表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/25

第3話(ユウキ) 影の差した日(2)

 それでも親しくしている人は何人かいた。彼らとは朝に挨拶をするし、小休憩や昼休憩に少し話したりもする。だが、彼らと僕とのあいだには、明確な一本の線が引かれていた。きちんと住む世界の区分けがされていた。話をしているときは気がつかないのだが、話し終わってふと思い返すとそのように感じてしまうのだ。彼らと別れたあとに、小さなわだかまりのようなものが胸のうちにちょこんと現れる。歯車がうまくかみ合わないようなもどかしさだ。心のすれ違いと言ってもいい。彼らと本当に会話をしたのかどうかがわからなくなる。話した内容がいまいち要領を得ていない。長く話しこんでいたと思っていたら、それはとても短い会話だったということがかなりの頻度で起こる。彼らは全員、僕との会話が終わると別のグループのところに行き、そこでの会話に参加する。そこでは彼らの表情は一様に楽しそうだ。とても幸福そうな顔をしている。僕と話している時の彼らは、未来の不幸を預言者によって占われてしまったような複雑な顔をしているのに。考えすぎなのはわかっている。しかし、その表情は、明らかにそういうことを表していた。彼らと話をするたびに、僕はなおさら彼らと離れていくような悲しい気持ちになった。


 最近では、昼食はずっと一人で食べている。友人と机を囲むこともない。昼休憩に入ると、僕はすぐさまコンビニエンス・ストアで買った弁当を出して、黙々と食べ始める。みなが机を移動して騒いでいるなか、僕はただ食べ物を口に入れる動作を淡々とこなしていた。もちろん、僕だけでなく他にも数人、同じように一人で昼食をとる者もいる。彼らのいかにもさびしそうな表情を見て、自分もああいう顔をしているのかな、と思うこともある。それでも、友人と一緒に昼を過ごすことはしなかった。同じ境遇の人と仲良くなることもなかった。


 ほとんど唯一、これまで仲良くしてきている友人がいる。それは一人の女の子だ。名前は、ヒカル、という。ショートカットの髪が似合う元気な少女だ。彼女は同じクラスに属している。いつも笑顔で、誰にでも気さくに話しかけることができる。冗談もうまい。彼女にとって、他人と仲良くすることはごく普通のことなので、厳密に言えば僕たちは友人とは呼べない仲なのかもしれない。友人だと思っているのは僕の方だけなのかもしれない。だが、そうだったとしてもべつにかまわなかった。彼女は誰にでも親しく話ができる。僕はそれに救いを感じていた。彼女とは何の気兼ねもなく話すことができた。


 そうはいっても、いつも一緒にいて話すほどのものでもなく、他の人よりは多く話すというだけのことで、一般的に言えば僕たちのあいだに交わされる会話は少ないものだと思う。ときどき話をする程度だ。一日に一回あるかないか。一週間で二桁いくかいかないか。それは僕にしては多い数なのだが、普通に考えてみればそれは少ないのだろう。


 僕たちは同じ中学校を卒業していた。その頃からすでにお互いを知っていた。いつから仲良くなったのか、それはよく覚えていない。気がついたときには僕たちはよく話をするようになっていた。当時からいろいろと苦労の多かった僕に、彼女は優しく接してくれた。それでいつのまにか心を許す仲になっていた。


 放課後になった。時間はそのときは長く感じるのだが、終わってみると案外短いものだったとよく思う。今日も気がついたらもう下校時間になっていた。


 部活にも所属していないので、さっさと帰り支度をする。教科書をバッグに入れ、いざ教室を出ようと出入り口に歩きはじめた、そのとき、誰かに呼び止められた。


 そちらを見ると、呼んだのはヒカルだった。彼女は僕の後ろに立っていた。振り向いて、彼女の顔を見る。彼女は微笑みを浮かべていた。何か愉快なことを考えているような顔だった。


「何か用?」と僕はやや気後きおくれして言った。


 すると彼女は目をつぶってさらに笑顔になった。しかし何も言わない。ただ黙って、体を左右に揺らしている。たまに目を開けて、じいっと顔を覗き込んでくる。その行為が何を意味しているのか、僕は答えが出せない。


 彼女はバスケットボール部に所属している。放課後になるとすぐに部室に行くことがほとんどだ。それなのにどうして教室に残って僕の顔を見つめているのだろうか。特別な意図があることは間違いない。その目は何かを企んでいる目だ。だが、いつまでたってもそれが判明することはなかった。顔に変なものでもついていたのだろうか? それにしたって不可思議だった。


「何か、心がうきうきするほどのものが僕の顔にでもついているのかな」と僕は自分を指差して言った。すると彼女は「ふっふっふ」と嫌な笑い声をたてて、「別に何でもないよ!」と言ってそのまま教室を出てしまった。


 何が起きたのか、しばらくわからなかった。彼女が出ていった扉をじっと見つめていた。何人かの生徒が神妙な顔つきで僕を眺めている。彼らにも今の状況がよく理解できていないらしかった。僕だって、そうだ。しばらくその場に立ち尽くしていたが、放課後の教室掃除の人の邪魔になるので、そそくさと教室をあとにした。




 奇妙な感覚で帰り道を歩く。校門を出て、にぎやかな通りを抜けていく。様々な音楽が飛び交い、多くの人とすれ違う。それらは全部無視して、何も考えずに歩いていった。


 やがて音は小さくなり、大きな橋とこれまた大きな川のところに出る。その橋は、騒がしくてたくさんの店が並ぶ都会町と、静かで民家が多く並ぶ田舎町とを結んでいた。川はその境界線の役目を果たしている。頑丈そうな赤い橋を渡ると、そこはもう別世界だ。音楽や人の声の代わりにセミの鳴き声が聞こえてくる。木を揺らす風の音も耳に届いた。


 どうして対照的な二つの町が隣接しているのかはわからない。ただそうなっているとしか言いようがない。歴史を調べればその理由がわかるのだろうが、僕はとくにその成り立ちについては興味がなかったので、ずっと知らないままだった。


 学校から家までは歩いて三十分ほどの距離だ。そのちょうど半分を都会で、もう半分を田舎で歩く。登校するときはげんなりするのだが、下校するときは周りが静かになるのを楽しむことができた。僕はもともとにぎやかな場所があまり得意でなかった。


 細い路地を右に左に曲がりながら進んでいく。本当に民家しかないところだ。ここに住むほとんどの人が、平穏に毎日を暮らすことを望んでいる。誰か一人がうるさくすることはない。他の人に迷惑がかかってしまうことがわかるからだ。誰もが生き物や、風や、その他自然に発生する奥深い音を求めている。そのことを全員が意識しているからこそこの環境が成立していた。


 田舎道は独特の趣がある。だから、いくら歩いても飽きることがない。それに、ここの地域はかなり広いから、まだ行ったことのないところもたくさんあった。いつか行ってみたいとは思っているが、なかなか行く気になれないでいる。もしかすると、未知の場所がまだあるのだという事実に僕は浸っていたいのかもしれない。すべてがわかってしまうことをあえて避けているのかもしれない。全部を明らかにするのは、その後の楽しみがなくなってしまうことだと思っている。だから休みの日などを利用して遠くの方まで行ってみようという気になれないのかもしれなかった。


 ヒカルはこの地域には住んでいなかった。都会方面のマンションに住んでいる。学校まで歩いて十分もかからないところだ。彼女がこちらに住んでいたらどんなに良かったかと思う。もしそうだとしたら、僕たちはもっと親密な仲になれていたのかもしれない。でも、事実は違っている。僕と彼女は別の地域に属している。そのことを思うたびに、彼女の後ろ姿を想像してしまった。ヒカルはこちらを振り向いてはくれない。いくら呼びかけても、一向に返事をしない。彼女はだんだん遠ざかっていく。僕はそれをただ見ているだけだ。そういったイメージが浮かんでくる。


 家に着くと、僕はまず冷蔵庫を開けて、中からプリンを取り出した。その中身を皿に乗せて、プラスチックのスプーンですくって食べながら、適当にテレビのチャンネルをまわし、その画面をぼんやりと眺めた。お菓子を食べながらテレビを見るという一連の動作は癖になっていた。テレビを見るのはもしかすると都会の影響を受けているのかもしれなかった。


 この時間は特に面白い番組はやっていない。ドラマの再放送で話題になっているものはいくつかやっていたが、僕はそのドラマの熱心なファンというわけでもなかったので、別のチャンネルにまわした。いろいろに切り替えていると、バラエティーで楽しそうな番組がやっていた。どこかの国で人間と猛牛が対決をする番組だった。詳細を確認すると、牛の背中にはシールが張られており、暴れる牛からそれをはがすことができれば人間の勝利、というものだった。


 人間の方は、明らかにその競技には不向きな普通の人間だった。たしか、今人気の芸人だったような気がする。三十歳前半くらいの、いかにも面白いことを言いそうな顔つきの男性だった。彼は無理だ、無理だと言いながらも赤いマントを持たされて牛と対峙する。危険を考慮してか、その牛は通常より一回り小さいサイズのものだった。仔牛だろうか? だがたとえ仔牛であっても、あの突撃力で攻撃されたらただでは済まされないだろう。仕事とはいえ、よくこんなものをやるものだな、と素直に感心してしまった。


 最初のうちはうまくいっていた。勢いよく突進してくる牛に対して、彼は余裕の表情でかわしていく。そのたびに何かを言う。するとモニタリングする人がどっと笑う。かわす。何かを言う。笑う。しばらくはその繰り返しだった。


 一向に牛は疲れなかった。そして、次第に優勢は逆転していく。男性の方は息が上がってきてしまった。相手を翻弄するつもりが、体力の少なさという致命的な問題のせいで台無しになってしまったようだ。動きが鈍くなっている。


 普通の人間にしてはかなりもった方だった。それも面白いことをしゃべりながらの挑戦だ。僕は彼に自然な好意を抱いていた。もし他の番組で彼の姿を見かけたら、しばらくはチャンネルをまわさないでいるかもしれない。


 足がふらついて、うまく牛を避けることができなくなってくる。それまで愉快なリズムのBGMが流れていたのに、その音楽は鳴り止み不穏な雰囲気を漂わせている。モニタリングする人たちは少々心配そうだ。だがずっと笑っている人もなかにはいた。


 そして、ついにその男性はダウンしてしまった。最初と全然スピードの変わらない牛の突進をかわすことができず、思いきり体にぶつかられる。男性はその反動で地面に倒れ、痛そうに顔を歪める。そこに仔牛がぶつかってくる。まるで子供に蹴られるサッカーボールのように彼はもてあそばれていた。しかし彼はあきらめず、何度も立ちあがって牛の背中に手を伸ばそうとするが、足元がおぼつかなくてうまくいかない。滑稽な叫び声をあげながら仔牛のいいおもちゃにされていた。それを見ているタレントや観客が、世界の終末を臭わせる笑い声を出す。画面に映し出された「挑戦失敗……」の文字を確認すると、僕はテレビの電源を切った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ