第四話余談「言霊」(抜粋)
地獄の大晦日修行を超えて、正月。
夜行と犬は初詣に来ていた。
――――ふと。
犬が、足を止めた。
口元が緩んでいる。ほう、と息をつき、
「珍しいものが見られるかもしれん」
「何それ」
「おまえも言霊くらいは知っているだろう? あれだ」
言霊。
言葉に霊力が宿り、それが現実に影響する……みたいな、そんな感じの話だったと思う。
「危なくないのか?」
「はあ? なぜ?」
「ただの木霊があんな恐ろしいものだと知ったばかりだからね」
大晦日での出来事を忘れるには、あまりにも日が経っていない。
「危険などあるはずがない。大した力はない」
「そうなの?」
「もちろん修行した術師が用いれば話は別だが、ここのは凡俗の人によるものだぞ? なんの効力もない」
でも、見えるんだろ?
「まあな。あれだ、静電気のようなものだ。もしくは虹だな」
静電気?
「つまり願望の込められた言葉と言葉が干渉することで摩擦を生み、それらの霊力が弾けて散り……まあいい。見たほうが早い」
会話を打ち切ってしばらく鼻をひくひくさせていた犬だったが、やがて、
「夜行」
「何?」
「おまえ、なんか言ってみろ。なるべく大きなことがいい」
「なんだそれ」
「あと少しなんだが、押しが弱い。このままでは言霊が削れて消えてしまう」
「大きいことって言われてもなぁ……」
ぼくはミュージシャンになるぜ、とか?
「そういうことじゃない」
犬にぴしゃりと言われる。
「徳の高い言葉だ。格言だとか名言だとか、いろいろあるだろう」
「とく?」
「要は善性だな。善人っぽい言葉だ。得意だろう、そういう欺瞞っぽいの」
ぼくをなんだと思っているのだろう、この犬。
「急に言われても。気の利いた一言なんて」
「じゃあおまえ、初詣で何を願った? それを言えばいい」
「……」
ぼくが初詣で願ったのは、家内安全でも世界平和でもなく「日向子の巫女服が見たい」だった。
「…………」
い、言えねえ……。
「どうした。早く言え」
まずい。急かされてる。
ぼくは必死に頭を働かせたけれど、けっきょくうまい願い事は思いつかなかった。
ま、お決まりでいいか。こういう場合のお約束だ。
大喜利としては五流もいいところだけど。
ぼくは息を吸い込み、
「全ての人の、」
祈る。
「善い願いが、叶いますように」
塵、と宙に何かが弾けた。
直後、空が爆ぜた。
□
ひかり。
視界を埋め尽くす、ひかり。
「すっ……!」
すごい、と言うつもりが、後は言葉にならなかった。
神社の中で光り輝く、球状の炎。いわゆる人魂というやつか。それが虹色の輝きを放っている。
人々の声が聞こえる。言霊を構成する言葉が、他の言霊とぶつかり、弾ける度に響いてくる。
もはや聴覚が処理し切れずに言語として理解できないが、そのどれもが純粋な願いだ。
こういう場所の願いというのは、もっとどろどろと濁った欲望かと思ったが、そうでもないらしい。
「前に見たときは、ここまで純粋な輝きではなかったな」
犬の声が聞こえて、ここが現実なのだと実感する。
「そうなんだ」
「恐らく、おまえの言霊が影響しているのだろう」
「ふーん」
ぼくはうなずき、
「前は、いつ?」
「忘れた。昔だ」
犬は思い出そうとする様子さえ見せずに言ってのける。
「ただ、人里に降りることなど滅多にないからな、俺は。昔、山にあった神社を覗いたときにたまたま見かけた」
「元旦から、いいものが見られた」
「ああ」




