敵を欺くには味方から
「おはようございます。昨夜はよく寝られましたか?」
「ええ、まあ……お蔭さまで」
朝、酒場兼食堂で顔を合わせたテルンさんは、鬚も綺麗に剃り上げ、すっかり出かける準備を整えていた。
昨晩、あたしが部屋に引き上げた時点でも、まだまだこれから飲むぞという雰囲気だったのに。さすがというかなんというか……実にタフな人である。
あたしのほうは、ちゃんと起きれたし着替えも済ませているけれど、髪もまだ結んでないし、まだまだ寝惚け眼だ。社交辞令的に「お蔭様で」なんて返したけれど、寝不足気味なのはバレバレだと思う。
昨日は肉体的に疲れていたし、決して寝れなかったってわけじゃないんだけどね。でも慣れない場所というか世界にいきなり放り込まれて緊張していたんだもん、ぐっすり安眠とはいかなかったのは事実だ。
おまけに「夜の相手はしないでいい」って宣言したのに、奴隷の彼女が部屋に居座ってたせいってのもある。ギドに叱られるらしいんで、夜中は部屋に居ていいって許可したんだけど、壁際に体育座りになってひと晩中あたしのことを黙って睨んでいたもんだから、気になってしまったのだ。
ああ、そういえば彼女の名前を知らなかったと思って朝起きたときに訊いたら「ネタミ」と名乗った。奴隷はまともな名前では呼んでもらえないってことらしい。「本名は?」って訊いても教えてくれなかったし、いろいろとあたしの知らない決め事があるっぽい。
そんなこんなをぼーっと思い出しながら、野菜スープにパンを浸して食べていたら、テルンさんに笑われてしまった。
いいわ、どうせ男になっちゃったんだし。みっともないところ見られても、平気、平気。気にしない。
「食事が済んだらすぐに出発です。支度して南門へ来てください」
髪を梳かすだけじゃなくって鬚も剃らなくっちゃ駄目なのかなって考えながら、あたしは頷いた。
南門というのは、あたしが来るときに入ってきた門のことだった。あのボロボロの木戸みたいな門だ。
慣れない革鎧を身に着け南門に向かうと、外に大型の馬車とそれより少し小さめの馬車が並んで待っていた。大きいほうは白っぽい幌付きの荷馬車のようだ。
昨日、酒場で顔を合わせた護衛のひとりがその大きいほうの前で手招きしている。名前はたしか……ドジェ。中肉中背で、あたしのよりも大振りの剣を腰に差し、よく使い込んだ風合いの金属製の胸当てを着けている。
「他の連中が奴隷を連れてくる。あんたは先に乗り込んで奴隷たちに手を貸してやれ」
幌の内側は思ったよりも広々としていて、筵みたいなのが一面に敷き詰めてある。端には座席代わりになりそうな木箱がいくつか置かれている。
しばらくすると、奴隷たちの一団がミルガという名の護衛に連れられてやってきた。
奴隷たちは、みんな麻袋みたいワンピース姿だ。首にした革のチョーカーといい、ネタミの服装とそっくり。腕には木の板の手枷、足首も鎖で繋がれている。
ミルガが奴隷の女の子を下から押し上げ、あたしが上から引っ張り上げて乗せる。気遣いとか優しさじゃなくて、単に足が繋がれていて自力では上がれないからという理由だ。
奴隷たちは無気力な顔で、抵抗する様子もなくされるまま乗り込み、その場にへたりと座り込む。
二、四、六……結局、全部で十三人もの奴隷が乗り込んだ。驚いたことにと言うべきだろうか、全員が女性だった。昨夜、酒場で踊っていた娘も混じっている。
「御者はゼナン。アジュはテルンさんの馬車に乗れ」
ドジェが馬車の外に向かって声をかけながら乗り込んできて、そのまま後ろの乗り降り口の右側に座った。
ミルガは座り込んだ奴隷を掻き分け奥に詰め前方の椅子に陣取った。あたしは幌の結び目の近く、ドジェの反対側に座った。
小さいほうの馬車は、基本、テルンさん専用だそうだ。テルンさんも馬車は御せるけど、誰かしら同乗するらしい。
金髪のお兄さん――たぶんゼナン――が御者台に乗り込み、後ろを振り返って馬車を覗き込んだ。
「情報屋のチャチャルが来てた。魔動車を狙って街道に盗賊団が出たそうだ――」
隙間からテルンさんの馬車の様子を窺うと、小柄な人影が馬車の後ろから降りてくるところだった。十四、五歳くらいだろうか。
あたしの視線に気づいたのか、男の子はこちらに向かって手を振り、軽やかな足取りで走り去っていった。
馬車はゆっくりと走りだした。思ったより滑らかな動きで、揺れのせいで酔ったりしないですみそうだ。
少し進むと、いちどガタンと大きく揺れて、それから向きを変えた。速度が上がったけれど、揺れはかえって減ったようだ。
「街道に出たぞ」
幌の隙間に目を凝らすと、昨日降りたバスの停留所が遠ざかっていった。
街道を走りだした馬車に続くように、馬が二頭、脇道から出てくるのが見えた。もっさりと苔生したような髪の男と、それより頭ひとつ背が高そうな痩せぎすの二人組だ。
まさか出発した途端に盗賊の襲撃……!?
反射的に身体が強張ったけれど、ドジェもミルガも落ち着き払っている。
「臨時の護衛か」
「次の町までだけだがな」
「まさか盗賊団の息がかかってたりしないよな?」
「こんな田舎まで来るような暇な《討伐者》はいねえよ。どうせ管理局が手配した《管理者》だろう」
「なら腕はともかく、裏切りの心配は無用だな」
そうかそうか、とドジェとミルガは意味不明に頷き合った。
あたしも臨時雇いなんだけど……。腕はからっきしでも、よかったのかなあ……。ちょっとだけ不安になった。
「そういやあ――」と御者台からゼナンが話しかける。「逃げ出した奴隷は、捕まえたんだな」
「ああ、ここにいる」とミルガが自分の足下に座り込んだ奴隷を示す。「逃げたくせに、結局、門の前に戻ってきていた」
馬鹿なやつだ、とミルガは奴隷を指差し嘲笑った。
奴隷がふと顔をあげて、あたしのことを見た。見憶えのある顔だった。
なんか睨まれてる? もしかして……停留所から門まで案内してくれた娘?
え? あたしが悪かったの? せっかく逃げ出したのに、あたしに親切にしてくれたせいで、また捕まっちゃった?
「あ……」
思わず漏らした「ごめんね」というあたしの呟きは、続くドジェの冷笑混じりの言葉に掻き消された。
「首輪が外せなけりゃ、居場所はすぐにバレるのにな。ご苦労なこった」
ドジェが手にタブレット端末っぽいものを持って軽く振ってみせている。居場所のわかっちゃう首輪って、それってなんてGPS? 発信機? この世界の文明って、どんだけハイテクなの?
まあ、それでも捕まったのはあたしのせいじゃなかったとわかって少しだけほっとした。
「大人しくしてれば、ギドの宿で楽ができたのにな」
逃げた娘が本来ならギドの宿に預けられるはずだったのが、代わりにネタミが行くことになったらしかった。
ギドはテルンさんの依頼で、奴隷に簡単な家事労働を仕込むのを請け負っているのだそうだ。ギドは無償の労働力を、テルンさんは一定水準以上の労働技術を身に着けた奴隷を手に入れることができる。持ちつ持たれつってやつだ。
労働技術があれば、多少は待遇もよくなる……のだろうか?
「夜の技術も、もちろん仕込むさ」
昨夜、ギドもあたしに対してネタミを好きに扱っていいようなことは言っていた。そういうものなのか、と割り切ろうとしたけど、やっぱり不愉快だった。
当事者の奴隷たちは、まるで他人事のように俯いて黙りこくっていた。
「ひたすら客を取らされるんじゃ、身体が保たないだろうな」
「寿命が縮まりゃ、それはそれで幸運なんじゃないか?」
「ははは、そうかもな。所詮は《咎人》、自業自得だしな」
護衛たちは、聞くに堪えない会話を続けていた。彼らの顔に浮かんでいるのは下卑た笑みではなく、憎悪にも似た厳しい表情だ。
ひどいじゃないかと窘めかけて、彼らの間に漂う暗い翳りに思わずあたしは言葉を飲み込んだ。
「……テルンさんは女の奴隷しか扱わないんですか?」
「お前、何を言ってんだ?」
ミルガが呆れた顔をする。ドジェも今にも吹き出しそうな顔をしていた。
「借金返済のために男が身売りして奴隷になるなんて、旧世界の昔話じゃあるまいし……」
ゼナンの言葉にミルガもドジェも驚いたようだった。っていうか、そこ驚くポイント?
「《咎人》でもないのに、奴隷になる男なんているのか?」
「奴隷ってのは《咎人》が償いのためにやるもんだろう?」
どうもこの国、この世界では《咎人》というのは女だけで、《咎人》は虐げられて当然と扱われているようだった。
女は罪深いっていう宗教は元の世界でも珍しくなかったはずだけど、ここまで徹底しているのは何故なんだろう?
あたしはこの世界では男だから虐げられる側じゃないけど、でも全然素直に喜べないわ。
馬車は途中で休憩はせずに走り続けるのだそうだ。馬ってそんなに走れるんだ? まあ、でもその代わり夜は早めに野営するらしい。
昼食も走ってる馬車の中で食べるのだそうだ。護衛と奴隷で特に差をつけてる様子もなく、そのあたりは妙に公平だ。
「あの……みなさんは《討伐者》ってやつなんですか?」
ギドのお手製サンドイッチをかじりながら、あたしは訊いてみた。ちなみにパンはバゲット風の堅いやつで、具はかなり塩味の濃いハムだ。
そういえばサンドイッチ伯爵って、いつの時代の人だっけ……? ま、異世界でそんなこと考えてもしょうがないんだけど。
「俺とドジェとは《討伐者》だ」とミルガが答えた。「それとゼナンは《管理者》だ」
「たしか管理局だか組合だかのラゴーさんが《管理者》と聞きましたけど……。《管理者》って何をするんですか?」
「あんた、何にも知らないんだなあ。そりゃ《管理者》っていったら、この世の理を管理する者に決まってんだろ」
「この世の理……?」
昨夜、テルンさんは《咎人》が奴隷になって苦しむのがこの世界の理だと言っていた。
それを管理するということは《管理者》というのは、一種の宗教者、教会の司祭のようなものなのだろうか?
「いやいや、所詮は《管理者》なんて、ただの役人さ」
ゼナンがひょいと振り返って口を挟んだ。
「こっそり奴隷を逃したりしていないか、監視するのが仕事のはずだったんだが。テルンさんは、そのへん、抜かりないからな」
脱走があっても、ちゃんと追いかけて捕まえてるなら問題ないのだそうだ。
不当に奴隷を虐待していないかを監督するのならともかく、故意に逃してないか監視って、それじゃ真逆じゃん……。やっぱり奴隷制は国家事業なんだろうか? 釈然としなかった。