第40話
遅れたってレベルじゃありませんね、これ……
────眠れん。
耳障りな軋むような音の出所を探すと、どうやらこの音は船体から出ているようだ。不意討ちに備え、肉体強化をしながら寝る身としては騒音にしか聞こえない。
レイアのベッドに目をやる。その上では、レイアがいびきこそ立てないが、ぐっすりと眠っている。
疲れているとはいえ、よくこんな音の中で寝れるな……。
「ねえ、ちょっといい?」
ふと、ドアの向こう、廊下からだろう。女の声が聞こえた。暇だし、盗み聞きするか。
「何だ、姉ちゃん?夜間は船室から出るなと伝えられているはずだぜ」
それに堅物そうな男が答えた。恐らく、船の警備にでも雇われた傭兵だろう。
「警備なんてつまらないことより、ちょっと私の部屋に来ない?」
その女の声色からして、完全に誘っていた。
なんとも、羨ましい。
「いや、金をまだもらってないんでな。何かあったら報酬がパアだ」
しかし、その傭兵は残念そうに断った。まあ、報酬がまだなら当然か。
「そうね、何かあったら大変よね………………例えばこんな風な」
男の豚のようなかすれた声と、液体が飛び散る音がした。
………………え?何事もなく、が無理になった。また面倒が起こる……次はどこを怪我するんだろうな。
「使えない男」
女がそう言うと、男の体が床に落ちる音がした。そして、女は歩き出すと、明らかにこの部屋に向かってきている。
さて、一体どう来るか、相手は何人か…………
女は一歩一歩床を軋ませながら、ゆっくりとこのドアの前で立ち止まった。次の瞬間、刺突用の短剣が二本、壁を貫通してベッドの位置へ飛んできた。
それに驚くも、声を出すわけにはいかない。そして、たかが短剣くらい俺はいい。しかし、レイアは絶賛大睡眠中だ。よって、無防備なことこの上ない。レイアに何かあれば、稼業の続行が困難になってしまう。
自分に向かってくる短剣を無視して足腰へ肉体強化を最速で施し、レイアと短剣の間へ向けて全速力で飛び込んだ。全身を強化して防御力も上げたかったが、そんな暇は無かった。
「────っ!?」
鋭い痛みが左脇腹に突き刺さった。なんとか声を出さず、そのままベッドに倒れ込む形になるが、急いで短剣を引き抜いて止血を施す。
「………ん?ラ──」
レイアに乗る形になったため、レイアが起きたが口を短剣を抜く際に多少濡れた右手で塞ぐ。
「しゃべるな、静かにしろ」
そしてなるべく低く、小さな声で耳打ちした。
これで黙ってくれるだろう、後はレイアに手伝ってもらって───
「この変態がああああ!!死ねぇ!!」
レイアの叫びと共に俺の体は宙を舞い、ドアを突き破って廊下に転がった。
なぜ……理不尽だ。
「…………あらあら、お邪魔したかしら?」
そして、床に転がっている俺の目の前には先ほど傭兵を殺し、こちらにも攻撃を仕掛けた女。気のせいか、先ほど止血した筈なのに血の流れる俺の腹と、ドアの無くなった部屋を可哀想なものを見る目付きで見ている気がした。殴り殺そうと思ったが、脳が揺れたのか体が動かない。
「いろいろと大変みたいね」
そう言いながら女は俺に持っていた香水のような物を吹き掛けた。
「…………なんだ?」
それは過剰なまでに甘ったるい臭いがし、気持ちが悪くなった。
女はなぜか驚いているようだった。
「あら?耐性があるのかしら」
女はそう言うと、瓶の蓋を外した。
「生きてたら、がんばんなさいね」
そして俺の鼻を摘まむと、瓶の中身を口に流し込んだ。吐こうとしたが反射的に飲んでしまい、それが何秒も続いた。女が空になった瓶を投げ捨てると同時に意識が飛んだ。
なぜか、ゆっくりと揺れているような気がする。右へ、左へユラユラと…………揺れている?
目を開けると、そこには空が広がっていた。ただし、格子のようなもので区切られているが。
「起きたかランサム」
声の元に目をやると、手かせをはめられた勇者一行と、その他の船に乗っていた人々がいた。
「……何があった?」
妙にぐらつく頭を押さえつつ上体を起こすと、腹部にチクリとした痛みが走った。
「その、すまなかったな…………」
かなり落ち込んだ様子のレイアが謝ってきたが、心当たりどころかこうなる前の記憶がない。
「何があったって聞いたんだ」
頭のぐらつきからか、ついつい眉間を押さえながら言った。
「しばらくすれば思い出すと思い出しますよ。今は過剰摂取の副作用が出ているのでしょう。なんせ致死量を接種したんですから」
アークがレイアに代わって説明しながら、どこか見覚えのある瓶を俺に投げた。その瓶にはこう書いてあった。
『何でも卒倒魔法薬!人には一吹き、ゴブリンでも三吹き!人は五吹き以上したら痙攣しながら聖霊様の下に行くから注意してね!※くれぐれも、お子様には使用しないでください』
なんとも危ない説明がふざけた口調で書かれていた。
「……これを俺はやられたのか?」
「いえ、やられたというよりは飲まされたようです」
アークは俺を奇怪なものを見る目で見ていた。
おい、飲まされたってなんだよ。明らかに致死量じゃねえか。
「ここに連れてこられた時には、痙攣しながら泡吹いてましたよ」
あれは焦りました。とアークは付け加えるように言った。
「あー、今はどういう状況なんだ?」
もう痙攣云々はどうでもいい。状況を聞かないと。
「ここは甲板の真下ですよ。ほら、この格子に見覚えがあるでしょう?海賊に閉じ込められたんですよ」
アークはそう言いながら天井に付けられた格子を指差した。
やけに冷静だな、こいつは。
「捕まった?お前らなら一掃できるだろ」
俺がそう言うと、アークはため息をついた。
「いいですか?まず貴方が人質に、そして勇者様が攻撃できずに人質に、そして──と、いうふうになったんです」
「…………ああ、そう」
それを聞いて、意外にもグサリと来た。
ああ、聞かなけりゃよかった。人質になったというのがまた情けない…………
「ああ、やっと起きたのね」
聞き覚えのあるような無いような女の声が、頭上から聞こえた。
「誰だ……?」
「あら、やっぱり副作用かしら?それにしても、あの量を飲ませたのに元気ね」
顔を見上げても、それに見覚えが無かったので誰か分からないが、一つだけ分かった。
「お前か、俺にこの薬飲ませたの!」
「せいか〜い。どう、気分は?」
飄々と言うその女に対し、ぞわりと殺意が湧いた。
「あらあら、どうしたの怖い顔して。怒りやすいと嫌われるわよ?」
その女は嘲笑うように声を格子の中に落とした。
ますます腹立つな……殴ろうにも格子がある上に、なぜか拘束はされていない。たぶん何かあるんだろう、下手に動けん……
「──あら、来ないの?やっぱり考えはするのね」
俺が動けない理由を察したのか、意外そうに言った。
おそらく仕草や表情から判断したのだろう。どうやら、観察力や洞察力がいいようだ。
「まあ、いい判断ね。でもね、満点はあげれないわ」
そう言いながら、女は懐から手のひらと指を合わせたほどの長さの小さな杖を取り出した。
「よ〜く、見てなさいよ」
女はそう言うと、杖が発光した。
おそらく魔力を流したのだろうが、発光の色が無色の光だ。
「レイア、あれは光属性か?」
「……いや、たぶん違う。俺のは金色がかった光だ」
剣こそ没取されているが、レイアは真剣にそれを見て警戒している。
そして、女がそれをこちらに向ける。
「さあ、ど〜〜ぞ!」
杖の光が消えた途端、レイアとアーク、リリアナを含む何人もの人々が首を押さえて苦しみ出した。
「おい!?」
床に首を押さえながらうずくまるレイアの元に向かうが、その目は見開かれて焦点が合っていない。
「しっかりしてください!」
横ではセレナがアークたちの元にいるが、レイアと同じ症状のようだ。
────これはただ事じゃない。
「てめぇ、何しやがった!」
女を見ると、その顔には不適な笑みが浮かんでいた。
「大したことないわよ?ちゃんと加減して苦しんでるだけだから。でも、もしあなたたちがおかしな真似をすれば、加減を間違えちゃうかも」
杖を見せびらかすように振ると、女は背を向けて歩き出した。
「くそったれ………!!」
できる事は何もない。
魔法に関してはほとんど知識が無いのでレイアたちの症状への対処の仕方も分からず、思わず歯を噛み締めてた。