これからオークの征伐に
09/13 typo修正
野営地の朝は早い。日の出の少し前には、みな忙しく立ち働いている。
あたしは、まだ夢と現の間をふわふわと漂っている。久しぶりの野営……っていうか、よく考えてみたら前回の野営は、夜中にバタバタと出発してしまったんだったっけ。だから、ひと晩寝て朝起きるのは、実は初めての経験だ。
「今日はオークの殲滅じゃ!」
朝っぱらから勇ましいブグルジの言葉が頭に少しずつ浸みてくる。意味を理解したところで、ようやく本格的に目が覚めた。
ふらふらしながら起き上がり、近くの小川で顔を洗っていると、後ろから声をかけられた。
「チーロさん、もう慣れましたか?」
「はぁ、まぁ、お陰様でなんとか……」
濡れた顔のまま振り向くと、御者のおっさんが微妙な表情を浮かべていた。いけない、いけない、いかにも日本人的に曖昧な挨拶をしてしまったわ。
「あっしは同行しないんで、お力にはなれないですが、ご武運をお祈りしています」
「いえ、そんな……わたしなんて役立たずのお荷物ですから……」
御者のおっさんは、オーク殲滅には参加せずに、馬車と回収した卵の見張りをする予定だ。まあ、朴訥そうなおっさんには、殲滅なんて激しいのは似合わなそうだけど。でもあたしなんかよりはずっと役に立ちそう。
正直いうと羨ましい、代ってほしい。あたしが留守番したい。でもそんな甘い期待をするあたしに、無情な言葉が突きつけられる。
「チヒロさん、留守番は楽な仕事じゃないよ」
夕食後に姿を消していたチャチャルだった。就寝する頃になっても戻らないし、契約終了かなあと勝手に推測してたんだけど、違ったみたい。
「あれ、チャチャル。帰ったんじゃないんだ?」
「夜中にオークの群れに動きがないか様子を見てきたんだよ」
ちなみに卵は五箇所を確認して、回収できたのが三つ、失くなってたのが崖下のひとつ、そしてもうひとつは割れていた。回収率六割は、平均と比べてずいぶんと低い数字らしい。
昨晩の話し合いで、卵を盗んだのはやっぱりオークの仕業だろうという結論に達していた。
「オークの群れは移動してなかったけど、昨日みたいなハグレがいないとも限らないからね」
だから何、と首を傾げると、ブグルジが呆れたような視線を向けてくる。
「オークや盗賊からチイロ殿は馬車を護り切れる自信はあるかのぉ?」
ふるふると首を横に振るあたし。朴訥な御者は、凄腕の魔物狩人として名を馳せた腕利きだったらしい。
野営地に馬車とおっさんを残し、徒歩で出発する。向かう先は昨日の山の裏側。山裾まで下ることなく中腹の峰がなんとなく連なり繋がっている。方角は西らしいけど、あたしは地図の上下左右を入れ替えないと道が把握できないタイプなんで、間違ってるかもしれない。
まあ、足下さえ気をつければ、漫然と集団の後についていくだけでいいから問題ない。お喋りなチャチャルが、あれやこれやと話しかけてくるから、道中退屈することもない。
「ブグルジさんが見立てた通り、このオークたちは旧き眷族じゃなかったよ」
旧き眷族ってのは旧世界の頃からいるっていう意味だそうだ。魔物に変わりはなさそうだけど、ブグルジにとっては大きな違いらしくやけに拘っている。
「旧き眷族なら言葉が通じるからね。でもあいつらの近くに寄っても何を喋ってるのか全然わかんなかった」
「喋れないってことは獣並みの知性ってこと? 言葉が通じれば交渉ができる、だっけ? ブグルジさんて意外と穏健派なんだね」
「ブグルジさん自身、旧き眷族だからね」
え? ちょっと何、その爆弾発言? 一瞬、衝撃で足が止まりかけるけど、チャチャルに袖を引っ張られる。
「やっぱりブグルジさんって……」
マジでゴブリンかって質問は呑み込む。チャチャルは「あの人は旧世界出身だから」とあたしの疑問をさらりと流した。
「とにかく、オークたちの言葉はボクには理解できなかったってこと」
「でも崖で襲ってきたやつが戻らなかったから、警戒してるんじゃ……?」
「そんなことないよ。ハグレっぽかったし。あいつが来る前に卵が盗まれてたってことは、仲間じゃないんじゃないのかな」
チャチャルの分析は半分は昨夜の打ち合わせで、残りも今朝の朝食時に報告してた内容だ。でも前提知識のないあたしは、ブグルジたちとの議論にはついていけなかったし、こうしてチャチャルに雑談ベースで再度説明してもらってやっと理解できる。気を遣ってくれたのかしら、チャチャル、ありがとうね。
男の体力はさすがというか、隣の山まで歩いても疲れることはなかった。ただスニーカーは滑りがちだし、こっちの世界の靴を買ったほうがいいのかも。
オークの集結地が近づいてくると、さすがのチャチャルも自然と口数が減る。真剣な面持ちで黙々と案内する顔がキュート。やっぱり男の娘にしたいわ、この子。
「ここだよ、この斜面の上に小屋がある」
緩やかな斜面は裏の岩山とは大違いで、湿った地面に草木が生い茂っていた。盛り上がった土塊の陰から見上げるように先を覗く。目の前に藪があるから、向こうからは見つからなそう。じめっとした泥が手に着いて、ちょっとヤな感じ。
「右端の小屋じゃな?」
ブグルジの確認にチャチャルが黙って頷く。
小屋は三つ? 四つ? 荒屋どころか、ほとんど半壊か全壊状態、枠組や土台しか残っていない。いちばん右のひとつだけが、辛うじて雨風が凌げそうな程度に屋根と壁が残っている。元は納屋とか山小屋とか猟師小屋とか? 壁は苔生し、蔦が絡みついている。
ハリュパスが、さささっと走り出て姿を消す。すぐに戻りブグルジの耳に、こそこそと何事か囁く。お前は忍者か! って感じ。
「正面に見張りがおるのぉ。中にいるのは七匹じゃな?」
「うん、何日か様子を見てたけど他から仲間が合流する気配はなかったよ。七匹がまとまって行動するのは昼過ぎから。朝のうちはぶらついたり、小屋でごろごろしてるみたい。見張りもあんまり熱心じゃないから隙だらけだよ」
話している間に、扉が開いてオークがいっぴき姿を現した。崖で襲ってきたやつとよく似ている。ま、オークの顔なんて、あたしには区別つかないんだけどね。オークの基本装備なのか、蔓を編み上げたような鎧姿で、戦斧は背中に背負ったままだ。
「殲滅するなら全部が揃ってるほうが……。戻ってくるのを待ちますか?」
「いちどに七匹相手は、少しばかりきついのぉ」
ブグルジが軽く目配せをすると、またもやハリュパスがさささっと外に出たオークの後を追う。やっぱり行動が忍者っぽいわ、この人。
小屋の左手の少し離れた茂みの手前で立ち止まったオークに背後から襲いかかる。茂みの葉が揺れてしばらくガサゴソと音がして、やがて静かになった。小屋の中からは何の反応もない。
「……用足しだったようで」
足音を立てずに戻ってきたハリュパスが嫌そうな顔で膝のあたりを払っているのは、茂みで葉っぱの汁がついて青臭いから? それともナンカついた……? ああ、ごめんなさい、訊かないであげるのが武士の情けってやつよね。
代わりというわけでもないけど、素人考えでちょっと疑問点を質してみた。
「あんまり戻るのが遅いと警戒されちゃうんじゃ……?」
「見張り以外は寝ていたし、すぐには気づかないだろ」
「本格的に活動するのは昼過ぎだから、もうしばらくは大丈夫。まあ、様子見も適当に切り上げたほうがいいってのには賛成だけど」
「いかにも。じゃが、もういっぴき先に倒しておきたいのぉ」
ブグルジの判断に従い、背中で斜面に凭れかかって、じっと待つこと……約十分? 小屋の扉が再び開いて、別のオークが出てきた。戦斧は背負ったままだし、たしかに警戒している様子はない。さっきのやつとは反対の右方向へ、ソワソワと落ち着かなげな足取りで歩いて行く。こいつもやっぱり……用足し目的?
パターン通りブグルジが小さく頷き、ハリュパスが無言で走った。音もなく背後から取り縋ると、小さな「プギャッ!」って叫び声がして、オークの身体がぐらりと頽れる。ああ、やだ……首がゴキって曲がるとこ、見ちゃった……。
小屋の扉が勢いよく開く。見張りのオークが一瞬だけ顔を覗かせてあたりを見回すと、すぐに中に引っ込んだ。
「申し訳ありません、失敗しました」
戻ってきたハリュパスがブグルジに向かって深々と頭を下げる。
「しょうがないじゃろ。儂が正面から突っ込むからのぉ、お前さんは裏へ。チイロ殿とチャチャルは後ろから援護を頼みますじゃ」
「ええ?! ボク、情報屋なんだけど?」
作戦にしっかりと組み込まれたことに不平を漏らすチャチャル。ごめん、たぶん、あたしのせいだわ。魔道銃のお陰で戦力に数えてもらえたみたいだけど、援護なんてどうすればいいのかわかんないから。
「儂らがやられたら、お前も困るじゃろうて」
「別に困んない……まあ、たしかに金蔓が死んじゃったら困るか」
諦めて参戦することにしたらしいチャチャルは、身軽さを活かしてあっという間に小屋の横手に走り込んでいく。この子も忍者の仲間みたいなもんよね。
で、あたしは正面切って走り込んでいくブグルジの後ろを慌てて追いかける。お爺ちゃんなのに足速っ。
小屋の扉はがっちりと閉ざされ、敵は防御態勢を固めたみたいって思ってたら、扉脇の明かり取りの枠にオークの腕が……バリバリと音を立てて枠を毟り取り、こちらへ向かって投げつけてくる。
ブグルジは剣ですぱすぱと斬り捨ててくんだけど、あたしはどうすりゃいいの? 右に左に避けてたら足が縺れそうになるし、えい、しかたないと手に持った魔道銃で当たれと適当に念じる。あら……意外といい感じ。飛んでくる木切れがまさに木っ端微塵。
オークたちは小屋に立てこもり、一列に並んでこちらを迎え撃とうとしている。ってか壁を引っぺがしては投げつけるもんだから、半分くらい姿が見えてきちゃってるんだけど。賢いんだか賢くないんだか、よくわからない。
真ん中で戦ってたオークが、突然、ばたりと後ろに倒れた。その奥に忍者もどきのハリュパスの姿がちらりと見える。
倒れたやつの左隣が振り返りざまに戦斧を振り上げ、ハリュパスに襲いかかる。狭い場所でそんなもん振り回すから、隣のやつとぶつかって、動きがままならないって感じ。うん、やっぱりこいつら賢くないわ。
正面から突っ込んだブグルジが戦斧を振り回しはじめた右隣の一匹をすっぱりと斬る。右端にいたやつがその隙にブグルジに狙いを定めた――と思ったら、いきなりすっ転んだ。いつの間にか屋根から中に入り込んでいたチャチャルが、どこで拾ったのか樽みたいなものを転がしてぶつけたみたいだ。倒れたやつには、ブグルジがすぐさま駆け寄り止めを刺す。
ハリュパスはまだ勝負がついていない。背後から首を折るのは得意でも、まともに打ち合うのは苦手っぽい。だんだんと押されてる感じ?
あっ! もういっぴきが、ちょうどハリュパスの死角に……! 見えてないよね、見えてても対処できないよね? どうする? どうしたらいい?
死角に入り込んだやつは、屈んで低い姿勢から横に戦斧を振り抜こうとしている。
「危ないっ!!」
叫んだのと同時に、大きく薙いだ戦斧ごとオークの右半身が消失していた。
えっ? ……あたし? 思わず魔道銃を発射してた?
ブグルジが半身を失ったオークの首を狩っている。同時にチャチャルが樽をハリュパスと斬り合っていたオークに投げつけ、咄嗟にオークが反応したところでハリュパスが首を掻き切る。あたしが魔道銃とオークを見比べて呆然とした一瞬の間に、それだけのことが起きていた。
「助かったよ、礼を言う」
忍者ハリュパスが、深々とあたしに頭を下げる。いやいや無意識っていうか、魔道銃が勝手に反応してただけだから。考えただけで発射できるって便利だけど、ちょっと怖いし危険すぎない?
「やったじゃん、チヒロさん!」
「あとは体力と胆力だけが問題じゃな」
チャチャルは大袈裟に喜んでくれたけど、ブグルジにはちょっとだけ苦言を呈された。そうよね、体力があれば息切れせずに走れるし、胆力があればハリュパスが窮地に陥る前に仕留められたよね……。
ハリュパスが、オークの死体を邪魔だとばかりに小屋の外へと放り出す。昨日もそうだったけど、魔物の装備を剥いだりドロップアイテムを集めるなんて習慣はないみたい。
小屋の中には萎びた草があちこちに敷いたり積んだりしてあった。干し草小屋とか馬小屋だったのか、オークたちが寝るのに使ってたみたいだ。
「卵は全部でこれだけですね」
無造作に放り出されていた卵は、干し草の上に集められた。五つあるってことは、昨日回収し損ねた以外にも盗まれてたってことね。
「こっちの割れてるのは駄目だね」
卵の割れた上半分を持って、チャチャルはちょっとばかり残念そう。こんだけ大きな卵でTKGしたら……って思って下半分を覗き込むと、すっかり空っぽだった。
「あれ、黄身は? オークが食べちゃった……の?」
「いくらオークが悪食でも獣人は食べないよ。孵化間近だったし、きっと待ちきれなくて襲っちゃったんだよ」
襲うって……ああ、性的な意味なのね。チャチャルみたいな幼気な少年の口から聞くと、なんだか居たたまれない。
「で、無理やり殻から出された獣人はどうなんったんでしょう?」
「散々に弄んで死なせてしまったのじゃろう」
「あ、こっちのは罅が入ってる」
目敏いチャチャルが見つけたのは、やや小振りな灰色に茶と黒の斑のうずらの卵っぽいやつだ。斑模様のせいで目立たないけど、目を凝らすと尖ったもので突いたような瑕がついている。
「駄目だな、こいつは捨てるしかない」
「え、でも……」
ハリュパスは捨てる気満々だけど、孵化間近なら中から雛鳥が自分で突いてるんじゃないの? まだ十分に生きてる可能性があるのに、放置して殺しちゃうのはなんだか可哀想な気がした。
「気になるのならチヒロ殿にお任せしようかのぉ」
ブグルジはあたしの気持ちを察してくれたのか、壊れかけた卵を持ち帰ることを許可してくれた。ただお任せされたことで、他の人より余分に卵を担がさられたのは計算違いだった。




