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決して怪しい者じゃありません

 勢い良くバスから飛び降りたはいいけれど、ここはどこなんだろう――あたしは途方に暮れて、黒々とした林に囲まれたバス道を見回した。

 降りたばかりの薄緑色のバスは、見る間に遠ざかっていく。あれ? 乗ったときはクリーム色地に青だったと思うんだけど……隣の乗り場のバスと勘違いしたかな?

 あたしより先に降りた外国人男性たちは、あれだけ大人数だったのに、もうどこにも見当たらない。バス停横の林の切れ目から脇道に入っていったのかもしれない。それにしても、ずいぶんと早足だこと。

 脇道はもちろんバス通りも、舗装されていないどころか、泥濘(ぬかるみ)に残った車のタイヤ痕がそのまま乾いて固まったようにでこぼことしている。

 当然というべきか、他に車が通る様子はまるでない。いったいどれだけ遠くまで、乗り越し過ごしちゃったんだろう……。

 戻りのバスの時間は……っていうか、その前に、ここはどこか確認しなくちゃ。ということで、停留所の標識を確認。

 ……。…………。何、これ……?

 電光掲示だったり次のバスの運行状況が自動表示されるような標識じゃないのは、いいわよ。だってこんな田舎だもん。でもさ、そうじゃない旧式の標識だって、バス会社によって多少違うけど、基本は上のほうの円や半円の部分に停留所名が書いてあって、そのちょっと下に路線図や前後のバス停名があって、で、さらに下には時刻表って、そんな感じの造りでしょ?

 ところが停留所名が表示されているはずの天辺に表記されているのは、クネクネとした飾りだらけのロゴみたいな文字で読み難いったらありゃしない。頭を捻ってようやく解読できたのは、たぶんだけど「東境の村・南門前」だった。

 ……いや、東境の村ってどこ? 東京の書き間違い、じゃないよね? ってか、え? 村?

 時刻表もまともじゃないわ。想像してたのはオーソドックスなタイプで、中央列が時刻、平日と土休日がその左右に分かれて、到着する分を表す数字がずらずらと並んでいるっていうやつ。でも実際は全然違っていて、やっぱり読み難いぐにゃぐにゃとした文字で「毎月五日、十五日。正午発」とあるだけ。


「次のバスは、何時何分かな?」

「おいおい、何してるんだい? 今月のバスはもう出ちゃったぞ」


 そんな古い漫才や漫画にありそうなバカバカしい光景が浮かんだ。


 しかたないので、道の反対側に渡ってみた。バスが来た方向へ戻るバス停を探すため、だけど月に二本なんて時刻表が冗談でないとしたら、帰りのバスに乗れる見込みは薄いよねえ……。

 道幅はバスがぎりぎりすれ違えるかどうかというくらいの広さしかない。空は晴れているんだけど、両側の林の木がずいぶんと高いんで、日陰になっている。杉林? 松林? あんまり生物とか植物とか興味ないから木の種類はわかんないんだけど、全体的に黒っぽくて外国の森みたいな感じがする。

 あ、GPSで現在位置を確認すればいいんじゃ? そう思ってリュックを下ろしてスマホを引っ張りだしてみたけれど、買ったばかりのスマホはいまいち使い方がよくわからない。「位置情報サービスが無効」って、設定ができてないの? 電波が届かないの?

 ならばバスの時刻表を検索しようとしたけれど、バス会社は? 路線名は? ってなって手が止まってしまう。それに電波も悪いっていうか、そもそも繋がってないっぽい。

 ああ、もう! と思って腕を強く振った拍子に……いや、ツイてないときは全部ツイてないわ。ストラップがぷつりと切れて、スッポーンとスマホが宙を飛んでいった。

 いやあ、そりゃ、見事に綺麗な放物線を描いて林の中へとすっ飛んでいく……って、やだ、こっち側の林って急に崖みたいに落ち込んでるじゃん。慌てて追っかけて手を伸ばしたところで――。

 ズルッ!

 ヤバッと思った次の瞬間。お尻が地面にドサッと落ちて、そのままザザーッと惨めな音を立てながら、あたしの身体は崖を滑り落ちていた。


「あちゃー……」


 落ちていた時間は意外に短かった。滑り台みたいにして足から滑ったので、怪我もしていないみたいだ。ちょっと手のひらは擦りむいたっぽいし、尻もちをついたのでお尻も少し痛いけれど、捻挫とかはなさそう。立ち上がって触ってみるとデニムのお尻のあたりはびしょ濡れだし、膝も肘も背中も、泥塗れっぽい……ってか髪の毛まで濡れてる。

 落ちてきた方向を見上げると、崖というほど急ではなくて、木が植わった緩い斜面という程度だ。

 どうにか登れるかな……足場は滑りそうだし、木も思ったより疎らに生えてるから掴まるところが少なそうだけど。

 リュックは途中で放り出してしまったようで、ちょっと離れたところに転がっている。スマホはと見回せば、幸運なことに、これもすぐ足下に落ちていた。起き上がるときに踏んづけちゃってないよね……? とりあえず表面に着いた泥だけ手で軽くこすり落として、リュックへと放り込む。

 まずは上に戻るのが先決だと、あたしはリュックを背負いなおして斜面を登り始めた。なるべく木に掴まりながら行くことにする。木が生えてないところは、スニーカーが滑りやすいので、這いつくばるようにして蔦っぽい下草を握る。

 蔦を鷲掴みしたあたしの手は、指先はごつごつと節くれだち、手の甲には骨と筋が浮き上がっている。自分の手とは思えないほどおっさんぽくて、我ながらぎょっとした。

 大学を卒業以来ろくに運動していなかったからどうかと思ったけど、結構、さくさく登れた。滑り落ちるときにぶつけた痛みは別として、腕にも脚にも疲労感はない。年齢のわりには、あたしって運動神経いいっていうか体力あるほうなのかしら?

 で、上に登ったはいいけれど、これからどうしようと迷った。電話しようにもこの周辺は電波が入らないみたいだったし、まずは傷の治療と着替えができるところを探すべき? 移動すれば電波も入るかもしれないし……。

 で、どっちへ行こうと、また迷う。バスが来た方向、走り去った方向。

 半分居眠りしてたから確信はないけれど、来る途中の道筋に家や店を見かけた憶えがない。

 バス停の名前は「東境の村・南門前」、ということは近くに村があるということだろう。ならばこのままバス通りを追っかけていけばいいのかな?

 でもバスを降りた外人さんたちは、脇道へ入っていったようだった。村はそっち方面って可能性もある。

 とりあえず道をもういちど渡って停留所のそばへと戻る。バスの走っていった方角を眺め、次いで脇道を覗き込んだ。


「ひっ!」

「あっ、すいません」


 停留所の陰から首だけ突っ込むようにすると、逆に脇道からこちらを窺うように覗いていた女性にぶつかりそうになって、あたしは慌てて謝った。

 女性はあたしと同じくらいの年齢か少し若いくらいに見えた。

 顔もあたし同様スッピンっぽいけど、あたしなんかと違って目はぱっちり、鼻筋が通って全体にバランスよく整っている。十人中七、八人くらいは美人に一票入れるんじゃないんかな? トウモロコシの毛みたいな髪の毛だけど色白の洋モノ顔のせいか、ヤンキーっぽさはあまり感じない。口元と頬のあたりがぴくぴくと痙攣でもするように震えているところが、ちょっと残念系っぽい。


「ごめんなさい、ぶつかっちゃった? 大丈夫ですか?」


 まるで不審者に出会ったみたいに、その女性は怯えて後退るような素振りを見せた。

 その反応はひどいでしょ――と思いかけて、あたしは自分のドロンドロンに汚れた格好に気がついた。こんな泥塗れの女がいきなりぬっと目の前に現れたら、水原さんみたいに気の弱い子だったら、強盗か痴漢に襲われたのかもしれないと想像して、心配するよりまず怯えてしまうのかもしれない。


「ちょっとそこの崖で滑っちゃって……別に誰かに追われてるわけじゃないから」

「……」


 なんだか釈然としないながらも、あたしは一生懸命に言い訳をした。でも女性はふるふると震えながら口を開かない。

 そうだ、とあたしは思いついたことを口にした。


「このあたりでどっか手を洗ったり、できれば着替えられるところってありませんか?」


 泥で湿って身体が冷えたのか、声も妙な感じで嗄れたというかちょっと低い。調子を取り戻そうとあたしが咳払いをすると、また女性はびくりと身を竦めた。

 女性はチャコールグレイのずだ袋っぽい……じゃ失礼か、すとんとしたワンピースを着ている。生足に畳っぽいサンダル履きで筋金入りのナチュラル系っぽいんだけど、首回りのごついチョーカーがちょっと違和感ありだ。

 人見知りっていうより、もしかして自分の世界にだけ生きてる人? コミュニケーションに難有りな人?

 そう思いながら様子をうかがっていると、女性はくるりと向きを変えて脇道の奥へと歩き始めた。そして十歩も歩かないうちに後ろを振り返り、じっとあたしの顔を見つめ、また歩き出す。

 なんだか倒れた飼い主のもとへ助けを連れて行こうとする忠犬? どこかの神社の参拝客を案内してくれるとかいう猫? そんな感じで、まるで「ついてこい」って言っているみたいだ。

 もしかして口が利けない人? 神様の御遣いなんて思い込むほどあたしは信心深くも迷信深くもないので、そんな身も蓋もないことを考えながら女性のあとを追うことにした。

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