情熱の小説家
太陽が地面を焼こうとしているような、そんな猛暑日の昼間。
私は友人に呼び出されて、クーラーの効いた喫茶店にいた。
とりあえずアイスコーヒーを注文する。ここのコーヒーは、店主が水出しにこだわってわざわざ専用の道具をそろえたらしい。
正直、普通のコーヒーとの違いはわからないが、こういうものは雰囲気を含めて味わうものだろうと思っている。
「待たせたな!」
喫茶店の扉が勢い良く開かれ、腐れ縁の友人がこちらを見つけてやってきた。何かわからないが結構な荷物を持っている。嫌な予感がする。
友人は私の向かいにある席に座ると、店主の方へ手を上げた。
「マスター! 地獄のように熱いコーヒー一つ!」
この猛暑に何故ホットなどを頼むのか。相変わらず良くわからない奴だ。
「それで、今日呼び出した用件は何だ」
「おお、よくぞ聞いてくれた。俺はな、小説を書くことにしたんだ」
小説。小説ときたか。無理だな。
「無理だな」
「まあそう言わずにこれを見てくれ」
そういって友人は鞄の中から大き目のノートパソコンを取り出し、テーブルの上に置いて電源を入れた。せめてタブレットには出来なかったのか。
「これだ、これを見てくれ」
そういってこちらに向けられたディスプレイには、小説投稿サイト『磁石』というページが表示されていた。
「それで?」
「ふふふ、ここを良く見てくれ」
友人が操作したディスプレイに、三題噺短編コンテストという文字があった。
「これを?」
「そうだ、ここを見たときに、ピピッと俺の内臓にインスピレーションがわいてきて」
そこは脳にしておいた方がいいのではと思ったが、これも彼の個性と受け止めて黙っておいた。
「打ち込める物があるというのはいい事だと思うぞ」
そういえばこいつに個人情報保護の概念はあるのだろうか。火のない所の煙で炎上するタイプだから実名で書くのはやめさせた方が無難か。
「実名で書くのか?」
「いや、ペンネームは決めてある。粗大ごみだ」
「粗大ごみ?」
「粗大ごみ」
彼には彼の人生があって、私はそれにとやかく言わないほうがいいのかもしれない。実名晒すよりはいいだろう。
「まあ、いいんじゃないか」
「ふふふ、そうだろう。俺は今日から粗大ごみ先生だ」
これほど先生の前において違和感のある言葉もそうはないだろう。これも彼の個性なのだ。文章にだけおさまって、他の所には出ないよう祈っておく。
「それで、どんな話を書くんだ?」
「よくぞ聞いてくれた! これを見てくれ」
そういって彼が見せてくれた画面には、「拳」「鉛筆」「錆止め」という三つの単語が映っていた。なるほど、この三つを組み込んだ物語を書くわけか。
「なかなか難しそうだな。アイデアはあるのか?」
「うむ、聞いてくれ。今は八月だな」
「ああ」
「八月といえば台風が最も多く発生する月だ」
「ああ」
「だから台風をテーマにした」
「はあ」
「ヒロインは台風だ」
「はあ?」
「名前はふ○子」
「それは有名アニメにそういうキャラクターがいるからやめておいた方がいいな」
「そうか。じゃあ、た○子」
「それも有名アニメにそういう名前のキャラクターがいるし、危ないからやめてくれないか」
「なんだ、しょうがないな。それじゃあ洋風にしよう。ミセストルネードだ」
トルネードは竜巻だがそれはいいとして、ミセスってヒロインは既婚か。というより気象現象が既婚ってどういう世界だ。
「ヒロインは結婚しているのか」
「ああ、太平洋高気圧と夫婦の契りを結んでいる」
「主人公はどういう立場なんだ?」
「シベリア高気圧だ」
小説の話なのか、天気の話なのか良くわからなくなってきた。
小説書こうという人間が、気象予報士方面に進んでどうするつもりなのだろうか。
「……それで、どのくらい書いたんだ?」
「うむ、それがうまく書けなくてな」
はたして台風と高気圧のラブロマンスをうまく書ける人類は存在するのだろうか。
「どうするんだ?」
「そこで俺は考えた。別の話を練習に書いてみようと」
意外といえば失礼か。思ったより全うな意見だ。
「実際に書いてみた。読んでみてくれ」
そう言って彼は鞄の中から、ずっしりとした分厚い原稿用紙の束を取り出した。
ネット上の投稿サイトに載せる作品の練習を、原稿用紙に書き綴る……か。
意見は全うだったが、やっていることは、その、なんだ、個性的だな。
こちら側にやってきた暴力的な厚さの原稿用紙をパラパラとめくってみる。
「これはどういう話なんだ?」
「それはこれを見てくれ」
ノートパソコンを操作して、画面をこちらに向ける。そこは『磁石』の小説が載っているページだった。
「これがお前の小説か?」
「いや、これはこのサイトのランキング一位の小説だ」
「ふむ」
「それを写した」
「写したのか」
とりあえずサイトの小説と原稿用紙の最初の一枚の文章を見比べてみる。間違いなく同じだ。一言一句同じだ。
サイトの文字数を見てみると、二十五万文字以上。四百字詰め原稿用紙で六百枚超えか。
そうか、これを全部写したのか。安易にパクリと断じることの出来ない何かを感じる。カテゴリとしては写経が近いだろうか。
「まあ、うん。努力は認めるが、世の中には著作権というものがあってな」
「ああ……知っているぜ……!」
知っていたのか。じゃあこれなに。
「芸術は模倣から始まるという……だから俺は有名小説を模倣することにした!」
彼の瞳から炎があふれ出そうだ。何を燃料にして燃えているのだろうか。
「これは……俺の努力の結晶だ!」
努力の結晶……カテゴリとしては資源ごみか。いや裏紙としてまだ使えるかな。
「俺の伝説はここから始まる……!」
「失礼いたします」
燃え上がる彼の横に、いつの間にか店主が立っていた。
「地獄のように熱いコーヒー、お待たせしました」
そう言って店主が彼の前にゴトン、という音と共にコーヒー? を置いた。
石で出来た半球形の器……確かあれは石焼ビビンバの器ではないだろうか。
その中でぼこぼこと音をたてて沸騰する黒い液体。
なるほど、絶望のように黒く、地獄のように熱いコーヒー、か。この店主馬鹿じゃないの。
「おっ、ちょうど喉が渇いてたんだ。いただきまーす」
彼は何の迷いもなくアツアツに焼けた石を両手で掴んだ。
「あっちい!」
当然のごとく放り投げられた器からは、地獄のような黒い液体が周囲に降り注ぎ熱ッ! マジで熱い! ちょっと待って熱ッ! 馬鹿じゃないの!!
粗大ごみ先生の次回作にご期待ください。