第一話 モブ、異世界(元いた世界)に里帰りする
――ゴン、と音がした。
「……忠之くん、今のなんだろう?」
窓際の席で大人しく世界史の授業を受けていた忠之こと俺は、隣の女の子の声に「さあ?」と肩をすくめた。俺に話しかけられても困る。
ツインテールの清楚な女の子だ。名前は……たしか向田花蓮さんといったか。あまり同じクラスメイトに興味ないんだよな、俺。どうしても顔と名前が覚えられない。
「おい、窓を見てみろよ、変だぞ」
周囲のクラスメイトがざわついている。
「なに? え? 運動場は?」
世界史の烏丸先生も綺麗な顔を歪めて驚いていた。せっかく麗しい女性として化粧をしているのに台無しだ。混乱に首を激しく振っているため長い髪が乱れている。
俺は窓の外を見た。
運動場が見えていたのに今はまったく別の景色が広がっている。茶色の砂漠のような光景だ。あちこちに巨大な岩が散乱していた。
そんな状況下で銀色と黒の鎧を着た大勢の兵士みたいな人間たちが遠巻きにこちらを見つめているのだ。
むっとするような血や煙の臭いに俺は顔を歪めた。思わず立ち上がって窓に駆け寄る。
遠くにいる兵士たちの鎧を凝視した。渦巻きのような紋様だ。
――おいおい、あれは俺の国の紋章模様じゃないか。
この世界では国を象徴する紋章が重要視され、建築物や鎧は当たり前、町のあちこちにも国旗として設置されている。だから紋章を見れば、領地や人、物などがどこの国に所属しているのか一目瞭然だというわけだ。
そう、何故俺がそんなことを知っているかというとだ。
――俺は元この世界の住人だからだ。
ちなみにモブだった。単なる村人その一だ。
おいおいおいおい、俺は一度、この世界で死んでいるんだぞ、トラウマになるくらいの酷い死に方だったんだ。記憶を持った上で、しかも別世界に転生だなんてハッピーな状況だってのに何が悲しくて元の世界に戻らなきゃいけないんだ。
そうやって突っ込みつつも、俺はその答えを知っていた。
どうして地球の住人として暮らして、一体何の嫌がらせかこうして再び元の世界に召喚されたかというと――
「なに、これ!」
向田花蓮さんが手の甲に刻まれた痣のようなものを気にしながら叫んだ。
「頭の中にナニカが流れ込んでくる、気持ちが悪い!」
彼女の声を聞いて周囲も「俺も……」「私もよ」といった声があちこちで上がりはじめた。
俺も自分の手の甲を眺めたが、そこには彼女たちと違い、何もなかった。
そりゃ、そうだろう。俺は別世界の住民じゃない。転生はしたものの、地球出身の人間じゃあない。彼女たちと違って頭の中にも何も流れてこない。
こんな場所でもモブのままか。いいやモブ以前の役立たずモブだな。ある意味、レベルの高いモブだ。
「なんだ、こりゃ」
クラスで一番のっぽの男子生徒が掌を天井に掲げた。その先からメラメラと小さな炎が出ている。彼の得たスキルは炎魔法のようだな。
――そう、別世界から召喚された人間は、この世界で特殊なスキルを得るのだ。
それがこの世界の常識だった。
「本当だ」「俺も変なのが使えるぞ!」「一体、これは何だ!」「騒いでいる場合じゃないわ、一体何が起こっているのよ」「みんな静かにして、落ち着いて!」クラスメイトたちの混乱に烏丸先生は狼狽えるばかりで彼らを止めることができないようだ。
俺は彼らを横目で見つつ窓の外の様子を窺う。外の兵士たちはこちらを注意深く観察していた。まだ状況を確認しているようだが、それもいつまでもつやら。俺たちが無力な人間たちだとわかれば、すぐに何らかの行動に移るだろう。
しかしあの様子だと、俺たちを喚んだのは彼らではないようだ。
地球の人間たちが得た、このスキルをてっきり戦争の道具か何かにするために召喚したのだと思ったのだが――
そのとき、頬を撫でる熱風を感じた。
慌てて振り返ると一人の男子生徒が巨大で平べったい炎の塊を出現させている。天井を半分覆い隠すくらいの大きさだ。
男子生徒が大騒ぎするがもう遅い。ボン、と巨大な音がして爆発する。バラバラと瓦礫が崩れて天井に大きな穴があいた。
幸いクラスメイトたちのスキルが自動発動したか何かで、みんなに大きな怪我はなかったようだが、わかりやすく悲鳴を上げてしまったのと、俺たちが暴走して周囲に危害を加えかねないことがわかってしまった今、遠巻きに見ていた兵士達は俺たちに襲いかかってくるだろう。
俺の考えは当たっていたようで、外の兵士たちが剣を振り上げながら一斉に俺たちに向かって走ってきた。
教室内のあちこちで悲鳴が上がる。混乱しきった状況でクラスメイトたちが急に手にした力に翻弄されながら恐怖と不安に顔を歪めている。烏丸先生が申し訳ない程度に「落ち着いて、みんな!」なんて言うが、もうどうにもならない。焼け石に水だ。
向田花蓮さんも身体を縮こまらせて座り込んでいる。
彼女たちとは違い、元この世界に住んでいたためにスキルのない俺は、ここで価値も見出されずに殺されることになるだろう。
どこまでもついていない。地球に転生して楽しかったことといえばゲームなくらいだ。スマホのソーシャルゲームにもかなり、はまった。
ここは異世界だから電波が通っておらず、もう二度とスマホで遊ぶことはできないが、最期にスマホの画面を触って思い出に浸りたい。
騒ぎ立てるクラスメイトをよそに俺は席に戻って座っるとスマホを取りだして指でスイッチを入れて画面をそっとなぞる。
――あれ?
俺は首を傾げた。電波が通っている。ありえない、ここは元俺のいた世界で地球ではない。電波なんて便利なものは存在していないはずなのに。
カラフルなショッピングバッグを模した見慣れぬアイコンがある。
なんだ、このアプリは?
こんなものを入れた覚えはない。俺は不思議に思いながら、そのアイコンをクリックした。
『転生~~~~ショッピング!!! スタート!!!』
「――は?」
突然響いた大きな音声に俺はキョロキョロと辺りを見回した。クラスメイトたちは襲いかかってくる兵士たちや自分のスキルに混乱して、こちらのことなど気にもとめていないようだ。
どうやら音声は俺のスマホ画面から聞こえてきたみたいだ。画面には、魔法使いのような姿をした、赤い長い髪の可愛いデフォルメ少女と、巨大な嘴のデブペンギンみたいなマスコットが現れている。
なんだ、こいつら?
戸惑う俺を無視して画面に映った少女はベラベラと早口で喋り始めた。
『まずは里帰り、おめでとうございます! 初回ログイン&里帰りボーナスをプレゼントしちゃいまーす! もちろん転生ポイントもちゃんとありますから、安心してお買い物ができますよ!』
「……はあ?」
『里帰りボーナスは5分限定なので、すぐに使ってくださいね。そんなの言われても迷ってしまうよ~っていう方は安心して大丈夫! ボーナスポイントはたっぷりあるのでドンドンバシバシ使いまくっちゃいましょう! ちょっとやそっとじゃなくなりません! 全部選択するのもアリですよ!』
そう少女が言い切った途端、画面が切り替わりネットショッピングのような商品が並んでいる画面が映った。
わけがわからん。
でも、どうせ俺は無能力でモブで、もうすぐ死ぬしな。
一度死んだことがあるから諦めるのも早いもの、せめてもの暇つぶしに使うとするか。
画面を見ようとして激しい震動と凄まじい轟音に俺は椅子から転がり落ちた。
教室の一部が崩れ落ちて外の景色が丸見えだ。どうやら兵士の一人が何らかの手段を用いて教室の外壁を壊したらしい。もはや俺たちは兵士たちに蹂躙されるほかない。
クラスメイトたちの手にした特別なスキルも使い方がわからなければ、ただのガラクタだ。この世界では異世界人が特別なスキルを持っていることも知られている。正しい順序で召喚されれば、それなりの待遇を得られるが、俺たちのように戦争か何かの真っ最中で偶然か間違えか悪意かで召喚されてしまったのであれば無惨に殺されるか、自由を奪われて奴隷のように扱われるかのどちらかだろう。
『あと4分です! 早く選択してくださいませ~。これ以上とないお得なタイムサービス、ぜひこの機会に色々楽しくショッピングしちゃってください!』
相変わらず喧しくスマホから少女は喋り駆けてくる。
もうめんどくさいから全選択のボタンを押して購入ボタンを押してしまおう。これが何なのかわからないがモブである俺が理解する必要はない。どうなるか知ったことか。
結局、地球でも、こっちの世界でも、里帰りしたあとでも、俺はモブのままなのだ。
『ご購入ありがとうございます~! まだポイントは残っていますから新商品入荷を楽しみにしてくださいね~!』
ようやくスマホから音声が消えた。ほっとして俺はその場にうずくまる。
横目で見るとクラスメイトたちが次々と兵士たちに掴まれて気絶させられたり、身動きの取れないように捕獲されたりしている。
そのうち窓際でうずくまっている俺も奴らと同じように捕獲されて、スキルも何もないとわかれば殺されるか、虫ほどの扱いを受けることだろう。
「きゃああ!」
近くで悲鳴が聞こえた。向田花蓮さんだ。兵士の男に掴まれて引きずり倒されてしまった。向田さんは視線を感じたか俺のほうに首を向けた。涙で顔をグチャグチャにして、ゆっくりと唇を動かす。
――たすけて。
そう言ったように聞こえたのだ。
「――ああ、くそ」
モブはモブらしく、ここでうち捨てられるべきだ。わかっていても身体が自然に動いた。
――困っている人を助けられるような人間になりなさい
耳元で聞こえてきたのは幻聴か。ああ、俺の記憶は、どうしてこんなときに余計な言葉を。もういない母さんの言葉を思い出したところで無意味なのに。
俺は勢いよく足に力を入れて向田さんにのし掛かっていた兵士に身体をぶつけた。
向田さんを襲っていた兵士は、壁に空いた瓦礫の穴を飛び越えて外まではじき飛ばされた。地面に激しく叩きつけられてピクリとも動かない。
ちょっと力を入れてだけなのに大げさに吹き飛びすぎじゃないか。紙のように軽い身体だったし、もっと肉を食ったほうがいいと思う。
向田さんは何が起きたのか信じられないといった顔で俺を見つめている。
クラスメイトたちを襲っていた兵士たちも突然攻撃した俺に驚いて硬直していた。
そんな状況を見て俺は嘆息する。一人兵士を倒したところで苦境は変わらない。多勢に無勢、大勢の兵士たちに数で蹂躙されて俺みたいなモブはヤラれてゲームオーバーだ。
――たとえば俺と向田さんだけ、この場所から一瞬で移動できるスキルでもない限りは。
JOB START JOB№3.teleportation 0 ,0
そのときスマホから音声が聞こえた。
「なんだ?」
そう思ったのは一瞬、次に目を開いたとき、周囲の景色は一変していた。
血と煙の匂いはどこにもなく、崩れた教室ではなく、粗末な家の中で、薄っぺらいテーブルと古い椅子がポツンと置かれている。見慣れた部屋だった。
――ここは俺が元々住んでいた家の中だ。どうしてここに?
「……あの? ……助けてくれてありがとう? ……なの?」
混乱しきった顔で向田さんが俺に声をかけてくれる。
「あ? ああ……?」
俺もよくわからず、ぎこちなく頷く。
一体、俺の身に何が起こったんだ?