自動人形に恋して、、そりゃあ、、破滅だよ。わたしのオートマタ論。
ドイツロマン派のモチーフとしてしばしば登場するのが、
無機質のモノでしかない人形に対する、感情移入というか、愛慕?というテーマである。
これは一種の女神信仰というか?
アニマへの愛というか
偶像崇拝というか?
生の対極である無機質の物体でしかない「お人形」を恋するという
一歩間違えれば(イヤ完全に踏み外しているのだ)
破滅愛?でしかないですよね。
人形愛の先にあるのは、、破滅だけです。
自動人形オリンピアに恋して破滅していくというテーマの、ETAホフマンの『砂男』
破滅はしないが「未来のイヴ」の、女性ロボット、ハダリー。
古くはギリシャ神話のピグマリオン伝説である。
彫像に恋した挙句、ゼウスに願ってその彫像に命を吹き込んでもらい結婚したというお話、
アイヒェンドルフの『大理石像」では大理石のビーナス像が若者をたぶらかして破滅させようとするというお話だった、
メリメの「イールのビーナス」では、結婚指輪を、ふざけて、何気なく指輪を青銅のビーナス像の指にはめた若者は、
実際の婚礼の前日、そのビーナス像の下敷きになって、死んでいたというお話。
ルネ・デカルトはフランスの哲学者である。
彼は「隠れて生きよ」をモットーに一所不在のなぞの流浪の人生を送った人だったが、
その放浪流転の生活でも、彼はいつも一体の小さな人形をつれて旅していた。
人形の名前はフランシーヌ。
それに、
語りかけたり、衣服を脱ぎ着させたり、みの周りの世話を焼いていたという。
この「デカルト人形」のはなしは有名で、ホフマンも「廃屋」という短編小説の中で「デカルト人形」について言及しているほどだ。
実はデカルトには実際フランシーヌという私生児の娘がいたのだがこの子は5歳にもならないうちに死んでしまったのである。その娘と「デカルト人形」が混同されてこうした伝説が生まれたとも思われる。
ド・ラ・メトリーの人間機械論とは一線を隔してはいたがデカルトも、人間を一つの精密な機械とみなしていたのである。ただし、魂がないからオートマタは幾ら精巧でも、人間ではないとした。
ロシア(正確に言うとウクライナ)の作家、
ゴーゴリは生涯独身で女性関係はなかったといわれているがこんな噂、都市伝説、がついてまわっていたという。
彼は一体のゴム製の女性の人形を持っていたというのだ。
あるとき、友人が覗くとその人形を膨らまして親しげに会話したり撫でさすったりしていたという。
友人に気が付くと恥ずかしそうにあわてて空気を抜いて畳み、木箱に隠してしまったという。
ホフマンの童話、くるみ割り人形では、クリスマスのプレゼントにもらったくるみ割り人形が
実は王子だったというお話、マリーはくるみ割り人形の王子と幸福にお菓子の町で暮らす
「砂男」の悲惨な結末とは相反してここでは大団円をむかえることとなるのである。
人形に恋するという狂想はいったいどこから来るのだろうか?
孤独な女の子が、お人形さんをまるで生きているお友達のように扱い、自分の分身のように語りかけたり、
話しかけるというのはよく、ある話だ。
小児病棟に入院している孤独な10歳の少女はいつもベッドに布製の15センチくらいのお人形を置いてそれを手にもってにらめっこしたり、話しかけたりしていたっけ。
アウターリミッツの第2シーズン、リメイク版では、介護型女性ロボットが、やきもちを焼いて?
その男の恋人の女を殺してしまうという怖いお話があった。
「私じゃダメなの?」
その人型アンドロイドの女性は男に恨めしそうに言う、
『笑うセールスマン』では、彼女いない、、もてない独身男が、
フランス人形を恋人のように愛していた
、
ところがなんとそんな男に生身の恋人ができたのである、
ほったらかしにされたミシュリーヌ(人形の名前です)は
怒り、小さなおもちゃの短剣で男を殺してしまうのです。
あまり知られていないが伊藤蘭の歌で「アンティック・ドール」という
怖い?歌がある。
歌詞は著作権の関係で引用できかねるが、、、、、
その内容はアンティックドールがいろんな人のもとに売り渡されて行き
今度のご主人さまは優しく扱ってくれたとか人形の独白でつづられたコワーイ歌詞?ですよ。
伊藤蘭が出たついでに?
伊藤つかさの「少女人形」という歌も、どうでしょう?
これも歌詞は引用不可だが、、つまり内容は
私はまるでお人形さんよ、、、という歌で、これもある意味コワイですよね?
人形、、そもそもが古代には
ヒトガタと言って人のカタを作ってそれを呪術に使ったものがはじまりですね。
平安京の遺跡などからしばしば木で作ったそうした
ヒトガタが出土します。
そんな怖い?呪術人形からそれがやがてひいなあそびの
子供の愛玩物にと移行した。
でも本来の呪術的要素は保ったままですよね。
日本の人形の歴史は土偶に始まる、
土偶とはそもそもまじない的な呪物であり、
決して子供の遊び道具なんかではありえません。
人形とはきわめて呪術的な発祥を持ついものであることを知らなければなりませんね。
土偶は豊作を祈ったり、子宝を祈願したり、、祈祷の対象物です。
古墳時代になると、盛んに埴輪が作られました。
これも古墳の埋葬者への祈祷の意味があります。
決して単なるかざりで墳丘におかれたわけではありません。
平安時代になると、「ひとがた」という木製の板に墨で顔を描いただけの
簡素な人形?が現れましたが
これももちろん子供がこれで遊んだわけではありえません。
詳細は不明ですが、これは呪いのために呪文を掛けて、埋められたりした
やはり呪物のようですね。
さて以上みてきたように、人形の起源は極めて
呪術的な色合いが濃厚なものなのです。
決してお遊びではないのです。
唐三彩の人形も死者への慰霊のためですものね?
人形とは「ひとがた」であり、
そもそも、
人の代わりをするものです。
つまり人のシンボルというか、アバターですね。
クローンみたいなものでしょう。
ですからそれに思いや念が込められやすいのですね。
したがって人は人型を作って
祈り、あるいは呪い、
具現化しようとしたのですね。
さてでは人形が子供の遊びの対象物になったのはいつからか?
それは平安時代に宮中で
行われた「ひいな」の節会であると言われています。
もちろん庶民いなどは全く関係の無いことですが。
庶民にまで人形が広まったのは
江戸時代の中期以降です。
庶民といいましたが、それは富裕な庶民です。
長屋のくまさんはっつあんには何の関係もないことですね。
おひな様がこうした富裕な町衆によって飾られるようになったのです。
有職雛。次郎佐衛門雛、享保雛などが作られてきたわけです。
江戸時代宮中では
姫様が遊んだ?のが
「頭大」ズダイとも言われる
御所人形 です。
これらは姫様が降嫁される際は
ひな人形セットともに嫁入る道具として持っていかれました。
で、大名家などに伝来していることが多いわけですね。
また結婚しないで門跡になられれば
そのお寺に持っていかれて
京都の有名な門跡寺院には
こうした貴重な 御所人形がたくさん残されていますね。
さてでは日本で、人形が一般大衆にまで広まったのはいつからでしょうか?
それは戦後です。
高度成長で一般人もひな人形が買えるようになったのです。
そしてそのほかのお人形も買えるようになったわけですね。
さてここで人形に関する都市伝説をいくつか、
1、こけしは子消し?
昔、、東北地方では飢饉が絶えませんでした。そこで間引きで亡くなった子供をしのんで
江戸時代にこけしが作られた、だから。子消しという。。
うーん。でもこけしは、明治になってからのものですよ、
江戸時代にこけしはなかったでしょ?
まあ明治以降も飢饉は絶えませんでしたが、、、。
2.目のあるものは粗末にしてはいけない。
眼のあるもの、つまり人形のたぐいは、霊がこもりやすいから、
そりゃあそうですよね。そもそも人形とはとっても呪術的な
モノだったんですから。素末にしたらこわいですよね?
3、淡島神社をご存じですか?
ここは人形の供養で有名ですね。そこには無慮無数の人形が送られてきて供養されていますが。
そこの地下保管庫には、特に妖しい、いわくのある人形ばかりを納めてある
特別室があるのです、そこには髪の毛が伸び続ける人形。
血の涙を流す人形など
聞くのも怖い人形たちが安置されて供養されているのです。
4、人形のホラー映画。
人形は西洋でも、怖い。呪術的な存在ですから
人形ホラー(パペットホラー)もたくさんありますね。
チャッキー人形とか 映画、(チャイルドプレイ)
アナベル人形とか 映画、(死霊館)
結論、
人形は。安易に、集めたり、粗末に扱ってはいけない、
そうすると怖いことになりますよ。
あそび飽きた人形をぽいと捨ててはいけませんよ。
あそび飽きたら今まで遊んでくれてありがとうと言って
淡島神社、あるいはお近くの
人形供養寺、人形供養神社に奉納しましょうね。
さてそうして、、いま現代
今では、フィギアという、お人形が、ヲタク系男の愛玩対象となっているという
。
自動人形オリンピアはこうしていまだに後継者を得て、命脈を保っているのである。