自由と素の自分
好きなことはできる。その時間もある。
これといった不自由なく生きられている。
それなのに、自分が縛られていると感じるのは
気のせいだろうか。
彼らが自分のことを想ってくれているのは
十分に分かっている。
だからこそ、この気持ちは行き場を失うのだろう。
自分たちは何かに縛られているのだ。
学校、家庭、友人など、縛るものが特に多いのが
子どもという世界だろうと、自分は考える。
「一般的に」という言葉を用いると悪いが
自分たちが”素の自分”で居る時間というのは
少ないように感じる。
自分は、どれが素の自分かを理解出来ていない。
それでも良いと思っている。
それも含めて、自分だと思う。
素の自分というのは、基本的に”本音”を知っている
そしてその本音を誰かに話すことがない、つまり
素の自分で居られる場が極端に少ないことが
この世の中における問題の一つではないだろうか。