35話 黒藤さんと
翌日の朝。時刻は午前五時過ぎ。
俺は公園に来ていた。
いつもなら筋トレを始めるところだが、今日はしていなかった。
俺は公園のベンチに腰掛け、黒藤さんを待っていた。
いくら五時起きだとはいえ、黒藤さんが住んでいるのは駅前のマンション。この公園とは結構な距離があり、歩いて二十分程は掛かる。
「……ふぅ、さっむ」
俺は体を震わせ、そう呟く。
五月下旬。もう春も後半に来ているとはいえ、早朝だとまだ肌寒い。
もう一度体を震わせ、俺は「ふぅ」と息を吐く。
あぁ、黒藤さん早く来ないかな。と思い、ふと公園の外に目を向けた。
「せんぱーい」
と丁度そこへ、黒藤さんの声が聞こえてきた。
どこだと思い、俺は辺りを見渡す。
「後ろですよ」
「おわっ」
突然後ろから声を掛けられ、俺は思わず素っ頓狂な声を上げる。
そんな俺を見て、黒藤さんはふわりと微笑む。
「先輩、おはようございます」
「あ、あぁ、おはよう」
黒藤さんは上下紺色のジャージを着ており、なんと言うか、とても無難な格好だった。
まぁ、そう言う俺もジャージ姿なんですけどね。
俺は黒藤さんに声を掛けようとしたとき、あることに気付く。
あぁ、ジャージも大きいサイズを買ってるのか。
「なぁ黒藤さん、答えたくなかったら答えなくてもいいんだけどさ、一つ聞いていい?」
「あっ、はい、大丈夫です」
「黒藤さんってさ──何カップ?」
そう訊ねた瞬間、黒藤さんは胸を抱き締め、顔を真っ赤に染めた。
「──なななっ、なにを突然聞いてるんですかぁあああっ!?」
「いや、だから答えたくなかったら答えなくても」
「そう言う意味じゃありませんっ! どうしていきなり胸の大きさを聞いてくるんですかぁっ!」
いや、どうしてって言われてもなぁ。服とか結構気になるし。
「も、もしかして……先輩がここまで優しくしてくれるのって、その……私の胸が目的だったから、なんですか?」
黒藤さんは不安と恐怖の混ざった瞳で見つめてくる。
「誤解だ、黒藤さんはとんでもない誤解をしている。俺が聞いた理由は、次のステップに入ったときに便利かと思って」
「つ、次のステップって何ですか……?」
未だ怯えた声で、黒藤さんは訊ねてくる。
「ほら、昨日言ったじゃないか、おしゃれをしようって。今は体をしっかりさせるのと笑顔。それがある程度できてきたら、次はファッションだって」
やっと繋がったのか、黒藤さんの表情から恐怖の色は消えた。
「そ、そうなんですか。ごめんなさい、疑ってしまって……」
「大丈夫。こっちこそ、聞き方が悪かったから。それに、黒藤さんが胸にコンプレックスを抱いてることなんて、考えたらすぐ分かることだったのに」
そう言うと、黒藤は驚いたように目を見開く。
「……私、先輩に言いましたっけ?」
「いや、勝手な推測だよ。だって黒藤さん、胸に過剰に反応するし、よく隠すような仕草をしてるし」
そう答えると、黒藤さんは俯き「そうですか」と呟く。
「よし、気を改めて、走ろうか!」
「は、はいっ! 宜しくお願いします、先輩」
そして俺たちは、微かに明るい中を走り始めた。
◇妹◇
日が昇り、時刻は午前六時半。
俺たちは黒藤さんが住んでいるマンションの前まで来ていた。
と言っても、お邪魔するわけではなく、ただ少し不安だったから送ってきただけだ。
だってさ、頬や首を伝う汗が扇情的だし、体が暖まったことで紅潮した頬も艶かしい。
茜たちという超絶可愛い妹たちを見慣れている俺ですらドキッとする姿なのだ。邪な感情を持った男性に襲われる危険がないとも言い切れない。
こういったことを考慮して、俺は黒藤さんを送ったのだ。
「先輩、わざわざ送ってもらってすいません」
黒藤さんは俺の方を向くと、ペコリと礼をする。
「いやいや、気にしなくていいよ。それじゃあまた、学校で」
「はいっ」
俺は黒藤さんの天使の微笑みに送られ、マンションを後にした。
時間がギリギリなこともあって、俺は全力で走っていた。
先にも言った通り、時刻は六時半。ここから羽真宅まで歩いて二十分から三十分。
つまり、ノロノロしていたら朝食を作るどころか、シャワーすら浴びれない。
そんなのはイヤだ。
だって考えてみてくれ。汗でベトベトな肌で放課後まで耐えなくてはならないのだ。
絶対に無理だろ。
と言うわけで、俺は全力で走った。
なんとか十分で羽真宅に帰り、シャワーを浴びてから楓ちゃんと共に朝食と弁当を作り、それから朝食を皆と食べて、家を出たのは午前七時半。
いつもより少しばかり遅いが、なんとか間に合うことはできた。
階段で茜に「昼休みかすみんのとこな」と伝え、俺は教室に向かった。
俺が無視を貫き通したことが功を奏したのか、今日は昨日に比べ体育祭のことを聞いてくる者は少なかった。
それでも、数人の男女が聞きに来たが、俺はそれを「答える気はないかな」と一言で一蹴した。
まぁ、こんなことは皆も軽い茶番程度にしか思ってないのだろう。ギクシャクした雰囲気になることもなく、次は他愛もない雑談が始まった。
だが、それでも更に数人の女子が何か言いたげな視線を送ってきてたが、俺はそれも華麗にスルーした。
席に戻り、翼と奏といつものように雑談する中、俺は軽く黒藤さんのことについて話した。
「……そうか、この学校にもいじめがあったのか」
「うーん、そうだったんだ」
話し終えると、二人は暗い表情でそう言う。
「まぁ、こんな多くの人間が集まるんだ。絶対にいじめがないなんてあり得ないだろうさ」
「……葉雪が真面目なことを、言っている」
「あのユキくんが……」
「おい待て、どうして俺に視点がいってるんだ。ってか、俺だって真面目な時もあるわ」
この二人は俺のことをなんだと思ってるんだ。
と文句を言いたかったが、俺はそれを呑み込んで続ける。
「話を戻すが、今回俺は黒藤さんを手伝って、最終的にいじめを無くすつもりだ」
二人は無言で頷く。
「それで、もしかしたら二人にも何か頼むかもしれないから、そのときは宜しく」
そう言うと、二人はいつも通り笑みを浮かべ、
「分かった」
「おーけー」
と返事をした。
いやぁ、持つべきモノは親友だなぁ。
◇妹◇
昼休み。
俺は茜と共に『旧生徒指導室』に向かっていた。
扉を開けると、既に黒藤さんとかすみんは長方形の机に弁当を置き、昼食を摂っていた。
「おー、やっほひはふぁ」
「かすみん、食いながら喋るんじゃない」
「せ、先輩、こんにちは」
「やぁ、黒藤さん。あれ、少し明るくなった?」
何故か、黒藤さんの表情は昨日より断然明るくなっている。
それも、今朝会ったときよりも明るくなっている。
何か良いことでもあったのだろうか。
「そう、なんでしょうか? 私はただ、先輩に言われた通り、笑顔を作るようにしたくらいですけど」
「そんなすぐに効果って出るものなのか……」
「あとはあれですね、やっぱり昨日散々泣いたから、スッキリしたのもあるかも知れません」
「あぁ、なるほど」
と黒藤さんと話していると、突然茜が足を強く踏んできた。
「お兄ちゃん、座りましょ?」
そう急かす茜の声には、少し嫉妬の色が感じ取れた。
「あ、あぁ」
俺はそう返し、黒藤さんの正面の席に座る。
そして茜は自重しているのか、俺の隣に座った。
「さて、紹介しておくけど、こいつは俺の妹で茜だ」
「あぁ、体育祭で実の兄に告白してた」
黒藤さんがそう言うと、何故か茜は誇らしげに貧しい胸を張った。
「ふっ」
俺はつい笑ってしまい、それに反応した茜が太股を叩いてきた。
「どうして笑うんですか、お兄ちゃん」
「いや、なんでもないぞ?」
「……お二人は、仲が良いんですね」
俺たちのやり取りを見て、黒藤さんがそう呟いた。
「まぁな」
「勿論です」
俺と茜は声を揃えてそう返した。
「ふふっ」
すると、黒藤さんは口元を手で隠し、控えめに微笑んだ。
「えーっと、本題に入りますけど、黒藤さんは今いじめに逢ってるんですよね」
不意に茜が真面目な口調で、黒藤さんに確認する。
「……はい」
黒藤さんは静かに頷き、表情を暗くする。
「よく、頑張りましたね」
茜は微笑み、優しい声音でそう言った。
「あ、……うん」
黒藤さんは嬉しそうに表情を明るくさせ、元気よく頷いた。
「もし私がクラスメイトだったら、そいつら全員関節外してあげれたのに」
「……止めろよ?」
茜の声音が真面目なモノだったので、俺は思わずそう言った。
茜は「分かってますよ」言い笑った。
本当に分かってんのか……
少し不安になりながらも、俺は話を進める。
「茜には、まぁ正確には茜たちにだが、黒藤さんにおしゃれをさせてもらいたい」
「おしゃれ、ですか?」
「あぁ、そうだ。内面を明るくするのは勿論なんだが、人はまず外見で人を判断するからな。その外見、つまり見た目の印象も変えたいんだ」
「なるほど……それなら、土曜日にうちに呼びましょうよ」
「えっと、黒藤さんはそれでいい?」
俺は黒藤さんに向き合い訊ねる。
「はい、勿論です。なにからなにまでありがとうございます」
黒藤さんは笑顔で微笑み、頭を下げた。
「黒藤さん、今日お宅に寄ってもいいですか?」
突然、茜がそう訊ねる。
「大丈夫ですけど」
「茜、なにをする気だ?」
「そうですね、女の子同士であれこれしたいと思います」
そう言うと、茜は意味深に笑った。
「それは──」
──キーンコーンカーンコーン。
続けて聞こうとしたが、丁度そこでチャイムが鳴った。
「よし、お前ら教室戻れ。黒藤はどうするんだ?」
「今日は教室に戻ります」
かすみんの質問に、黒藤さんは少し気を張って答える。
「黒藤さん、大丈夫だから」
俺は無意識のうちに黒藤さんを抱き締め、頭を撫でた。
「あぅ……あ、ありがとう、ございます」
最初は驚いていたが、徐々に黒藤さんの体から力が抜けていく。
「もう、大丈夫です」
「おう」
俺は黒藤さんの体を放し、「それじゃあな」と手を振り『旧生徒指導室』を後にした。
「お兄ちゃん、いきなり抱き締めるなんて、どういう了見ですか?」
少し離れたところで、茜が怒気を孕んだ越えたで訊ねてきた。
「ほ、ほらっ、あのまま気張って倒れられたりしたら大変だろ?」
俺は慌てて弁解する。
いや、言ったことはホントなのだが、抱き締めたときに黒藤さんの胸が腹に押し付けられて……結構ドキドキしてた。だからか、少し慌ててしまった。
「まぁいいですけどぉ? 帰ったらちゃんお甘やかしてくださいねっ?」
語尾を強調してくる茜。
「おう、分かったよ」
俺はそう返し、茜の手を掴んで急いで教室に戻った。
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