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第一話「黒犬」(抜粋)

第一話のワンシーンです。

 呼吸が白い。

 煙のような吐息は、夜の空気に流され溶ける。


 夜行は道路のど真ん中を歩いていた。

 車の通りがなく、この道路直線は今だけ夜行のものだ。


 辺りはシンと静まっている。


 音楽でも鳴らそうかとポケットに手を入れ、やめた。


 前方、白い塊が見える。なんだろう。あまり、いいものじゃないような予感がした。

 夜行は一息を置いて、直進した。


 犬だった。


 前足を気だるげに組んで顔を伏せている。

 耳を畳んでいる姿は、あらゆることに無関心な様子だった。

 しかし道路のど真ん中で眠る犬というのは、なかなかに無防備だ。野良だろうか。

 一見眠っているように見えるだけで、もしかしたら死んでいるのかも。


 片耳が動いた。


「おい、何をじろじろ見てやがる」


 低音が聞こえた。頭に響く感じの声だ。夜行は足を止めた。

 そんなバカな、と思って夜行は犬を注視する。


「そんなに珍しいか? ええ?」


 間違いないらしい。


「あんたが?」


「そーだよ。俺が話してる。一発でわかれよ間抜け面」


 えらく喧嘩腰だ。犬は緩慢に起き上がると後ろ足で耳を掻いた。あくびなんかしている。


「おまえ、見えるんだな」


「何が」


「俺を。人に見られたのは初めてだ。今んとこ」


 どういうことだろう。夜行は言葉を選んで、


「隠れるのがうまい?」


「違う。普通は見えないってこった」


 鼻を舐める。


「体は別でくたばってるよ。俺はその魂」


「意味がわからない」


「幽霊ってやつだ。この概念を一言で説明する単語は俺らの言語体系にはないが、おまえらの言葉を借りるならそういう、」


 無意味に言葉を置く。


「もの」


 これだけペラペラと声が聞こえるのに、犬の口はほとんど開いていない。

 犬が喋ることよりも、そのほうが気持ち悪かった。

 それでも夜行は会話を続ける。走って逃げたら追われそうだ。


「利口なんだな」


「そこらの人のガキよりは。なんで?」


「難しい言葉を知ってる」


 犬の口から概念とか言語体系なんて言葉が出てくるとは思わなかった。


「思考をそのままぶつけてるからだよ。言語にしたらそれなりの文になるってだけで、本当はもっと簡単な思考」


「なるほど」


 口が動かないのはそういう仕組みか。


「ところで頼みがある。黙って聞け」


 それがものを頼む態度か。


「なんだよ」


「俺の体を隠せ。埋めるでも茂みに置くでもいい。場所を変えてくれ」


 かなり嫌な頼みだった。


「死体を?」


「ああ。あそこじゃ落ち着かねえ」


「嫌だよ」


「何が?」


 文脈でわかれよ。


「死体運びなんて、嫌だ」


「恨むぞ。ああいや、ちょっと違うか。祟る? 呪う? まあそんな感じだ」


 全てにおいて勘弁してほしい。


「犬に噛まれたと思って、手伝えよ。どうせ暇なんだろう?」


「……」


 犬に暇人呼ばわりされるのはなかなかに心外だった。


 夜行は目をぎゅっとつむって天を仰ぐ。

 何が起こっているのか、よくわからない。目を開けたら犬がいなくなっていればいいな、と思いながら、妥協案を示した。


「……道具を使っていいなら」


「別に構わんぞ」 


 犬の返答はあっさりとしたものだった。


「どうせ道具なしに動かすことなどできん」


「は?」


「いい。気にするな。それで?」


「台車かなんか取ってこようと思う」


「そうか。なら取って来い。俺はここで待っている」


 ついてこないのかよ。


「逃げられるはずがないからな。もうおまえの臭いは覚えた。もし今夜おまえが現れなかったら、祟りに行く」


 面倒そうな口調で決意表明。ヤクザのような手口だった。

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