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第8話(ユウキ) 夜道を行く(3)

 うんざりするほど長い夜だった。いまだに夜の明ける気配がない。月は確かに、前よりもずっと西に傾いている。もう沈みそうなくらい、月はその丸い全体を下にうずめている。しかし、そこからは少しも動かないのだ。あとちょっと下に移動すれば、夜が終わり、空はクリーム色になり、そのあとで太陽が現れる。その段階に入る手前で、時間は進行することをやめてしまったようだった。


 僕は携帯でもなんでも、現在の時刻を確認できるものを持ってこなかったことを後悔した。今が何時なのか、朝がいつやってくるのか、それがとても気がかりだった。ありえない話ではあるが、もし時間が止まっており、ずっと夜が明けないのであれば、僕は永久にこの視線に追い回されることになるだろう。そうして二度と朝日を拝むことができないのだ。ついに力尽き、尾行する者に捕らわれて。


 僕はおしりに火をつけられた憐れな犬のように歩きつづけた。途中からはほとんど走って移動していた。しかしどうしても後ろの視線を振り切ることができない。手の打ちようがなかった。このままでは埒が明かないことは明白だった。何か方法があるはずなのだ。この世に弱点のないものなど存在しない。必ず僕が有利になるような手段があるはずなのだ。僕は走りながら考えた。そして、ある一つの案を思いついた。


 光の多いところへの移動。そうすればあるいはその視線は消えてくれるかもしれない。彼はおそらく闇の住人で、光の当たる場所ではその力を十分に発揮できないはずだ。だが、この近くに光なんてどこにある? ここは僕の知らない地域だ。どこどこに行けばなになにがあるとか、そんなものは知りっこないのだ。道には街灯すら灯っておらず、完全な暗闇を維持している。そんな世界で明かりを見つけることは不可能に思えた。


 何か武器でも探した方が良いのだろうか? 今の僕はまったくの丸腰だ。まさか鉄パイプでもしょって散歩に出かけるわけにもいかなかったから、僕は使えそうな武器を一つも持ち合わせていなかった。考えてみれば、家からポケットナイフくらいは持ってきた方が良かったのかもしれない。こんな夜中だ、いつ誰に襲われるかもわからないのだ。襲われるかどうかはともかくとして、持っておいても損はなかっただろう。だが今さら後悔しても何も始まらない。現状の打破が何より大事だ。何か使えそうな武器でも転がっていないだろうか。スピードを落として、歩きながら周囲を観察する。僕が想定していた武器は、硬くて長い棒状のものだった。別にそういったものでなくてもよかったのだが、リーチの長い武器さえ見つかれば、いきなり襲いかかってこられたとしても何とかなりそうだ、という考えがあった。振り回すだけで有効な、伝統的で暴力的な対人武器。そんなものがこの平和な田舎町に転がっているかどうかは疑問だったが、とにかく足元を探り続けた。このまま何も持たずに追いかけ回されるのは、生きた心地がしない。このままでは狂ってしまいそうだった。


 だが、明かりのない状況で満足のいく武器を見つけることは、古代遺跡の隠された通路を発見するよりも困難なことに思えた。運の悪いことに、いまだに一つも有効そうなものを見つけられていない。木の枝くらいではあまりに心もとなさすぎる。もっと長くて強そうなものがほしい。後ろからは変わらず、こちらを貫いてしまいそうな鋭さで誰かがこちらを見ていた。何だかそいつが、慌てふためく僕を悠々とあざ笑っているように感じた。


 僕は我慢できなくなり、武器を探すのをあきらめて全力で走った。こんな状態でペース配分などを考える余裕はなかった。とにかくその視線から逃れたかったのだ。脚は自分のものではないみたいに感じられた。感覚が麻痺しているのだ。足を動かしているということを、ともすれば忘れてしまいそうだった。地面を踏む感触が感じられない。だがそれはかえって幸運だったのかもしれない。僕は自分でも信じられないくらいの長距離を一気に駆けぬけていった。


 とはいえ、無限に走れるはずもなく、途中からは歩きに移行する。心臓は今にも破裂しそうなくらい鼓動を打っている。体全体に重りをつけられたようだ。緊張感と疲労で僕の体は悲鳴を上げていた。その場に座って休みたかった。しかしそうするわけにはいかない。止まればきっと終わりだ。意地でも歩きつづけなければならない。


 ふと、立ち並ぶ民家を見る。明かりはついていないが、中に人がいないということはないだろう。ふと彼らに助けを求めてみようと思った。適当に家を選んで、玄関の前で「助けて!」と叫ぶのだ。友好的な人であれば、何事かと思って家を開けてくれるかもしれない。中に入れてくれるかどうかまではわからないけれど、今はそうするほかはないように思えた。何でもいいから誰かと話をしたかった。


 僕は走るのをやめてある家の前に立つ。そこはごく普通の一般的な家族の家に見えた。二階建てで、もちろん明かりはついていない。屋根の色などは暗くてよくわからなかった。僕は家の前の小さな段差を上り、とりあえずチャイムを押してみた。助けを叫ぼうとしたのだが、寸前で気が引けてしまった。うまく口が動かせなかったらどうしようとか、そういうことを考えていたのかもしれない。いずれにせよ、近所の迷惑も考えて、まずはチャイムを鳴らすことが的確な行動のように思えた。叫ぶのは最終手段だ。不気味な状況とはおよそつりあわない平和な音が、虚空の中にいやにこっけいに(そしてひっそりと)響き渡る。それはとても場違いな音だった。静かな電車の中であまり人にはすすめられないような曲が着信音として鳴り響いてしまったような気まずさがあった。


 反応はなかった。


 僕はもう一度チャイムを押した。これで出てこなければ、この家はあきらめよう。いくつか家を回ってみて、それでも駄目なら叫ぶことにしよう。そう思い、何かしらの反応があることを期待しながら待つ。


 だが、聞こえるのはチャイム音のかすかな残響だけだった。辺りが静かだから、その音はとんでもなく長くこだましていた。


 僕は次の家に移動する。その向かい側にある家だ。それは鏡でも見ているように、さきほどと同じ家に見えた。特徴をうまくつかめないのだ。


 その家でも二回チャイムを鳴らしてみたが、応答はなかった。その場に立ってじっと玄関を睨んでいたが、そこが開いて人が現れることはなかった。残念だったが、僕はそのことをとくに不思議なことだとは思わなかった。出てこないのはむしろ当然のことなのだ。こんな夜中に知人が訪ねてくるわけがない。訪ねてくるのはだいたいが信用ならない人たちだ。彼らのために玄関を開けたところで、良いことなんて一つも待っていない。彼らに際してはそのままじっとしてやり過ごすことが一番なのだ。僕はまだ高校生だし、怪しい者でもないのだが、そのことをわかってもらうには話をしなければならず、でも話をするには互いの顔が見える状況を作らなければならないから、結局僕は彼らの誤解を解くことはできないのだ。とても親切な人が現れるのを待つしかない。そこの家はがもう駄目だとわかると、僕はすぐに次の家へと向かった。すぐ隣の家だ。三軒目のその家も、見た目はシンプルで特筆すべきものは何ひとつない平凡な家だった。再びチャイムを鳴らす。平和な音が鳴る。待つ。


 だが、やはり反応はなかった。僕は次の家へと向かう。


 そのようにして何軒かまわってみたのだが、そのどれもが無反応だった。もしかすると、動けているのは僕だけで、他の人たちは時間を止められて動けなくなっているのではないか? ふとそのように思った。あまりに突飛な考えではあるが、僕はその可能性を捨てきることができなかった。もしそうであれば、こんなことは何の意味もなさないことになる。だが僕は、それでもチャイムを鳴らし続けた。あるいは一軒くらい、時間が止められておらず、こちらの呼びかけに反応してくれる家があるだろう、という淡い期待を持って。


 六軒目の家が駄目だったとわかると、僕はその家の前に座りこんだ。これ以上はもう無理だろう。本当に、この世界には僕だけしかいないのだ。これだけまわってみても、一つも反応がなかったのだ、たとえ現実離れしていても、そう思ってしまう。そして、何だか得体の知れない誰かに追い回されている。どうしてこんなことになってしまったのだ? 思えば、あの黒猫の訪問からすべてが狂ったような気がする。こうなった原因のなかに、間違いなくあの猫が入っているはずだ。僕は黒猫を強く憎んだ。次に会ったときは彼に何かをしてしまうかもしれない。だがそれは惨めなものだ。猫に八つ当たりをするなんて。僕はここからなんとしてでも脱出しなくてはならない。文句を言うのはそのあとだ。だが、これ以上何をしたらいいのか全く思いつけなかった。視線は相変わらずどこかから感じている。家の前の塀の陰からこちらを覗いているのかもしれないし、カラスみたいに電線からこちらを見下ろしているのかもしれない。あるいは僕を追い回しているものは複数いるのかもしれない。可能性は無限にあった。そのどれもが、言葉にすると現実味を欠いていた。しかしそれが夢だとはもう思えない。この感覚は間違いなくリアルのものだ。これは夢だなどと考えるには、もういろいろなことを体験しすぎていた。もう逃避は許されなかった。どうにかして、この現実に向き合わなければならない。


 僕は立ち上がり、勢いのままに「助けてー!」と叫んだ。思っていたよりも声が出てびっくりしたが、一発目が出てしまえばこちらのものだ。その調子を保って、「助けてください!」「誰か、いませんかー!」などと叫び続けた。大声を出すと、体内にたまっていた不純物が発散されていくような気がして、何となく心地良かった。恐怖も少しい和らいだ。


 声が枯れそうなくらい叫んだあとで、僕は静かに息を尽く。これで、誰かがいれば必ず外を見るはずだ。


 と、少し離れた家の方で明かりがついた。その家はまだ訪ねていない家だった。ほとんど自動的にそちらへ向かう。嬉しいのだろうが、僕はうまく自分の抱く感情を見出すことができなかった。ほとんど期待をしていなかったから、意外だった、という思いが多くを占めていたのだと思う。その久しぶりの明かりは、僕の目にレーザーでも照射されたように届いた。目が少し痛かった。痛くて涙がこぼれそうだった。


 玄関の前に着くと同時に、扉が開いた。中からは体格のいい中年の男性が姿を見せた。見るからに人の良さそうな風貌のその男性は、二度と出会わないと思っていた昔の恋人にばったり会ったときのような表情を浮かべている。髪は短くカットされていて、髪質が柔らかいのかペタリと寝てしまっている。癖のある髪らしく、黒く縮れた状態で頭にのりづけされたみたいになっていた。ストライプの趣味の良いパジャマを着て、ついさっき目覚めたという様子で目を眠たそうにこすっていた。


 出会う場がもう少しちゃんとしたところであれば、僕は彼に自然な好感を抱いていたのかもしれない。彼は外見からしたら、とても親切そうに見えた。細かいことは気にせず、部下の面倒見も良さそうだ。彼の大きな腹は、来る人全員を優しく受け止めてくれるみたいにたんまりと膨らんでいた。それを見て僕は、まるで自室で音楽を聴いているときのような安心感に包まれた。彼のことを悪人と呼ぶ人はいないだろうと確信した。


 目を細めながらもこちらから目を離さない彼に対して、僕は「助けてください」とだけ言った。その言葉の他には何もなかった。口が自然にそのように動き、必要な言葉をほとんど自動的に捻出した。この時の僕の表情はどのようなものだったのか。おそらく、とてもださい顔をしていたと思う。あらためて冷静になってみると、声も少し平板で、相手を馬鹿にしたような言い方だったような気もする。全然助けなどいらないような態度だ。


 これを聞いた男性は、動かずにじっとこちらを見続けていた。ことの真意を読み取ろうとしているようだった。だが僕には、自分の置かれた立場を彼に説明する手立てはなかった。結局、どうにかして信じてもらうしかないのだ。僕は姿の見えない誰かに追われていて、時間は進まず、窮地に立たされている。だから、助けを求めているのだ、と。僕は黙って彼の出方をうかがった。駄目であれば仕方がない。他をあたるしかない。あるいはまた、追う追われるの闘いを始めるしかない。


「とにかく、中に入りなさい」


 長い沈黙のあと、彼はようやく口を開いた。僕のことを信じてくれたみたいだった。まあ、僕は見るからに弱そうなので、この家に押し入ろうとする強盗には見えないはずだ。だからといって、こんな夜中に外をうろつく高校生が危険ではないということにはならないのだが。


 彼の言葉と、そのにこやかな表情を見た瞬間、力がふっと抜けてしまい、僕はその場で気を失った。


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