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乗り物酔いには梅干し

 幌馬車は南東の町から北の丘陵地帯へと向かう道を、ゴトゴトと音を立てて走る。

 何でまた馬車に乗ってるのかって? そりゃ、あれよ、ギルラン商会会頭のギルラン伯爵の懐刀、ブグルジ翁の命令だから。別に好きで乗ってるんじゃないわ。仕事よ、仕事。

 テルンさんの隊商で護衛という名の見張り番に雇われて怖い思いをしたから、今後はできるだけ建物の中でできる仕事をしたかったのに……。事務仕事なんて贅沢は言わない、炊事でも洗濯でもいいと思っていたのに。ううん、この際、力仕事だっていい、せめて町から出ないで住む仕事が欲しかった。

 あたしがヘタレで護衛としては役に立たないってこと、ちゃんとわかってるくせに……。


『チイロ殿には獣人を集める手伝いをしてもらおう』


 ブグルジ翁のひとことで、町の外へ出ることになったのよ。しかも何やら危険な香りのするお仕事……。

 ああ、もう! 爺ぃとかちんくしゃ(・・・・・)モンスターとか罵倒してやりたいけど、それって差別発言じゃない? だから我慢して口には出さない。雇主だし、テルンさんの顔を潰すわけにもいかないしね。代わりに慇懃無礼っての? ()なんて尊称をつけて呼んでやるつもり……まあ、心の中でだけなんだけどね。


「冒険者なら、この程度は容易いじゃろうが」


 小声で文句を言っていると、ブグルジ翁にじろりと睨まれ釘を刺された。

 ブグルジ翁は馬車のいちばん前で、ギルラン商会子飼いの部下と何やら打ち合わせている。あたしはその打ち合わせには参加せずにサボっているわけ。



 馬車のいちばん後ろで、荷台の端に凭れかかりながら大きく深呼吸をする。幌の開口部から肘と頭をちょこっとだけはみ出させて、それでようやく風が当たって息がつける。


「あー、気持ち悪ぅ……。馬車ってこんなに揺れるもんなんだ……」


 どうしたって? 酔ったのよ、乗り物酔い。滅多に車酔いなんてしないんだけどなあ……。やっぱり疲れてるのかなあ……? 山道っていうか、かなりの悪路だしねえ……。


「あれ、馬車は初めてじゃないよね?」


 ころころと明るく笑いを含んだ声で話しかけてきたのは、隣りに座った美少年だ。茂樹と同い年くらいの、でも見た目は真逆の、ぱっちりお目目に鼻筋すっきり、すらりとした将来はイケメン間違いなしの美少年だ。

 そう、美少年。美少女でも美幼女でもなくて、美少年。誰得? ふん、あたしの得なのよ!

 美中年のテルンさん、美青年のユミル青年と目の保養をさせてもらったけど、南東の町についてからは不作気味。ギルラン伯爵は雰囲気イケメンなだけだったし、ブグルジに至っては、ほとんど妖怪だし。

 で、半分、諦めかけていたところへ美少年登場! やたっ! と思ったんだけど、まあ馬車が揺れるわ揺れるわ……美少年鑑賞してる余裕なんてありゃしない。幌の中の篭った空気を吸わないように頭を外に突き出してないと、ほんと吐き気を催してどうしようもないんだわ、これが。


「テルンさんの馬車は広くて、ずっと乗り心地がよかったから……」


 あ、ブグルジ翁が睨んでる。すいません、ギルラン商会の悪口を言うつもりはなかったんです……と、視線だけで謝る。だって頭を下げるの無理、絶対に吐きそうになるもん。


「前は街道ばっかり走ってたからなのかなあ?」


 胸の中のムカムカと一緒に吐き出しただけの言葉にも、美少年くんはちゃんと答えてくれる。


「テルンさんの馬車は魔道馬を使ってるから走りが安定しているんだよね」

「魔道馬……? それって魔動車のこと……?」

「ううん。魔動車は魔道で動く車。魔道馬は魔道で動く馬。テルンさんの馬車を牽く馬は魔道で作られてるんだよ。だから餌もいらないし、途中で替える必要もなし。人間が疲れなければ休憩だって要らないんだよ」


 商売のために国中を巡る隊商にはスピードも持久力も必要だけれど、ギルラン商会が自前の馬車を出すのは近場だけだそうで、初期費用も維持費もかかる魔道馬では割が合わないってことらしい。

 美少年は、幼いといってもいいくらいに若いのに、なかなか知識が豊富だ。物怖じもしなければ、頭の回転も早いし、口もよく回る。


「へ、へえ、そうなんだ?」

「これでもボクは情報屋だからね」


 そう、この美少年は初対面じゃなかった。東境の村を出るときにテルンさんの馬車のそばにいた男の子、つまりユミル青年と盗賊一味をいいように操った少年だ。顔はもちろん、名前だってちゃんと憶えている。だって命の恩人だもん。あの野営地で盗賊一味に斬られそうになったあたしを引きずり倒してまで助けてくれたのはチャチャルくんだ。


「……チャチャルくんだったよね?」

「ボクはチャルディギッラ、みんなにはチャチャルって呼ばれてます。職業は情報屋で、ギルラン伯爵様にテルンさんはお得意様です。ってことで、よろしくお願いします」


 チャルディギッラはにっこりと、まさに花のよう(・・・・)って表現がぴったりの笑顔を見せた。線が細くて、まだまだ子どもの要素が強いからか、可愛い笑顔は美少年じゃなくて美少女にも見える。

 でもチャルディギッラ……って発音しにくい名前ねえ。うん、やっぱりチャチャルって呼ぼう。


「あ、ごめん。人に名前を訊くならまず自分から名乗れだよね。あたし……わたしは――」

「知ってるよ、チヒロさん。えっと長い名前はキシネガワチヒロさん? うん、上手く発音できたかな?」

「え、何で知ってるの……」

「そりゃ情報屋だもん」


 さすがは情報屋。フルネームであたしの名前を把握していたわ。

 でもどこで知ったんだろう? 東境の村の組合(ギルド)ではラゴーは岸根川って聞き取れてなかったし、テルンさんもあたしが名乗ったところは耳にしていないはずなんだけどな? あれ、ブグルジにはフルネームで名乗ったっけ? よく憶えていないわ。


「ねえ、チャチャルは、あっちの話には加わらなくっていいの?」

「いいの、いいの!」


 たぶんだけど、ブグルジと部下たちが話しているのは、この後のスケジュールとか作戦とかのはずだ。その基になる情報を提供するのがチャチャル……のはずなんだけど、いいのかなあ? 調子悪くてぐだっとしているあたしを、チャチャルはさっきから熱心に――っていうほどでもないけど――介抱してくれている。


あたし(・・・)で役に立つのかなあ……?」


 獣人を集める手伝いとは言われたものの、何をやるのか、あたしはまったく理解していない。この世界での知識も常識もなければ、腕力もない。まるっきりの役立たずなのに大丈夫なのだろうか。おまけに馬車酔いで役立たずの度合いも増しているし、まともな判断力も働かなくなっている。あたしには今のところ不安しかない。


「大丈夫、大丈夫」


 あたしの呻き声にも、チャチャルは合いの手を入れ、お気楽に請け合ってくれる。大丈夫……ねえ。情報屋だし、生きるテクには長けていそうだし、信じちゃうわよ?

 っていうか、ひとりごとのつもりだったから「あたし」って言っちゃったけど反応がなかったわよねえ? チャチャルには聞こえていなかったのか、聞こえてて知らん顔してくれたのか。それともこの世界の言語では一人称は英語みたいにひとつしかなかったりして……? 「あたし」も「わたし」も全部「I」に訳されちゃうみたいな? はっ!? もしや、一生懸命、言い直していたのは無意味だったとか?



 獣人を集めるなんて言われてもどうすればいいのかわからないあたしに対して、出発前にブグルジがしてくれた説明は実に簡潔なものだった。


『獣人の卵を集めるんじゃ』


 簡潔どころか、全然、説明になっていない。

 ってか、獣人って卵で産まれるの? ああ、ギルラン伯爵が連れていたアゲハもユキヒョウも羽や翼があったってことは昆虫や鳥の仲間なのかも? 町には蜥蜴とか竜とかみたいな獣人もいたし、そういうのは卵から孵るのかもしれない。

 でも商会の奥にいた犬っ子や猫耳娘や町の獣人の大半はもっと人間寄り、少なくとも哺乳類系の姿形をしていたんだけど。


「獣人は種類に関係なく卵から孵るんだよ」


 あたしの心を読んだようにチャチャルが勝手に答える。哺乳類系も爬虫類系も鳥も虫も――元の世界と同じような生物の分類があるのか知らないけど――そういった種別とは一切関係なく、獣人はすべて卵から産まれるのだそうだ。

 ん? ってことは、卵生? 生殖方法が人間とは違うってこと? それでもって性産業に従事って……できる(・・・)の? 別にエロいことを想像してるわけじゃないけど、現実問題として娼婦としてやってけるんだろうか? いやいや、男なんて穴さえあれば何でもOKなのかもしれないけど……。

 でもこんな疑問、キラキラとした瞳の幼気な少年にぶつけるわけにはいかない。


「えっと、卵を集めるっていっても親鳥……じゃないか、親に襲われたりしないの?」

「親って?」


 チャチャルは、まるで親という言葉が何を意味するのか理解できないといった風に首を傾げた。

 えっ……もしかして悪いこと訊いちゃった? この幼さで情報屋なんて仕事をしてるってことは、チャチャルには親がいないのかもしれない。


「んん、何でもない――で、《咎人》の祠じゃない場所ってのはどこなの?」


 ブグルジの説明では「獣人は普通の《咎人》のように祠に出現するわけではない」ということだったはずだ。祠に出現するってのも大概だけど、獣人はそれとは違うというのはなおさら意味不明だ。


「獣人の場合は《咎人》の祠みたいに決まった場所に揃って現れるってわけじゃないんだよね。山間の洞窟だったり森の奥の木々の梢の中だったり、水辺の苔生した岩と岩の間の窪みなんてこともあるんだ」

「えーと、鳥だったら木の上とか、魚とか両生類なら水辺ってな感じ?」


 あたしが自分なりに解釈してまとめると、チャチャルは「そうとも決まってないんだよねえ……」と眉間に可愛らしい皺を寄せた。


「〈ふっさり分かち尾〉の九尾の銀狼姐さんは砂漠産だし、ギルラン様の愛妾のアゲハは中央東の谷底で氷漬けだったらしいよ。一箇所につき卵は一個ってことが多いんだけど、それも絶対ってわけじゃないし。毎回同じ場所に現れることもあれば、ある日、突然、別の場所に移っちゃうこともあるし。ほんと、みんな知恵を絞って法則を見出そうって頑張ってるんだけど、未だに誰も見つけられてないんだ」

「そうなんだ? じゃあ、チャチャルもブグルジさんに調査を依頼されて困ったんじゃないの?」


 チャチャルはその可愛らしさに似合わない、ちょっと意地悪そうな顔でにやりと笑った。


「ボクなりの理屈はあるよ。今のところ、結構な確率で当たってるんだ、これが。おっと、商売上の秘密だからね、詳しくは教えてあげないよ」


 小悪魔っぽいチャチャルは可愛い。お姉さんとしてはもっと揶揄いたいところなんだけどね、今はお兄さんだから。

 ま、獣人の卵の発生理論なんて、正直、雑談のネタとして以上の興味は持っていない。……持ってなくていいよね? この世界のことをもっと知ろうなんて努力、しなくて……いいよね?

 どっちにしろ喋って気を紛らわすならともかく、真剣にあれこれ考えられる体調ではない。ぶっちゃけて言えば、あとどれだけ乗り心地最悪の馬車を我慢しなければいけないのかってことにしか、あたしは興味がない。


「卵の在り処を知ってるなら、お前が集めてこいって話にはならないんだ?」

「ボクは情報屋だから、肉体労働はしない主義なんだ」


 役立たずを自認するあたしには、チャチャルのプロ意識は、ちょっとばかり刺さったわ。



 それからしばらくして――。

 馬車の走りが次第にゆっくりになり、やがてブグルジが中にいる全員に向かって降りるように声をかけた。

 どうにか吐き気が現実のものとして外に向かうことなく、堪えきることができた。でも立ち上がろうとすると、身体がまだ揺れを憶えているようで足下が覚束ない。

 ふらふらするあたしに、チャチャルがさり気なく忠告してくれる。


「オークの群がこの近くまで進出して来ているから気をつけてね」

「え……?」


 オークって、そんなファンタジーな……。そりゃブグルジ翁はゴブリンっぽい見た目だけどさ。オークって、それって……ジョーク? 韻を踏んだわけじゃないわよ?

 さっさと馬車を降りようとするブグルジの部下のお兄さんがチャチャルの言葉に、ふむふむ、と頷きながら、あたしに訊いてきた。


「おい、あんたのえもの(・・・)はなんだ?」

「え、獲物……?」

「武器は何を使うのってこと」


 ああ、武器のこと得物っていうんだっけ?

 上半身用の革鎧の下にベルトで吊った短剣に目をやる。ルドが見繕ってくれた剣、素人のあたしでも重さに負けずに扱える小振りなやつだ。もっともルドの店で買ったとき以来いちども抜いたことはない。ユミル青年たちに襲われたときだって、鞘ごと振り回しただけで、どうにか逃げまわって済ませたのだ。


「まともな使い手には……見えねえな。そんな短い剣じゃ魔物に襲われたら一発でお終いじゃねえか」


 呆れたような目つきであたしを見回したブグルジの部下は、小さく溜息をひとつ吐くと、荷台の端に積み重ねた箱の中に手を突っ込んだ。


「ほら、これを持っていけ」


 差し出されていたのは細長い、金属の棒というかパイプのような物だった。端のほうが円くカーブしている。傘の柄よりも、もう少し緩めなカーブだ。

 これでオークを殴れってつもりだろうか? でも長さ的には短剣と大差ないし、特に扱いやすそうにも見えないんだけど?


「そいつは魔道銃だ」

「魔道銃……?」


 いや、ただの棒にしか見えないんですけど? ってか、引金はどこ? どうやって撃つの?


「それなら念じるだけで撃てるからな」


 ひとこと、そう説明すると、部下のお兄さんは先に馬車から降りていった。


「魔道銃なら簡単だし、とりあえずは当たるから――」


 良かったね、チヒロさん、というチャチャルの明るい声に励まされ、あたしも馬車から降りた。

 馬車が通れる道の終点。その先は薄暗い雑木林だった。

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