断じて愛の逃避行などではない
さすが中央っていうだけあって、昨晩泊まった宿は小綺麗だった。高級温泉旅館とまではいかないけどシティホテルくらい?
料金は他所より二割増しだけど、魔道馬のお陰で旅費が浮いたから贅沢しても大丈夫。下手に場末の宿に泊まると治安に問題がありそうだしね。
夕食はチャチャルのメールにあった、お城の近くの店で食べた。お城って……やっぱり王様とかいるのかしらね?
「旧世界には王様がいたんだけど、な」
「しっ! でかい声を出すなよ」
店の主人も客もこんな調子で、旧世界ってのはなんだか禁句っぽい。
「そういやオヤジ、この店に来りゃ情報屋の小僧っ子とツナギがつけられるって聞いたんだが?」
「なんだい、そりゃ? どっか別の店と勘違いしてないかね?」
明らかに《討伐者》の客が探りを入れたのは、チャチャルの手配を知ってるからっぽい。でも店の主人は顔色ひとつ変えずにスルーした。
で、結局、チャチャルがそのお店に姿を見せることはなかった。メールの返信もなかった。
◇◆◇◆◇
チャチャルは心配だけど、まずは用事を済ませなければ。ってことで、朝起きるとすぐに管理局へと向かった。
途中の道でパンを買って、ソネミが用意してくれていたチーズを挟み歩きながらの朝食。
さすがにまだ午前中も早い時間だからか、管理局は昨日よりもさらに空いていた。出発の窓口には待ってる人もいるけど、魔道札の受け取りのあたしは別の窓口なんで待ち時間はゼロ。
対応してくれる職員は、昨日の人よりちょっと若い。お役人ってのは近眼が多いのかしらね、今日もメガネ男子だわ。草食系インテリ男子って感じ?
「チーロ様の魔道札ですが、修理はまだ完了しておりません――」
「やっぱり直りませんか?」
「魔道器に異常は見つからなかったのですが、チーロ様の登録情報が壊れているようでして。こちらの基本台帳と照合したのですが該当する登録が見つかりませんでした」
ああ、そりゃそうよねえ……。日本の戸籍だの住民登録だのと連動してるわけないもんね。あたしの名前を検索してもヒットするわけないわ。
「恐れいりますがチーロ様、登録基本情報を確認させていただけますでしょうか?」
「え、あ……は、はい……?」
はい、とは答えたものの、ちょっと不安。名前ぐらいはいいけど、生年月日って西暦通じるの? 住所は? 答えられるような質問ならいいんだけど……。
インテリ眼鏡は、あたしの物らしきスマホを脇に置き、両手は窓口に備えつけの魔道器の前でしっかり構えた。
「お名前は?」
「岸根川、千尋です」
「キ、キシネガ? キシネガワ、チーロ、様」
「チ・ヒ・ロ、です」
「チ・イ・ロ、ですか?」
なんだか懐かしいやり取りふたたびで、どうにか正しく名前を伝えることに成功。でも次の質問が問題だ。
「ご出身はどちらでしょうか?」
「え? えっと……」
正直に実家の住所を答えても意味ないよねえ? 記憶封印とか言い訳する? でも封印ってゴラゾラのデタラメよね、きっと。
ヘラヘラと愛想笑いしながら、無駄に時間を稼ぐ。インテリ眼鏡はお役人特有の無表情で辛抱強く待っている。
そのとき、入り口が勢い良くバンッと開け放たれた。続いてドタドタと数人分の足音。
役所のきっちりした雰囲気にそぐわない騒々しさに、インテリ眼鏡の冷たい視線がさっとそっちへ向けられる。
「おらぁ!! 大人しくしやがれ、ぶっ殺すぞ!」
「痛っ! 離してよっ!」
聞き覚えのある声に、あたしもドアのほうへと振り向いた。
細身の小柄な男の子ってか男の娘? やっぱりチャチャルの声だ。
チャチャルは大柄な髭面男に引きずられていた。両腕は手錠とか縄とかで後ろ手に縛られてるっぽい。
ぞろぞろと髭面の後ろに従う男二人もそこそこガチムチ。ゴラゾラ兄弟みたいなセコいのとは違って、マジの荒事に慣れてますって感じ。
「ほらほら、《管理者》様がぐずぐずしてる間に、小僧に変装した《咎人》ってぇのを捕まえてやったぜ」
「こいつの所有権は俺らになるんだよな?」
髭面たちに半ば抱え上げられるようにして、チャチャルはあたしのいる窓口のほうへと連れて来られた。チャチャルは必死に抵抗しているけれど、力の差はどうしようもない。本当は女の子だから? っていう以前に髭面男の腕力が相当に強いんだと思う。
髭面はチャチャルを窓口のカウンターに叩きつけるように下ろした。胃のあたりをぶつけて、咳き込むチャチャル。首を押さえつけられながらも顔を上げた瞬間に視線が合ったけど、まるで知らない人でも見るような無表情のままだ。
どうしよう? 助けたいんだけど……どうやって? あたしが「この子は男」って証言しても、変装に騙されたって思われるだけ。あたし自身の身元証明も曖昧な状況で下手な発言をしたら、二人して余計に立場が悪くなりかねない。
濡れ衣を晴らすにはチャチャル自身が身を以て証明するしかないんだけど……濡れ衣じゃないかもしれないのが怖いところ。《咎人》はともかく、女の子の可能性は否定できないのよね。で、この世界じゃ女=(イコール)だし……。
実力行使……する? 魔道銃は持ってきてる。腰に吊してすぐに抜ける状態。でもこんな場所で? インテリ眼鏡は隣の窓口に気を取られてるけど、順番待ちしてる《討伐者》たちはあたしより腕が立ちそう。
「暴れるなよ!」
チャチャルの頭がガンと音を立ててカウンターに、また叩きつけられる。髪の毛の生え際から血がひと筋。
痛々しさに反射的に背中がびくっとすると、ガチムチの片割れが馬鹿にしたような視線をあたしに向けた。
「気をつけろ、登録前に殺すとヤバイぞ」
「ほら、さっさと首輪をつけやがれ」
「今回は特殊事例ですので、《討伐者》の方への所有権の移譲は認められません。報酬は金銭および各種優遇措置のみとなります。討伐証明書を発行いたしますので、三階の組合にて報酬をお受取りください」
隣の窓口の職員が髭面に向かって黒くごつい首輪を滑らせる。脅されて怯えてってわけじゃない。《討伐者》が荒っぽいのは当たり前、淡々と普通の処理をこなしてるって感じ。
「ちっ、駄目か……」
報酬でゴネたのがうまくいかなかったせいか、ガチムチのひとりが毒づく。もうひとりが首輪を取り上げ、金属の首輪をぱかんと広げてチャチャルの首に嵌めようとする。
駄目だよね、今、ここで止めなきゃ駄目だよね? 腰の魔道銃をそっと握り、深呼吸をひとつ。三人の《討伐者》と待合室の他の《討伐者》の位置関係を確かめながら脳内シミュレーション。
髭面が髪を鷲掴みにして顔を上げさせようとした瞬間、チャチャルは勢い良く跳ね起きて髭面の肩口に頭突き。怒った髭面の拳がチャチャルの顎を捉える。
小柄で軽そうなチャチャルの身体は勢い余って待合室の長椅子のあたりまで吹っ飛ばされた。ちょうど誰も座っていないあたり。髭面やガチムチとも、いい具合に離れた、よね? ね?
「チャチャル、走って!!」
叫びながら魔道銃を構える。髭面とガチムチと順番に視線を送り、頭の中で「当たれ!」って念じる。
完全にあたしのことが意識になかった髭面には、ほぼ真後ろからの射撃に成功。肩に浅く命中したみたい。ガチムチたちはびっくり目であたしを見てから倒れ込み、二人して足を抱えて痛がっている。
チャチャルはあたしが叫ぶと同時に途端に飛び起きていた。あっという間にドアから駆け出そうとしている。
「直せないんなら、もういいわ!」
あたしはインテリ眼鏡の手から、スマホを奪い返してリュックに突っ込んだ。
そうだ、魔道器も壊しちゃえ! 魔道銃を向けると、沈着冷静、慇懃無礼な《管理者》が、あわあわしてる。
魔道銃の性能のお陰で、この間、わずか数秒。待合室の《咎人》の中には大して優秀なのはいなかったみたいで、まだ口をあんぐり開けて固まったまま。
誰か他の部屋から駆けつけて来ないうちに急いで逃げないと……。こういうときは人質でも取るべき? でも人質があたしより強いって可能性も高いし、ここはひとりで逃げるべきよね?
転がって痛がるガチムチを飛び越え、長椅子も飛び越える。わ、意外に身軽く飛べるわ、あたし。
フリーズしてた《討伐者》がドアに向かって走り出す。逃げようとしたのか、外に報せようとしたのか、それともチャチャルを追いかけようとしたのか? わかんないけど、手近の長椅子に魔道銃を向けて――弾けろ! 《討伐者》は「わわわっ!」と情けない声を上げて尻餅をつく。
そのみっともない様子を横目に、あたしも管理局の外へと走り出た。
◇◆◇◆◇
チャチャルは外の階段に差しかかったところだった。
いつの間にか後ろ手に括られていた両手が前に回っている。すごい柔軟性だわ。でもさすがに縛られた状態で全力疾走は無理なのか、あたしでも追いつけそう――と思った途端、チャチャルの速度がぐんと上がる。あ、走れないんじゃなくて、待っててくれたのね。
「窓! 撃って!」
チャチャルは階段を駆け下り始めている。あ、そういうことね。了解。
右手に下げていた魔道銃を振り上げ、窓を見て念じる――砕け散れ!
次の瞬間、外へ向かって窓が粉々に飛び散る。踊り場の向こう側の空、細かな煌めきが舞う中へとチャチャルが小柄な身を踊らせる。
「なにごとだ!?」
「逃げたぞ! 追え!」
管理局のほうが騒がしい。三階からも人が降りてくる気配。ヤバイよね、上は組合だもん。やり手の《討伐者》相手じゃ敵うわけない……。
割れた窓まで一気にあたしも駆け下りる。窓の外は総合庁舎の建物の裏手っぽい。真下はちょっと広めの溝。その向こう側は植え込みになっている。
飛び降り……れるよね? 二階だもんね? 植え込みの向こうでチャチャルが見上げてる。人が寄ってくる様子はまだない。
「いたぞ!」
パシュッって音がして、顔のすぐ横の壁に穴が開く。げっ、あたし以外にも屋内で平然と魔道銃をぶっ放す輩がいるなんて……。
でもそれで覚悟が決まった。窓枠に左手をつき右足を乗せる。そのまま「えいっ!」と左足を越えさせる。ひらりと飛び越えるなんてカッコつけはしない。できるかもしれないけど、ここで失敗するわけいかないじゃない!?
ドサリと重たい音がして、あたしの身体は無事、庁舎の外に出ていた。植え込みの先を狙ったのが、ちょっと外れて左肘が細かい枝の中。これ、絶対、擦傷になってるわ……。
「チヒロさん、こっちこっち!」
前に立って走り出したチャチャルを追って、あたしも駆け出す。右手の魔道銃を後ろにかざしながら、ときどき振り返りつつ走る。
追っ手らしき男が二人ほど、割れた窓から飛び降りるのが見えた。止まれ――と念じる。こんな雑な命令でも実行してくれる魔道銃に感謝! 植え込みが根こそぎ跳ね上がり、追っ手の顔に泥ごと降り注ぐ。
総合庁舎は中央の中央付近、つまりは町のど真ん中。市街地で大きな建物があって人通りも多い。でも市街地ってことは裏道もあるってこと。入り組んだ狭い道を傍目も振らずに走るチャチャルを、あたしも必死で追いかける。
裏道を行く人に《討伐者》はいないのか、猛スピードで走るチャチャルに驚きはしても、妨害したり捕まえようとはしない。
前を走るチャチャルの姿が狭い路地に消える。続いて曲がると、突然、軒下の樽の陰に引き込まれた。
「ど、どこへ……どこまで……行くの?」
「町の外へ。走れる?」
あたしは息も絶え絶えなのに、チャチャルは平然としてる。歳の差……じゃなくて日頃の鍛錬の差ってことにしといて。
チャチャルの指先がイライラしたように首をさすっている。あ……まさか、首輪、嵌まっちゃってる?
「う……うん、大丈夫、まだ走れる。けど……門は通れないんじゃ……?」
「この先に城壁を乗り越えられる場所がある」
「で……その先は?」
「ちょっと遠いけど逃げ込む場所はある。足が問題だけど……でもまずはとにかく町から出ないと」
そっか、そうよね。まずは迫る追っ手から逃れるのが先決。で、その先の足が問題ならば――。
「任せて! あたしにいい考えがあるわ!」
あたしはリュックの中からスマホを取り出した。




