【S】 第二話
キーンとマリノが、離宮から荷を運び出している頃。
シェリウスはエルンストに付いて城へ赴き、調度品の配置作業を行っていた。離宮からの持ち出しとは別に、新たに手配していたものが届いたのだ。とはいえ実際に作業をするのは名も無き部下達であり、シェリウス自身は彼らに指示を飛ばしているのだ――が。
「テーブルはこちらへ運んでくれ。その花瓶は向こう側に――、っ!?」
何も特別な意味もなく、普段どおりに部下へ声をかけたつもりだった。
しかしそこには、何故かその手に椅子を抱え作業に加わらんとしているエルンストの姿があった。
「エルンスト様!? な、……な、何をなさっておられるのです?」
シェリウス激しく動揺。彼が指揮にあたっていたのは幸運である。もしも荷物を運ぶ役であったなら絶対に取り落としていたであろうから。
対してエルンストは至極平静で――というか、頭上にクエスチョンマークでも浮かべそうな勢いで、きょとんとしている。
「見て判らぬか、この椅子を運んでいるところだ」
「見れば判ります! 私が申し上げたいのは、貴方が――ましてやこれから王の座に就くような御方が、そのような雑用を――」
「シェリー」
「――はい」
心なしか真剣そうな様子で名を呼ばれ、返事ひとつでシェリウスは押し黙った。まるでその響きが『待て』に相当するとでも言わんばかりだ。
「私は何も変わらんよ。今までも、これからも。……無論、このまま王位を継ぐことになれば、国内外を問わず私の立場というのは大きく変わってゆくだろう。だが私自身は、何も変わらぬ」
その声は爽やかな風のごとくさらりと軽やかに、シェリウスの耳を撫でた。
それはこの二日間、エルンストに対しずっと訊ねたい事柄でもあった。今や彼は、この国において王位に最も近付いた者。更にその栄誉ある座も予てより約束されていた類のではなく、不幸な事故によってもたらされたものというのであれば尚のこと、今の状況をどう捉えているのか――気にならないわけは無かった。なかったが、どう贔屓目に見たところで掛け値なく口下手と称されても文句はいえないシェリウスである。デリケートなこの問題を体よく切り出せる筈もなく、ずるずると今日まで至る。
そんな側近の気を知ってか知らずか、他の部下達も行き来する中、涼しい顔でエルンストは続けた。
シェリウスとの距離が一歩分だけ縮まり、その分声量が抑えられる。しかし反して若干の重みが増したようだった。
「王というのは確かに生半可な覚悟で務めるわけにはいかない、途方もなく大きな存在ではあるが、それさえも結局は称号の一つに過ぎんのだ。特に、お前やキーンの前ではな――それ以前に、エルンストという私でありたいと願うよ」
そう言って、王族の風格など知らないといった感じに形無しにして笑う。
その表情と言葉で、シェリウスは強く胸を打たれたような気になった。
これからはもっと王らしく振舞ってほしいとは思うが、反面この主のこんな顔もシェリウスにとっては何よりの安らぎであったのだ。
エルンストの決意に釣り合うような言葉はついに見つからなかったが、こうして彼の傍にあることを許された自分は、本当に幸せ者だと――今までに幾度となく感じたことを改めて強固なものとして実感していた。
「あの……シェリウス様、これは如何なさいましょうか?」
二人の会話が途切れたところで、部下の一人が遠慮がちに声をかけてきた。彼が示す先を辿れば、さっきまでエルンストが持ち運ぼうとしていた椅子が置かれっ放しになっていることに気がつく。
「あぁ、すまない。その椅子か……」
「それは来客用だ。確かあちらに同じものがあっただろう、それと――」
シェリウスが指示を出そうとしたが、それよりも早くエルンストが口を開く。
「これくらいならば良いだろう? ――退屈は毒だ、少しは口出しでもさせてくれ」
悪戯っぽい様相で、目配せをして。
それを受けたシェリウスは、軽く溜息を吐いた。
「貴方の仰せのままに――《御主人様》」
溜息と言えど、しかし何処かほっとしたような。それはシェリウスの持つ、数少ない柔らかい表情だった。
王子直々に言葉を賜り、呆気に取られたような畏まったような兵の肩を叩いてやると、彼を手伝いにエルンストの指した方へと進む。
ふと、窓の外を見遣れば日の光は既に無い。月が浮かび始める頃だろうか――ということは自ずと、キーンとマリノの帰りが近いという事が導き出される。
「あいつが戻れば、一気に捗るのだけどな……」
現在ここにあるものは粗方整理が付いてはいるものの、二人が離宮からの荷物を持って来ればまた忙しくなることだろう。気がつくと、その事を思ってか独りごちていた。
はっきり言ってキーンにはあまり期待をしないシェリウスだったが、この場面ではもう片方の、マリノについては別枠であるらしい。他愛の無い独り言にしては、シェリウスの表情は割に切実なものだ。