68話 早朝の遭遇
お久しぶりです。吉乃、誕生日を迎えました。
規格外な豪邸に帰ってきて早数日。旅行の疲れも取れ、俺たちは普通(?)の夏休みへと戻っていた。
にしても、楽しかったなぁ。
いまだ旅行の余韻が残っていて、ぼーっとしていると海辺や無人島での出来事が頭を過る。
それを振り切るように俺は薄明の中を駆ける。英語で言うとトワイライトランナー。ちょっとかっこいい。
まぁ日課の早朝ランニングなんだけどな。
毎朝お馴染みの、夜花ちゃんとのランニング。旅行期間中は行っていなかったので、少し久しぶりに感じる。
しかし始まってみると、いつもと変わらず他愛もない会話をしながらトレーニングするだけだった。
変化があるとすれば、以前に比べて夜花ちゃんのスタイルがよくなったことくらいだろうか。セクハラじゃないからな?
そんなことを考えていたからだろうか。夜花ちゃんがジャージを脱いだだけでも意識してしまう。
ストレッチで火照ったのか、晒された薄手のトレーニングウェアはピッタリと肌に張りつき、夜花ちゃんの体をかたどっている。
なにやら胸を包む黒いものが透けて見えるが、見なかったことにしよう。……やっぱりセクハラじゃね?
「暑いですね、先輩」
「そ、そうだな」
そんな俺の邪な考えを知らない夜花ちゃんは、風を送るべくウェアの襟で扇ぎ始めた。
ところで、俺は夜花ちゃんよりも身長が高い。俺が178センチに対して、夜花ちゃんは163センチ。その差は15もある。そりゃもう、つむじもしっかり見えるくらいの差だ。
ということは、だ。引っ張られた襟から中が見えるなんて当然のことである。
火照りと汗で艶やかに光る豊満な果実と、ウェアから透けていた黒色のアレが何度もこんにちは。
ウェア越しでは色と大まかな形しかわからなかったが、直接見るとなかなかに凝ったデザインだった。勝負下着ですかと思うほど。
「よ、夜花ちゃん、あまり外でそういう行動は控えたほうがいいかな」
俺は極めて冷静に、兄としてそう忠告する。
すると夜花ちゃんは考える仕草を見せ、やがて頬を赤らめ、小さく笑った。
「先輩の、え、えっち」
どこか茜や司音ちゃんを思わせる挑発的な態度と、夜花ちゃんらしい恥じらいが相乗効果を生み、可愛さ大爆発。
なるほど……アリかもしれない。
そんな感想はおいておき。
「す、すまん」
「ふふっ、謝らなくてもいいですよ。ちょっとしたイジワルですから。それに……先輩になら、どれだけ見られても嫌じゃない、です」
「……」
「……」
遠くから聞こえる車の走行音と、公園の木々が奏でる軽やかな葉音ばかりが聞こえてくる。
静かな公園で、二人揃って目を逸らす。
これが茜や司音ちゃんなら軽くあしらえたであろうに、夜花ちゃんのように恥じらいながらされると、こっちまで恥ずかしくなってくる。
やがて羞恥に耐えられなくなったのか、夜花ちゃんが「な、なーんて」と笑った。
「びっくりしましたか?」
「ま、まぁ、びっくりしたよ。夜花ちゃんはあまりそういうこと言わないから」
「……言わないだけで、思ってないわけじゃないですから」
「えっと」
どう返すべきか。そう考える暇もなく、茹でダコのように赤面した夜花ちゃんはジャージを着直し「お、お疲れさまでした!」と走り去ってしまった。
夜花ちゃん、今日は少し違ったな。雰囲気と言うか、なにか。
夜花ちゃんの後ろ姿を眺めつつそんなことを考えていると、ひゅうっと少し強めの風が吹き、身震いが起きた。
汗が風で冷えたか。少し寒い。
「……俺も早く帰ってシャワー浴びるか」
夜花ちゃんの様子は気になるが、どれだけ考えようと答えが出るわけではない。
そう結論を出し、俺は帰路に就いた。
……のだが。
「んーっ、やっぱりない。この辺りに落としたと思ったのに……」
公園を出てすぐ、生け垣からパンツ──ではなく女の子が生えていた。
おそらくなにか落とし物をして、それで生け垣の中を漁っていたのだろう。
少女の様子から焦っているのは察せられるのだが、それにしても無防備ではなかろうか。
見つけたのが俺のような紳士だから何事もないが、もし悪漢にでも見つかればなにをされるかわからない。
あとで少し注意しておこう。そう考えながら、とりあえず手伝おうとパン──少女に声をかける。
「どうかしましたか?」
すると少女はビクッと跳ねたあと、ガサゴソと生け垣から出てきた。
光を全て吸い込むような漆黒の髪と、どこか茜を彷彿とさせる仄暗い瞳。身長や雰囲気からして、おそらく高校生だろう。
体についた葉や土を払いつつ起き上がった少女は、少し動揺したような瞳を俺に向ける。
まぁ、驚くのも無理はない。
「なにか探してるようだったけど」
「えっと、実は昨日この辺りで財布を落としちゃったみたいで」
「それは大変だ」
「はい、大変なんです。それで朝早く起きて探してたんですけど、なかなか見つからなくて」
そう言って少女はうつむく。
余程大切なものでも入っていたのだろうか。そうでなくとも、財布を落としただけでも死活問題。
「わかった。じゃあ俺も手伝うよ」
「え?」
俺の申し出に戸惑っている少女を置いて、歩道に膝を周囲を見渡す。
しまった、財布の特徴を聞いてなかった。
◇妹◇
それから二人がかりで探すことしばらく。最初の位置から少し離れた場所で財布を見つけることができた。
汗で湿っていたウェアにはたくさんの砂が付着してしまったが、どうせあとは帰るだけだし気にしない。
戸惑っていた少女はというと、最初こそ警戒していたが共に財布を捜索するうちに打ち解けていき、今では安堵に頬を綻ばせて「ありがとうございます」と頭を下げている。
「気にしなくていいさ。俺だって財布落としたら不安になるし」
まぁ無くしたとしても、厳人さんに言えば無くした以上の小遣いを渡してきそうだが。
「優しいんですね。……その、よければお名前を教えていただけませんか?」
「あぁ、高木葉雪だ。君は?」
「華頂狂愛です。その、葉雪さんと呼んでいいですか?」
「大丈夫だ。えっと、華頂さん」
「狂愛で大丈夫ですよ」
むしろそう呼んでくださいと華頂さん──もとい狂愛さんは笑った。
それからお礼がしたいからと連絡先を交換して、少しの雑談を経て俺たちは別れた。
──その日から、俺は外出するとき常に視線を感じるようになったのだった。




