【K】 第三話
漸く馬車が速度を落とし止まる様子を見せた時、キーンは身軽に馬車から飛び降りた。当然の事ながら最後尾が止まる前に順次他の馬車は城の前園の広場に到着しているわけで、指示を飛ばさなければならない。最もそれ以上に話すこと止まることを知らない同行者から一刻も早く離れたかったということも大きかったのだろうが。
背伸びなどして小休止ムードを醸し出していた部下は、障害物を蹴散らさん勢いで、尚且つ恐ろしく据わった不機嫌な眼つきで迫る上司に気付き大慌てで荷物の搬入に走った。窓から到着を伺っていたらしい城に居た部下達は「ご苦労様でした!」と緊張した面持ちで敬礼をして、無言で馬車を顎で示したキーンの指示に従うように素早く荷運びを開始する。それらの動きを目で追いながらもれるのは深いため息。
城に入るという不快感、加えて上に上がれば優等生の堅苦しい相方が居る。堅物の相手をするにはキーンは疲弊し過ぎていることを感じていた。
離宮からの移動区間、全く途切れることなくマリノは話し続けていたのだ。他人と必要以上の接触をしないキーンにはそれは疲労以外の何者でもなかった。
「キーン様、ちょっと危ないです~。」
「あ?……っ!?」
声に振り向いたキーンは思わず道を譲っていた。珍しく無防備に驚いた顔。その横をスタスタと歩いていくマリノ。両腕で軽々と運んでいるように見えるのはアクセサリー等がやたらと詰め込まれていた3人がかりで運んでいたはずのロングチェストだった。呆然と見つめる目の前でひょいっと宙に放り持ち直す。
あっさり道を譲ってしまったこと、無防備に呆けてしまった屈辱感。キーンは八つ当たりの相手を探すようにマリノの横をすり抜け城の中に突進した。途中、部下が落としたらしいマントを荒々しく拾い指示を飛ばす冷静な声の主へと歩を進める。勢いに任せてシェリーの襟元を掴んだ。
「おい、アイツは化け物か?」
「……何を言っている?その手を離せ、無礼者。」
「シェリ様~、ただいま戻りましたっす~。」
一触即発の空気にマイペースな声が割って入る。ああ、と言葉の意味を理解したように微かに頷くとキーンの存在を全く無視するようにマリノに目をやるシェリー。さり気なく襟元の手を外し何事もなかったような態度。
「それは、そっちの壁側に置いてくれ。」
「了解っす~。」
ギリッと歯を噛み締める音がした。握りこんだ拳が微かに震えている。
キーンはシェリーの相手を全く無視するような、すかしたように見える態度が大嫌いだった。我慢の限界と振り上げかけた手は、やはりマイペースにかけられた声によって実行に至らなかった。苛々した表情を隠さずに振り向いてそのまま停止した。
その様子に軽く首を傾げているのは部屋の主であるエルンストであり、その手には離宮から持ってきた本。顔の辺りまで積まれている様子に、ひとまずといった表情で半分以上を自分の手に回収し目を眇めた。
「聞いていいか?暇なのか?」
「自室の配置に、部屋の主が手を出すのはおかしいか?」
「……そうだな、そうだったな。ヘンなヤツの最たる存在はアンタだもな……。」
一般的に雑用は目下の者に任せ、ふんぞり返っている身分だというのにエルンストはそれを良しとしない。そういう相手であるからこそ仕えているのだが調子が狂うのはどうしようもなく。
キーンはシェリーに聞こえないように声を落とし、疲れたようにぼやいた。エルンストは可笑しそうに微笑うと目線で付いてくるように促す。本棚は従者の控えの部屋と王子の寝室の仕切りの壁に設置してあった。ベッドの近くにすれば寝る間際まで読めるだろうにと意外に思ったのを読み取ったか、エルンストは言った。
「これは共有財産だ。好きに読んで構わないぞ。城の書庫に出入りしてたまに本を入れ替えてくれると尚助かるが。」
一拍置いて見開かれる瞳。それを真っ直ぐに見つめ返し珍しく崩れた不機嫌顔を満足気に眺めるエルンスト。
エルンストは知っていたのだ。キーンが読書を好むことを。
城仕えを嫌う心情を汲んだような一言に、キーンは眉間の皺を深めた。素直に喜ぶというのも苦手であるから、それは裏返しの反応と言えるのだが。
「……それは、命令か?」
「ああ、命令だ。つまらない本は並べるなよ。」
「…………了解。」
真面目な顔を取り繕ったような返事に、ふいっと目を逸らして了承を口にする。その顔は僅かに拗ねたような、悔しそうな でもどこか微笑っているようだった。
キーンにとってこの気遣い上手で喰えない主は敵わない相手であり、唯一金銭抜きに護ってもいいと思える相手だった。勿論、表立ってそういった態度はとらない。示すのは行動のみ。
キーンはぴくりと何かに反応したように顔を上げた。探るように周囲を見渡す。作業中の部下達、指示を飛ばしているシェリー、部屋の配置、窓の外……。
それは強いて言うなれば勘。空気が僅かに変わったような緊張。作業の手はそのままに、眉間の皺が深まるのを感じていた。