混浴は八歳まで
高い塀に囲まれたその場所は、思ったよりもずっと広かった。
ジヌラは漠然と里と呼んでいたけど、たぶんここがチャチャルのいってた隠れ里なんだと思う。根拠はないけど、里なんて呼び方、そうそうしないんじゃ……?
まあ、歓迎の言葉では咎人の聖域だったから、それが正式名称なんでしょう。里ってのは中の人間の通称、隠れ里ってのは外の人間からみた呼び名って感じ?
外観は里なんて鄙びた雰囲気でもなければ、聖域なんて厳かな感じも全然しない。木造だけど高い塀は裏から見ると人が上に立って歩けるようになってるし、ゴラゾラ兄弟を撃った大砲っぽい武器もある。なんとなく砦とか、時代劇のお城っぽさもある。
建物も高そうに見えて実は二階建てっぽい。総二階っての? 飾りもなにもなしでどっかーんと建ってるんで、妙な迫力がある。木造なんで防御力が高いかどうかはイマイチ不明だけどね。その分だけ塀が高く造られてるんだと思う。
ゴラゾラを撃退した男は塀から降りてきて、ジヌラとヒソヒソと言葉を交わしている。あたしらが何者か問い質している……のかな?
そういえば、外の騒ぎが聞こえなかったはずはなかろうに、塀の内側は実に平和な空気が流れている。洗濯物を抱えて建物の裏へと歩いて行く娘。鍬みたいな農具で塀の横を掘り返しているお兄さん。男も女も、《咎人》もそうでない人たちも、淡々と日常生活を営んでいるって感じだ。
ソネミは洗濯中の娘のぞろりとしたスカートと自分の頭陀袋ワンピースを見比べて泣きそうな顔をしている。あとで服を売ってもらえないか交渉したほうがいいかもね。先行き不透明なんで無駄遣いはできないけど、ソネミの気持ちは理解できる。
ルルリリは鍬を持った男のそばを走り回る鶏を見つけて、追い回したそうな顔をしている。もちろん走りだす前にポシェットごと襟首を捕まえといたわ。
◇◆◇◆◇
招き入れられた建物の中は、外の感じから想像したよりも数段小綺麗だった。入ってすぐ右手に階段。玄関ってほど立派な場所はなくて、建物の真ん中あたりは結構な人数が座れそうな食堂っぽい。壁際にはずらっと扉が並んでいて、小さい部屋に仕切られてるって感じ。二階も下から見える範囲では似たような感じで――全体として高原のペンションって感じの造り?
「武器はお預かりします」
案内のお兄さんが、あたしの魔道銃を指さす。ジヌラにも「悪いけど規則なんで……」といわれて、しかたなく渡した。ま、部屋ん中で武装してちゃ悪いもんね。短剣も目敏く発見されて、しっかり取り上げられてしまった。
キッチンの柱の陰とか、奥へ続く廊下への出入口の脇とかからは、《咎人》っぽい姿が見え隠れしてこっちの様子を窺っている。みんな小綺麗な格好をしていて、中にはメイド服っぽいのを着てるのもいる。昔風のミモレ丈スカートなんだけど、脚の綺麗な子が着るとミニよりもずっと可愛い。
可哀想にソネミは、ますます恥ずかしげに小さくなっている。でも《咎人》たちの関心は専らルルリリみたいだ。足下よちよち、お尻フリフリ、玩具みたいな翼はパタパタ、そしてカギ尻尾がピコピコ。いくつもの視線が小さなルルリリをずっと追い続けている。
「ほら、みんな。遊んでないで自分の仕事をしなさい」
案内のお兄さんの注意に覗き見をしていた《咎人》たちは、渋々ながら散っていった。怒鳴りつける殴り飛ばすってんじゃなくて、サボってる女の子を軽く叱ったって感じなのは悪くない。
ルルリリに名残惜しそうな視線を送っていた娘たちが作業に戻ったのを確認すると、案内人は今度はあたしに向き直った。
「まずは風呂に入って身体をお浄めください」
「えっと……はあ、そりゃありがたいんですけど」
ときどき水浴びしていたとはいえ、南東の町を出発してからまともに身体は洗えていない。風呂に入れるのは嬉しいんだけど……挨拶とかなんとか、そういったことを全部すっ飛ばして、まずは風呂って……いいのかな?
「そっちの《咎人》はともかく、あんたも獣人のチビさんもいい加減汗臭いぞ」
遠慮のない言葉でジヌラが事実を突きつけてくれた。まあ、そうよね……。十日以上風呂に入ってない上に、ゴラゾラから逃げようと全力疾走したばっかりだもんね。汗も掻いてるし、手足は泥々。こんな状態で挨拶したら、かえって失礼かも……?
「ん……じゃあ、遠慮なく」
風呂は部屋に簡易シャワーと、その他に共同の浴場があるそうだ。結構贅沢じゃない? ペンション風だし元々は宿屋だったのかも?
共同浴場は大風呂で、時間帯で男女が交代制になっている。そのへんも旅館っぽいやり方よね。《咎人》には使わせないとか、《咎人》は裸で奉仕するのが当たり前って考え方はしないのがここの流儀らしい。
今の時間は通常は誰も入らない時間帯だけど、わざわざ沸かしてくれるそうだ。魔道器だから簡単なんだって。
しかし誰もいない時間帯でよかったわ。男の体なのは諦めがついたけど、他の男と一緒に風呂に入るのは、まだ抵抗があるからね。
ソネミは誰か《咎人》の部屋の風呂を使わせてもらえるそうだ。でもルルリリはひとりで入浴できないわけじゃないけど、翼とかひとりじゃ上手に洗えないからね。
「じゃ、ルルリリは一緒に入ろうか?」
「入浴のお世話はこちらでいたしますので」
獣人にしても幼児にしても、ルルリリは女の子。男の肉体を持つあたしと一緒に入るのは駄目って禁じられてしまった。
ルルリリの付添いは、ピンク色の髪をしたふっくら頬っぺの《咎人》だった。健気な感じの可愛い娘で、ルルリリも素直に手を引かれていったから安心したわ。「んーんー」と微妙に唸るのが聞こえたような気もするけど……たぶん、大丈夫。機嫌を損ねてたら根が生えたみたいに絶対動かないはずだから。
キッチンの奥を通り抜けた先の廊下を曲がってすぐのところに大風呂はあった。たぶんだけど建物の裏手側?
「ごゆっくりどうぞ」
案内してくれた男性は、頭を軽く下げて戻っていった。
いつの間に用意したのやら、タオル一式と着替えまで揃っている。自分の分があるんで断ろうとしたんだけど、長旅で汚れただろうから、あとでまとめて洗濯するといいだろうだって。あ、着替えは貸してくれるけど洗濯は自分でしろなんだ? ま、当然っていえば当然よね。
脱衣場はきちんと掃除が行き届いていた。鍵がかかるロッカーじゃなくて棚にカゴが入ってるだけのシンプルなタイプだけど、明るいし清潔感にあふれている。洗面台には花も飾られていて、薄暗くじめっとしていた東境の村の共同浴場とは雲泥の差だわ。
しかしこの世界って、全体的には洋モノファンタジーっぽいのに、風呂だけは和風よね? 日本から転移してきた人が他にもいたりするのかしら?
浴槽も洗い場も、十人分くらいの広さがあった。狭くはないけど、大浴場ってほどのサイズ感はないかな。ま、ひとりで占領するには、だだっ広い。
ざざざっと手早く髪と身体を洗い流して、ゆっくりと湯舟に浸かる。洗い方が雑? いいのよ、温まってから、もういちど洗うんだから。
ソネミは寛げてるかな? ルルリリは盛大に暴れて女の子に迷惑を掛けてなきゃいいんだけど……。今のあたしの腕力なら走り回るルルリリをとっ捕まえて強引に湯舟に引きずり込めるけど、普通の女の子の力だとちょっと大変そう。
ああ……そういえば初めて異世界に来ちゃったのかもって認識したのは風呂でだったわね。町並みが違うってくらいなら知らない場所ってだけで済むけど、さすがに性別が変わっちゃったらね……。いやあ、よくあの場でショック死しなかったわって、今になると思うわ。
しかし男の身体ねえ……。お湯の屈折で歪み揺らぐ身体をちらりと見下ろしてみた。
風呂や着替えは我慢したり目を瞑って済ますこともできるんだけど、排泄はちょっとばかり難しいからねえ……だいぶ見慣れたかな? うーん……やっぱり、わざわざ見たいもんじゃないわね。
でも、まるっきり好奇心が無いわけじゃないし……。元の世界じゃ実物を見る機会なんて茂樹がおむつをしてた頃が最初で最後だった。今後も見るチャンスが巡ってくる可能性は……限りなく低いわよね。
いやいや、でも考えてみて? 向こうの世界では女子力ゼロでまったくモテなかったけど、「男ならイケメン」っていわれてたんだし? イケメンは大袈裟としても、男としてなら最低限のレベルはクリアしてるんじゃ……? だったら人並みの恋愛くらいできるんじゃない? そのときのためにも、ちゃんと自分の――男の身体の仕組みを把握してたほうがよかったりしない?
……しないか。そもそもこの世界じゃまともな男女の恋愛なんて成立してないわ。性的な関係は存在するけど、それは《咎人》と《復讐者》や《討伐者》の間のこと。恋愛なんかんじゃない。搾取とすら呼べない、一方的な蹂躙。男の立場だろうと女の立場だろうと、そんな関係、絶対に結びたくはないわ。元の世界で男になって風俗に行こうかどうか迷うってほうが、まだあり得るかも。
あ、でもやっぱり……。エッチなことがしたいかとか、できるかとかは措いといて。やっぱり自分の身体の状態ってチェックしておくべきよね? この世界の医療がどの程度か知らないけど、アソコの病気だってあるわけでしょ? 乳がんのセルフチェックすらまともにやったことないけどさ、日々きっちりと観察しておかないと、いざってときに気づかないかもしれないじゃない?
ね、そうよね? で、でも、ど、どうしようかしら……?
そんな感じで湯舟に浸かってひとり悶えていると、いきなり浴室の入り口扉がバンと開け放された。
「ひぇっ……!?」
「おっと、どうした?」
びっくり顔で入ってきたのはジヌラのおっさんだった。いや、びっくりしたのはこっちだって。
「ど、ど、どうかしました? な、何かご用で?」
「ご用って……この格好で風呂に入る以外に何するってんだ?」
いや、ジヌらさん、呆れるのはわかるんだけど、ぜ、全開はちょっと……って、おっさん同士なのよね。で、でも……せめて前は隠してほしいんですけど……。
ゴラゾラに追われて自分も汗を掻いたからといわれれば、はい、そうですかとしか返事のしようがなかった。
髪を洗ってる間に上がってしまおうと湯舟の中から様子を窺っていたんだけど、その隙がない。頭髪は短いから豪快に湯を頭からかぶるだけで十分みたい。身体も超高速でがががっと洗ってまた湯を浴びて、はい、終わりって感じ。
ちゃんと綺麗に洗えたの? 心配になるくらいにあっという間に、ジヌラは湯舟の中へ荒波を巻き起しながら入ってきた。
「ぷっはー、いい気分だ!」
天国とか極楽とかいう言い方はないのかしら? なんて暢気なこと考えてる場合じゃないって! 貞操の危機よ! 危機じゃないけど見られたくないし、見たくもないわよ!! できるだけ離れなくっちゃってことで、怪しまれないように浴槽の反対側の端っこに寄った。
「獣人のチビさんは、問題はなさそうだな」
ジヌラの口調はちょっと前よりもだいぶ砕けたものになっている。自分のホームグラウンドに帰ってきたって安心感なのかしらね?
「問題って……? あ、ウチの子、何か迷惑をかけそうに思われてた?」
まあ、そうよねえ。短い間でもジヌラは一緒に過ごしたからね。気がついちゃったのかしら? 素直で良い子のルルリリだけど、意外にマイペースっていうか絶対に譲れない一線みたいなのがどっかにあるのよね。そこに触れちゃうと、もう頑固っていうかなんていうか……大変なのよ。
でもジヌラの返事は、あたしには予想外。全然、想像もしないものだった。
「迷惑だなんてことはないさ。ただあんたが手出ししてないかどうか、風呂でゆっくりと調べさせてもらったよ。傷も痣も一切なし。綺麗なもんだってよ」
ん? どういう意味? つまり……あたしがルルリリを虐待していなかったか調べてたってこと?
失礼な!! あたしが《咎人》に対して敵意も悪意も隔意すらもないってわかってたでしょうが!!
思わず立ち上がりかけて、次の瞬間はっとして座り込む。首までしっかりと浸かっていたジヌラはザザンと押し寄せた波を飲んじゃいそうになって慌ててる。ざまあみろ、だわ。
「湯舟で威勢よく羽ばたいて暴れまくったらしくて世話につけた娘っ子がびしょ濡れになってたぞ。チーロ、チーロって叫んで大騒ぎだったらしい。あんた、あのチビっ子にずいぶんと懐かれてるんだな」
そりゃあね。なにしろ処分されそうになってるところを二度も救ってるんだから。最初の卵を持ち帰ったところは、ルルリリ自身は憶えてないかもしれないけど。
でもギルラン商会に世話になってたなんていったら、また評価が下がっちゃうかもしれないし、ここは黙っておくほうが得策かしらね? ああ、テルンさんの隊商にいたことも喋んなきゃよかった……?
「で、信頼してもらえたんですかね?」
「まあな。《咎人》だけ引き取って《討伐者》は始末しろって連中はとりあえず黙らせたよ。最終的な決定は長殿との面接の結果によるがな」
「面接……って?」
いや、来るなりいきなり風呂に入らされちゃったし、出て服を着替えたらすぐにも挨拶しなきゃなとは思ってたけどさ。面接ってなんか採用試験みたいな感じ? ってか、会う前にまず風呂に入れって命じるってね、こっちが乙女のままだったら、身体目当てかしらって警戒するところよ?
「心配するなよ。いきなり追い出すなんてことはしないから」
でも始末しろって意見の人もいるってことは……あんまり歓迎されてないんでしょうね。ってかそんな過激な思想の持ち主がいて大丈夫なのかしら? あたしのことが気に食わないってなったら、ルルリリやソネミに対しても態度が変わるなんてこと……ないわよね?
「せいぜい、嫌われないように努力するわ」
「ああ、そうしたほうがいいな」
「で、面接では何を訊かれるの?」
「基本的にはあんたの身上調査、だな。《討伐者》ってんなら、これまでどんな仕事をしてきたとか、討伐履歴とか。かなり細かく訊かれるぞ」
うーん、ギルラン伯爵とかテルンさんのことは、なるべくなら話したくないんだけどな……。でもソネミとの関係を訊かれたらテルンさんのことは隠し切れないか……。ギルラン商会のほうはオーク討伐の話だけすればいいかな? うん、それでいけそうかな?
ふむふむと真面目な顔でジヌラの言葉に頷きながらも、頭の中ではあれこれと誤魔化し方を考えていた。そんなあたしの思惑を見抜いたようにジヌラがいった。
「討伐履歴に関しては魔道札も確認するからな。嘘はつけないと思ったほうがいい。そして万が一、嘘だとバレたら――ゴゥラ、ゾゥラと同じ目に遭わされると覚悟しておけ」
えっ? あっ? それって嘘をつくなら殺される覚悟でいろって意味……で間違いなさそうだった。




