【S】 第五話
王子の声に応えるように現れたキーンを、シェリウスは忌々しげに見下ろしていた。まるで、目的を同じくする仲間へ向けるとは到底思えない顰められた表情で。
いつも勝手に王子の傍を離れ別行動を取る、その事は今は良い。此処からでは解らなかった最前方の馬車の様子を伝え、こちらに向かっていたという刺客を片付けて来た。百歩――では足りないが千歩程度譲りに譲って帳消しにするとしよう。
しかしそれをしても、勤勉すぎる従者の片割れには見過ごす事の出来ない点だ。
「キーン! 貴様、王子に対してそのような――」
試すような言葉遣いと眼差し、それは決して目上の――己が命を賭して仕えるべき存在に対してかけるべきものではなかった。
相手が王族ならば尚更のこと、そしてエルンスト王子に過剰とも思えるほどの敬愛の念を抱くシェリウスの目に映るものとあらば、如何にキーンと言えども避けては通れない指摘であっただろう。
「シェリウス。……良い、今は何よりも情報が不可欠だ」
「しかしエルンスト様…!」
「お前達が二人揃ったのだ、私の身を護るのに何か不都合でもあるか?」
互いに不機嫌顔と不機嫌顔、一触即発の状態を打開するのはいつもエルンストにしか出来ない芸当だった。捉えどころの無い笑み、正論付き。それで制されるとシェリウスも何も言い返せない。
二人の従者が聞く耳持ったのを認めると、エルンストはさっと表情を変える。――人の上に立つ者の顔だ。
「キーン。シェリウスと代わり私に同行しろ。道中、詳しい話を聞こう。シェリウスは外の兵達と連携し、住民の混乱を収めよ――これは我が国の民を守るべき、王族としての命だ」
そんな顔で言われた日には、二人には反論できよう筈もない。
シェリウスは険しい表情を刻みながらも、しかし確りと頷く。
キーンからの報告によれば、狙われているのはベネディクトの馬車。ゲイルハルト王が亡くなった今、最も王位に近い位置に居る男だ。彼の軍事的な思想を考えれば、その即位を良しとしない者達が行動を起こしたか……些か性急で短絡的に過ぎる気はするが、逆に王座へ就く前のタイミングとなれば、この機を逃す手は無かったか。――何にせよ、まさか最早この時点で偽の情報が見抜かれ、王殺しの噂が城下にまで広がっているとは思いたくないシェリウスだった。
ともかく主の命に従うため、ひいては力無き民を守るために馬車を降りる。すれ違いざまに、キーンが王子に答えて言う。
「了解。話をするなら、煩いヤツは居ない方が好都合だしな」
――シェリウスの眉間に刻まれた窪みが深くなった。
思わず、肩越しにキーンを振り返る。そして口を開きかけた、が。
その唇が彼に対して何かを発する事は無かった。
常のごとく、エルンストが宥めたから――――では、ない。
「シェ、シェリ様ー! た、たたた大変っすー!」
その声は前方から届いた。
騒ぎが起きていた方角から、茶の髪を振り乱して青年が駆けて来る。小柄ではあるが、身につけた上等そうな胸当てから騎士の一人ではないかという事がうかがえた。
それに言葉の中にシェリウスらしき名が聞こえ、呼ばれた本人も「マリノ」と小さく口を動かす。
彼はシェリウスの部下であり、その中でも最も人懐っこく距離の近い者であった。だからこの事態を見て、真っ先にシェリウスの元へ報告にやって来たのだろう。
「事態が動いたのだな。あまり良さそうな話ではないが……。何があった」
言いながら、周囲も見回してみる。何かあまり歓迎すべきでない事が起こったのは確か。動揺しているのはマリノだけではなかった。
事が起こった前方から順に波及してきたのだろう、行列を静かに見送るつもりだった住民達は今やそれどころではなく、戸惑いと怯えの色を濃くして口々に何かを囁いていた。
声の数が多すぎて、シェリウス達の所までははっきりとは届かない。だが――その固有名詞だけはおぼろげながら拾い上げる事が出来た。
『ベネディクト』――と。
「それが――。ベ、……ベ、ベネ、ベネディクト王子が……!」
ここまで走って来て息切れしているのか、それともあまりの衝撃に上手く口が回らないのか――もどかしそうに何度か詰まりながらも、マリノの口からも同じ名前が発される。
そして――先にキーンから得た情報、彼の王子の馬車が襲われているという事実を照らし合わせれば。
その名に続く言葉は、3人が予想したのと寸分違わぬものだったであろう。