、条件は」
余程その子が大切なのだな、とアクバールは木箱の方を見て微笑む。まるで子持ちの狼だな、と内心そう思いつつ、アクバールは条件を述べる。それは至極簡潔なものだった。
「ワタシの力になって欲しい」
「……………は?」
男は隻眼を見開いてきょとんとした。そしてとても複雑な顔をしたかと思うと、アクバールに訊いた。
「………それは………一時的な事か?」
「うーん、そうだな、ずっとだ。ワタシの為に………いや、このスラムの人々の為にその力を使って欲しい。あぁ、それと」
「分かった!そんな事でいいなら。………俺達は殺し屋だ。あんたが永久の依頼主だと思えば大した事ない。いいな。なら早く助けてやってくれ」
そこでアクバールはニヤリとする。だがすぐに、その笑みを良心的なものに変える。
「助かるよ。さて」
と、男と共に子供の入っている木箱を開けた。中ではプラチナブロンドの髪の少年がうずくまっていた。
「……君の息子さんかね?」
「………まァそんなモンだ」
そんなモン、と言うからには正確には違うのだろうと思いつつ、アクバールは少年に話しかける。
「……少年、名前は言えるかい」
すると少年は顔を上げて、アクバールを見た。睫毛が長く、瞳は赤紫色をしていた。元から肌は白い様だが、それでも顔が青白く見えた。
少年は名は言わなかった。言える様な状態ではない、と気付いたのは彼の赤く染まった白いシャツを見てからだった。
「………撃たれたのか」
「……あァ」
男は少年を抱き上げて箱から出した。そしてしゃがむと、膝の上で寝かせる。華奢な体だ。今にも折れてしまいそうだった。
銃創は脇腹を抉っていた。火傷もしている。至近距離で撃たれたのだろうか。
「………弾は体には残っていないようだね。ならさっさと止血してしまおう」
そう言うアクバールに、男は不思議そうに問う。
「……あんた………神父なのに何で医療なんか」
「………大事な人が撃たれて死んでね。何も出来なくて悔しかったから、せめて後に同じ様な人を救える様にと、勉強したのさ」
ロビンの死を無駄にはしない。二度と同じ様なことは。本格的な手術は出来ないが、これくらいの傷なら治せる。
「………麻酔が無いが、すまないね」
消毒し、傷を縫い合わせた。少年は痛みには強いらしい。一度も身を捩ったりしなかった。それとも、そこまで弱っているのか。
「これでとりあえずは大丈夫だが、一度ワタシの教会に来たまえ。綺麗なベッドで寝かせた方がいいだろう」
「………………あァ、助かる」
男は少年を背負う。少年はぐったりしていた。だが、先程より少しマシになった様に見える。
アクバールは内心ホッとして、男の前に立って歩き出した。
*****
少年はベッドで安らかに眠っている。その様子を見て、男はホッとした様子でアクバールに言う。
「………すまねェな、世話になって……」
「何、困った時はお互い様だよ」
ニコニコとしてアクバールは答える。
「丁度この部屋も空いていたしね」
「……その………大事な人の部屋か?」
「まぁ、そうだね」
アクバールは遠い目をしてそう答えた。彼のものはほとんど片付けてしまった。あとは彼の写真がアクバールの部屋に残っているだけである。
「………あんたいくつだ、俺より歳下だろ」
男が言った。アクバールは答える。
「20歳だから一応大人だ。………まぁ確かに君より一回りくらい歳下だろう」
「それが分かっててその口調か」
「……独りになってからね、もう癖で抜けない」
「……………」
少し寂しそうなアクバールの横顔を、ルチアーノは思わず見つめていた。が、不意にアクバールがこちらを向いて、言った。
「ワタシはアクバール。アクバール・オルラントだ。君は?」
「……ルチアーノ・イラーリオ。……そっちはラファエル」
と、ルチアーノはベッドで眠る少年を指す。
「彼とはどういう関係なんだい?」
「…………息子みたいなものだ」
「みたいな、という事は違うのだろう?見たところ彼はまだ10歳にもならないだろう」
「………5つだ」
「……連れ回すには酷だろうに。あの様子じゃ、君は仕事にも彼を使っているんだろう」
「あいつの意思だ。……あいつは普通の奴なら簡単に一人は殺せる」
「…………そうかい」
得た戦力は二つ。思わぬ拾い物だ、とアクバールは内心ほくそ笑む。………まぁまずは使えるか使えないか、どこかで試してみてからだ。
「……君のその目は?」
と、アクバールはルチアーノの右目の眼帯を見て言う。すると、彼はあからさまに嫌な顔をする。
「………あんた、個人の事に色々突っ込み過ぎだろ」
「すまないね。嫌なら別にいいのだよ」
「……生まれつきだ。生まれつき俺には右目が無かった」
「!」
結局彼は答えてくれた。 アクバールは少し驚いた。彼は続ける。
「はまってるのは義眼だ。………俺の視界は生まれてこの方左側だけ。もう30年近く生きてるが、近ければ距離感はだいぶ掴める」
銃撃は少し苦手だけどな、とルチアーノは笑う。と、ふとアクバールは彼の左手の甲に目が行った。
「………その刺青は?」
「ん?あァ、これは………まァ、俺達のシンボルだ」
「……蛇かね」
「そう。………そのまま。俺達は“蛇”だ」
知らないか?と訊くルチアーノに、アクバールは首を横に振る。
「何分、世間知らずでね。……殺し屋だと言っていたが」
「殺し屋集団。………正確にはスパイやら情報屋やら……いるが。俺はそのリーダー、ラファエルは構成員。………新米だけどな」
「他にも仲間が?」
「……あァ。………紹介するべきか?」
「ふむ。………そういう事なら…ひとつ提案がある」
二つではなかった。ならばこの好機を逃す手はない。
「………何だ?」
「ワタシを君達のボスにしたまえ」
その言葉に、ルチアーノはきょとんとする。
「は?」
「どのみち役割は同じだよ。代わりに街の外でなら他の仕事もしていい」
「な、ならあんたからは金は」
「元から渡さない条件だが」
「………なっ」
「ワタシは言おうとしたのだがね。……君が途中で遮ってしまった」
ふふん、と悪い顔をして言うアクバール。一歩間違えば逆上して殺されてしまいそうな所だが、彼がそんな事をしないのは分かっていた。
「……………元からあんたは俺らをタダ働きで使おうとしてたってか」
「ワタシに金は無い。働くのも難しい。収入源が必要なのだ。………この教会と、スラムを護る為にね」
「………」
「君達の活動を完全に制限するつもりはない。ただワタシの手足となる存在が欲しいだけさ」
「俺達にメリットは?」
「ワタシに出来るのは神に祈る事と、簡単な手当てくらいだ。あとは、生きる意義を与えることかね?」
「………意義……………?」
「漠然として殺しの仕事をするより、何か大義名分があった方が気持ちがいいというものではないかね」
「…………」
「形としての報酬は難しいがね。悪い話ではないと思うよ」
アクバールは首を傾げて笑う。ルチアーノは揺れる。眠るラファエルに目が行く。助けて貰ったのは事実だ。その恩を仇で返すつもりはない。いくら殺し屋とはいえ、そこまで人でなしではない。
─────だが………この素性もよく分からぬどこか胡散臭い青年神父の下で働くとなると。
「……あんたがボスになったとして……あんたは何をする」
「………君達の報酬の一部を分けてもらうくらいだよ」
「それじゃあなんのメリットも無い!」
「言っただろう、ワタシが与えられるのは意義くらいだと」
「……………っ」
無茶苦茶だ。無茶苦茶なのは分かっていた。だが、何故か断りきれない。得体の知れない何かが、ルチアーノの後ろ髪を引いていた。
「……なら、俺からも一つ提案させてくれ」
「うん?」
「一度その、お前からの依頼を受けてみる。………それからでいいか」
「構わないよ。こちらもその方が都合がいい」
にこりと笑うアクバール。ルチアーノは覚悟を決めた。運の尽きか、あるいはその逆か。ひとつの依頼で、それを見極める事にした。