【S】 第三話
棺を乗せた馬車が、城下町をゆっくりと進んで行く。
人々の嘆きや怒り――様々な感情をレクイエムとして向かうは、小高い丘の上の国教会。その最奥に位置する王家の墓所へは当然のことながらその神聖さゆえに、選ばれた神官と王の親族のみしか立ち入る事が許されない。
ゲイルハルト王の眠る棺は、そこへ数々の美しい花や副葬品と共に手厚く葬られた。
「シェリー。……待たせてすまんな」
「いいえ、御疲れ様でした」
いくら護り刀と言えど、王族のしきたりには抗えない。墓所へ立ち入る事のかなわないシェリウスは、入り口のすぐ近くでエルンストを待っていた。
「……キーンの奴は、結局最後まで来ませんでしたね」
「そう目くじらを立てるな。それがアイツなりのやり方だと、お前ももう解っているだろう?」
「ですが――、っ」
王子達が中に居る間、彼は周囲に怪しい気配が無いか目を光らせると同時に、それらしい人影が居ないだろうかと密かに意識していたりもしたのだ。
しかしそれが全く感じられないものだから、日頃の行いも相俟ってシェリウスを苛立たせるには充分だった。
が、少なくともエルンストが傍らに居る限り、その苛立ちが限界値を越えたためしもおそらく滅多に無い。彼がいつもそれとなく矛先を和らげてくれる事と、この多少生真面目すぎる従者にとっては主の存在そのものが何よりの精神安定剤であったのだから。
今回も例に漏れず、特に誰が窘めずともシェリウスは自ら言葉を断っている。
「こんな時にするべき話ではありませんでした。……申し訳ございません」
「構わないさ。私達も戻るとしよう」
他の王族達は、既に帰城の準備を整え馬車へ乗り込まんとしているところだ。エルンストの乗る車は、往路では棺より遠く、ほぼ最後尾に近い位置であったから若干の余裕はあったのだが、のんびりし過ぎて全体の出発を遅らせるわけにもいくまい。
急ぎ馬車へと戻れば、間もなく御者が出発の合図を掛けた。
帰り道では流石に数は減ったものの、未だ黙祷を捧げる民の姿を馬車の窓から絶えず垣間見る事が出来た。
それはそのまま、亡き王が然るべき支持を得ていたという事実の裏付けとなる。が――問題は、その王が既にこの世を去ってしまっているという事だ。
当然ながら、これまで王制の続いて来たルネファーラ国にあって王の座が空位であるという事態は、可及的速やかに解消されなければならない。
しかし問題は、誰が、その座に収まるか――。
継承順位でいけば長子であるベネディクト王子なのだが、彼は先のゲイルハルト王とは相容れない対極の思想、軍事主義者であるがゆえに押し通ろうとすれば世の混乱は避けられないだろう。しかしそれだけなら、彼やその家臣の手腕次第で如何とも出来る問題ではある。
致命的なのは、全く別の要素だ。
未だ民には伏せられてはいるが、王位が空となったそもそもの原因――。それを作ったのが、ひいてはゲイルハルト王を殺害したのが、ベネディクト王子その人であるという事実。
彼が次期王となるのであらば、絶対に明るみに出てはならない汚点だった。今はベネディクトを推し、彼とエルンストの叔父にあたる、ジールヴェルト・デュラ・ルネファーラ卿が真実をひた隠しにしてはいるものの、嘘は嘘。何処かに綻びが生じてこないとも限らない。
「そもそも隣国のイリディアに濡れ衣を着せるという時点で、多少の学を持つ者ならば気付くだろうに……」
馬車の中には、エルンストとシェリウス。二人きりだったからこその呟きだった。
但し、おそらくそれはベネディクトもジールヴェルトも、今となって冷静な目で見れば自明の理ではあっただろう。
大陸一の領土を持つルネファーラに対し、周辺の国々はあまりに小さかった。
事を起こすには、あまりに無謀なのだ。それこそ――大陸中の小国が足並みを揃えて一斉に包囲でもしない限り。さらに穏健派であったゲイルハルト王の世とあらば、わざわざその危険を成す意義など無きに等しい。
要するに、ベネディクト王子の父殺しを隠蔽するためにイリディアのスパイという容疑者が作り上げられたのだが、それはあまりに現実味に薄く、突付けばすぐに崩れてしまう砂城のようなもの。
「まあ私はその場に居なかったわけだし、父といっても数えるほどしか顔を合わせた事のない男だ。兄上や叔父上の動揺など、そんな私には想像もつかないのだろうがな」
それが彼らと自分の違いだとでも言いたげに、耽々と事実を述べるだけの冷静な声でエルンストは告げた。そこに自嘲や僻みなどの側面は無い。安易にそういった類の顔を見せる男ではなかった。
「エル――――」
複雑な表情で、シェリウスが何かを言いかける。彼の方が居た堪れないようだった。
しかしその唇から、次の言葉が零れ落ちることは無かった。何故なら王宮への道を順調に走っていた筈の馬車が、急な揺れを伴なって停止してしまったから。
瞬時にシェリウスは王子を庇うように傍へと付き、御者へと叫ぶ。
「どうした、何事だ!」
「そ、それが……前の馬車が急に停まって」
おろおろと慌てた声が返って来る。ち、と小さく舌打ちの音。シェリウスがエルンストを背に隠すように座らせると、忌々しげに窓を開け放った。
外を見れば確かに、馬車の行列は滞ってしまっていた。突然の事態に興奮する馬を宥めるので、御者は手が離せないようだ。
どうやら停滞はかなり前方での事らしく、一体何が起こったのかこの場所から把握するのは不可能に近かった。かと言って、それを確めるために王子の傍を離れるわけにもいかないシェリウス。あくまで彼の最優先事項はエルンスト王子の身を守る事なのだから、こんな安全かどうかも解らない状況に王子を置いていくなど以ての外だ。――が。
しかしその状況で行動を起こしたのは、他でもないエルンスト王子だった。
シェリウスが開けた窓、ちょうど自分一人だけが顔を出せるように調整された小さなスペースから、彼を押しのけるようにしてエルンストが入れ替わる。
「エルンスト様!」
一瞬驚いたように声を上げたものの、すぐに彼を馬車内へ戻そうとして肩を掴むシェリウス。それよりも早くエルンストの声が轟く。
「――キーン!」
それはもう一振りの、護り刀の名。
姿は見えない、だが必ず何処かでこの騒ぎを見ている――と。
「居るのだろう! 状況を伝えよ!」
敵か味方のものかも判別がつかない、それほどまでに入り乱れて飛び交う怒鳴り声や悲鳴。その混沌の中でも唯一人、呑み込まれる事なく凛と響く。
エルンストの呼び声は、確信に満ちていた。