そうだパンツ脱ごう
「聞けば魔道札の修理に隣町に行く手段をお探しの様子。ちょうど私どもの隊商の次の目的地は隣の町ですから、ご一緒できればと」
テルンさんて、若いころはさぞかし美青年だったんだろうなあ……。今だってアラフォーくらいに見えるけど、甘いマスクに渋さが加わって、すっごい素敵……。イケメンっていうよりいい男って言い方のほうが似合うかも。
単に整った顔立ちってだけじゃなくって、声もいいし、雰囲気が洗練されているわ。イケメン俳優好きのオバサンたちなら「テルン様!」ってハート付きで呼びそうな感じ。モテるんだろうなあ……。
「テルンさん、それは正式な護衛依頼を組合へ提出された上で、チーロさんと契約したいということでしょうか?」
「チーロじゃなくて、チヒロ」
「そうです。そのほうがチヒロさんも安心でしょう?」
テルンさんは、ラゴーやルドと違って、いっぺんであたしの名前を間違えずにちゃんと発音してくれた。しかも飛びっきりの魅惑的な笑顔つきでだ。
「隊商って……ああ、テルンさんは行商人なんですか? でも、ご厚意はありがたいんですけど――」
「よかったじゃないか、チーロ。テルンさんの隊商なら報酬の支払いだってきっちりしているし、依頼を達成したらお前の信用も大いに上がるし、後々、役に立つじゃないか」
ルドは興奮した様子で、丁重に断ろうとするあたしの言葉を遮った。
はあ、テルンさんは男ウケもするのか……濃い顔のおじさんの瞳が恋する乙女のようにキラキラしちゃってるわ。あらあら、よく見ればラゴーも飼い主の言葉を待つ忠犬みたいに、じっとテルンさんの顔を見つめてるじゃないの。
「行商人といえばその通りですが、扱っている商品は奴隷が専門になります」
「えっ? 奴隷商人……?」
ありがちテンプレ設定とはいえ、奴隷商人であるというテルンさんの自己紹介に、あたしは正直ぎょっとした。
国家の制度としての奴隷制が廃止された現代でも奴隷状態の人が少なからず存在するってことを、あたしだって知らないわけじゃない。でも、そういうことを直接に見たり聞いたりしたことはないし、奴隷なんて、あたしにとっては遠い話、現実感はまるでない。
テンプレ小説の中ですら、奴隷制ってなんかイヤな感じって思っていたのに……。
それとも、それはあたしが――少なくとも内面は――女だからそう感じるだけ? 転生ものでは美少女奴隷がチート主人公に無条件に尽くすってのは定番だけど、せっかくストーリーが面白くっても、そういう設定ってだけで星二つくらい評価を落としたくなることも結構あるのよね。
女が虐げられたり無条件に奉仕するのが面白くないっていうのとは、ちょっと違う。女主人公が男性奴隷に尽くされても――そういうのは読んだことないけど――誰かが誰かを一方的に支配する、隷属させるってのはいい気分じゃないと思うわけ。
そりゃ、この世界は――夢なのか転生したのか、今のあたしには判断できないけど、とりあえずこの世界って呼ぶわ――現代日本と比べるとかなり文化レベルが低いというか旧そうだから、奴隷制があっても不思議じゃないのかもしれない。
でもそういう世界でも、奴隷商人ってやっぱり、ひとでなしとまでは言わなくても、決して褒められた仕事じゃないってイメージじゃないの?
なのにラゴーもルドも、賞賛の眼差しでテルンさんを見つめてる。金持ちだから? 成功している実力者だから? それともセクシーな、いい男だから? いずれにしろ、なんだかちょっと納得がいかない。
「護衛以外の依頼となると、《討伐者》向けは、そうですねえ……獣人狩りやオーク狩り、あるいは盗賊団の討伐とかですね。チーロさんは仮登録だと最低ランクの見習い扱いになりますから、上位者による補助がつかなければ受けることはできません」
ちなみに、と言ってラゴーは、現在、無償で指導を引き受ける余裕のある上位者はこの近辺にはいないとつけ加えた。
「金欠の身には、選択の余地はないってことか……」
こっそりと呟いたつもりだったけど、テルンさんは意外に耳聡く、聞きつけられてしまった。
「もちろん本日の宿代もこちらで持ちますよ。それとその格好で護衛というわけにもいかないでしょうから、支度金も別途、お支払いいたしましょう」
「こちらとしても異存はございません。ですよね、チーロさん?」
ラゴーは嬉々とした表情で、勝手に手続きを始めてしまった。あたしとしても不満はないわけじゃなかったけど、それ以外に選択肢が無いのも事実だった。
◇◆◇◆◇
手続きが完了すると、テルンさんは約束通りに支度金をすぐに手渡してくれた。金額にして三百ゴル。聞いたこともない貨幣単位だし、何円に相当するのか、さっぱり見当がつかない。
「大した金額じゃありませんが、装備を整えるくらいはできるはずです」
「装備っていわれても……」
喧嘩すらしたことがないあたしが、武器なんて使えるはずもない。防具はあったほうがいいかもしれないけど……。
「失礼ですが着替えなども持っていらっしゃらないのでしょう?」
「……」
なにしろこのボロっちい格好だ。泥を払い落としただけのスウェットはリュックに詰め込んであるけれど、二日も三日もかかる旅だというならば着替えは絶対に必要だ。
特に下着の替えが……と考えたところで、テルンさんはそれをさり気なく仄めかしていたことに気がついて、頬がかっと熱くなった。別に……テルンさんが女性物の下着を思い浮かべて忠告してくれたわけじゃないのはわかってるんだけど。
奴隷商人と聞いてからは、テルンさんの顔はいかがわしく見えてしょうがないんだけど……。そのいかがわしさが、また色気のように見えちゃうんだから、腹が立つったらありゃしない。
「では後ほど宿にて。夕食をご一緒しましょう――」
そう言ってテルンさんは去っていった。
◇◆◇◆◇
「それじゃあ、まずは装備屋からだな」
何故だかルドが案内してくれることになっていた。やる気満々のルドを宥めて、まずは服や下着の店へ連れて行くように頼んだ。
店の中でもルドはあれやこれやと面倒見がよかった。男物の下着の選び方がわからず戸惑うあたしに向かって、「これからの季節はこういった形のほうがいい」だの「旅先では洗濯もままならないから、素材はこっちにしろ」だのアドバイスしてくれた。
元は女だと気づいたわけではなくて、ルドは単に世間知らずの要領の悪い奴を放っておけない親切な性格なんだろう。知り合ったばっかりのおっさんと一緒に下着屋で品定めするのは小っ恥ずかしかったけれど、ルドの知り合いってことでまけてもらえたのはラッキーだった。
ルドたち村人が着ているような地味な生成りシャツとチノパン風のズボンをひと揃いと、下着を念のため三組買った。スウェットは二組あるし、これで十分だろう。
靴はおろしたてのスニーカーだったし、履いていて特に問題もないみたいなので、新しく買う必要はないと判断した。
合計で百二十ゴル、残金は百八十ゴル。物価も相場もわからないけど何の目安もないと困るし、ルドの言葉も参考にして、とりあえずざっくりと百ゴル=一万円で見積もることにした。
装備屋は服屋の三軒右隣、広場から東の通りへ入る角にあった。装備屋の看板には「ルドの装備屋」とあった。おいおい……。
「いらっしゃいませ、何をお探しですか?」
暇を持て余した世話好きのおじさんから装備屋の主人に早変わりしたルドは、それでも面倒見の良さを発揮し続けて、財布に見合った装備を見繕ってくれた。
「防具は必須だな。かといってガチガチに固めちまって動きが鈍るようじゃ困る。革の鎧がいいところか」
そう言って取り出した鎧は、いかにもファンタジーに出てきそうな細長い革のパーツを何枚も繋げたようなデザインだった。
覆われているのは胸と背中がメインで、肩のあたりはほとんど剥き出しだ。それでも鎧を着慣れないあたしには、このくらいじゃないと動きが制限されちゃって駄目だったのだ。
「素人じゃ、剣を振り回すのも弓も無理だろうな」
それはわかりきっていたし、たとえ体力や技術面で問題がなかったとしても、人間(や襲ってきた生き物?)に向かって振り下ろせるとは思えなかった。
それでも丸腰はよくないということで、短剣というか大振りのナイフを選んだ。これなら道具としても使い道はあるというのがルドの見立てだ。これを持ったまま元の世界に戻ったら、即座に銃刀法違反で逮捕されそうな気がするけど、そうなったらそのときに考えよう。
短剣と革鎧でしめて二百ゴル。足りない分はまけてやるさ、とルドは気前がよかった。
「あとで奥さんに叱られたりしないよね?」
冗談めかして言うと、ルドはちょっと困ったような顔で首を傾げていた。
もしかして悪いこと聞いちゃったのかな……?
気になったけど、恩人に対して余計なことを言って恩を仇で返すような真似は避けることにした。
◇◆◇◆◇
親切なルドに何かしらお礼をしたかったけれど、支度金は使い果たしちゃったし、繰り返し言葉で伝えるしかなかった。
そんなあたしにルドはにやりと笑いかけ「袖すり合うも他生の縁」となんだか諺っぽいことを言って去っていった。
日本語の諺をルドが言うとちょっと違和感があったけど、きっと似たような意味の言葉をあたしの脳内自動翻訳が勝手に解釈しちゃったんだろう。
宿は最初に行った公衆浴場の隣だった。浴場と似たような造りで、ここも扉は西部劇っぽいスイングドアになっている。
看板には「ギドの酒場」と書いてあった。一階が酒場で、客を泊めるのは二階と三階だそうだ。外から見た限り、大した人数は泊まれそうになかった。
酒場の中は閑散としていた。評判が悪いのか、そもそも旅行者が少ないのか。どっちだろう?
浴場にあったのと同じようなバーカウンターがあって、その中にぽつねんと座り込んでいるのがギドだった。
「いらっしゃいませ――」
ギドはあまり仕事熱心そうには見えなかった。くるくると巻いた髪や灰色がかった瞳の色はどことなくルドに似ている。でも性格はだいぶ違っているようで、あたしの話を聞く顔にはシンプルに「面倒くさい」と書いてあった。
「つまり、あんたは奴隷商人のテルンさんに雇われたってこと?」
「ええ、まあ、一応……」
奴隷商人に雇われることに対する不本意な気持ちを前面に出しても大丈夫かどうか、不安ではあった。そのせいで曖昧な口調になってしまったけれど、ギドがそれを気にした様子はない。それどころか、ちょっとばかり目がきらりと輝いたような気がした。
「じゃあさあ、あんたに頼んでもいいよな?」
「な、何をですか……?」
「おい、ちょっと来い」
あたしの疑問は完全に無視したギドの呼び声に応えてカウンター裏から出てきたのは若い女だった。
容姿は最大限に褒めて純朴な顔立ち。しかも表情はどこか不貞腐れたようで暗い。茶色い麻袋みたいなワンピースを着ていて、首には大型犬用の首輪みたいなごついチョーカーをしている。どこかで見た格好……あたしを村の入り口まで案内してくれた女性と服装はよく似ている。
「テルンさんから預かったんだが、新入り奴隷の面倒をみてる暇はないんだよ。あんた、適当に仕込んでくれないか?」
テルンさんからってことは、まさか奴隷ってこと? そう気がつくと、なんだか見ちゃ悪いような気がして、女の子の顔から無意識に目を逸らしていた。
「仕込んでって言われても……」
「あんたの用事を言いつけるだけでいいさ。もちろん夜の相手をさせたきゃ、勝手にやってくれ。別料金を寄越せなんて言いやせんよ」
ギドはあたしの言い分など聞く気はさらさらないらしく、ただ汚いものでも見るように奴隷の女の子を一瞥した。
「ただ買い取ったわけじゃないから、殺すのはやめといてくれ」
◇◆◇◆◇
奴隷の女の子に案内され、あたしは二階の一室へと通された。新入りという話だったけど、部屋の配置くらいは既に把握していたらしい。
部屋にはベッドと簡易トイレにシャワーがついていた。ユニットバス仕様ではなく、外国の映画に出てくるモーテルみたいだ。日本のラブホもこんな感じなのかもしれないけれど、生憎、あたしは利用したことがない。
公衆浴場ではざっと泥を落としただけのスウェットも、ここなら洗濯できそうだ。そう思って洗面台に手を伸ばすと、それだけで水が流れだした。
「すごい……センサー式なんだ?」
村の中の建物の造りとかからして、そんなハイテク文明はないと思っていたので驚いた。
荷物からスウェットを出そうとベッドに近寄ると、奴隷の女の子は目に見えて緊張した。怯えるというよりは、不快そうな顔だ。
「あた……じゃなかった、俺はそんな気はないよ」
それだけで意味は通じたようで、女の子の肩の力がすっと抜けた。だからといって安堵した表情にはならず、やっぱり不愉快そうに顔を蹙めたままだった。女として恥をかかされたって怒ったのかなあ……?
代わりに何か仕事を与えたほうがいいのかと思い、泥だらけのスウェットの洗濯を任せることにした。奴隷の彼女は素直に「かしこまりました」と言ってリュックからスウェットを取り出し、そそくさと洗面所に向かった。
女の子が背を向けて洗濯をしている間に、あたしは買ってきたばかりの服に着替えた。もちろんお尻の部分に泥の染みがついた下着もだ。下着の洗濯は他人には任せられない。身体が男になっても、やっぱり心は女だから。
しかし夜の相手と言われてもあたしには……できるのかな? うーん……興味がないわけじゃないけど、やっぱりする気にはなれない。
相手が奴隷なのがイヤというか、相手の弱味につけこむようなやり方はしたくない。かといって女のあたしが女性相手に恋愛ができるとも思えない。それに何より、大切な初めてを男として体験するなんて絶対にイヤだった。
そういえばエッチは逃げの一手と決めたけど、トイレは逃げられないことにあたしは気がついた。洗濯が終わったら駆け込みたいくらいに行きたくなってるけど、どうしよう?
シャワーは誤魔化しつつ浴びたけど、トイレはどうしたらいいんだろう?
下着も男物に着替えたけど、使い方がわからない。見ればわかるだろうけど、見たくないし触りたくもない。うっかり触って反応したりしたら怖いし気持ち悪い。
そういえば洋式トイレでは最近は男性も座ってする人が増えてるって聞いたことがある。女みたいだと嫌がる人もいるらしいけど、あたしはそもそも女だから気にはしない。
「そっか、パンツを脱げばいいんだ!」
いいことを思いついたと叫ぶあたしの顔を、洗濯を終えて戻ってきた女の子が呆れた顔で見ていた。