転出・転入届は忘れずに
学生時代から、「千尋って男顔だよね」と言われ続けてきた。
太い眉、太い鼻梁、がっしりと張った顎。たしかに男性的な要素が目立つ。目も決して小さくはないけど、一重だから華やかな感じはなくて、褒めるとしたら「眼力が強い」だ。
女性的な美しさとしてプラスに数えられる項目は皆無で、友だちからの慰めの言葉はいつも「男だったらイケメンだったのにね」だった。
でもそのわりには、今、目の前の鏡の中に映るあたしは、イケメンと呼ぶにはちょっと辛いものがある。
普通に考えれば男兄弟に似そうなものだけれど、兄とはあまり似ていると感じなかった。もっとも兄はすでにオジサンだから、脂ぎったり弛んだりしているのだろう。よく見れば茂樹なら面影はあるかもしれない。まあ、茂樹に似ているという時点で、残念ながら非イケメンは確定だ。
ただ男性の顔だと思って眺めると、今度は逆に女顔に感じられるから不思議なものだ。髪が長いせいで女性的に思うんだろうか?
髪型は女のときと変わらず、ソバージュのロングを後ろでゆるく束ねたままだ。手入れが楽で長持ちするから選んだ髪型だけど、一応、女性的な印象のはずだ。伸び過ぎた前髪が顎より下に届いちゃったんで、束の中に一緒にまとめているけど、だんだんとゴムから外れてしまって、触角みたいに垂れ下がっている。
現代日本だと普通の社会人の男性には許されそうにない髪型だ。でもファンタジーとかに出てくる剣士だの、エルフの弓使いだのにはありな感じもする。ただしメインキャラではなくて、正統派二枚目の主人公の足手纏いになる頼りない若者って役どころが精一杯だろう。優男で雰囲気イケメンだけど、実はそうでもないってやつだ。
服の中まで泥が染みていたので、一応、シャワーは浴びた。見慣れないもののついた身体には、極力、視線を向けないようにしてだ。興味が無いわけじゃなかったけど、チラ見した限り見て楽しいものじゃなさそうだったし、いろんな意味で怖かったんだもん……。
汚れた服はざっと振って泥を落とすだけにした。下着の替えは持ってないから、我慢して脱いだものをもういちど着用。女性用ボクサーパンツだから大丈夫なはず……だよね? 少なくともきついとか痛いとかは感じない。
それからリュックから出した掃除用のTシャツとスウェットパンツに着替える。これも男女兼用のフリーサイズだから、サイズが合わなくて困るなんてことはないはず。
女のときと体格が変わっていないのかどうかまでは、正直わからない。鏡に映った姿や、服のサイズだのシャワーの高さだのには、特に違和感はなかったけれど、元々身体にぴったりのサイズの服だったわけでもないし、それが変化なしの証拠とも言い切れない気がする。まあ、突然、大男になったってことはないんじゃない?
とにかく普通よ、普通。何の基準も根拠もないけど、自分で普通って感じるから普通なの。万能ワードの普通ってやつ。
だってたぶん、これは夢だし、万が一転生だったとしても、そういう違和感はないように感覚が自動調整されてるかもしれないじゃん? 少なくとも入り口に頭をぶつけたりしてないから、極端に背が伸びてるなんてことはないはず。あ、見た感じ、極端に太ったってこともなさそう。たぶん中肉中背、平均的なところじゃないのかな……?
あたしの女としての身長は百六十センチとほぼ平均だった。日本人の成人女性の平均身長は実は百六十センチにぜんぜん足りないらしいんだけど、百五十センチ以下の人は子どもと認識されちゃうだろうし、百八十を超えるような人は無意識に例外認定しそうだし、普段見かける大人の女性の体感的な平均は百六十センチ前後であってると思う。
今の身長は、うーん、あってもせいぜい百七十くらいなんじゃないのかなあ……。普段、五センチヒールくらいなら履いても視界は大して変化しないし、ましてやいつも見慣れた景色と比較しているわけじゃないんだから違和感も抱きにくい。たとえ十センチ伸びてたとしても誤差の範囲ぐらいにしか感じないような気がする。
◇◆◇◆◇
シャワーで身体が暖まったせいか、喉が渇いていた。風呂上がりのビールとは言わないけれど、せめて冷たいジュースくらい飲みたい。
でも残念ながら、脱衣場前のバーカウンターは風呂屋の番台というわけでもないのか、無人だったので何も買えなかった。そもそもカウンターはあっても冷蔵庫も水道もついてないみたい。あんまり使われてない場所なんだろうか?
浴場を出ると、入り口にはここまで案内してきてくれたおじさんが待ち構えていた。
ストーカー? と一瞬、身構える。でもすぐに自分が男になっていることを思い出し、こっそり安堵の息を吐き出した。いや、まあ、男につきまとう男もいなくはないだろうけど。
「どうもありがとうございました。お陰で助かりました」
精一杯、愛想を込めて微笑みながら礼を言うと、おじさんはなんだか驚いたような照れたような顔をした。えっと……男が恋愛対象の人じゃないよね? 男に惚れられても……ん? 惚れられた場合、本当は女であるあたしは喜ぶべきなのか? そうなの? おじさんがイケメンだったら嬉しかった?
「あんた、どっから来たんだ?」
「えっと……」
何て答えようかと、ちょっと迷った。別に脳内で恋愛妄想が巡ってたからってわけじゃない。現住所を言っても通じなさそうな気がするし、日本って答えるのもなんだか違うと思ったからだ。とりあえずバス停の名前を思い出して、それで曖昧に答えることにした。
「南門前のバス停を通るバスで……」
「バス……?」
おじさんは女の子みたいに小首を傾げた。くるくる天パーだし、もう少し若ければ可愛いんだろうけど、おじさんじゃねえ……って、いけない、いけない。また妙な妄想が……。
っていうか、このおじさん、ここの村人じゃないのかしら? バスのこと知らないの?
「路線バスっていうか……乗り合いバスっていうの?」
ちょっと年配の人がそういう呼び方をしてたんだけど、このおじさんにもそれで通じたようだった。
「ああ、乗り合いのマドウシャか」
マドウシャ? って何? 今度はあたしが首を傾げる番だったけど、きっと自動車の聞き間違いだろうと思うことにした。方言じゃなさそうだけど。
「まさか、あんた《復讐者》かい?」
「復讐? とんでもない!」
え、このおじさん、何を言ってるの? まさかあたしが自分を振った男を追っかけてきた哀れな女とでも思った?
いやいや、それはないか。今のあたしは男に見えるはずだもんね。あたしはそんな粘着質じゃないし、女を追い回す危ないストーカー男にも見えないよね?
ふるふると力を込めて首を横に振ると、おじさんもわかってくれたようだった。
「ま、その能天気そうな顔つきは、《復讐者》には見えないな」
わかってくれたっていうより、何だか微妙に馬鹿にされたような気がする……。いや、いいんだけどね。能天気ってのは陽気で幸せそうっていう意味の誉め言葉と受け取ろう。
おじさんはさらに質問を重ねた。それもよく理解のできない類いの質問を。
「乗り合いを使ったってことは外から来たばっかりなんだろう? じゃあ、《マロウド》か?」
「マロウド……って何ですか?」
「いや、違うな。今回の《マロウド》は肌の浅黒い異国人だったからな」
それはきっと同じバスに乗っていた民族衣装の外国人の一団のことだろう。けど、そう指摘する間もなく、おじさんはあたしの質問には答えずに、ひとりで勝手に何やら納得してしまった。
「村に到着したら、まずは役場への届け出だ」
あたしの腕は、おじさんにがっしりと掴まれていた。