※ただしイケメンに限る
砂利が敷いてある道は水溜りもなく、舗装されている道ほどではないけれど、歩き難くはなかった。道幅が狭いせいか、両側の林に包まれているような感じで、バス通りよりも少し薄暗い。その薄暗さも五分も歩かないうちに抜けて、開けた場所に出た。
ここが村の入り口? 南門? たしかに門らしきものはあるけれど、木戸に毛が生えた程度の貧弱なもの。周りを囲む塀も石造りや金属製ではなくて、単なる木の柵にしか見えない。
そのぼろっちい木戸の脇には木の立て看板、それこそ大昔のバス停みたいな標識が立っていて、頑張って解読するとやっぱり「東境村」って書いてあった。
「どうもありがとうございました……」
あたしは一瞬だけ門のあまりのボロさに呆気に取られていた。
それでも気を取り直して女性に礼を言おうとして、あたしは彼女がその一瞬の間に姿を消していたことに気がついたのだった。
「……やっぱり狐とかだったりして」
みすぼらしい木戸ならぬ門をくぐって、あたしは「東境村」の中に足を踏み入れた。
お礼を言いそびれたけれど、彼女がこの村の住人ならば、またあとで会えるかもしれない。とりあえずは傷を洗える場所、できれば着替えられる場所を探そうと、村の奥のほうへと進んだ。
村の中の建物も、やっぱり木造建築ばっかりだった。いったいどこの田舎だよ……というよりも、ここ日本? 掘っ建て小屋レベルの建物に和風も洋風もないとは思うんだけど、なんだか違う、見慣れない感じがする。強いて言えば……ゲームとかで主人公が最初に訪れる村って感じ? ああ、もしかしたら家の扉がどれもドアであって引き戸じゃないところが、日本じゃないって感じる理由かも。
そんなことを考えながら、ずんずんと歩いて行く。田舎の小さな村って雰囲気のわりには広い……のかな。
考えなしに歩きまわらずに、適当な家をノックして「手を洗わせて」って頼めばよかったんじゃ、と気がついたときには、すでに村の中心っぽい場所に辿り着いていた。
中心っぽいって思った理由は、人がそれなりにいること。それと建物が民家ではなくてお店っぽい外見なこと。ついでに言えば、あたしの歩いてきた道を含めて四方からの道が寄り集まった広場になっていて、噴水らしきものがあるからだ。
「あの……すいません」
あたしは通りがかったおじさん――中年の男性に声をかけた。できれば女性がよかったのだけれど、運悪く、男性の姿しか見当たらなかったのだ。
おじさんの髪は艶々と黒光りした天パーで、瞳の色も黒っていうより少し灰色っぽく見える。もしかして外人さん? それとも単に濃い顔の日本人? ちょっと不安になったけど、おじさんの返事はちゃんと日本語、問題なく聞き取れた。
「どうしたね、ひどい格好して?」
「ちょっと足を滑らせて崖っていうか坂を転げちゃって……傷を洗って、着替えられる場所、どっかにありませんか?」
「そうかい……じゃ、こっち来な」
おじさんは眉を顰めて困ったようなちょっと不愉快そうな顔をした。悪かったわね、美人じゃなくて……そりゃブサイクな女が、それも泥だらけの女に声をかけられて嬉しくないのはわかるけどさ。ま、無視せずに、どこか案内してくれるだけありがたいんだけどね。
道行く人は若いのから中年過ぎくらいまでの男性ばっかりで、子どもも老人も見かけなかった。女性もひとりもいないので、もしかしたら注目を浴びるかもと思ったんだけれど、案内してくれるおじさんの顔見知りらしき人がすれ違って挨拶するときにちらっと視線を投げかけてくるだけで、誰もあたしに興味はないみたい。
「ほら、ここなら手だけじゃなくて身体も流せるから」
おじさんが連れてきてくれたのは、噴水のある広場の反対側の道のちょっと先の建物だった。やっぱり木の小屋っぽくて、柱が前に張り出していて、上は二階のバルコニー、下はアーケードっぽい屋根付き通路になっている。隣もその隣も似たような造りで、どこも平屋か二階建てだ。あ、そうか。西部劇に出てくる町にちょっと感じが似ているのかも。
おじさんは、それこそ西部劇っぽいスイングドアを開けてずんずんと入っていく。あたしも慌ててそれについて中に入った。
中は正面が三人しか座れない小さなバーカウンターで、左右の壁際には木製のベンチが置かれている。バーカウンターの脇には扉のついていない奥への出入口がある。
「うちの村は温泉が近いからな、村営の浴場は無料だ。体洗ったり拭いたりする物は、金、とってるけどな。いるか?」
いつの間にかバーカウンターの内側に回り込んだおじさんが手拭いっぽい布きれを差し出したので、あたしは黙って首を横に振った。
「ありがとうございます、着替えとかは持ってるんで大丈夫です」
「洗濯は本当は駄目なんだが、ちょちょっと流すくらいはかまわないだろ。浴室はそっちだ」
おじさんは奥への入り口を覗きこむような仕草をちょっとすると、「じゃあな」と言って去っていった。
奥に入るとすぐに脱衣場になっていた。街中の温泉やスポーツクラブみたいな立派なロッカールームじゃなくて、荷物を置ける棚が並んでいるだけの簡素な造りだ。脱衣カゴもなければ鍵もかけられないけど、田舎ってこんなもんなのかしら?
脱衣場の向こうは、海の家みたいな簡易シャワーがずらっと並んでいて、さらに奥に十人くらい入れる大きさの湯船がある。おじさんは温泉と言っていたけれど、やっぱり村営浴場のレベルで温泉旅館を期待しちゃいけないみたい。
「それにしてもねえ……」
おじさんが平然と覗きこんでいたってことは、こっちはたぶん男湯だろう。そう判断してバーカウンター側に戻ってみたけれど、やっぱり入り口はひとつだけ。つまりは浴場はこちら側のひとつしかないみたい。
時間帯で入れ替えてるのかな。だとしたら覗いていたおじさんは、親切だけど痴漢すれすれだよね。ま、誰も入ってないからいいんだろうけど。
で、どっちにしろ誰もいない合間に着替えてしまおうと決心を固めたあたしは、入り口からいちばん遠い側の棚に荷物を置いた。万が一、男性が入ってきてもぱっと隠せるようにって、これは一応の予防策。
スウェットとデニムを脱いで、汚れ具合をチェックする。
うわあ……乾いたらガビガビに固まっちゃいそうに泥がついているわ。この汚れ、ささっと流す程度じゃ落ちないわ。特にデニムはかなりひどい状態。掃除用にロングTシャツとボロ着寸前のスウェットパンツを持って来たけど……ちょっと人前では恥ずかしいレベルだけど、ガビガビ・デニムよりはましか。
インナーで着てたTシャツも、あ〜あ、泥が染みてるわ……ってことは下着も? Tシャツを摘み上げ、腰を捻ってお尻を見る。
うわっ、デカっ! 自分で自分のスタイルの悪さに愕然とする。可愛いショーツに収まらないのは自覚してるから女性用のボクサーパンツを愛用してるんだけど、そのダサさを割り引いても、あたしのお尻はデカくて格好悪すぎ。はあ、わかっていたけどさ……。
溜息をつきながら、群青色の蝶々柄ボクサーパンツを点検。染み……じゃなくて、泥の汚れが侵食してる。触るとちょっと痛いし、お尻、打ったかな? 内出血してるかも……。
手のひらだけでなく、服の中だった肘や膝も少し擦りむけているみたいだ。やっぱりシャワーを浴びて清潔にしたほうが良さそうだ。パンツの替えはないけど、まあいいわ。
腕を交叉してTシャツの裾を掴んで脱ぐ。ああ、なんか違和感があると思っていたけど、やっぱりだわ……スポーツブラの下乳部分が思いっきりずり上がってる。それもまとめて「えいっ!」と脱ぎ捨てる。
「??」
「……?」
「えええーッ??」
思わず叫び声が漏れていた。
何で? どうして? あたしのDカップの胸が、胸が……! 無い、なくなってる?? 脂肪じゃなくて筋肉の塊になってる!?
そりゃ、たしかに女子にしちゃ筋肉多めだし、バストっていうよりそれは胸囲だろうって言われるけどさ。でも嘘偽りなくDカップくらいあるんだから!!
でも、でも……どう見てもこれって男の胸でしょ? それもどっちかっていうとマッチョ系? しっかりと鍛えら上げられた大胸筋じゃないの、これ?
え? っていうことは……? そこはかとなくモヤモヤとイヤな予感が……?
「ま、まさか……?」
あたしはボクサーパンツのウェスト部分に手をかけ、そっと中を覗いた。
「嘘、冗談でしょ……!?」
ご想像の通り、群青色のボクサーパンツの中には、見たこともないグロテスクな物体が鎮座していらっしゃいました。
妙齢の、それも彼氏いない歴=年齢の乙女に、いったいなんてものを見せるのよ! いや、見たのは自分なんだけど……でも!
でも……!!
もしかして異世界に飛ばされたとか、転生したとか? ないない、ないない。茂樹の好きなラノベやWeb小説じゃあるまいし。
言葉だってちゃんと通じていたし……と思ったけど、バス停の標識の文字、あれって本当に日本語だった? ここへ案内してくれたおじさんだって日本語を喋っていた……はず?
言語補正とかチートとかがあるのは創作だからだよね? もし本当に転生したなら、言葉がわからないで途方に暮れるよね、きっと?
そう独り言で会話しながら、あたしはふと自分が意外にショックを受けていないことに気がついた。驚いたのはたしかなんだけど、動揺したとか衝撃を受けたとかではないのだ。ちょっとビックリ、そのくらいの感じなのだ。
ああ、そうか、これってきっと夢なんだ。バスの降りるところを間違えたとか、どっちの道を行けばいいのかわからないとか、こういうのって自分の進路に悩んだときとかに見る夢にありがちらしいし、今のあたしの状況には合っている。性別が変わっちゃうってのも、新しいことに挑戦しよう、変わらなきゃって潜在意識で感じてるんだって考えれば、結構、納得できる気がする。
夢なら言語なんて関係なく、意思疎通できるよね? できないで苦労する夢もあるだろうけどさ、普通は夢なら何でもありだから言葉で苦労なんてしないはず、よね?
ショックを受けていないんだって、夢だから無意識にこれは現実じゃないって悟っているから、だよね? 危機意識薄すぎなんてこと、ないよね? 大丈夫だよね、あたし?
っていうか、テンプレの転生ものなら主人公はイケメンに生まれ変わるもんだよね? 転生+性転換ものでも美少女に生まれ変わるのが普通じゃん? ということは、女のあたしが男になったんだから、つまりはイケメンになってるってこと? それはちょっと嬉しいかも。
でも夢だったら違ってたりして? いやいや夢だって願望充足ってやつがあるじゃない。それならやっぱりあたしの姿はきっとイケメンなはず!
鏡、鏡。鏡はどこ――?
浴場なら鏡があるはずなんだけど、さすがは男湯というか村営浴場で設備が質素だからなのか、鏡は脱衣場の端っこに顔がどうにか映る程度の小さなものが掛けてあるだけだ。それでもエチケットミラーやスマホで自撮りするよりは、ずっと大きくて見やすい。
さあ、どうだろう? どんな顔? 何系のイケメン?
あたしは期待に胸を膨らませて鏡を覗き込んだ――。
「……」
「…………」
ウェーブした長めの髪に、太めの眉、少しビックリ気味の目――。
何これ? 何で? どうして?
全然、変わんないじゃん!?
そこにいたのは、いつも見慣れたあたし自身の顔だった。
あたしは今度こそ、心の底からの叫び声を上げた――。
「そこはせめてイケメンでしょう?!」