魔道馬は急には止まれない
「あーれー!」
「ひえぇー!!」
「神様、お助けぇー!!」
こんな間抜けな悲鳴なんて実際にあるわけないって思ってたあたしが馬鹿でした。全部、漏れなく叫びました。他にも「お母ちゃーん」とかいって泣きました。
うしろからはヒューンって何かが飛んでくる音。ドカンていう爆発音みたいのがいくつも聞こえてきてさ。
たぶん、あれよ。ゴラゾラを撃破した魔道砲みたいなやつ。あれよ、きっと。当たったら死んじゃうじゃない! 魔道馬盗んで逃げ出した段階で、裏切り者扱、死んでも構わないってことなんだろうけど。あんまりだわ!
馬車には乗っても、馬に乗るのなんて生まれて初めて。手綱の使い方なんて知らないし、魔道馬の操縦方法なんてなおさらわからないし。振り落されまいって、鬣風の手すりみたいなのにしがみつくんで精一杯だった。
……途中までは、だけど。
途中で、ふっと気がついたわ。意外と楽に乗りこなせてるってことに。ちょっと違うか。乗り方が上手って意味じゃなくて、魔道馬の走りがめちゃくちゃ安定してるのよ。
たしかにスピードはあるんだけど、せいぜい普通の道を走ってるバイクとか自動車くらいなんじゃないかしらね。そこそこ広い道だけど高速道路じゃない程度。馬より高い魔道馬の背中だから、速いように最初は感じたけど、慣れれば猛スピードってほどじゃない。
最初は必死だったけど、気がついたらあんまり揺れていないのよね。横揺れはもちろん、馬なのに上下動もほとんどないのよ。すっごい滑らかにスーッて感じに走るのよ。
それにバイクならばメット無しで乗ったら風がビュンビュン当たるでしょ? 怖かったり痛かったり寒かったり息ができなかったりするはずなのに、それも全然、平気。身体を起こしてみても、風なんてまるっきり当たらないのよ。なんだか魔道馬の周囲にはシールドみたいなものが張り巡らされてるって感じ? ちょっとSFっぽいわ。
三十分? それとも一時間? もしかして意外と短くて十五分くらいかも? とにかく結構長く走ってからそれに気づいたときは、マジでほっとしたわ。ガルガウィが中央まで行くように設定したってのに、風に煽られながら中央までしがみついてるって、体力的に絶対無理だもんね。
とりあえず落馬して怪我したり死んだりする心配はなさそう。そうわかったところで、今度は別の不安が頭を過ぎる。
そう、あれ。生理的欲求ってやつ。馬上で漏らして我慢するなんて形はおっさんでも心は乙女のあたしには堪えられない!!
『あとはご自分で――』というガルガウィの言葉を信じて、スマホをごそごそと取り出してみる。ジヌラは魔道札で魔道馬の設定をしていたし、ガルガウィも同じはず。スマホのアプリ一覧を開いて……嘘、あったわ。木馬みたいな形の見慣れないアイコンが。
進路設定の解除――はしちゃ駄目よね。一時停止ってのがいいのかしら? 音声命令の有効無効ってのがあるじゃない。これを有効にして、念の為、魔道馬の耳元に顔を近づけてっと……。
「ちょっと止まって! 一時停止!」
上手く行ったわ、魔道馬の速度が徐々に落ちていく。すっかり止まったところで降りようとしたけど、やっぱりちょっと高過ぎるわね。
「少し屈んで……」
こんな曖昧な命令でもちゃんと通じるみたい。前脚を折って低い姿勢になったところで急いで飛び降りる。そのあとは物陰で……小休止ね。
低い姿勢のままで待機する魔道馬。乗り込む前にソネミが用意してくれたという食糧を確認。乾パンとかハムとかチーズとか、調理不要である程度日持ちする物がメインみたい。昼食用かサンドイッチがリュックに入ってるのも発見した。ソネミ、本当にありがとう。
アプリを弄っているうちに、メールの着信があることに気がついた。こっちの世界に来る前にメールは全部既読だったし、メールが届くなんてちょっと不思議。
妙だなって思いながら開いてみると、送信者はチャチャルだった。いつの間にチャチャルったらあたしのメアドをゲットしてたの? ってか、魔道札でメールのやり取りなんてできるんだ?
『チヒロさん、突然のメール失礼します――』
まるで普通に新しい友だちから来たみたいな書き出しでメールは始まっていた。もちろん日本語じゃなくて、こっちの世界の文字でだ。
チャチャルは、とっくに用事を済ませ、今は別の仕事のために中央に向かってる途中だって。
『――チヒロさんが間違って隠れ里に迷いこんでいないか心配です』
隠れ里のことをきちんと説明すべきだったとチャチャルは後悔していた。うん、チャチャル、君の想像通り、間抜けなわたしは隠れ里にしっかり迷い込みました。
でも少々考え方は極端かもしれないけど、意外とまともだったと思うんだけどな? ま、最後の最後でトラブって後味悪いことにはなっちゃったけど。
心残りはソネミとルルリリのこと。《咎人》は傷つけない方針だから大丈夫って高を括ってたけど、里のやり方に逆らっても平気かどうか、どこにも保証はない。それにガルガウィが魔道馬を連れ出したのがバレてたら……?
やっぱり戻るべき? でも戻ってあたしになにができる? 里の《討伐者》たちを相手に戦える? 無理無理……。
それに戻ったらソネミたちがあたしのためにしてくれたこを無駄にしてしまうことになるんじゃ……?
それって単なる逃げ? 戦うのが怖いだけ? でも……努力とか根性だけじゃどうにもならないことだってある……。
アプリの経路図を見ると、道程の八割以上をもう来ていた。理性で考えれば、先へ進むのがたぶん正しい。でも感情が……。
誰かに相談できれば……ってチャチャルがいるじゃない。チャチャルは賢いし、あたしなんかよりきっと人生経験豊富。
メールの日付は三日前。中央で会いたいんだけど、とあたしは急いで返信した。
◇◆◇◆◇
中央に着いたのは夕方までにはまだ間がある頃だった。予想よりも少し早かったかなってくらい?
高さと速さに慣れたし、荷物の位置とか調節しなおしたのもよかったみたい。
中央は周囲を立派な石垣に囲まれていた。見張り台とか砲撃台みたいなのまでついている。咎人の聖域みたいな簡易式じゃない据付型。兵士っぽい姿も見え隠れしている。塀も南東の町と比べてもずっと高さも幅もあって、ちゃんとしたお城の塀って感じ。
魔道馬の設定画面で地図を確認すると、出入り口は東西南北の四ヶ所あるみたい。たぶん魔動車の通る街道から通じているんだろう。いちばん近いのは当然南の入り口だ。
ってかさ、地図のアプリがあるって知ってたら咎人の聖域に迷い込むこともなかったんじゃないかって、いまさらながら思うわ。あ、でも考えてみたらゴラゾラ兄弟に出会ったのが運が悪かっただけで、迷子になったわけじゃなかったか。
街道を魔道馬で行くと目立ちそうなんで、下りて徒歩で行く。
入り口の大きな門の前には三本の行列ができていた。徒歩組が一列、乗り物組が二列。乗り物は馬車が主で、魔道馬や馬に騎乗してってのは少ないみたい。
ってか、やっぱり入門チェックみたいなのがあるのね。魔道馬はあたしの名義になってるから大丈夫だと思うんだけど……。考えた末に魔道馬は城壁の近くに隠れさせておくことにした。賢いから見つからないようにって命令するだけでOKなはず。
リュックに少しだけ食料を移して、徒歩の列へと向かう。十人も並んでないから、すぐに順番が回ってきた。
「魔道札をお見せください」
「訪問の目的は?」
どうもここでのチェックが管理局への届け出の代わりになるらしい。隠す必要もないので仮魔道札を出し、修理に訪れたと告げる。
「魔道札の修理は、中央総合管理局へお出向きください」
驚くほどにあっさりと手続きは済んでしまった。しかも丁寧に総合管理局とやらへの行き方まで教えてもらえたわ。
さすが中央というだけあって、街並みは本当に立派。南東の町もそこそこ大きかったけど、全然、レベルが違う。南東の町が地方都市なら、中央は渋谷とか新宿? 建物もコンクリートのビルっぽくって、この世界の文明度ってやつがよくわからなくなるわ。
中央総合管理局もそういった近代ビルっぽいひとつだった。総合庁舎っての? いろんな役所とかがまとまってるやつ。十階以上ありそうなんで魔動エレベーターとかあるんじゃないかと期待したんだけど、管理局は二階なんで確かめられなかったわ。残念。
「スマホ……じゃなかった、魔道札が壊れちゃったみたいで修理したいんですけど」
門のところで届け出が済ませられるからか、管理局は意外に空いていた。受付で用件を告げると番号札みたいなのを渡されて、フロア一面に並んだ椅子で待つ。パイプ椅子だったらハロワっぽいんだけど、一応は革張りの長椅子なところがちょっと違う。
「いつ頃、どうして壊れたかわかりますか?」
ここの担当者もスーツっぽい服に黒縁メガネと、典型的な日本のお役人風だ。ま、明るい茶髪なんで日本なら不良役人だけど。
事情聴取っぽいことをされたけど、そもそもこれはスマホ。魔道札じゃないから、まともな答えにはならなかった。いつの間にかとか、気がつかないうちにとか、当たり障りのなさそうな言葉で誤魔化すしかない。
仮魔道札の内容も見せて、さらには名前も確認される。なのに住所とか訊かれないのが不思議といえば不思議。最初の東境の村でもそうだったし、そういうものなのかしら……?
「本体を検査しますので、今日はお預かりすることになります」
「えっと、どのくらいかかりますか?」
「とりあえずは明日の午前中に確認においでください。その時点で修理に要する時間などをご説明いたします」
できればすぐにでも受け取って|咎人の聖域(里)に戻りたいところだけどしかたない。今晩中にチャチャルと会えればいいんだけど。メアドをキープしておかないとまずいか……?
「預けるのはいいんですけど中身は……こっちに移せますか?」
担当の男性はスマホと仮魔道札の両方の先端をくっつけ合わせるようにして操作した。驚いたことに――っていうより、やっぱりっていうべきかもしれないけど――魔道札には赤外線通信みたいな機能がついているらしい。
返された仮魔道札を確認すると、メール用のアプリっぽいものがあって、チャチャルからの受信メールもメアドもしっかり移されている。さらには魔道馬の設定アプリも移行されていた。グッジョブ!
「仮魔道札でも討伐依頼は受けられますので、三階の組合にもお立ち寄りください」
「あ、いえ……それは明日、修理が終わってからにします」
なんていったけど、本当のところは依頼を受けるつもりはゼロなんだけどね。ま、「受ける気ありません!」なんて断言して変に怪しまれるのもいやだし。もっともそんな心配は無用だったみたいで、担当者さんは「そうですか」とさっさと終了モードに入った。
「強制ではありませんが《討伐者》の方全員に対する協力依頼があります――」
ご確認ください、といって仮魔道札にメールが転送されてくる。件名は『未登録《咎人》の情報提供のお願い』とある。
「未登録って……どういう意味ですか?」
「滅多にないことなのですが、なんらかの手違いが発生したようで……」
それって《咎人》は犯罪の加害者で刑罰のためにこの世界に送り込まれたって話と矛盾してない? 咎人の聖域の長殿の話を鵜呑みにはできないのかもしれないけど……。ま、いいわ。とりあえず依頼内容ってのを確認してみる。
「えっと、なになに? 外見年齢十四、五歳。で、《討伐者》に偽装って……ん?」
「その年代には《咎人》のみで男性は存在しないのですが、男性用の服装を着用して《討伐者》と偽っているようですね」
で、続きにはこうある。氏名不詳、調査・諜報員としての活動歴あり――それって俗にいう情報屋ってやつのこと? な、なんか該当しそうな人物にひとり心当たりがあるんですが……でも女の子なの? 男の娘じゃなくって?
「お心当たり、ありますか?」
「い、いや。ただ活動歴なのに、氏名はわかんないんだって……」
「未登録なので正確な氏名は不明ですが、通称があったはずです。そちらに載っていませんでしょうか?」
いわれるままにメールをスクロールすると、下の方に参考情報というのがあった。ふむふむ? チャルディラ、チャルディガなどと名乗っていた形跡あり、だって? あたしに名乗ったのは愛称チャチャルで本名がチャルディギッラ。似てるわよねえ……。間違って伝わったか、別の偽名を使っていたか。どっちもありそうな気がするわ。
「どんな瑣末な情報でも結構です。なにかありましたら魔道札で返信いただくか、三階の組合までご連絡ください」
事務的に頭を下げる担当さんに、あたしも黙って会釈を返した。




