表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/25

第18話(ユウキ) 世界の真実(1)

 窮屈な路地裏は、地獄へと続く異形の通路のように思えた。どこに向かっているのか一切わからないまま、僕たちはただ猫のあとをついていく。魔女にそそのかされてまんまと引き寄せられる不幸な子供たちのように。


 いつのまにか手をつないでいた。この状況に今さら恐怖は感じていない、むしろ何が待っているのかわくわくしているほどだ。心細いという感情もとくになかったのだが、気がつくと僕たちは互いの手を握っていた。彼女もそれを拒否することはなかった。彼女の手は少し冷たい。でも、そこにはかすかな温かみがあった。それを逃すまいと、強く握りしめる。それだけで勇気が湧いてくる気がした。


 だいぶ歩いてきているが、道はまだ続いていた。まっすぐではなく、微妙にぐねぐねした道だった。ここが正式な路地裏でないことはすでに明らかだった。現実の路地裏は、こんなにも曲がっていない。建物の形状がおかしな形にゆがめられたりもしていない。


 道が二手に分かれたのはそのあとだった。これまでずっと一本道だった路地は、進路に迷う学生のように分かれ道になっていた。猫は分かれ道の真ん中で立ち止まる。二つの通り道を交互に見比べていた。猫がそれほど的確に首を動かしているのを、僕は今までに見たことがない。それはどことなく人工的なものを感じさせた。


 猫は哲学的な思考にふける老人のようにそこを動かない。人間と同じように、猫も行くべき道を忘れてしまうことがあるのだろうか。あるいはそれは、別の目的のための停止なのだろうか。じりじりと時が流れ、あるときふっと猫は左の道に入っていった。


 そのあとはまた、長くてうねった道を進んでいった。猫は頑なに己のペースを守っている。何かを話しかけてみても、こちらにはまるで興味がないように無視する。分かれ道で自由に迷い、思いもしないタイミングで決断する。本当に人間みたいな猫だなと思った。


 何度か分かれ道は続いた。すべて二股に分かれたものだった。それに遭遇するたびに、猫は歩くのをやめる。じっと動かずにいて、ある瞬間にさっとどちらかを選択する。左、右、右、右、左。進む道にあまり規則性は感じられなかった。本当にこれで合っているのかも不安だった。だが僕たちには、猫のあとをつけるしかなかったので、何も文句は言えなかった。


 そして、道が広くなったかと思うと、僕の視界にこじんまりとした一軒家が飛び込んできた。それはおよそ都会の風景には融け込まないような古い住宅だった。見た目は、小さい頃によく通っていた近所の駄菓子屋を思いださせる。出入り口に相応の看板が掛けられていれば、本当にそう見えただろう。出入り口に扉はなく、吹き抜けになっている。中の様子は暗くてよくわからなかった。


 その周辺の風景は不気味だ。得体の知れない壁にまわりを囲まれていた。その壁はずっと上まで続いており、まるで何かを封じ込める遺跡みたいな雰囲気を醸し出している。壁には奇怪な模様がたくさん描かれている。見ただけで魂を吸い取られてしまいそうな壁、そして、広い敷地に、古臭い家がぽつんと建っている様子は、いよいよ現実離れしてきたことを確信させた。


 猫はその家の前で立ち止まり、こちらに体を向けた。そして、黄色く光る目をパチパチさせたあと、「にゃあ」と鳴いた。これで自分の役目は果たしたとでも言わんばかりに、猛スピードで建物の中へと走っていく。


 サクラを見てみると、彼女もさすがに驚いたようで、その光景に目を奪われている。表情は変わらないが、心境はある程度察することができた。


 このまま入っていいのかどうか心配ではあったが、ここまで来て引き返すわけにはいかない。ついてきてしまった以上、最後まで行ってみるしかないだろう。僕が建物に向かって歩き出すと、慌ててサクラもついてきた。僕の服の袖を軽くつまんでいる。


「本当に、入るの?」

「まあ、ここまで来たんだ。入るしかないだろう。恐いもの見たさもあるしね。あの家はいろいろと気になる」

「わかった。あなたが、そうするのなら、私も」

「よし。それじゃあ、行ってみよう」


 僕たちはラーメン屋に顔をのぞかせるみたいな気軽さまでは言えないにしても、心持ちそういう余裕を持ってその中へと入っていった。




 内部はまるで倉庫のようだった。辺りにはあらゆるものが積まれている。子供が楽しむようなおもちゃ、高く積まれた新聞紙、雑誌類、分厚い本、カセットテープの山。米俵まである。たたまれた布団も、隅の方で塔を形成していた。神秘的な体験をしたあとだったから、正直なところ拍子抜けだった。もっと別の、たとえば入口を通ったらそこにはとんでもなく広い空間があったりする展開を予想していたのだ。気持ちのたかぶりは冷却され、畳の匂いにげんなりする思いだった。


 荷物と荷物のあいだを通っていくと、二階へと通じる階段を発見した。足を乗っけたら底が抜けてしまいそうなぼろぼろの階段だった。下から三段目に、あの猫がこちらを向いて座っていた。律儀に待っていてくれたのだろうか。猫は僕たちの姿を認めると、見惚れてしまいそうなほどの見事な跳躍で階段を上っていった。他に行くあてもないので、そのあとに続くことにする。僕は底が抜けないよう、慎重に上っていかなくてはならなかった。だが、それは杞憂だったようで、見た目より階段は頑丈にできていた。底が抜けるようなこともなかった。


 二階は長い廊下といくつかの部屋で構成されていた。一階ほど散らかってはいない。しかし、廊下のあちこちに本の山ができていた。そのどれもが分厚く、ほこりすらかぶっていた。かつては人間が住んでいたのだろう。だが、現在も人がいるのかどうかはわからなかった。ここはとても人の住めそうな場所ではない。天井には大きなクモが巣を張り巡らせていた。その巣は、家の古風な感じととてもよく合っていた。


 廊下を進んでいくと、一つだけ半開きになっている扉を発見した。扉の前に猫が立っているということはなかったが、おそらく猫はこの中に入っていったのだろうと思った。念のため、その扉を無視して廊下の奥まで行ってみたが、開いているのはその扉だけのようだった。


 僕はバイト先の控え室で仮眠を取る先輩を起こさないよう、静かにその中に入る気弱な新米アルバイトみたいに部屋に忍び込んだ。


 他のところと同じく、中は真っ暗だった。この家には明かりというものがないのだろうか。僕は試しに扉付近の壁を手で探ってみた。すると、明かりをつけるための切り替えスイッチを見つけた。スイッチを切り替える。パチンという音が無音の空間に響き渡る。


 だが、明かりはつかなかった。


 僕たちはあきらめて部屋の奥へと進んでいく。見渡すと、壁は本棚だらけだった。壁一面に本が並べられている。タイトルは暗くてよく見えなかったが、おそらく高校生では容易に読めないようなものばかりなのだろう。窓から差し込むかすかな月明かりが本棚の一部を照らす。その光景は幻想的だった。


 来客用のものと思われるソファーとテーブルも見えた。派手なものではなく、本だらけの部屋にふさわしい暗い色合いのものだ。明かりがないので判別がつきにくいが、ソファーはおそらく黒だろう。一目見て、これは高級なものだなと直感でわかった。


 そして、部屋の片隅に人がいることに気づく。たくさんの本が積まれた机に一人の人間が突っ伏していた。白衣を着ていて、本の上には眼鏡が置かれている。頭髪の色とむなしさから見て、彼は老人だろう。何かの研究をしていて、その休憩中だろうか? その見た目から、彼が科学者だと僕は見当をつけた。彼の足もとの椅子を見てみると、そこには黒猫が座っていた。彼の飼い猫、だったのだろうか?


 いったい彼を起こしていいものか、それとも自然に起きるのを待つべきか、大いに悩んだ。強制的に彼の眠りを妨げて、それで怒られるのも嫌だったし、かといってこのまま起こさないでいるのも気まずいものだった。「えっと……」と思わずつぶやいてしまう。


 サクラが先に、老人に近づいた。彼女は迷いなく彼の方へと歩いていく。猫がそそくさと老人から離れた。何をするかと思えば、彼女は老人の肩を優しく揺すった。


「起きて」


 すると老人はあっけなく起きた。それはさっきまで眠っていたとは思えないほどの俊敏な動作だった。飛び上がるように顔を上げ、サクラを見る。そして、おや、と首をかしげた。


「おかしいのう。わしの聞く限りでは、ここに来るのは萩村ユウキという短髪の少年のはず。いつのまに、そんなに髪を伸ばしたのじゃ?」

「僕はここにいますよ」

「なんと! 少年が二人いるではないか! ついに分身術さえ身につけおったか」




「よく来た。まずはそのことに敬意を表しよう」と老人は言った。


 彼は研究者のような姿をしていた。白衣を着て、頭は見事に白髪だらけだ。肉の削げた顔をこちらに向けて、意味ありげな笑みを浮かべている。何となく、人を見下すような表情だった。僕はその老人に対してそれほどいい印象は抱けなかった。


 彼は机の上の眼鏡をつけた。その風貌はまさしく熟練の研究者然としていた。


「それにしても、よくここまでやって来られたのう。わしはもう終わりかと思っておったんじゃがな。お主一人だけだったら、今ごろはやつらに捕まっておったじゃろうな。お嬢さんのいたおかげで、どうにか助かったようじゃ。礼を言うぞ」


「あなたは誰なんですか?」と僕は訊ねる。すると、老人はにやりと笑った。


「わしはいわば、お主たちにとっての賢者。お主たちの知らないことを、わしは知っておる。もちろん、今何が起こっているのかということもな」

「じゃあ、教えてください。僕たちの身に何が起きているのか」

「まあ落ち着くのじゃ。訊きたいことは山ほどあるじゃろうが、そのすべてを一度に教えることはできん。立ち話もなんだ、こちらにお掛けなさい」


 僕たちはソファーへと移動した。僕とサクラは隣同士に座り、老人はその向かいに座った。


「いろいろと訊きたいことがあるじゃろう」と老人は座りなおしながら言った。「しかし、お主が質問し、わしが答えるかたちでは、どうにも要領を得ない。まずは、わしからかいつまんでこの状況を説明することにしようかの。そのあとで、わからないことがあったら質問するといい」


「はい」と僕は言った。この老人が何者なのか、そもそも人間であるのか、第一にそこが気になったものの、僕は黙っておいた。そのへんもきっと説明してくれるのだろう。これまでずっと逃げてきて、ようやく安心してゆっくりできるだけでもありがたいのだ。こちらから訊ねることなく、相手にしゃべりたいだけしゃべらせればいい。


「わしは、お主の動向をすべて把握しているつもりじゃ」と老人は言った。「とはいっても、つい最近のデータしか持ち合わせておらんがの。観察が始まった時期というのは、ちょうどお主の目の前にこの猫が現れたときあたりから、という風に考えてもらえればいい。こいつの目を通して、お主を見張っていたというわけじゃな」


 老人は足元で体をすりよせてくる黒猫を持ち上げた。自分の腿の上に置き、その頭を優しくなでた。「今までよくやってくれたよ。本当はこの猫はわしの飼っているものではないのじゃがな」


 彼の飼い猫ではなかったのか。にしてもよくなつく猫だ。しかし、猫という生き物は、たとえば空腹で倒れそうなとき、人間慣れしていれば、誰にでも近寄ってきて甘い声を出し、餌をねだることもあるのだ。きっとそんな感じでこの猫も老人になついたのだろうなと思った。飼い猫ではないとしたら別の人の飼い猫なのだろうが、その辺の事情はとくに重要でもなかったので、僕はただうなずいておいた。


 老人は話を続ける。「どうしてお主を見張る必要があったのか。それは、お主がこの世界においてとても重要な役割を担っておったからじゃ。いや、正確に言えば、重要な役割を無理やり担わされた、ということになるのかのう。おそらくお主に自覚はないはずじゃ。これまでお主は、自分が世界の命運を握っておると考えたことはあるかの?」


 僕は首を振った。それどころか、世界に不必要な存在だとばかり思っていた。


「それはそうじゃな。誰も自分が、世界の中心だなどという妄想は抱かん。抱くとしたら、それは大ばかものか、もしくは本当に世界の中心を担っておる人だけじゃろう。そいつらも、自分がいかにちっぽけな存在だということに気づけば、そういう考えは持てなくなるのじゃがな。まあ、その話は置いておいて。


 萩村ユウキというごく普通の青年が、どうして重要人物なりえたのか。それは、お主の失われた記憶に鍵がある。お主たしか、中学入学以前の記憶をすっかり失くしておるのじゃったな?」

「はい。どうしてなくなったのかはわからないですが」

「わしはお主を調査した。個人的な事実がいろいろと明らかになったわけじゃが、どうしてお主が記憶を失ったのか、それだけはどれだけ調べてもわからんかった。その記憶は、誰にも見つからないように秘密の場所に隠されており、絶対に発見できないようになっておった。その隠された記憶が、今回のこの状況を生み出したわけなのじゃよ」

「それは今も、隠されたままなのですか?」


「いや、見つかった」と老人はあまり元気のない声で言った。「最悪のかたちでな。そいつは今も、言ってしまえばわしたちのすぐ近くに存在しておる。そういう気配はまるで感じないかもしれんが、そういうことになっておるのじゃ」


「いったい、どういうことなのか……」


「お主のその記憶は、今は『森』にいる」と老人は淡々と言った。森? その言葉を聞いて、僕はすぐに『凍てついた森の中で』を思いだしたが、彼の真剣なまなざしを見て、すぐに振り払った。


「森にいる、とは?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ