働かざる者、食うべからず
日が沈んで空が暗くなってきた頃、酒場へ食事に降りてくるようにとギドが呼びに来た。
驚いたことに階下の酒場は、ほぼ満員になっていた。
見た目ざっと五十人くらいということは、宿泊客以外の客も入っているのだろう。バスじゃなくて乗り合い魔動車(?)で一緒だった民族衣装の外国人っぽい集団――《マロウド》が真ん中あたりを占領して、わいわいとやっている。
あたしが案内されたのは、いちばん奥まった壁際の席だった。二人がけのわりにテーブルが広くて上席っぽい。そこでテルンさんが寛いだ様子で酒杯を傾けていた。
「やあ、すっかり身支度も整いましたね」
昼間よりも少しだけ身ぎれいになったあたしを見て、テルンさんは微笑んだ。
「あた……わたしがお相手で良かったんでしょうか?」
あたしの台詞は、まるで自分に不釣り合いなランクの高い男にデートに誘われた冴えない女の子だった。
もちろんですよ、と優雅に微笑みながら返すテルンさんは、いかにも女の扱いに長けた男前だ。さり気なくグラスに酒を注ぎ、あたしの前にすっと差し出す。
「チヒロさんには、これから数日、お世話になるわけですから。他の連中のことでしたらお気になさらずに。皆、それぞれに楽しくやっていますから」
テルンさんの視線の先は、少し大きめのテーブルがあった。黙々と食べて飲んでいた四人の男たちが、ちらりと顔を上げ軽く会釈をしつつひとりずつ名乗った。あまりよく聞き取れなかったけれど、どうせいちどで覚えきれる自信もなかったし、あたしも名乗ってグラスを軽く差し上げて挨拶だけ返した。
淡々とした彼らの様子からすると、あたしは特に歓迎されているわけでも、鬱陶しく思われているわけでもなさそうだった。
護衛というからもっといかにも強そうなマッチョ系とか危険な香りのしそうなのを想像していたけれど、意外と見た目は普通っぽい。でもきっと腕は立つんだろうな……。
「護衛といっても、チヒロさんにお願いするのは奴隷が逃げないように見張る仕事ですから、腕っ節はさほど必要ありません。戦闘は彼らに任せておけばいいです」
隊商の人員は、テルンさんを入れて、この五人らしい。あたしを入れて六人。
奴隷が何人いるのか知らないし、これが多いのか少ないのか、ちょっと見当もつかない。
さっきギドから押しつけられた奴隷は女の子だったけど、女性の世話係とかはいないんだろうか?
目の前に皿が運ばれてくる。厚めの血が滴るようなステーキは、見た目は牛だけど味が違う。牛独特の風味がないけど、何の肉だろう? 素晴らしく美味しいとは言い難いけど、うん、まあ、いける。
つけ合わせはジャガイモっぽい。ジャガイモは南米からヨーロッパに伝わったものだから、その有無で時代が推測できるらしいけど、あたしの知識はそうするには少しばかり適当過ぎた。
そもそも地球上でタイムスリップしたわけじゃなさそうだし、異世界では無意味な知識なんだろうけど。
っていうか、あたしもすっかりここが異世界だと受け入れ始めちゃってるよね。夢……にしちゃ長すぎるし、妙に筋道立ってるし。これってやっぱり転生なの?
男もすなる転生を、女もしてみむとてするなり――なんちって? 転生ものの主人公は基本男ばっかりって茂樹も言ってたしね。まあ、最近は少し違ってきてるらしいけど。
あ、でも「男もすなる――」の元ネタはネカマの先駆けっていうか男が女のフリをしてたんだから、今のあたしとは状況が違うか……。
それに女から男に変化はしてるけど、赤ん坊からやり直した憶えはないし、服とか荷物だって今朝出かけたときと変化していない。となるとこの状況って、転生じゃなくて転移ってやつ?
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもないです……」
怪訝そうな顔をしたテルンさんに首を振り、あたしはフォークに突き刺した肉をぱくりと飲み込んだ。
ちなみにフォークは三叉に分かれてるけど、これを考察するのもきっと無意味なんだろうな。
タカタンッ、タタタンッ!
突然、打楽器の音がして、それに続いて《マロウド》たちから拍手が湧いた。
見れば酒場の中央あたりに薄物をまとった数人の女が楽器を持って座っていた。
ひとりの女が両手に持った木切れのような物で、床を叩いて拍子を取っている。それに合わせて、別の女が膝に抱えた太鼓を打ち、ずんぐりした胴のギターっぽい楽器の女が曲を奏で始めた。
ショーのようなものが始まったらしい。
「隣町で旅芸人一座に引き渡す予定の奴隷たちです。今日は《マロウド》たちの歓迎の舞台を宿の主人に頼まれましてね」
あたしがじっと演奏の様子を眺めていると、テルンさんがそう教えてくれた。なるほど奴隷なのか……。そう思うとじろじろと見つめていちゃいけないような気がしてくる。彼女たちの仕事なら見てあげるべきなんだろうけど、可哀想だなとか悪いなって思っちゃって……。
俯き加減にしているとテルンさんが心配そうに声をかけてきた。
「お気に召しませんか?」
「いえ……」
テルンさんの問いは奴隷制についてなのか、それとも芸の出来に関してなのか。どっちかわからなかったけど、奴隷商人であり雇主となるテルンさんが相手では、どっちにしろあたしは首を横に振る以外になかった。
「その《マロウド》って何ですか?」
「……奴隷制を導入するため外国から視察に訪れた賓客ってところでしょうか」
「導入って……」
そんな真似するほど立派なものなんですか、という質問をあたしが飲み込んだのをテルンさんは察したようで
「この国の根幹を支える仕組みですからね。上手く行っているのはたしかです」
説明抜きでは、どういう意味でテルンさんがそう言ったのか、あたしにはわからなかった。
でも賓客か。つまり《マロウド》ってのは《客人》とか《賓》ってことなんだろう。漢字を思い浮かべても無意味なんだろうけど、あたしにはそのほうが理解しやすい。
音楽が次第に盛り上がる。《賓》たちが手拍子を合わせる。
カウンターの陰から滑り込むようにして、踊り子が姿を現した。
踊り子は相当な美人らしかった。《賓》たちが「おお!」と、どよめく。あたしの席からは真っ赤な唇ばかりが目について、美貌を堪能するにはちょっとばかり遠い。
でもスタイルは抜群に良かった。服が薄いなんてもんじゃないのだ。
胸元を隠す布切れは、小さすぎて乳首プラスαくらいしか隠れていない。サイズはEかFくらい? それ以上大きかったら、あの小さなブラトップで胸や腰を振りながら踊るのはちょっと無理だと思う。踊れる限界サイズの巨乳が八割かた剥き出しになって、ふるふると震えている。
隠蔽面積の小ささでは下腹部も負けてはいない。ほとんど紐パンだし、大事なところは隠し切れるはずもない。辛うじて隠せているのはパレオというかチュールのお陰なんだけど、それにしたって透け透けだし、膝上三十センチというか股下二センチくらいしかない。
要するに、ほぼ全裸? 雰囲気はベリーダンス風だけど、実質、ただのストリップだ。
セクハラだ、と叫んで帰りたくなったけど、今のあたしは外見上は男だ。男でも望んでもいないのに性的なサービスを押しつけられたらセクハラは成立したっけ? ってか、そもそもこの世界にはセクハラって概念はあるんだろうか? なさそうだよね……。
これ見よがしに踊り続ける奴隷たちを見続けるのがいたたまれなくて、あたしは周囲の客たちへと視線を逸らしていた。
男たちの大半は、食い入るような視線を踊り子へと向けている。でもよく見るうちに、その視線にも何種類かあることに気がついた。
口を半開きにし欲望丸出しの目つきで揺れる胸元や腰を追い続けているのは《賓》たち。典型的なスケベな男の反応だ。呆れはするけれど、まあ、男なんてこんなものだろう。
テルンさんと部下たちは、淡々とした表情で踊りを眺めている。芸術鑑賞のつもりではないだろうけど、商品のチェックをしてるってところだろうか。
それ以外の男は、視線は踊り子の動きを必死に追っているには違いないんだけど、その表情はどちらかといえば嫌悪感に満ちているように見えた。恐ろしいまでの憎々しげな形相で睨みつけている男もいる。
その不愉快そうな視線は奴隷制に対する嫌悪感とは思えなかった。奴隷という軽蔑すべき存在が人前に出てくることに対する不快感? それとも少し違う。もっと個人的な嫌悪感、そう親の敵でも見るような目つきに感じられた。
「奴隷嫌いっていうより女嫌いって感じ?」
「彼らが《咎人》だからですよ」
「《咎人》? 咎人の祠……でしたっけ?」
昼間、管理局でのラゴーたちの話を思い出した。徒歩で帰るには許可が無しでは入れない場所を通る必要があるって話だった。その場所が咎人の祠だ。
「ご存知でしたか……?」
「《咎人》が召喚される場所がそう呼ばれているということしか……」
召喚だったか降臨だったかあやふやだし、そもそも《咎人》が何なのかすら知らないんですけどね……。
「その咎人の祠に現れた《咎人》たちを奴隷として集めるのが私たち奴隷商人の仕事です」
「つまりはテルンさんたちが捕まえなければ、彼女らは奴隷になる必要はなかったってことですよね?」
「まあ、そうですね。しかし《咎人》たちには奴隷となるしか生きていく術はありませんから」
「そんな……! さっき宿の主人のギドさんからテルンさんから預かった奴隷の女の子を躾けてくれって頼まれましたけど、別に奴隷じゃなくたって宿の下働きとして雇えばいい話じゃないですか?」
「ほう、ギドさんがそんなことを」とテルンさんは面白そうに眉をぴくりと動かし「好きに弄んでもかまわないと言われませんでしたか?」
「ええ、言われましたけど……」
奴隷として買うのと普通に労働者として雇うのと、もしかしたら奴隷のほうが安上がりなのかもしれない。それに奴隷だから客を取らせるのも当たり前とも考えられる。
テルンさんは、きっとその点を指摘するつもりなのだろう。でも――。
「でも手を出すつもりはありませ――」
「それは偽善ですね」
テルンさんはあたしの言葉を遮るようにして断じた。
「そんなことはわかってます……」
あたしには奴隷を買い取って解放するだけの財力もなければ、奴隷制を覆すだけの権力も、それと戦うだけの武力なり人を動かす政治力なりもない。
できるのは、せめて今日一日だけでも、奴隷の彼女を苦しみから遠ざけてあげることぐらい。
せいぜいが小さな救い、いや気休めに過ぎないことくらい百も承知だ。
「それでは救いにすらなりませんよ。《咎人》は苦役に耐えてこそ救われるんです」
「それじゃあ……」
まるで宗教みたいだ、と思った。
ただでさえ人の心を動かすのは難しい。宗教が絡んでいるのではなおさらだ。
セクハラに耐えられず辞めた水原さんを救えなかったのと同じ後悔を二度としたくない、という気持ちに嘘偽りはない。
でもそんなささやかな決意程度で、身に沁みついているだろう宗教観に抗える自信は、あたしにはなかった。
「それがこの世界の理です――」
テルンさんは、ゆっくりと頷きながらそう言った。
でも力強い口調とは裏腹に、テルンさんの顔はどこか苦く辛そうだった。