『勇者シゲリアの凱旋』
翌日は朝からアパートの下見へと出かけた。
半年に亘る求職活動の結果ようやく決まった職場の近くにアパートが借りられそうなのだ。
長いこと空き部屋だったとかで、かなり埃だらけらしい。簡単な片付けくらいはするつもりなんで、フード付きスウェットに下は薄い色のデニムと靴はスニーカーにした。リュックには大きめのタオルと念のため着替えも入れた。
行き先はうちの最寄り駅から電車で二十分ほど。都心とは反対方向へと向かう。そこからバスで十分ほどのところに職場があって、アパートはさらに二十分ほど先だ。つまり通勤時間は二十分程度の予定。
電車は下りでも意外に混んでいた。運悪く女性専用車両に乗っちゃったもんで、息を止めてるのがホント辛かったわ。
女性専用車両に乗車してる女性って、女を主張してるっていうか、はっきりいって香水とか匂いがきつい人が多いのよね。普通の車両に偶然女性ばっかり乗り合わせたときよりも濃いっていうか、デパートの女子トイレだってあそこまでひどくないわ。
水原さんみたいなケースもあるから女性専用車両不要とまではいわないけど、悪臭に追われて一般車両に移るとおじさんたちに睨まれるし、正直、あたしにはありがた迷惑な制度だわ。
バスは結構本数が多くて、あまり待つことなく乗れた。席にも座れた。降車扉のすぐそばの席、陽が差し込んでいるので眠たくなりそうだ。
最後尾の座席は外国人らしき一団が占領している。男ばかり、みんな長いローブっぽい服を着ている。緑や黄色の派手な民族衣装風。東南アジア系かアフリカ系か、それとも南米系か、言葉や肌の色じゃ区別できないけど、南国系なのは間違いなさそう。
その外国人たちの声のうるささにも負けずに眠気が襲ってくる。眠り込んで乗り過してはたまらないと思い、リュックからスマホを取り出した。
昨夜は遅くまで触ってたから、ずいぶん使い方には慣れた……と思う。茂樹が入れてくれたアプリを起動し、昨夜、眠る直前まで読みかけていた小説を開く。
『勇者シゲリアの凱旋』
タイトルからお察しの通り、茂樹が書いた小説だ。ウェブ小説の投稿が趣味だとかいう同級生女子の気を惹くために書いているのだとか。ランキングで一位になって「実は、あの作品、俺が書いているんだ」と明かせばなびくだろうと目論んでいるらしい。甘いよ、茂樹……。
内容はテンプレの転生もの。でもテンプレってことは競争相手が多いってことよね?
昨日はクライマックスの前で睡魔に負けちゃったけれど、今日の行き帰りで読み終わるつもり。ということで続きを開く――。
◇◆◇◆◇
――地下の階段を駆け下りた俺の目の前には、大きな岩の壁があった。
「ユリハ!」
「おまかせください、シゲリア様!」
魔法使いの正装であるローブと三角帽子を身につけたユリハが、全力の破壊魔法を壁にぶつける。ドシャーンというすごい音がして、壁が崩れる。
「よし、行くぞ!」
「「お待ちください、シゲリア様」」
俺が壁の穴をくぐり抜けようとすると、竜人の美人姉妹の金竜と銀竜が引き止めた。短槍を構えた二人が先に穴へと飛び込む。壁の向こう側からガシャガシャと戦闘の音が聞こえる。俺も剣をかまえて崩れた岩を飛び越えて穴へと向かう。
「「シゲリア様の行く手を阻む者は私たちが許しません」」
ゴルとシルは尻尾でバンバン敵を薙ぎ倒していく。覆面をした牢番みたいな男たちが次々と倒される。
それを見てもう大丈夫だと判断した俺は、牢の前へと急いだ。
「紅朱蘭姫!」
牢の中の姫は俺のほうへと走り寄ってきた。ちょっと気が強そうだけど、噂通りの美人だ。
「あなたは、どなたですか?」
「俺は勇者シゲリア、あなたを開放しに来ました。ミアン、やれ!」
俺の後に続いていた寡黙なエルフ美女のミアンが大剣を振りかぶって、牢の鍵をばっさりと斬り飛ばした。
「ありがとうございます、シゲリア様!」
胸の中に飛び込んできた紅朱蘭姫を、俺はしっかりと抱きしめた――。
◇◆◇◆◇
……ってか、何これ? 『あなたを開放しに来ました』ってお姫様を開け放してどうすんの? 解き放ってあげなさいよ。
ま、いいわ、誤字は。ネーミングセンスの微妙さも無視。紅朱蘭姫ってのはお目当ての女の子のペンネームらしいし。
出会う仲間がみんな美少女で、主人公に無条件で惚れて尽くしてって、それも目を瞑るわ。女子受けはしないだろうけど、ハーレムはテンプレのお約束ってことで。
でもねえ……勇者シゲリア、何にもしてないじゃん? 壁を壊したのも敵を倒したのも牢を開けたのも美少女軍団。危機に陥るのはいつもシゲリア。たまに美少女の誰かが危ういこともあるけど、どっちにしろ助けるのは美少女軍団。
シゲリア、何の活躍もしてないよ? それでなんで紅朱蘭姫はシゲリアに抱きつくわけ?
いくら勇者シゲリアにイケメン補正があっても、無理だと思うよ? ましてや茂樹、あんた自身にはイケメン補正はないんだから。紅朱蘭ちゃんも、きっとドン引きよ……。
――バスが大きくガクンと揺れて、はっと目が覚めた。
スマホの画面はいつの間にかスクリーンセーバーだ。いつの間にか眠り込んでしまったみたい。
今、どこだろう――窓の外を眺めるけれど、前回来たときには見憶えがない景色だ。
「次は「$&%’〒)、#(&♪”%#!」前」
バスの車内アナウンスに後ろの国籍不明の外国人たちの声がかぶさり、辛うじて聞き取れたのはなんとか前という部分だけ。
目的地の停留所は楠小学校前。もしかして、次のナントカ前がそうだろうか?
「次、止まります」と自動アナウンスが告げる。
降りるべきなのか、どうしようか、と迷っているうちに到着してしまった。
後ろの席の外国人たちが、ぞろぞろと降りていく。バス停の名前を確認しようとしたけれど、運転席横の掲示も窓の外の停留所の標識も、運悪くちょうど人の影になって見えない。
ぐるりと外を見回す。右手側は黒々とした雑木林。民家も商店も見当たらない。ろくに舗装もしていない田舎道に入り込んでいる? まさかとっくに乗り過してた? それってヤバくない?
外国人の集団の最後のひとりがステップから降りた。プシュッていう音が鳴って、降車ドアが閉まりかける。
瞬間的に決断して大声で叫ぶ。
「あ、すいません、降ります!」
あたしはバスの外へと慌てて飛び出した。