負うた子に餌づけされ
南東の町を出て十日あまり。チャチャルと道連れの旅の終わりは、山道の分岐点だった。
道の二又の部分、Yの字の真ん中あたりには杭が立っていて、それぞれの道の方向に矢印の先を向けた板が打ちつけられている。ゲームとかに出てきそうな、いかにもって感じの立て札だ。
あたしたちが歩いてきた後方は「南東の町」、右は「北東の城塞趾」、そして左が「中央」だ。
「チャチャルは、こっから右へ行くんだ……」
「うん。チヒロさんたちは左だね。道なりに北西方面に向かえば中央だからね。下手に脇道に入り込まないようにね」
「わかった……。ここまで、本当にありがとうね」
あたしが素直に頭を下げると、人あしらいの上手なチャチャルが照れくさそうな顔をした。揶揄ったわけじゃないのよ? 本気で感謝してるんだからね?
ここでお別れだとちゃんと理解しているのか、ルルリリもチャチャルの膝にひしと抱きつく。ぐりぐりと頭を押しつけるのを見ていたら、不覚にも涙ぐみそうになった。
「ルルリリのこと、ちゃんと気をつけてあげてね」
「もちろん……なるべく獣人にも好意的な集落を探すようにする」
「そうだね。ただ《咎人》に親切だからって気を許さないようにね」
チャチャルの視線は、杭に打ちつけられた札――左の道よりもさらに左寄りを指した一枚に向けられていた。
「親切なフリして寄ってきた《咎人》を捕まえちゃう罠とか?」
「そんなとこかな。中央の南西寄りにある隠れ里には絶対に近寄らないようにね」
じゃあね、とチャチャルは手を振り、軽やかな足取りで右の道へと去っていった。
中央より左――西北西?――を向いた札には「南西の峡谷(咎人の祠)」と書かれていた。
ま、隠れ里っていうくらいだから、標識に載ってるわけもないか。どうせ方向違いだし、わざわざ寄り道なんてしないわ……。
あたしが「ねっ?」と同意を求めると、わかってるのかいないのか、ルルリリはこくこくと小さく頷き、左の道を歩き始めた。
◇◆◇◆◇
チャチャルと一緒に旅して実感したのは、あたしは護衛としてだけでなく狩人としても無能ってことだった。動体視力? 反射神経? 男の体になって基礎体力は増したのかもしれないけど、羆とかが相手ならともかく兎程度の小動物相手には力よりも技術とかセンスみたいなのが重要っぽい。
だから狩猟よりも漁、今日の蛋白質の摂取はお魚にしようって決意したわけ。
正直、元の世界では、別に釣りとか興味なかったんだけどね。でも運動神経よりも忍耐強さのほうが、まだ多少はあるかなって思ったわけ。実際、チャチャルと一緒に挑戦したときは、釣り上げたのが一匹、罠っぽいのを仕掛けて獲った小魚が五匹くらい。まるでダメダメってわけでもなかったんだから。
「ほら、ルルリリ、そっち行ったよ」
釣竿に手頃な枝が見つからなかったから、今回は魚の掴み取り。生け簀みたいな囲いを川の中に作り、水底の砂をぐしゃぐしゃって掻き回して、魚を追い込む――つもりだったけど、そんなに思い通りに行くわけもない。それよりも混乱して逃げ惑う魚をルルリリに追いかけさせるのが、この漁法のきもなんですね。
いやあ、さすがは獣人。半端ない反射神経で腕を一閃すると、鋭い爪に捕えられた魚が水から顔を出す。ルルリリの手は人間ぽい形のはずなんだけど、指先に力を込めるとニョキッと爪が出るみたい。赤ちゃんぽい柔らかい手のひらの感触は肉球っに似てはいるんだけどね……いったいどこに爪を隠してるんだろう?
小振りな魚を六匹確保して、今日の漁はお終い。干物にできればよかったんだけどね……時間もないし、塩も足りないから諦めたわ。
山の天気は変わりやすい。今、晴れていても突然土砂降りの雨になることもあるしから、川のそばでは絶対に野営しちゃ駄目だとチャチャルには厳しくいわれている。これまでのところは、幸いにもゲリラ豪雨っぽいのに見舞われたことはないけど、上流と下流で天気が違うこともあるそうだし、寝てるところを鉄砲水に襲われたりしたら……恐ろしいわ。
魚は頭と内臓を取って川の水でざっと洗い、軽く塩をした状態で木の葉に包んでルルリリに持たせる。幼児でもこのくらいなら重くないでしょ。あたしは皮袋と鍋に今晩の分の水を汲む。
ルルリリの服はビショビショに濡れている。獣人らしく運動神経がよくても武芸の達人が返り血を浴びないみたいなわけにはいかないのかな。っていうか、水遊び気分だったのかも……。
「戻ったら着替えようね。どの服にする? 金ラメのワンピース、あれにする?」
お店の人のイチオシだったノースリーブのワンピース。黒地に金ラメって幼女には派手っていうか、おばさんっぽいなって思ったんだけど、ルルリリは気に入ったみたいだったのよね。キラキラ、ピカピカが良かったのかな?
「ひらひら、ヒラヒラ」
チャチャルと離れて寂しくなったのか、この頃、ルルリリのお喋りが増えたような気がする。ま、単語レベルでしかないんだけど、以前の鳴き声みたいなのよりは意味が通じる……かな?
ひらひら、というのはたぶんだけど、金ラメワンピースの袖口のことだと思う。ノースリーブの肩口に赤い縁取りのフリルがついていて、試着したとき嬉しそうにそれを弄っていたっけ。
汚れても洗濯しにくそうだし野宿には向かないんだけど、着替えの数が少ないんだからしかたない。
あ、洗濯っていえば……今、着てる分の洗濯、あとで川縁に戻んないと駄目か。ああ、あたしって要領が悪いなあ……。
「そうだ、ルルリリ、おむつは?」
「んーんー」
この唸り方は否定の「ううん」の意味だというのが、だんだんわかってきた。つまり汚れてない、大丈夫だって返事。
そう、ルルリリはおむつを汚したこと、いちどもないのよね。ギルラン商会ではちゃんとトイレを使ってたし、野宿中は見えないところにいってひとりで用足ししているっぽい。じゃ、おむつはトイレトレーニング中の万が一用ってこと? ただの幼女コスプレだったりして……?
野営地にとあたりをつけていたのは、川からは少し離れたところ、藪を抜けた先だ。
川縁から続く低木と草とを掻き分けて進む。背丈の足りないルルリリは草の中に埋もれながらも、しっかりした足取りでちゃんとついてくる。
丈の高い草の茎を五本か十本、まとめて握って横に退ける。ようやく少し開けた場所へと足を踏み出そうとしたところで、後ろからリュックを思いっきり引っ張られた。
「ルルリリ、どうしたの?」
立ち止まり、振り返る。その瞬間、耳元を「ビュッ!」という音がかすめた。
へっ?? 何?? 見ればブスッというようなドスッというような音がして、地面に矢が突き刺さっていた。
へなへなと足の力が抜けた。
「おっと悪りぃ、オーガと間違えちまった」
弓を担いだ男が、道の奥からこっちを見ていた。割と背の高い、がっちりした男だ。すぐ後ろにもうひとり、見た目そっくりで服だけ色違いの男がいる。こっちは弓は構えずに手に持ったままだ。
「間違えたってどういうこと!?」
腰に力を入れ直して踏ん張り、ルルリリを脚の後ろに庇った。
顔から血の気が引いているのが自分でもわかる。頬が冷たい。口の筋肉が思うように動かない。
「すまん、すまん。藪ん中でごそごそ音立てるなんて鈍いやつ、オーガしかいねえだろ、普通?」
「ところでお前のせいで獲物、逃げちまったんだけどさ、どうしてくれる?」
二人とも失礼だし、感じ悪い。なんかヤクザに絡まれたような気分。魔道銃はあるけど、二対一ではこちらが不利。下手にやり返そうなんて考えないほうがいいよね?
しかもじりじりと睨み合ってたら、道の向こうから三人目が姿を現した。
「ああ……ゴゥラさん、ゾゥラさん、駄目ですよぉ」
えっさえっさとおっさんぽい走り方でやってきた三人目は、ヤクザっぽい二人とは違って、外見も物腰も柔らかだった。ゴラゾラって兄弟? をやんわりと窘め、あたしに向き直ると丁寧に謝った。
「怪我はないですか?」
「いえ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ……」
振り返ると、ルルリリの姿がなかった。魚を包んだ葉っぱと、小さな巾着袋型のポシェットがだけが残されている。
それじゃあ、と腰を低くして挨拶だけしてその場を離れようとしたけれど、呼び止められてしまった。
「おいおい、俺たちの晩飯の弁償は?」
「兎、一匹獲ってこい。それで勘弁してやるよ」
「ゴゥラさん、ゾゥラさん……」
おっさんは困ったような顔をしているけれど、こういう理不尽な因縁をつけてくるやつは、突っぱねるとたぶん不機嫌になって喧嘩になる。やり合う自信もあんまりないし、そんなことよりルルリリを探しに行きたい。
「兎じゃないですけど、じゃあ、これをどうぞ……」
ルルリリが置いていった魚の包を差し出した。せっかくの魚をあげたくないけど、今日の分くらい、保存食でどうにでもなる。
「なんじゃ、こりゃ? なんか生臭ぇな?」
「うげっ、魚かよ。獣人じゃあるまいし、こんなもん食えねえよ」
いや、ルルリリは獣人だけどさ。あたしも魚、食べるよ? だって日本人だもん。チャチャルだって平然と食べてたけど……この世界では、魚食べる人って少ないの?
ゴラゾラ兄弟ほど露骨に嫌そうじゃないけど、大人しいおっさんも当惑顔。ってか、おっさんもあたしから食べ物もらう気満々だったのかい?!
「すいません、魚しか持ってなくって……」
この際、ここは謝り倒して、早いとこ解放してもらわないと。ルルリリもまだそう遠くへ行ってないだろうし、いざとなれば奴隷の首輪もあるから見つからないってことはないと思うけど……でも水辺は小さい子には危険だから心配。
……なんてあたふたしていたら、足元のあたりから「んんんー」と唸るような声が聞こえた。
「なんだ、こいつ? 妙な顔してるな?」
「魔物……じゃねえな? 獣……《咎人》か?」
「あ、よかった、帰ってきた……って、何、これ、くれるの?」
いつの間にか戻ってきていたルルリリは、両手に兎をぶら下げていた。口には鳩っぽい灰色の鳥を咥え、そのせいで喋れないみたい。ま、もともとあんまりまともに喋んないんだけど。
ちょこちょこと前に進みでたルルリリは、「んっ! んっ!」と両手と顎を男たちのほうへと差し出した。
「な……なんだよ?」
「なんだってんだよ……?」
「えっと、逃げた獲物の弁償……でいいんだよね? ルルリリ?」
おっかなびっくり片方の男――たぶんゴゥラ――がルルリリの差し出す兎を受け取った。
「なんだよ、お前、《咎人》に養われてんのかよ?」
屁っ放り腰のゾゥラは、鳥をルルリリの口元から毟り取りながら、あたしのことを馬鹿にする。ま、いいんだけどね。たしかに、あたしよりルルリリのほうが狩の腕前は遥かに上なのはわかってたから。
ルルリリが戻ってきたんで、慌ててこの場を去る必要はなくなった……けど、また絡まれるといやだよね。元に戻って、こそこそとフェイドアウトを試みる。でも失敗だった。
「あのぉ、よろしかったら一緒に食事にしませんか?」
おっさんが馬鹿丁寧に誘ってくる。誘われたらノーといえない性格……じゃないけど、下手に出られると弱いかも。
おっさんの表情は親切そうでもあり、どっか助けを求めるような切羽詰まった顔にも見える。ってことは社交辞令じゃないの? もしかして、おっさんも、このヤクザっぽい兄弟に絡まれて困ってたりするのかも?
「ジヌラのおっさんがそういうなら、一緒に食わせてやってもいいぞ」
「料理ぐらいは、できるだろうな?」
結局、逃げ損ねてしまったのだった。




