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第9話(少年) 温かい背中、冷たい風

 僕と女の子は道を進むことにした。この森から早く出たいということもあるし、この先に一体何が待ち構えているのかという期待感もあったからだ。それが僕にどのようなことをもたらすのか。あるいは僕の失われた記憶が待っているのかも知れない。そう思うと、先に進むための活力も湧いてくるというものだった。


 彼女は森を歩くあいだ、僕の隣をついてまわった。ぬいぐるみを胸に抱いて、何の不安もなさそうに堂々と歩いている。ほとんど表情を変えることがないので、何を考えているのかは話してみないとわかりづらかった。


 歩くなかで、僕たちはさまざまな話をした。そのほとんどは彼女に関することだった。僕には語るべき思い出がないので、会話の主導権は彼女が握り、僕はそれに寄り添う形になった。彼女が話し、僕が質問をする。こうして話していると、この女の子がだんだん少女のように思えなくなってきた。この年にしてはずいぶんとしっかりしていた。


 どうやら、彼女のその独特な話し方は生来のものらしかった。家族のことはあまり話してくれなかったが、どうも普通でないちょっとお金持ちの家庭に育ったらしい。彼女にはそう感じさせるものがあった。こうして歩いているだけでも、教養がにじみ出ているのだ。


 その年でこれほどの成熟を見せているのだ。彼女が成長したら、いったいどんな女性になるのだろうなと思った。そのたたずまいは、不備はあるにしても、もうほとんど完成されているようなものだから、その気品を保ったまま体だけが成長していくのかもしれない。あるいは、成長過程で新たな思想、考え方に感銘を受け、今とはまったく違う雰囲気を持った女性になるのかもしれない。どちらにしても、彼女が他人に強い影響を与え続けることは明確だった。


「そういえば、きみはここに来てどのくらいになるの?」と僕は訊ねた。

「もうかなり経っている」とクルミは言った。「途中で眠たくなったりもしたから、一日か、そのくらいは経ったのではないだろうか」

「お腹は減ってない? まだ大丈夫?」

「ああ。お腹は空いていないのだが……少し疲れている」


 見た目からはそんな様子は感じられなかったのだが、彼女はそう言った。やはり、話してみないとわからないものだ。


「次にまた休憩できるところに着いたら、そこでちょっと休もうか」

「お前は大丈夫か?」

「僕は平気だよ。これでもいちおう高校生だからね」と僕は声を張って言った。


 道なりにどんどん進んでいく。しかし、今度はすぐにあのベンチは現れなかった。先は暗闇に包まれ、何か好ましいものが出現するような気配はまるでない。一人でいたときよりも遅く歩いているということもあるのだろうが、それにしたって長い距離だった。地図などもなく、他に行き先がないので、僕たちはただこの道に沿って進むしかなかった。


 そのあと僕たちは、黙ってこのまま一時間ほど歩いたと思う。そろそろ見えるかとも期待していたのだが、いまだに小さな広場に辿り着くことができなかった。この先に広場があるのかどうかなんてわからないのだけれど、今までの流れからするとその展開が妥当であった。休憩を繰り返させ、僕たちを森の奥深くへといざなっていく。僕をここに連れてきた何者かはそう考えているはずだった。でも、ここはあまりに長かった。


 クルミは明らかに疲れてきていた。そういう雰囲気が彼女の動きからにじみ出ていた。さすがにこれ以上はかわいそうになってくる。そこで僕は、彼女をおぶることにした。女の子一人をおぶるくらい造作もないことだ。


 クルミにそのことを言うと、彼女はためらうことなく背中にまわってきた。言葉遣いは奇妙だが、とても正直な女の子だった。


 姿勢を低くして、少女を背中に乗せる。ぬいぐるみが少し邪魔だったのだが、彼女は手放そうとはせず、自分と僕の背中のあいだにはさみこんでいた。今ごろ、クマはぺしゃんこになっているだろう。彼女がそのぬいぐるみを大切にしているのかそうでないのか、僕にはいまいちわからなくなってきた。


 幸いというべきか、彼女は思っていたよりも軽い。これなら全然問題なかった。ときどき彼女に声をかけつつ、先を急ぐ。


 背中はとても温かかった。彼女のぬくもりが心地良かった。彼女の、というより、ぬいぐるみの、と言うべきなのかもしれないけれど。でも、どちらにしてもその温かさは、彼女がすっかり安心しきっている何よりの証拠に感じられた。背負われたまま眠ってしまうかもしれない。話しかけてはいるが、彼女の返事はだいたいそっけないものだった。


 少女の感じていた孤独感を想像するのは、それほど難しくはなかった。まったく知らない人たちに、周囲を取り囲まれているようなものだ。謎の男たちが、輪を作って包囲してくる。しかも彼らの表情は硬く、そこからは何も読み取れない。何を考えているのかがわからない。彼らは自分たちの体をくっつけて、外に出られないよう妨害する。その包囲を突破しようとあがいても、まるで手ごたえがない。彼らは顔のない顔で静かにこちらを見つめている。そんなイメージだ。


 少女がこのことを引きずらないかどうかが心配だった。できることなら彼女には幸せに育ってもらいたい。こんなところにつれてこられるのではなくて、もっと良い経験を積んで、素敵な女性になってもらいたかった。何だか自分が親にでもなった気分だった。歳は十歳ほどしか離れていないのに、どうしてだか彼女に対しては保護者目線になってしまうのだ。これは僕に限ったことではないのかもしれないけど。


 こうして歩き疲れた女の子をおぶっていると、僕の頭には幸福そうに夕方の空の下を歩く一組の家族が思い浮かんだ。いったいどこからその光景が出てくるのか、それはわからない。ただ、そういう光景がぱっと浮かんできて、しかもそれは僕の知る光景なのだ。記憶がだんだん戻りだしているのかもしれなかった。


 彼らはみんな笑っていた。どこかのアミューズメントパークに行った帰りのようだ。父親と、母親と、男の子と、女の子がいた。四人家族だ。彼らは帰りの駐車場を、夕日に照らされながら歩く。男の子はまだ遊び足りないといった様子で近くを走り回っている。それを両親が、仕方がないなあ、といった表情で見つめている。彼らの目には、もう男の子が将来立派になっている姿が映し出されているのだ。そして、父親の背中で疲れて眠ってしまった娘を大事そうに見る。女の子は兄とめいっぱい遊んで、満足そうにすやすやと寝息を立てている。父親と母親が、微笑みを浮かべながら互いを見る。そういう光景が頭に浮かんだ。


 僕だって、もとは子供だったのだ。記憶はなくとも、そのときのことは体が覚えている。温かい家族を想像して、僕は少しさみしさを感じた。


 それからずっと歩いていったが、道は続いていた。そのあいだにクルミはすっかり寝てしまっていた。彼女の寝息がはっきりと聞こえる。彼女を起こさないよう適宜背負いなおしながら、果てのない道をゆっくりと進んでいった。


 さすがに僕も疲れてきた。足の関節が痛みはじめる。体も少し重たく感じる。道は平坦だが、何だか坂道でも上っているみたいな苦痛があった。歩く速度はさらに落ちる。歩くことが億劫に感じられる。何だか気持ちもくじけそうになっていた。


 休む場所を探すが、こんな道の真ん中では十分に休むことができない。適当に腰を下ろす場所もない。そこで僕は、森に入ってみようと思った。道の両側に広がる無限の森だ。中に入ればきっと休むのに良い場所が見つかる。そう思い、道を外れて進んでみた。


 森へと入る。自分が何か、間違った行為でもしているんじゃないかとびくびくしながら進んでいく。だが入った瞬間、冷え冷えとした感触があった。森には冷気が漂っているのだ。凍えそうなほどでもないが、長袖がないと厳しい冷たさだ。ワイシャツは長袖だったが、生地が薄いので、体は想像以上に冷え込んだ。少女の方も、それほど温かい服装には見えない。僕は迷ったあげく、森から出ることにした。こんなところでは休むこともできなさそうだった。


 僕は少女を下ろした。草木の多く茂った、なるべく森に近接した場所にとりあえず横にする。ここから進むのは無理のようだった。そうするには僕はあまりに疲れていた。この森には、体力を奪うような特別な力が漂っているのだろうか? まだ歩けると思っていたのだが、いったん止まってしまうと急激に疲れを感じた。気持ちよさそうに眠っている少女の隣に腰を下ろし、木にもたれる。疲れと共に、眠気もひどいものだった。足腰をマッサージしながらも、いつの間にか目を閉じていることが多々あった。


 彼女をここに寝させておくのはかわいそうだったが、ゴールが見えない以上、これより先にはとても行けそうにない。少しだけ休憩してからまた進むことにした。


 そうして、僕は知らないうちに眠りの世界に没入していた。




 目が覚めたとき、僕は見知らぬ場所にいた。


 先ほどと同じ、森の中だ。目を開けると、まず樹木の緑が視界に飛び込む。だが、ここが果たして僕の進んできた森と同じところなのか、いまいち判断ができなかった。


 僕は確か、道端で眠っていたはずだ。森は寒いからという理由で森には入らず、ひらけた道の端っこで、木にもたれていつのまにか眠ってしまったはず。


 だが、僕の今いる場所は、間違いなくうっそうとした森の中だった。道端などではない。まわりはたくさんの木々に覆われている。そして、地下室から森に飛ばされたときのように、僕は地面に寝そべっていた。木にもたれて休んでいたはずなのに、だ。明らかに何かが狂っていた。


 傍らの少女も消えていた。見回してみるが、彼女らしき人影は見つからない。どうやら、僕だけが元いた場所からここに転送されてきたようだった。今ごろは少女は道端で一人、ぐっすりと眠っているに違いない。そのことを思うと僕はやりきれない気持ちになった。


 あのときに眠ってしまったのは失敗だったということだろうか。それとも、あのまま歩いていてもいずれは起こったことなのだろうか。いや、今はそんなことはどちらでもよかった。少女のところに早く戻らなければならない。しかし、どちらに進めば道に出られるのかがまったくわからなかった。目印のようなものも、案内板も、こちらの方角に進めばいいという直観も、なかった。わけのわからない展開に、僕の頭は壊れそうだった。いったいどれほどもてあそべば気がすむのか。そろそろいい加減にしてほしいものだった。


 とにかく行ってみよう。あてもないが、進めばきっと何かが待っている。そう思い、そういえば、休憩をしたおかげで身体の調子はいいな、ということに気づき、ペースを速めてどんどん森の中を突き進んでいった。

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