狐と狸の化かし合い
ガルガウィの頭を飛び越えてきたルルリリは、あたしの手の中へ魔道札をぽとりと落とした。中身を確認すると、新しいアプリがインストール済みの一覧に加わっている。魔道器じゃないと動かないって話だったけど……必要最低限の機能だけ入れてくれたのか、それともあたしの魔道札はスマホだから特殊なのか。説明する余裕はガルガウィにはなさそう。
作業を終えたガルガウィは、がっくりと力が抜けて身動きひとつしない。死んでないよね? 瀕死……でもないよね? 旧世界の雄の獣人であるガルガウィは首輪にも魔道札にも縁がない。死んだらお終いなんだから不安。
助けられるものなら助けたいけど……それよりも先にあたしにはやらなければいけないことがある。
また光り始めた通路の魔法陣を魔道銃で撃っておく。これでとりあえずの時間稼ぎはできたはず。万が一、ダングルが出てきたとしてもこの中途半端にしか開いてない扉では、ガルガウィの大きな身体が邪魔で中へは入ってこれないよね。ガルガウィ自身は危険に晒すことになっちゃうけど、でもシステムを止めれば、ダングルはこの世界から消える。結局はそれがガルガウィの身を守ることになる……はず。
魔道札と違ってスマホには懐中電灯機能がついている。魔法陣の非常灯すらないシステム室の中も、これならどうにか歩き回れそう。
学校のPC教室とか機械室みたいのを想像していたけど、石造りのお墓っていうか古代遺跡って感じ。さすがは元城の地下室ってとこね。
いちばん奥に石の台座みたいなのがある。アドベンチャーゲームとかで宝玉とか石版とかを嵌め込むと隠し扉がゴゴゴッとか開いたりするような感じのやつ。たぶん、魔道札のアプリをあそこで実行するんじゃないかな。少なくとも他にそれっぽいのは見当たらない。
左右の壁には魔法陣っぽい模様が薄黒く刻まれてる。なんだかイヤな予感……と思ってると、片側が白っぽく光り出した。
「ほんとにしぶとい人だねえ、チーロさん」
やっぱりまたダングル。ストーカーじゃあるまいし、いい加減にして……。
返事するのもうんざりなんで速攻で魔道銃で攻撃する。体中が青白く光ったと思ったら、ぱっと消えて、次の瞬間には反対側の壁の魔法陣から姿を現す。
ダングル、魔法陣、ダングル、魔法陣。順番に撃つ。通路と違って消え去るのも復活するのもずっと速くて、絶え間なしに魔道銃を撃ち続けなくちゃなんない。
「物量作戦なら、こっちの勝ちだね」
いい加減、撃ち疲れて手が止まった途端に、ダングルがいやみな笑みを浮かべながら現れた。たしかに魔道銃の魔道残量も少なくなってきてるし腕も痛い。それにこの調子じゃシステムを止める暇もない。
「……なんでこんなことすんの?」
「こんなことってチーロさんの邪魔をしてること? それとも理不尽な咎人制度そのもののことかな?」
そこまでわかってて、この男……無性に腹が立つ。残り少ない魔道銃の残弾をお見舞いしてやる。
顔面に命中して消え去る寸前、ダングルは右手をすっと上げるような仕草をした。右手の指輪が燃えるように光、赤い光線が飛んでくる。って危ないじゃん! ルルリリを頭から抱えるようにしてしゃがみ込んで避ける。
顔を上げると同時に、ダングルが少し離れた位置に出現する。
「なんで、その小さい子を盾にしないんですかね?」
「するわけないでしょうが!」
「《咎人》なんだから死んだって平気でしょう?」
そうなんだけど! そうなんだけどさ、そういうことじゃないでしょ!?
客観的にはダングルのいう通りかもしれないけどさ、平然と仲間を身代わりにするような神経持ち合わせてないのよ! それにさ、ダングルと違ってルルリリは、この場には戻って来れないんだから……。
「その割には犬の獣人は重傷なのに放置してるんだねえ?」
「それは……」
ダングルの指摘にまたもや言葉に詰まった。
今のあたしには治療手段がないし、まずはシステムを止めることが先決って判断したから……。でもそれはただの言い訳かもしれない。
「だいたいチーロさんは原住民じゃないでしょう? 他人任せとは原住民のやつらもズルいなあ」
「別に無関係ってわけじゃないし……」
あたしだって元の世界に戻れるかどうかが懸かっているのだ。正義のために、なんて綺麗事で協力してるってわけでもない。ま、あたしの立場をダングルに説明してやるつもりはないけれど。
「でもチーロさんは普通の《討伐者》とは違うらしいじゃないですか。死んだら戻って来れないんでしょう?」
「別に試したわけじゃないから……」
「じゃ、試してみましょうか? 上手く行けば帰れますよ。協力してあげましょう」
そういうなりダングルの指輪が光った。
咄嗟に頭を手で覆い、台座の陰にしゃがみ込む……ってか、駄目じゃん! 魔道札やシステム本体に攻撃が当たったら作戦失敗、終了じゃん!
慌てて台座から離れようと身を捩らせたところへ、赤い光線がビッと走る。
転がった拍子にルルリリが滑り落ちた。ってかルルリリは自力で逃げられるけど、わっ、手が滑って魔道札が飛んでった! どこ? どこへ行ったの?
指輪型魔道銃の赤い光がしつこく追いかけてくる。ルルリリは……隠れた? それとも外へ逃げた? 大丈夫かな?
赤い光線を避けながらも、目線だけで必死に魔道札を探す。スマホの懐中電灯モードはオンにしたままだから、光源を探せばいいはず。
「そんなに怖がらないで。ほら、きっと帰れますよ」
言葉遣いは相変わらず丁寧だけど、口調ってか声の出し方が完全にドSキャラになってる。指輪型でも魔道銃のはずなのに未だにあたしに一発も当たらないのも、絶対わざと外して甚振ってるに違いないわ。
ダングルはあたしが魔道札を落としたことに気づいてるんだろうか? そもそも魔道札を使おうとしているってわかってるんだろうか?
正面には台座。右はダングル。あたしもいれて正三角形に並んでいる。
ダングルのちょうど向かい側の位置でなにかがちらりと光った気がした。あそこには石造りの椅子みたいなものがあったっけ。
目の隅でまたなにかが光ったけど、あたしを注視するダングルは気づいていないみたい。ルルリリかな? あたしには狭すぎるけど、ルルリリなら隠れられそう。
ひらりとなにかが浮き上がり、きらめく。ダングルの視線がそちらへと向かう。
ルルリリがふわりと宙に舞い上がり、勢い良く羽ばたく。ダングルの指輪が赤く光り始める。
「ルルリリ!」
叫びながら同時に頭の中で「当たれ!」と念じた。
ダングルの頭が弾け飛ぶ。しかし一瞬遅く、ダングルの指先から赤い光が放たれていた。赤い光線がひと筋、ルルリリへと真っ直ぐに向かう。
あたしは白く光り始めた左の壁の魔法陣を撃ち、続けざまに右の壁も撃った。稼いだ時間はせいぜい三十秒。魔道銃はもう弾切れ、反応がない。
「ルルリリ!!」
あたしは台座に向かって走った。
よろよろと蹌踉めくようにルルリリが飛んでくる。翼がまともに動かせないのか、滑空というか、ほとんど自由落下状態。
ぼろりとルルリリの手から魔道札が落ちる。それを右手でキャッチ。そして左手でルルリリ自身を受け止める。
ルルリリが頑張って操作したんだろうか、魔道札の画面にはシステム停止用のアプリが起動していて、あとは実行ボタンを押すばかりになっている。
台座に向けて、ボタンを押した。
◇◆◇◆◇
システム室の中は静かだった。PCが動いているような音は、もう聞こえない。
アプリの実行と同時に爆発的に白く強い光を放った魔法陣は、黒く壁の色に溶け込んで見えなくなっていた。もう二度と光ることはないんだと思う。ダングルも他の《討伐者》も、もう出て来られないはず。
石の台座がはっきりと目の前に見えている。ああ、そういえば部屋の中が少し明るくなってる気がする。天井が黄色っぽく光ってる。あれは照明の魔法陣?
「チヒロさん! 無事だったんだ……ね」
あたしの顔を見るなり元気よく手を振りながら走ってきたチャチャルの声は、すっと尻すぼみに消え入った。珍しいな……ってか、怪我したりなんだり、みんながみんな無事ってわけじゃないんだよね。あたしだってそのくらいの空気は読めるから、曖昧に軽く微笑み返すだけにする。
気がつけばシステム室には大勢の人が出たり入ったりしていた。荷物を運び込んだり、逆に運び出したり、なにをしてるのかはよくわからない。中心になって動いているのはブグルジとかハリュパスとか、ギルラン商会の人たちだ。
「チヒロさん、ご協力ありがとうございました」
テルンさんが寄ってきて、あたしに向かって深々と頭を下げる。いや別にテルンさんのためってわけじゃ……うん、相変わらず乙女心を刺激する渋い声だわ。
「無事に……終わったんですよね?」
「そうですね。帰るべき人は帰り、残るべき人は残りました……」
どこか含みのあるテルンさんの言葉に不安が募る。
「そうだ、ソネミはどうなりました? テルンさんたちと一緒に車庫のほうに残ってたはずなんですが」
「チヒロさんと一緒に戦っていた黄色い髪の《咎人》でしたら、魔道機械の停止と同時に元の世界に戻って行きました」
「あっ、そうか……。それじゃジヌラもだね……」
テルンさんは黙って頷いた。
そっか……。これから苦労するだろうけど、ジヌラの行動力ならきっとどうにかなるよ。なんて心の中で無責任な応援を送る。
最後に落ちてくるのを抱きとめたはずのルルリリの姿もこの場にはない。《咎人》だからね。死に戻りだったのか、それともシステム停止による強制送還だったのか。いずれにしろ、挨拶も礼もできないままお別れになっちゃったのが心残り。
ううん、現実逃避をしていちゃいけないわ。忙しく動きまわるテルンさんの部下やギルラン商会の人たちの中には怪我をしている姿も多い。そう、戦闘だったんだもん。怪我人だけじゃなく――真実の死かどうかは別にして――死亡者も少なくないはず。
「ガルガウィは……?」
「無事だよ。ほら、あそこに。それから――」
ガルガウィの大柄な身体は出入りの妨げになるから扉の傍からは動かされていたみたい。ちょうどあたしの真後ろに位置する石造りの作業机っぽいやつの脇に、茶色い毛に覆われた身体が横たえられている。脇にいる人に話しかけれられ、それに返事をするたびに長く垂れた犬耳がぷらぷらと揺れる。
よかった……。かなりの重傷に見えたけど、意外に元気そう。さすがは獣人というか、本当に頑丈だわ。
それから――に続けてチャチャルが指差したほうへと今度は目を向ける。
事務作業用なのか、背凭れのついた石造りの椅子が三つほど壁際に並んでいる。その真ん中のひとつに、ぬいぐるみのような物がぽつんと置かれている。
幼児ぐらいの大きさ。茶と黒と灰色が混ざった雉猫っぽい色合い。猫耳のくせに、ぎゅっと瞑ってもなお垂れ目な隠しようのない狸顔。
「ルルリリ!? ウソ!? ルルリリ!!」
「……チーロ!」
弱々しく羽ばたいてこっちへ飛んでこようとするよりも先に駆け寄り、椅子から抱き上げる。
「なんで?! どうしてここにいるの? 無事だったの? でもどうして?」
「チーロー……」
「首輪に当たったんで助かったみたいだよ」
あたしの髪の毛に顔を埋めて甘えていたルルリリは、チャチャルの言葉にぱっと顔を上げてあたしをじっと見た。小さな両手を首元にやると、奴隷の首輪がなんの抵抗もなくすっと外れた。
「えっ? 外れた? 撃たれて壊れて……それで帰れなくなったの?」
「んーんー!」
「違うよ、チヒロさん。よく見て……」
ほっぺたをぷっと膨らませてルルリリは首を横に振った。その手にある首輪には魔道銃が当たったらしき瑕が斜めに走っている。でも首輪が外れたのはそこからじゃない。ちゃんと鍵を外したように、首輪はぱっかりと綺麗に開いていた。




