空に捧ぐ唄
探し求めている唄は、いったい何処にあるのだろうか?
私の声を得て、水を得た魚のように、風を得た鳥のように、なんの違和感もなく響いてゆく。
そんな曲は、いったい何処に…
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幼い頃の私は、精霊達に唄を捧げていた。
精霊達は踊り、私は歌い、それはそれは楽しかった。
唯一の悩みの種は、その場にもう一人でも人間が来ると、中断されてしまう事だ。
とめられるにせよ、とめられないにせよ、雰囲気のシャボン玉を壊されてしまうのだった。
原因は、“音が外れている”からだそうだ。
けれど、あの頃の私には意味が分からなかった。
そもそも、この場合の“音”とは何なのか?
私にとっては、辺りに広がる色で、それを生み出す振動である。
けれど実は、音程という音の高さの座標だったのだ。
その事に気が付いても、しばらくは頓着しなかった。
けれど次第に歌う自由が脅かされてゆく中で、私は音の高さの座標を聴き取る努力をはじめた。
次第に音の座標を把握し、音程なるものを解き明かしていった私は、もう音痴と言われることはない。
歌う自由を手にしたのだ。
また、何かを理解してゆくのは、純粋に好ましく楽しい。
けれど、そんな私の唄に、精霊達が踊ることはなかった。
代わりに心優しい人間の誰かに、聞いて貰えばいいのかも知れない。
けれども私は、精霊達に聞いて欲しかった。
…いいや、そうではない。
人間の誰かに、精霊達が見ているのと同じ色を見せたくて
そして精霊達には、旋律の美を聴かせたくて
その為には、たった一曲でいい。
メロディーを追いながら、色の振動を殺さない、むしろ相乗するような…
そんな唄との出会いが、必要なのだ。
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近頃、日常に追われている感が否めない。
それでも私は、思い出すように唄を探している。
すっかり大人になった何でもない私の唄など、もうどんな精霊だって人間だって、聞きたいとは思わないだろう。
それでも、たった一精でいい、一人でいい。
聴かせたい。
そうすれば私は、この命に満足して、いつか死んでゆくことが出来るだろう。
これは唯一無二の恋人を見つけ出すよりも難しく、一方で誰しもがそうなる可能性を秘めている。
そしてこればかりは、相手が恋人では意味が無いのだ。
不愉快で不可解で、律儀で礼儀正しい…そんな相手が理想的だろう。
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私は人並みに唄う自由と引換に、精霊達に捧げる唄を失った。
けれど変わらず、語り合っている。
精霊達が奏でる色も、人が紡ぐ旋律も、私の当たり前の毎日。
私は、私の世界を繋ぎたい。
一つになって欲しいとは言わない。
けれど、私以外の何処かで繋がっていて欲しい。
だから、その可能性を求めて唄を探す。
誰かが作った唄を探す。
残りの一生の全てでも見つからないかも知れない。
もしかしたら明日、見つかるのかも知れない。
もしくはその曲は、まだ作られていないのかも知れない。
求める唄が見つかるのまでは、空に唄い問いかけよう。
『私の声を得る唄は、この曲でしょうか?』