毛皮と耳と尻尾と翼
南東の町は大いに賑わっていた。東境の村の寂れっぷりが人のいなくなったシャッター商店街レベルだとすれば、ここは首都圏近郊の私鉄沿線の準急停車駅くらいだろう。高層ビルの建ち並ぶ大都会ってほどじゃないけど、駅ビルやショッピングモール程度の小綺麗な店にそこそこの人込みの繁華町だ。もっともこの世界には石畳の舗装はあっても、コンクリート製のビルは存在しないみたいだから、見た目はもう少し古めかしい印象だ。
宿や管理局、組合の周辺は、日本でいうところのビジネス街っぽく、いかにも仕事中って感じに忙しそうにしている人が大勢行き交っている。
でも今いるあたりは商業区域で店が多い。道を行く人は目的を持ってまっしぐらに歩くばかりではなく、あちらこちらの店を覗いてぶらぶらと散策している感じだ。昼間っから町中を散策なんていいご身分だわ、と思ったけど、よく考えてみたらこの世界の休日とか曜日の制度をまったく把握していなかった。
歩いているのは予想通り男ばかり。《咎人》はすべて女だという話だったけれど、女はすべて《咎人》ってのも成り立つのかしら?
そんな疑問が頭に浮かんだのは、女の子の姿をちらほらと見かけるからだ。ただし通行人はひとりもいない。すべて店の前で熱心に客引きをする店員たちだ。
「いらっしゃいませ!」
「一時間、五十ゴル!」
「モフモフのフワフワよ」
女の子たちは、店の中の囲いから身を乗り出すようにして道行く人に声をかけている。客観的に見て、うん、美形揃いかな。それとすごく若い。看板娘だからかもしれないけど、いちばん年嵩でも十五歳くらいだろうか。
時間あたりいくらという台詞からして、彼女らは店員じゃなくて商品そのものみたいだ。要は飲食店や物を売る店じゃなくて、娼館が並んでいるということらしい。繁華街というより歓楽街、風俗街ってことだろう。
五十ゴルというのは脳内適当両替相場で換算すると五千円くらい。男女どちらでも風俗のお世話になった経験のないあたしには、高いのか安いのか、判断に苦しむ金額だ。美形ではあっても妙な片言娘が混じっていたりするんで、そのあたりで差がつけられているのかもしれない。
妙なといえば、客引きをする女の子たちには妙な共通点があった。みんな耳とか尻尾とかを着けているのだ。ただコスプレ衣装のセンスはイマイチ、バニーガールみたいな型にはまったある種洗練されたデザインの衣装は少なくて、大半の娘は毛皮のビキニというか古臭いセパレーツ水着みたいなのを着ているのが残念だ。中には天使や悪魔のような翼まで背負ったハイセンスな娘もいなくはないが、逆にほとんど全身毛皮製の娘なんてコスプレどころかほとんどゆるキャラだ。
「尻尾とか耳とか、そんなにいいのかねえ……」
屋台の串焼き屋に立ち寄り買い食いをしながらそう呟いたら、屋台のおっちゃんや他の客に笑われてしまった。
あたしだってさ、犬とか猫とか好きよ? 飼い主に忠実な犬は健気でいじらしくなっちゃうし、マイペース自由気ままな猫様のツンデレぶりもいいわぁって思っちゃう。
でもさあ……女の子に耳や尻尾を着けさせて、何が楽しいの? モフモフの手触りだって、本物だからいいんじゃん? もしかして……女の子が《咎人》だって意識しちゃうから、コスプレさせて「これは《咎人》じゃない」って思い込もうってこと?
「ここは獣人の町だからねえ」
そういうもんだよ、と屋台のおっちゃんはしたり顔で言った。
町を上げてコスプレ女子を売りにしているってことなんだろうか? そういう趣味を否定はしないけど、全部が全部そうってのはなんか違くない?
「獣人の町? ここって南東の町……じゃなかったっけ?」
「今じゃそれが正式名称になっちまったんだよな。味気ねえよなあ……」
「しかし『毛皮と耳と尻尾と翼に愛あれ』ってのも大概だろう?」
「何それ?」
「旧世界のご領主様の趣味でなあ――」
どうやら現在の社会体制になる以前から、この町はコスプレ美少女――獣人の宝庫として有名だったらしい。趣味で獣人を集めていた領主が、新しい体制になった際に娼館を始めて大成功したのだそうだ。
毛皮とナンタラカンタラという長ったらしいのは、その領主の命名による元の町の名前だそうだ。悪趣味というか馬鹿っぽいというか……馬鹿だよね。
でもお陰でというべきか、真っ昼間だっていうのに客引きに応じる通行人も結構な数いるみたい。もっともスケベそうな顔をしているのは半数ぐらい。残りは苦行に耐えてますってな顔をしながら店の中に入って行く。あたしの根拠レスな推測ではにやけているのは《討伐者》で、苦しそうなのは《復讐者》。ユミル青年の印象と復讐って言葉の持つイメージから想像しただけなんだけど。
それにしても、そんなに嫌なら止めればいいのにね……。
◇◆◇◆◇
ギルラン商会は歓楽街のいちばん奥まったところにあった。お屋敷街のいちばん手前と言い換えてもいいかもしれない。
お屋敷街というのが高級住宅街を意味するのか、偉い人が住んでいる場所なのかは正直よくわからない。でも外観からするとセレブが住んでる街で間違いないんじゃないのかな。白亜の豪邸っていうの? 昔の建物でも現代建築でもどっちでも通用しそうな外観なのでいつの時代に相当するのかは不明。町の人の話には旧世界の領主がどうのこうのっていうのも出てきてたし、中には偉い人――あるいは元偉かった人が住んでいるんだろう。
商会の建物自体は豪邸風じゃなかったけれど、それなりに立派な造りだった。店舗というよりは事務所って雰囲気。ここが事務所なら、あたしにもできる仕事、あるかなあ? あるといいなあ……。
中に入って受付みたいなところで紹介状を差し出すと、あっさりと奥へと通された。会社の会議室にしてはソファやテーブルが立派なんだけど、お屋敷の応接室にしてはちょっとシンプル過ぎて味気ないって感じ。
お屋敷のほうだったら、執事とか家令とかいう肩書の素敵なおじ様が応対してくれたのかしら? 惜しいことをしたわ、残念。
でも商会のほうを選んだお陰で、あんまり待たされずに済んだ。
「やあ、お待たせ――」
姿を現したのは年の頃は三十過ぎくらい? 顔の造作はイマイチなんだけど、金と暇を持て余しているって感じの余裕が全身から醸し出されている男だった。思いっきり採点を甘くすれば……雰囲気イケメンかも?
「あ、あの……お初にお目にかかります。岸根川千尋と申します」
「変わった名前だねえ、チーロさん、いやチヒロさんか。僕は当商会の主人のギルラン伯爵、どうぞお見知りおきを」
ギルラン伯爵は、ちゃんとあたしの名前を正しく発音しようと努力してくれた。貴族なのにフレンドリーっていうか、意外に腰が低い人だ。貴族としてというより、商人として相対してくれているのかもしれない。
ギルラン伯爵の両脇には、愛人らしき少女が二人、しなだれかかるように侍っていた。二人とも十代前半に見える。
右側の娘は黒髪に黒い瞳。ほっそり華奢なのに、ものすごくしなやかな躰つきをしている。黒い毛皮のタンキニと短パンで、へそ出し。髪に紛れてわかりにくいけど、小さな丸耳の獣耳カチューシャをしている。フェレットとか鼬とか貂とかをイメージしているんだろうか。そのくせ青光りする黒の蝶羽を背負っているのが、ちょっとばかりミスマッチ。
左の娘は逆に白が基調だ。蝶々娘と同じくしなやかな印象だけど、もう少し大柄でスタイルもメリハリが効いたゴージャス系だ。身体の線がくっきりタイトなロングドレスは、よく見れば白地に薄金色のヒョウ柄の地紋が浮き出ている。髪は淡い金色、目は濃い金茶色。何故だかこの娘も猫耳カチューシャに、白鳥風というか天使風のド派手な白翼を背負っている。
どっちもかなりの美形なのに、獣耳+翼のコスプレとは悪趣味というか、《咎人》の首輪も含めて、ちょっと痛い。まあ、少女と幼女の境目くらいみたいなんで、それなりに似合ってるんだけどね。
「この町は獣人の町って呼ばれているんだそうですね」
愛人の美少女たちを褒めるのを期待されているのはひしひしと感じたんだけど、お世辞とかお愛想とか苦手なのよね。別の話題を振って、適当に誤魔化した。
「僕としちゃ正しい名前か、せめてギルランの町って呼んで欲しいんだけどねえ」
おっと食いついてきた……ってか、ギルランの町? ここは俺の町って認識なの? どんだけすごい有力者なの?
「正式名称といいますと……?」
「『毛皮と耳と尻尾と翼こそ正義なり』ってのが僕がつけた名前。今じゃ誰も覚えちゃいないけどね」
あっ、町に妙な命名をしたのってギルラン伯爵なの? 獣人ラブの領主様って、ギルラン伯爵のことだったんだ? 町の名前はおっさんたちが言ってたのと微妙に違ってたけど、要するに「今じゃ誰も覚えちゃいないんだよ」ってことらしい。
ってことは……ギルラン伯爵は獣人コスプレの娼館の経営者ってこと? なるほど、二人のコスプレ娘は宣伝も兼ねてるってことね。
「旧世界のご領主様であらせられら……だったんですか?」
慣れない敬語に、噛みそうになるあたし。気さくな元領主様は、少々、失礼な言葉遣いでも軽くスルーしてくれた。でも中身のほうは、そう簡単にはスルーできなかったらしい。
「旧世界のことは、一応、禁句だからね」
旧世界から新体制への移行というのは、ずいぶんと大きな変革だったらしい。でも、いつ頃の話なのかとか、何が変わったのかとか、いろいろと脳内に浮かんだ疑問は、さり気なく加えられた「禁句」のひとことで封じられてしまった。禁句って、ギルラン伯爵にとってって意味なんだろうか? それともこの世界での禁忌って意味?
「南東の町って呼び方も、獣人の町ってのも、芸がないって点では似たようなもんですよね」
「ははは! その通りだね! で、チヒロさんのご用件は何だい?」
媚びるつもりはなかったんだけど、あたしの発言はギルラン伯に気に入られたらしかった。この機会を逃すわけにはいかないと、あたしは意気込み、現在、自分が置かれている状況を掻い摘んで説明した。
「――ということで、中央に行くための旅費を稼がなければならないんです。それまでの居場所や食い扶持も……」
「つまりは、職を探しているってことかな?」
「は、はい……」
本気で職探しをしているなら、ここは「何でもやります」と即答し、力を込めて自己アピールすべきポイントだ。でもあたしは曖昧に口を濁してしまった。だって組合が率先して紹介してくれるような危険だったり血腥かったりする仕事は、あたしには無理だからだ。
ギルラン伯爵は、あたしのそんな躊躇いを、ちゃんと察してくれていた。
「テルン殿には商会を始める際にもいろいろと支援してもらったし、獣人供給の面でも日頃から世話になっている。テルン殿が訳有りの人物を紹介してくるのは珍しくないからな。恩義に報いるのに吝かではない」
思わず安堵の溜息が出る。
男になったあたしには娼館で働くことはできないけれど――いや、女だったとしても性格と倫理観と外見とあらゆる面で無理な相談なんだけど――裏方とか事務方とか、多少は手伝える仕事もあるはずだ。
「信用はする。便宜もそれなりに図ろう。ただ商売や内向きのことを任せるのは、働きぶりを見せてもらってからだね」
さすがは大成功している娼館の経営者、能力不詳の人物に仕事を発注はしないらしい。虫のいい願いは簡単には叶わなかった。
それでもテルンさんとの信頼関係があるから、それなりに面倒を見てくれるというだけでも、ありがたく思わなくっちゃいけないんだろうな、ということは理解できた。
伯爵とあたしの長話に飽きたのか、黒い蝶々娘が「ふぅ、くふぁあ……」と盛大に欠伸をした。色白の顔にピンクの舌が覗いて、獣人趣味とか美少女趣味なら悶死しそうな光景だ。ギルラン伯爵も、蕩けて今にも崩れちゃいそうな笑顔。
「ん? おねむなのか、アゲハ? って……痛っ! こらっ、ユキヒョウ、お行儀が悪いぞ」
優しい言葉をかけてもらった蝶々娘に嫉妬したのか、白い猫娘がギルラン伯爵の腕に爪をぐさりと突き立てている。
あたしが男だったら、一緒になってデレるところなんだろうけど……。あるいは「リア充爆発しろ」って呪うところ? それとも「リア獣」かしら? どっちにしろ、女のあたしには愛人をひけらかす男に共感も羨望も抱くのは難しい。バレなければ冷たい視線を送りたいところだ。
ま、とにかく、愛人獣人娘たちのご機嫌が斜めになってきたってことで、会見は終了という運びになった。
あたしとしても町の有力者の庇護と、できれば職が得られれば、それで満足。おっさんと愛人のじゃれあいなんて見物していたくはない。
「ブルグ爺! ブルグ爺はいないか?!」
ギルラン伯爵が部屋の外に向かって大声を張り上げる。
どこか遠くのほうで「へーい」と気の抜けた返事が聞こえたと思ったら、間を置かずしてブルグ爺らしき人物が姿を現した。
「へい、ギルラン様、何か御用で?」
小柄でちょっと年配の男は、ぱっと見、立派な商会で働く人とは思えないほど見窄らしい身形をしていた。一歩間違えばホームレスって感じの、薄汚れた貧乏たらしい格好だ。おまけに見事な禿頭だわ。
「チヒロさん、彼はブルグ爺。僕の腹心で、事実上、うちの商会を仕切っているやり手だ」
「へえ……」
思わず「人は見かけによらずですね」なんて失礼なことを口走りそうになって、慌ててお口にチャックした。「お口にチャック」、子どもの頃、母さんによく叱られたなあ……。「チャックって何? 死語?」って訊いて、また叱られてね。
もちろん、愛想笑いを浮かべて、しっかり挨拶をすることは忘れない。
「元々、テルン殿の知遇を得られたのもブルグ爺のお陰でね。ブルグ爺、テルン殿の紹介でいらしたチヒロさんだ。お前に任せるから、よろしく頼む」
あ……何ができるか不明じゃ雇えないって感じだったのに、腹心の下につけてくれるんだ? やあ、いい人だな、ギルラン伯爵様。
「チヒロです。よろしくお願いします――」
「テルドリアス様のご紹介ならば、儂に異存はごぜえません、へえ」
ちょっと正体不明な感じだけど、きっと長年勤めて信頼されているできる男なんだろう。
そう思って、もういちど丁寧に頭を下げた。




