14
『これは まほう?
すっごくおもしろいの!カッチ、カッチ!!』
…
広場…この村は外界と分断されている。街から定期的な配給はあるが、それでも足りないものはでてくる。
次の配給が来るまで足りないものは自分達で何とかしなければならない。
その取引の場として使われているのがココだ。人が集まる場所と言えばここだろう。
まだ早い時間ではあるが、ちらほらと人の姿が見える。
うん?…あ。
知ってる顔だ。
挨拶がてら、ヤーガさんからの宿題をこなそうか。
…いやはや。
「おはようございます、トマスさん」
…
…?
…あれ、何か反応が悪い。知らない内に気分を損ねるようなことでもしてしまったのか?
「…お前か。…いや、悪い。なんかな…お前の名前、ド忘れしちまったらしい。」
トマスさんはとてもばつが悪いような態度でそう答えた。
あ。
そうか、『名前』か。
今まで使ってなかったせいか、払った代償の事を忘れていたようだ。
「はは…いやはや…気にしないでください。」
まあ、なんと月並みなセリフか。いやはや。気にするなと言った本人が一番動揺しているではないか。
「あーあ、フヌケちまったよ。は、…息子も出て行っちまって…もう、なんにもねえや」
白髪交じりの老人は自嘲気味に語る。その姿は以前よりもずっと小さく見えてしまう。
…息子さんが出て行って沈んでいるのか。
ううむ…空気が重い。
ここは何か気の利いた言葉でもかけるべきでは…!
「あ…いや、その…きっと息子さんは帰ってきますよ。ああ…いやはや…はは」
ああっ!
もう、馬鹿!
本当に、あー、もう!
「…へっ…ありがとよ…」
逆に気を遣わせてしまっているではないか!
「じゃあな」
…あー、切り上げられてしまう。
宿題どころか、会話もまともにできないなんて…。
いや。
ダメだ…このままじゃいけない。
「トマスさん!」
「おぉ、なんだ急に」
うう、しまった。思ったよりも大きな声がでてしまった。
いや!
もう、こうなればなし崩しだ!ままよっ!
「あー…あのっ!
きっと!きっとですねっ!近いうちにっ、その、いやはや…
えと、そう!この村は立ち直ります!それできっと息子さんは帰ってきます!
えー、その証拠に…あー、証拠…うー…証拠…
ん?…あっ!
えと!今夜、御神木のところに来てください!」
うあ。見事なほどボロボロ。
自分でも一体、何を言っているのか分からない。
彼を元気付けたかった。それは間違いない。
いや、あるいは…自分への、エールだったのかも。…酷い出来だが。
…そう。私は彼の姿で、かつての“空気”を感じてしまった。
街にいた頃の、あの息苦しい空気。
街の一部として自分を捨てて、それが遣り甲斐なのだと信じ込ませて…納得させて…。
もう、あんな思いはしたくなかった。ここはそんな場所ではないはずだ。
「…お…ああ。できたらな」
トマスさんは去っていった。
ううむ…来てくれるだろうか?
いやはやしかし。
勢いとはいえ…宿題が始まってしまったわけだ。
この際なので、できるだけ集めてみようか。
…
私は広場の人に片っ端から声をかけてみた。
…
改めて思う…この村の住人は素直で親切だ。
私の急な呼びかけに対し、なんだかんだ言いつつも結局は応じてくれた。
しかも知り合いにも声をかけてくれるという。
これは…思ったよりも集まりそうだ。
いやはや本当に、ありがたいことだ。
…
…しかし…
誰も、私の名前を言う者はいなかったな。
…あるいは、言っていたが私が気がつかなかっただけなのかもしれない。
なんにせよ数日前にはなかったことだ。
代償か。…実感してみると…少し、ショックだった。
私に、なにか、穴があいたような気がして…。
…
声をかけ終わったので、屋敷に戻ることにした。おそらくメルも起きている事だろう。
「あ、パパっ!」
屋敷に戻るとメルが待っていた。敷地内とはいえパジャマのままか…いやはや…。
“ぽすっ”
メルは私を見るなり、飛びついてきた。
…いやはや…まあ、悪い気はしないのだけど、その…
「あちゅーい、あちゅーいなあパパさん!
メルったらパパさんが戻ってくるのをずっと待ってたんですよー。中で待ってればいーのにっ!
かぁー!新婚かぁー!おほっ!おほっ!」
ギャラリーがね…はあ。
“きゅ”
…おっと。この子を放っていてはいけないな。
「いやはや、ありがとうございますメル様」
とりあえずヤーガさんは無視しておいて、メルを離す。
「え…あの、メルで…呼び捨てで…」
「え?」
何か間違ったか?
思わずメルの顔を見る。
当然、目も合ってしまう。
いやはや、身長の差もあって上目遣いというかたちに…少し、ドキリとしてしまう。
「様とか…無しで…」
あ、呼び方か。しかし。
「でも、それじゃ威厳が…」
「…そうだけど…」
俯きながらメルは答える。
…ううむ…
思い通りにしてやりたいが…
と、いうか。
彼女は分かっているのだろうか…?
“ドンドン!”
思い悩んでいると背中を勢いよく叩かれる。おっさんみたい。
「いぃーじゃ、なーいの!パパさん!メルのカリスマプロデュースはヤーガさんに任せとけば大ー…丈夫!
それより魔女はモチベが大事!モチベーション!やる気!大切なことなんで二回言いますよ?モ・チ・ベ…
って三回目じゃチクショー…って…おほっ!?さっきヤーガさん、四回くらい言ってない?ねえ?ねえ?」「もう別にいいじゃないですか…」
いつものヤーガさんの割り込みだ。
相変わらず、一人で勝手に騒いで一人で自爆?している(本人はそう思っているようだ)。
でも今回は私とメルの間の空気が一気に吹き飛ばされていった…ような気がする。
…これはヤーガさんのあの喋り方に感謝するべきなのかもしれない。
まあ、とにかく。
私はメルを“様”無しで呼ぶ事になったわけで…
「いやはや…はは…では…ええと………メ………メ、ル…さん」
いざ、そうしろと言われても中々に難しい。
と、いうか、距離感が近くなりすぎるのはどうなのか。
「かぁーおしいっ!てかなんで最後『さん』をつけたの!?正解通り越しちゃったよ!
というかですね、パパさん前に呼び捨てしてましたやんっ!」
どこの訛りですん。
いや…あの時は意識してはなかったのだ。思わず、というやつだ。
だけど今度は意識して言わなくてはならなくて…その、とても…気恥ずかしい。
「いやはや…」
「可愛く頬を赤らめてもダメですよぉ!って、ダンディの赤ら顔に需要あるんかーい?
いいからホラ、もう一度、メ・ル」
うう。
拷問は続くらしい。
「メ……メ、ル」
うー…恥ずかしい。
「おほっ!おほっ!!かぁー、いぃー、ねぇー!ピュアだねぇ!良い年したピュアだ!」
うぐう。
…ヤーガさんのあの喋り方にイラつかされたのはこれで何度目だろう…?
先程感謝なんかしてしまったのが悔やまれる…
「うん…ふふ、分かった。いいよ、好きに呼んで」
メルは私に優しく微笑むとそう言ってくれた。
私のことを察してくれたのか譲歩してくれたのだ。
なんとありがたい。…でも微かに寂しそうな表情も見てとれるので…
「いやはや…じゃあ、あの…メルさん…で」
「うん。分かった。でもいつかは…ね?」
私の新たな宿題だそうだ。
「ゴホゴホゴホンっ!…おほっ…あー…メル君、キミは何でここで待ってたのですかねぇ」
わざとらしく咳払いをするヤーガさん。
しまった。いたんだこの人。
私達はハッとして離れた。
「見せ付けすぎは嫌味ですよぉ?はい!今からイチャつきまっす!…エド君!イチャイチャしてください!ホラッ!イチャイチャ!!」
「え、え?やめてくださいって…むぅ~」
無理やりエド君に抱きつくヤーガさんと必死に抵抗するエド君。…羨ましかったのだろうか…?
まあ、あの人は置いといて。
「ええと、メルさん、そういえば何かあったのですか?そんな恰好で…」
「え!?…えーと………あっ!そうそう!ちょっと来て!」
と、メルは私の手を掴んで屋敷の中へ誘導する。
少し興奮しているのか、声が弾んでいる。何か良い事でもあったのだろうか。
…
屋敷の中は窓を閉め切っているためか、まだ午前中だというのに真っ暗だ。
「おや…?窓は開けたハズですが…?」
「んふふ…また閉めたの!」
自慢気に答えるメル。
「…そうですか…」
これだけの窓を閉めるのは苦労しただろう。開けるのにちょっとした仕事を感じた人間から言わせれば。
「んっふっふー、見ててね?」
暗がりからメルの声が聞こえてくる。
なにをする気なのか。
「そーれっ!」
“カチッ”
スイッチを押す音…
と、同時に部屋が光で満たされる。これは。
「まさか…電気が…いや、いつの間に…」
「どう?すっごいでしょ!?」
メルは目をキラキラさせながらスイッチに手を伸ばし…
“カチッ”
…電気をおとす。
再び部屋は真っ暗に…
“カチッ”
ん?
また光が。
「へへー」
“カチッ”
真っ暗。
“カチッ”
まぶし。
“カチッ”
暗。
“カチッ”
光。
こら。
何が…そんなに面白いのか…
スイッチをひっきりなしに切り替えるメル。
これが人々が恐れる魔女?これじゃ、ただの子供だ。
「こらこらメルさん、あんまりやりすぎると壊れてしまいますよ?」
「えへへー、うんー」
“カチッ”
やるんかい。
「いやはやだから…」
「あと一回だけー」
“カチッ”
…新しいおもちゃに夢中なようだ。
「んふふー」
このままだとずっとカチカチやっていそうなので
とりあえずメルを抱えてスイッチから引き離す。
「あー」
「今日はおしまい」
「あーあー…。…でも、すっごいでしょ!?」
魔法でこの屋敷を用意した方がずっと凄い事に思えるのだが、価値観の違いなのか。
「…ええ、まあ確かに。この村には電気なんてありませんでしたからね。」
「へっへー」
“ドンドン!”
また背中叩き。…彼女の出番か。
「ちっちっち!メェール!その電気を用意したのはヤーガさんなんですからねー!メルのじゃないから!
ヤーガさんの手柄を横取りしちゃダーメだっ…て、いつまで抱き合ってんのかーいっ!!」
“ドンッ!”
ツッコミとばかりに更に強く叩く、というか少し押される。
「おっと!」「あ!」
メルを落とさないようにバランスを整えて、しかしすばやくメルをおろして離れる。
「いやはや…ええ…あー…よ、よく電気なんて用意できましたね。ええ。こんな、短時間で…」
すると、ヤーガさんは腕を組み、さも自慢であるかのようにこう言った。
「不可能を可能にする女!ヤーガさん!!」
“ヤーガさん!”
“ヤーガさん”
“ヤーガさん…”
またしても響くコダマ…。
屋敷は広く…そして静かだったのだ。
…なんにせよ、説明になっていなかった。タネは秘密らしい。
まあ、いいか。
とりあえず…。
「えっと、ところでメルさん、そろそろ朝食にしませんか?…あれ?」
メルが居ない…いや、居る。
“トットットット…”
スイッチのもとへ駆けるメル。
“カチッ”
「うん!」
…暗がりから声が聞こえてる。もう。
「いやはやだから今日はおしまいだって…」
「パパさん!実はせっかくだからガスも用意しましたでがす!こう、つまみを捻れば火も出るんですよ!
メェール、聞きましたぁ?今度はスイッチで火が出ますよー!」
“カチッ”
「本当!?パパ!!行こうっ!!」
ドタドタドタ!メルは調理場へと走って行ってしまった。
「あー、メルさんは見学…ってヤーガさん、なんてこと言うんですか。」
「えー、でもー、電気カチカチよりはー話が進むでしょう?
いーじゃない夫婦の共ぉ同ぉ作業ってや・つ・で!ほら、行ってきな行ってきな!」
“ドンドン”
気を利かせてくれてるのか?いや、面倒なイベントが追加されたようにしか見えない。むう。
「むうう…ん?おや?ヤーガさん達は来ないのですか?」
せめて道連れにしてやろう。
「そ、それじゃあ」「ダーメでーす!」
珍しく乗り気であったエド君を遮り、ヤーガさんが断る。くっ。
「いやはや…ま、まあ、エド君もたまには別のモノでも食べないとバランスが悪くなりますよ?」
「で、ですよね?」
おお、のってくれるのか。
おどおどしながらも賛成してくれる…普段、本当に肉しか食べさせてもらってないのだろうか…?
「お断りしますですよはい!エド君はヤーガさんのもの以外は食べちゃいけないんです!
パパさんも他人の食生活に首を突っ込んじゃダーメ!」
ぬっ。
私とエド君の間に割って入るヤーガさん。
「いやはや…」
料理にはこだわりがあるのだろうか?やけに食い下がってくる。
だがここでエド君が一計を案じた。
「…たまには…ダメ…ですか?」
まるで捨てられた子犬の様な母性をくすぐる上目遣い!
彼の食生活の悩みは相当なものであると推測できる!
「…かぁー!そーんな上目遣いで言われちゃー、
ぐらっとくるけど!けど!ダーメー!だーめーなのでーす!
てかですね、ていうかですね!エド君!ヤーガさんのご飯はダメですか!?ダメなんですか!?
すんごい心がこもってるんですよ!?
エド君はヤーガさんの料理しか食べちゃダメなんです!
他のものを食べちゃうと愛情が薄れちゃうんですよ!
エド君はいっつも愛情マックスハートじゃないといけないんですよ!?
てか泣きますよ?泣きましょうか?二時間くらい。ああ分かりましたよ泣きますね泣っきまー…」
「…ああもう…わかりました!…ご飯はいいです…」
「だ、そうなんで!あとはお二人でごゆっくりー!」
コロッと表情を変えてヤーガさんはエド君を連れ去り部屋を出て行った。
と、その際に
「あ、そうそう、メルをおとなしくさせたいなら魔法の言葉を教えてあげましょー。それはねー」
…
…いやはや…そんなのが効くのやら…