お持ち帰りですか?
話は二人きりでしましょうということで、長の部屋へと招き入れられた。
長なんていうから立派な部屋かと思ったら、意外にシンプル。センスのいい木目調で揃えてるのが高評価。広さはあたしの部屋と大差ない。
長殿自身も黒いローブ姿で地味というか堅実というか、謹厳実直な修道女って感じ? じゃなけりゃ老貴婦人? いや明らかに男性だし年寄りでもないんだけどね。女性的というか中性的というか、男臭さとか生臭さが薄くてちょっと枯れた印象がある。
「咎人の聖域へようこそ、チーロさん」
うん、聖域ね――なんか大袈裟な呼び名だけど、それなりの意味を込めてるんでしょうね。風呂に入って弛緩しきっていた気分を少し引き締める。
そんなあたしの気持ちの変化を長殿は軽く細めた目でしっかりと読み取っていたみたい。
「そんなにかしこまらずに、どうか自分の家のように寛いでください。あなたが《咎人》たちに対して示された寛大さ、慈悲の心はジヌラから聞き及んでおります」
いえいえ、そんな大袈裟な。慈悲だの寛大だのって聖人君子じゃあるまいし。この世界の理とかいうやつに馴染めないだけで、あたしとしてはごく普通に接しているだけ。親切とすら呼べない程度のことしかしてませんよ?
「《咎人》を前にしては、その普通の態度を貫くことすら難しいもの。特に《討伐者》の身でそのように考え実践するなど生半な覚悟でできることではないでしょう。あなたのような立派な心根の方を、ここに迎えることができて嬉しく思います」
ちょっと褒め過ぎじゃない? そんなに褒めてもなんにも出ないですよ? ってか褒め殺し?
冗談めかした調子で照れ隠しをしても、長殿の真摯な瞳ってやつは揺るがなかった。ただ宗教的にイっちゃってる人ともちょっと違う気がするのよね。目がマジっていうか冷静? 平静? こっちの反応をきっちり見極めてるって感じ?
「中央へ向かう途中、こうやって休息させてもらえるだけでも本当に助かります」
「どうか遠慮無く、お好きなだけ滞在してください。そうそう《咎人》のお二人も、責任を持ってお預かりいたします」
ん? 「お預かりします」っていいかたが、なんかちょっと引っかかった。なんだろう? 具体的にどこがどうっていえないんだけど……まあ形式上はルルリリとソネミの所有者というか保護者はあたしだし、その世話を「預かる」って表現してもおかしくないんだけどね。
そんな風にやたらと歓迎ムードを示した割には、あたしの素性に対する長殿の追求はなかなか厳しかった。
苦手なのよね、偉い人なのに腰が低くて、そのくせ口が上手い人って。話すとまずかったり話しても信じてもらえなさそうなことが多すぎて、どうにか誤魔化そうと頑張ったんだけど……。あちこち矛盾したり曖昧だったりするところを突かれて、結局はほとんど全部洗い浚い喋らされてしまったわ。
もちろん異世界から来たことや元は女だったってことは、必死で隠し通したけど。ここでは《|咎人(女)》だからって差別されないんだろうけど。
奴隷商人の隊商にいたこととか、獣人娼館の手伝いをしたこととかもバレちゃったわ。ジヌラがいってた通り、仮魔道札も見られちゃったし、しかたなかったのよ。
こっちも生きるため金を稼ぐために必要だったってことは、一応は納得してくれたみたい。あんまり好い顔はしなかったけど。
「結果として《咎人》の二人を助けることに繋がったのですから、良しとしましょう」
ああそうですか、としかあたしには返しようがなかった。探るような目つきでじろじろと見られて、息が詰まる思いだったわ。
仮魔道札まで見せたのに、長殿は本心ではやっぱりあたしのこと疑ってたみたい。それも実は《復讐者》なのを《討伐者》と偽ってるんじゃないかとか、《代執行人》だか《強制執行人》じゃないかってね。《強制執行人》ってあれよね? たしかユミル青年の仲間が騙ってた肩書。あんな連中と同じに思われてたなんて心外だわ。
たしかにさ、あたしが《討伐者》ってのが事実かっていわれると微妙ではあるのよね。なにしろ仮魔道札を作るために設定した仮の肩書だからね。
「もしもあなたが《復讐者》であれば、すぐにここから出て行ってもらうつもりでした」
そりゃね。ゴラゾラに追われて緊急事態的に入っちゃったけどさ、責任者としては《咎人》に復讐するのが目的の人間の立ち入りを許可できないわよね。
「仮の身分なんだから《賓》扱いにしてもらえればよかったんですけどね」
そういうと長殿は、それまでの聖人然とした感じとはちょっと違った笑みを浮かべた。なんていうの? 人間味があるってか、感情がこもってる?
「咎人の聖域の幹部の多くは《賓》なのですよ。かくいう私もそのひとりです。私はここを作り上げるために、苦労して《賓》の立場を手に入れたのです」
話を聞いていくと長殿も元々は《賓》ではなかったらしい。そういやそうよね、《賓》って外国からの賓客とかが多いって話しだったし。そうじゃなくても身元保証がしっかりしてないとなれないんじゃなかったっけ? だから身元が証明できないあたしは《賓》じゃなくて《討伐者》にせざるを得なかったんだもの、よく憶えてるわ。
でもだったら《賓》になる前の長殿は《討伐者》? それともまさかの《復讐者》? 疑問に思ってそれとなく訊いたけれど、なんとなく答えは逸らかされてしまった。
その代わりというわけでもないけど、長殿が告げたのは衝撃の事実――あたしがずっと知りたかったことだった。
「知っての通り、《咎人》というのは文字通りに罪を犯した者、罪人という意味です。《復讐者》は《咎人》によって危害を加えられた者、傷つけられた者。つまりは――」
つまりは《咎人》と《復讐者》の関係は犯罪の加害者と被害者というわけだ。
思いもよらぬ……ってわけじゃない。予想はしていたわ。《復讐者》は《咎人》に対して殺しても飽きたらぬほど憎んでいたからね。《討伐者》にしたって殴ったり蹴ったり犯したり殺したりってのに賛同してないっぽい人もいたけど、それは暴力が生理的に受けつけないってだけなんだと思う。《咎人》は報いを受けるべきで《復讐者》は恨みを晴らすべきって考え自体は否定していないんじゃないかな?
「傷めつけられれば《咎人》は悔い改めるのでしょうか? 蔑めば《復讐者》の心は癒やされるのでしょうか?」
「でも……自分が痛い目に遭わなければ他人の痛みを理解できない人間もいるし、被害者感情を考えれば一概に否定はできないんじゃないかと」
別に本気でそう思ってるってわけじゃないんだけどね。
職場の水原さんの話を聞いたときには、木村のオヤジや水原さんの近所のおっさんとやらも同じ目に遭わせてやるべきだって憤りもしたわ。でも純真な乙女と違って中年のスケベオヤジにセクハラしてもかえって喜ぶだけだろうし、あんまり効果はないだろうなとも思ったしね。
それにねえ、《復讐者》や《討伐者》が《咎人》やってることの残虐さを見るとね……。長殿に訊いてみると《咎人》の全員が殺人犯ってわけでもないみたいなのよね。なのに平然と殺しちゃうなんて……犯した罪より罰のほうが重くない? そりゃソネミが生きてるってことは《咎人》は実は死なないのかもしれないけどさ、それにしたって私刑とか復讐とかって限度がなくなっちゃうんで――やる側、やられる側のどっちの立場も――恐ろしいし、とても受け入れられるもんじゃないのよ。
あたしが本心からそういったわけじゃないってのは、長殿はすっかりお見通しだったみたい。屁理屈で反抗しようとする小学生を見るような目つきで生温かく見られちゃったわ。
それにしてもその《咎人》の犯罪ってどこで起きたものなのかしらね? この国のどこかで起きた犯罪とは考えにくいのよね。だって隊商を襲った盗賊にしろ、さっきのゴラゾラにしろ、悪事を働いたらその場で裁かれちゃったじゃない? それに彼らは男だったし。となると国外……? ここって他所の国の犯罪者を専門に受け入れる国なの? なんだかそれも妙なのよねえ……。
「咎人の聖域は咎人が刑を終えるまでの間、保護するための場所です」
保護する場所だから《咎人》が安心して平和に暮らせる。《咎人》だからといって虐待しない。《討伐者》と対等な扱いをする――そういう場所なんだそうだ。
「ここには《復讐者》はいません。《討伐者》も私たちに共感し賛同するか、少なくともここでの規則を守れなければ立ち入りは許しておりません」
「わたしは認められた……ってことですか?」
長殿の視線は鋭く、心の奥底まで見通されてしまいそうな気がした。ってか、あたしのこと歓迎してくれてるんだよ……ね?
「そうですね、ジヌラには信を置いていますから。彼には外の世界との折衝を任せています。ここでは自給自足を目標としていますが、すべてが完璧にできるわけでもありません」
そりゃそうだろうなとは思う。庭の端のほうには家庭菜園みたいなのがあったけど、あれだけで食料が足りるとは思えない。服だって裁縫はできても布を織ったり糸を紡いだりってのはさすがに無理なんじゃないのかな。
「ジヌラとのような信頼関係を結ぶには時間がかかります。それまでは魔物や、どこからか私たちの噂を聞きつけた《復讐者》らの襲撃があったときに対応していただく、護衛や警備のようなことをお願いすることになりますね」
あー、まあ、すぐに出てくつもりではあるけどさ。ゴラゾラ兄弟に追われてるところを救われちゃったわけだし、なにかしら恩返しはしないとまずいのか……。魔道銃がないと役立たずなんだけど、いざとなれば返してくれるよね?
そういえばゴラゾラ兄弟、彼らはあのあとどうなったんだろうか? 捕えられたようにも見えなかったけど……。
「護衛や警備って……襲ってきた連中には、どう対処するんですか?」
「厳正なる対処を。さきほどあなたがたを追ってきた不届き者の末路はご覧になったでしょう?」
末路ねえ……。大砲で吹き飛ばされて、そのまま放置。そういう理解でいいみたい。そういえばユミル青年を煽動した偽の盗賊一味も斬られてそのままうち捨てられたんだったっけ。
《咎人》には優しいけど、それ以外に対しては厳しいというか意外に残忍なのね。目的のためなら手段を選ばないって感じ?
「獣人は……獣人に対しても同じ扱いなんでしょうか?」
「獣人も《咎人》も《討伐者》も基本的に扱いに差はありません。自分のことは自分でする。自給自足に協力する。ただ獣人に限らず《咎人》は外へは出られません。私たちの庇護の手が届くのは里の中だけですから、そこは諦めていただくしかありません」
ま、それはそうだよね。外に出たらまた蔑まれるどころか殺されかねないんだから、この中にこもってるほうがずっとマシなはず。ただね、気になるのはガルガウィのことだった。
「庭に犬の獣人がいるのを見かけましたけど、獣人はすべて《咎人》……なんですよね?」
「あれは……ガルガウィは《咎人》ではありません。彼は雄の獣人であって、いうなれば魔物の仲間」
気になりますかと問われれば、まあ、気になるわ。彼はここで飼われてるっていってたけど……獣人は動物扱いしちゃうわけ? 《咎人》じゃないってんなら、なおさらそれって駄目なんじゃないの?
「お連れの獣人のことが心配ですか?」
「いえ……ええ、まあ……」
「彼は犬の獣人ですから忠誠を誓う相手を必要とするのですよ」
ギルラン商会でしばらく過ごしたけれど、あたしが獣人について知っていることなんてほとんどない。ガルガウィが犬系で飼い主が必要な性質なんだといわれれば「はあ、そうなんですか」としかいえない。
長殿は見る者の心を落ち着かせるような自信に満ちた笑顔で「ご心配なく」と繰り返した。
「辺境に比べて中央は治安がいいですが、取りも直さずそれは《咎人》に対する制裁が滞りなく行われていることを意味します。そんな場所へ《咎人》を二人も連れて行って身の安全を保つことが、あなたにできますか?」
「それは……」
「ここならば彼女たちの安全は保証されます。ですから安心して《咎人》の二人はここへ置いて行ってください」
「でも……」
「魔道札を修理して、そのあとはどうされるおつもりですか? あなたの故郷とやらへ二人を連れて帰りますか? 無理ですよね? ならばどうしますか? 彼女らの《復讐者》を探して引き渡しますか? 誰か適当な《討伐者》に譲りますか? それともあなたの手で殺しますか?」
畳みかけるように訊かれて、あたしは何も答えられなかった。そうだよね……二人を連れて帰るなんて不可能だ、きっと。
一緒に帰る手段だけならあるかもしれない。でもソネミはまだしも、ルルリリを元の世界になんて連れていけるわけがない。だって獣人だよ? 見世物にでもしようっての? まさかね。
わかってなかったわけじゃないんだ。まずは中央へ行くところからして問題続きだから、それが達成できるまで考えるのを後回しにしていた。スマホを修理しても帰る手段が見つからないかもとも考えはした。でもルルリリを、ソネミを見捨てなきゃならない――そんなこと考えたくなかった。だから忘れてるふりしてた。
「離れ難く思うのであれば、あなたもここにずっといればいいのですよ――」
そういい聞かせる長殿は、まさに慈愛に満ちた聖職者のようだった。
「どうしても帰りたいのであれば、どうか安心してあの娘たちを私に預けて行ってください」
それがいちばん正しい選択なのかもしれない――そう思わざるを得なかった。




