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第三話 四

「パパ……?」


 アリスは目の前に現れた人物が、自分が探していた父で、呆然とする。

 

 ようやく見つける事が出来た! あれほど、自分はパパの事を探していたんだよ!


 彼女はそう叫んで、彼の胸に飛び込みたかった。

 優しいパパだったら、きっと自分の胸に飛び込んできたアリスを優しく受け止め、笑いかけてくれるだろう。

 だけど、彼女は自分のパパだと分かっても、どうしても近づけなかった。


 今まで優しく微笑みを絶やさない父親はゾッとするぐらい冷たい無表情をしており、その身体には多量の血が付着している。

 そして、何より彼女が父に近づく事を躊躇ったのは、健吾のその右腕だった刃だった。

 もう既にその鋭い刃は数人の命を吸っており、血にまみれている。

 さながら、処刑人の持っている斧みたいな状態だ。


「パパ? なんで、なんで…… ナナシとおなじになってるの……?」


「アリスちゃん、彼は貴女の父親なんだね…… でも、今は外見は同じでも…… きっと違うよ。下がりなさい」


 結月は額に汗を浮かべながらアリスを隠すように自分が前に出る。

 

「ごめんね、アリスちゃん。今から貴女のパパを…… 倒すよ…… 今度こそ、誰も…… 死なせない!」


 結月はそう決意を固めて目の前の健吾に言い放つと、前回使った能力を解放する。

 右腕が無くなり、その右腕のあった場所の切り口が塞がれ、彼女を苦しめていた傷は塞ぐ。

 彼女の左腕がメキメキっという音を立てて、変異を始める。

 皮膚が裂け、血が飛び散り、骨がその形を変え、新しい形を構築していく。


「あぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」


 結月の変化はそれだけに留まらず、その地面から身体を支える両足までも変異を始めた。

 左腕は大きな化け物のような肉と筋肉の繊維が飛び出した爪になり、両足は人間のそれでは無く、走りやすいように馬のような形に変形し、ヒヅメもあった。


「ゆづき……ちゃ…… そ、それいじょう…… だ、だめ……だよ?」


 結月が全部の力を出し切った衝撃的な光景に、アリスは口元を押さえながら、嗚咽混じりで首を振る。

 これ以上変異をすると、もう人間に戻れないのは誰が見ても明らかだったからだ。


「アリス、逃げるぞ」


「だ、だめ。まだ、ゆづき…… ちゃんとパパを…… おいてけない!」


「駄目だ、あれはもう戻らない。それに、アリスの父はこちらを殺しに掛かってるんだ。早めに逃げないとアリス、君が死んでしまう」


「二人を置いて…… いく? いやだ、いやだよ…… そんなのいやだぁぁぁ!!」


 今までの事はいつもアリスは我慢できていた。

 文句を言わず付いてきて、まだ子供なのにわがままを言わずにナナシ達に接していた。

 だけど、今回だけは彼女でも無理だった。

 今までお姉ちゃんのような存在が居なかったアリスには、結月がそのお姉ちゃんに近い存在で、ずっとこれまで慕っていたのだ。

 数日前までは自分を可愛がって、毎日愛を持って育ててくれた父がそのアリスのお姉ちゃんである結月を殺そうとしている。

 結月も、自分の父を殺そうとしているのだ。

 

「アリス…… 分かった」


「……え?」


 ナナシはアリスに近づくと、彼女の首をほんの少し噛む。


「あっ…… うっ……」


 アリスはナナシに噛まれた瞬間、驚いた声を一瞬だけ上げて、すぐに倒れてしまった。

 彼は彼女を傷つけないように気絶させると、アリスを一度結月にしたように口で咥えた。


「…… ナナシ、彼女を…… 必ず生かして! もう、私はもど……れないから」


「勿論だ


「あり……がとう。これで、安心して……」


 結月は途切れ途切れに話し、やがて、口を閉ざす。

 そして、突然唸り声を上げて、健吾に突撃する。

 

「シャアアアアアアアアア!!」


 健吾は相手の突如とした攻撃にも全く動じず、右腕の刃を振って、彼女を切り殺そうとした。

 だが、結月は彼の斬撃を伏せて躱し、鋭利な爪で逆に反撃する。

 健吾はピストルを彼女の爪に狙いを素早く定め、二発発砲し、迫り来る爪の軌道を逸した。

 

 ナナシは戦闘に入った二人から逃れる為、コンビニエンスストアーから飛び出す。

 その時、一瞬だけ、結月の顔を見る。

 素敵な笑顔を持っていた彼女の顔は、最早原型を留めておらず、目を塞ぎ、大きな牙だけを剥き出しにした化け物になっていた。

 ナナシは彼女を見て、何を思ったか分からない。ただ、彼はもう二人に背中を向けてとにかく遠くへ走ったのだった。


 月が現れ、辺りを暗闇覆う夜中。

 

 ナナシは比較的人間の暮らす大きな都市『ティアティラ』に近い、小さな村にたどり着いた。

 そこの鍵の掛かっていない、比較的崩れていない一軒家を見つけると、そこへ気絶したアリスを咥えて中に入る。

 そして、手近にあったソファーにアリスをそっと寝かせた。

 

 アリス、悲しんでいたな…… 一体自分の胸にあるこのモヤモヤしたもの…… 一体これは何なのか分からない。結月を助けれなかったその時に、何故かこの何ともしれない感覚が生まれた。

 これは一体何だ?

 

 ナナシは不可思議な現象に、首を傾げる。理性を手に入れ、知恵を手に入れた彼でも。その正体はサッパリ分からなかった。

 特殊なデセスポワールを喰らえばまた記憶が手に入るのだが……

 多分だが、この感覚はその埋もれて無くした記憶に関係があるかもしれない。

 

「特殊なデセスポワール…… 結月…… あのタイプは間違いなくそうだろう」


 彼が結論したのは、結月達『適合者』の成れの果てが、恐らく特殊なデセスポワールだという事だ。

 今まで特殊な弾薬が効かず、大きな能力を秘めた特殊デセスポワール達。

 以前、彼は天羅にデセスポワールの弱点である彼らの死体から作れられた特殊弾が効かない理由を「死んでるからだろう、細胞が。弱い同族ならそれでも充分死ぬだろうが、今戦っている奴らには効かんぞ」っと答えたがどうやらその説明は間違っていた。いや、間違っていないのだろうが、この特殊デセスポワールだったらもう一つ特殊弾が効かなかった仮説が建てられる。

 それは、特殊なデセスポワール達には元だった人間の細胞が含まれているから。

 一度変異を起こした結月を助ける為に、変異を食い止める為に特殊弾を彼女に撃った。

 その時、彼女はデセスポワールになりかけているにも関わらず、死ぬ事が無かったからだ。

 特殊弾は人間に撃っても死なない。

 恐らく、特殊なデセスポワール達はその人間の細胞があったから、特殊弾が効かなかったのだろう。


「……もしそうならば、俺は結月を喰らうしかないだろう。俺とアリスの関係の謎に、俺の記憶がその謎を解く鍵となるのならば」


「う、うぅん……」


 彼が独り言を呟いた時、アリスが苦しそうに呻いて身じろぎをした。きっと、悪夢を見ているのだろう。

 それも、二人に関わるような。

 ナナシはアリスを寝かせたままにしておくと、自分は家を出る為玄関へ行く。

 そして、再び彼は外の世界へ出た。


 数分後。

 

 ナナシは健吾と結月が戦っているあの場所へと戻った。

 壮絶な戦いを繰り広げていたのか、コンビニエンスストアだった建物は崩壊しており、所々地面が抉れている場所がある。

 暗闇の中、一人だけ誰かが立っており、ナナシは近づいた。

 

「お前は…… 結月か?」


 彼が問いかけた瞬間、何かが目の前から飛び出してきて、ナナシはすぐに横へ回避して避ける。

 見ると、それは健吾だった…… ものの頭部だった。

 健吾の頭を投げつけた後、ゆっくりと結月が姿を現す。

 結月だったそれは、既にほとんど人間の身体からかけ離れた姿になっていた。

 左腕は結月が変異した時に現れた大爪、右腕はどうやら健吾を喰らったのか、それとも部位を引きちぎって自分の腕としてくっつけたのか、彼だった剣状の右腕だった。

 頭部はほとんど裂けており、大きな牙が更に剥き出しになっている。

 背中には禍々しい血管で脈打っている、変異したてなのか、翼みたいな形状のものが生えていた。


「グルルルルル……」


「一瞬で片をつけよう、それが俺からのせめてもの弔いだ」


「アァァァァ!!」


 結月は彼が戦う覚悟を見せると、叫びながら即座に彼が近くに居ないにも関わらず、右腕を突き出した。

 以前、まだ天羅が生きていた頃に三人で共闘した時に使ったあの技だ。

 ナナシはそれがすぐさま分かると、射線上に居ないようにジクザクで動きながら彼女に近づく。

 彼女は力を溜め終わると、電撃を右腕から放った。

 バチンっという、大きな音を奏でて、電撃が一直線に飛ぶ。

 ナナシは電撃の進路から身体を外し、直撃を回避した。

 彼は結月の間合いに入ると、前足左右のブレードで切りかかる。

 しかし、彼が切りかかるよりも先に、彼女の左腕にある大きな爪が振り下ろされ、ナナシはなし崩し的にブレードで防御をするしか無くなった。

 そんな彼に結月は右腕の刃で再び攻撃する。

 ナナシは尻尾を使い、何とか防ぐ。


「ぐっ!」


 ナナシは突如自分の胸に痛みが生じ、呻いた。

 彼は自分の胸を見ると、そこに幾本もの鋭利な鋭い骨が刺さっており、刺さった場所から血を流していた。

 相手のその骨をたどると、胸の場所にある肋骨を使い、自分を攻撃してきたっというのが分かる。

 ナナシはまだ自由の効く左前足のブレードを使い肋骨を切り裂いて、更にもう一度振り、右腕も切る。

 右腕は切り落とす事は出来なかったが、結月は痛みで尻尾の刃と鍔競り合いをやっていた右腕をようやく下げた。

 

「グアアァァァァ!!」


 右腕は下げる事が出来たが、左腕の大爪は以前彼をそのまま引き裂こうと押し込んでくる。

 右前足一本では不利だ。

 

「グルァァァァァ!!」


 ナナシはすかさず、解放された尻尾で彼女の胸を貫くと、力を入れて持ち上げる。

 結月は突然身体が浮いた事で、一瞬だけ大爪に込める力を緩めてしまう。

 ナナシはその気を逃さず、一度彼女を地面に叩きつけると大爪から滑るように右前足のブレードを走らせ、顔を切りつけた。


「ギャァァァァ!!」


 顔を切り裂かれ、痛みで結月は慟哭する。

 それにより、結月は身体を振り回して暴れまわる。

 左の大爪、右の刃のデタラメな攻撃を次々と回避し、再びナナシは突撃。

 大きく尻尾を真横に振って、大爪を切り落とそうとした。


 だが……


「!?」


 ガシッと尻尾を受け止められると、いきなり結月が今まで閉じていた口を大きく開く。

 その凶悪な牙がまるでサメのように並んでいる口から、何やら光みたいなものが見え始め、ナナシは危険を感じて尻尾を引っ込めてすぐ右へ飛んだ。


 電撃特有の、何かが弾けたような音が鳴り響き、ナナシが居た場所に、大きな空洞を作り上げる。

 どうやら、右腕だけじゃなく、口からも電撃を発射できるみたいだ。

 ナナシは結月の顔の動きに注意しつつ、つかず離れずの距離で彼女の周りを回りながら警戒する。

 飛びかかろうと思えばすぐに出来る。しかし、相手が電撃を操っている以上、もしかしたら身体全身に電撃を流しているかもしれないと考慮して迂闊に近づけなかった。

 

「グアァァァァ!!」


 結月は傷ついた身体を修復しようと、力を溜めて細胞を活性化させている。

 このまま何もしなければ完全回復してしまいそうな勢いだ。

 ナナシはイチかバチか、玉砕覚悟で突っ込もうと、クラウチングスタートするように後ろ足にぐっと力を入れる。

 そして、駆けようとしたその時。


 火薬独特の、乾いた破裂音が響き渡り、ナナシの真横に何かが飛んできた。

 目で追えない速さで飛翔するそれは、結月の一度尻尾に貫かれて開かれている胸に通り、中に入る。

 すると、パキンっという、ガラスが砕けたような音がした。

 

「ガ…… ア……ァ……」

 

 ガラスの砕けた音がした瞬間、結月の動きはどんどん鈍くなりやがて、ゆっくりと身体が崩れ落ちるように倒れた。

 

 ナナシは彼女が死んだっと認識し、改めて後ろを振り向く。

 彼の振り向いた先には、尻餅をついて全身を震わせている銃を持ったアリスが居た。

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