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救国の乙女は大魔術師がお好き ~夫にキスを迫ったら“足4の字固め”にされました

作者: ぷよ猫

タイトルに“足4の字固め”(プロレス技)はどうかと思ったんですが……どうぞ広い心でお読みいただけたら幸いです。

 誰が何と言おうと、ギルベルト・ローエンシュタイン公爵は、私の運命の人だ。

 たとえ、これが王命による政略結婚で、両者の気持ちなどまったく考慮されていなかったとしても。

 社交場にまったく姿を現さないため『幻の妻』と噂されているのだとしても。

 この国の筆頭魔術師でもあるギルベルト、もといギル様が、三日に一度しか屋敷に帰れないほど多忙だったとしても。

 そして、これが一番問題なのだけれど、結婚して半年、いまだにキスどころか手すら握られない清い関係だったとしても。

   

 私は、忍び足でベッドに近づき、スヤスヤ眠る夫の顔をうっとりと眺めた。

 月光のような銀の長髪と、閉じた瞼の奥にある金の瞳は王族特有のもの。王妹である母親譲りなのだ。鼻筋がスッと通っていて薄暗い部屋でも美男だとわかる。

 もちろん、令嬢たちからの人気は高い。しかし、ギル様は、凍るような冷淡な表情を浮かべて、彼女たちの熱視線をバッサリと切り捨てているらしい。

 うん、今のところは、浮気の心配なし。

 私は、自身の最終チェックを窓ガラスに映るシルエットで素早く済ませる。

 ピンク色の髪はトリートメントで艶々、キュウリパックでお肌もつるつる。胸元が大きく開いたフリフリのネグリジェは、可憐な薄ピンク。谷間は……ない。

 いや、でも、自信を持つのだ。

 これで落ちない男はいない! 頑張れ、私。

 勇気を出して、無防備なギル様の唇にキスをしようと息をひそめた。

 もう少し――というそのとき、瞼が開いて金色の瞳と目が合った。


「きゃっ」

 

 急に視界が回転した。覆いかぶさろうとしていた体勢から仰向けに転がされ、気づけば華麗に“足4の字固め”を決められている。手加減されているのだが、身動きがとれない。

 

「ロッテ! 寝込みを襲うなと何度言ったらわかるんだっ」


 絡められた足に、ギリッと圧が加わる。魔術師に運動神経など不要なのに意外と機敏だ。


「痛っ! ギブ、ギブ、ギブアップ!!」


 私が降参すると、スッと足が外され自由になった。慌てて乱れたネグリジェの裾を直す。


「そのあられもない格好はなんだ? 腹を冷やしても知らないぞ」


 ギル様が目を吊り上げた。

  

「夫を悩殺すると評判のランジェリーショップで手に入れたのです」

 

 私はベッドの上で正座をして答えた。

 メイド長のヘレナからマダム・リカルダの店を教えられ、速攻で買い求めたのにお気に召さなかったようだ。

 明日、また別の夜着を注文せねばなるまい。やっぱり、マダム一押しの白いほうにすればよかったのだ。


「……必要ない。今後は、いつものイチゴ柄のパジャマを着るように。ヘレナにもよく言い含めておくから」


「そんなわけにはまいりません。私たちが夫婦となった以上、一日も早く子を授かることがローエンシュタイン家のためであり、王命です!」


 大切なことなので、そこは、はっきりと主張する。貴族として跡継ぎを設けるのは当然のことだ。正論ならば、いかに頑ななギル様といえども納得するだろう。

 ところが、次の瞬間、私はぎゅっと鼻をつままれた。

 

「アホか! 十三歳のちびっこに王命もくそもあるかっ。わかったら、とっとと寝ろ」


「そんな殺生な! 去年より身長が五センチも伸びたのですよ? もう、ちびっこなんかじゃありません」


「身長の話じゃないから。いいから、離せっ」


 ギル様が、必死に縋りつく私の腕を引き剝がそうとしている。


「イヤですぅ! 絶対にイヤ! 私はギル様の子どもが欲しいです。小さい頃からの夢なんですっ。後生、後生ですから夢を奪わないでぇ」


「いい加減にしろ。俺は眠い!」


「離せっ」「イヤですっ」と攻防戦がしばらく続き、ギル様が根負けした。ゼイゼイと息を切らしている。


「わ、わかった。その件はまた後で考えよう。とにかく今日は寝ろ。安眠魔法をかけてやるから」


「ううっ……じゃあ、ここで一緒に眠ってもいいですか?」


「しょうがないなぁ」


 これだからお子ちゃまは、とギル様が呆れている。

 最初から魔法をかければ簡単なのに、そうしないのは彼なりの優しさだ。ふだん、ほったらかしているという罪悪感もあるのかもしれない。

 こうして私は三日に一度、夫と寝る。キングサイズのベッドの端と端に分かれて、ぽかぽかとした心地よい安眠魔法に身をゆだねながら。



 ※※※



『救国の乙女』――――100年に一度、ピンク色の髪と深紅の瞳を持って生まれる娘をそう呼ぶ。膨大な魔力と特別なスキルを有する唯一無二の存在だ。

 十三年前、私の父であるカルツ侯爵は、妻との間にその娘が誕生したことを国王へ報告した。

『救国の乙女』つまり私とローエンシュタイン公爵の一人息子のギル様は、王命によりその場で婚約が決まった。

 本来であれば、自国に留め置き、身柄を保護する目的で王子の一人に娶らせる。だが、王太子以外は全員王女で、間の悪いことに隣国の姫と縁談が調ったばかりだった。それで、国王は、自分の甥と結婚させることにしたわけだ。

 当時、十歳のギル様は、すでに魔法の才を開花させていた。当然、魔力の高い二人の間に生まれる子に期待する思惑もあったことだろう。

 そんな大人の事情などお構いなしに、シャルロッテと名付けられた私は、のほほんと育った。

 いつも傍にギル様がいて、いつの間にか大好きになっていて、いつか結婚するのだと信じていた。

 それが危うくなりかけたのが半年前のこと。隣の隣、ジブェ王国の我がまま王女がギル様を見初めたと間諜から一報が入った。正式な申し入れがくる前にと、急遽、結婚の予定を早めて籍を入れたのだった。

 ギル様が結婚したと聞いた王女は、癇癪を起していたらしい。

 私のほうは、二人きりの静かな挙式に感動したり、一緒に住めたりといいことずくめである。

 

「でもねぇ、どうも女として見られていない気がするのよね。昨夜だって、お腹が冷えないようにって腹巻を持ってきたのよ」


「あらあら、マダムの夜着は失敗でしたか」


 メイド長のヘレナが、イチゴ柄のパジャマを畳みながら、私の愚痴に付き合ってくれた。

 メイド長と言っても、使用人はヘレナと執事のリットと料理人のシュパンしかいない。義両親は領地の本邸に住んでいて、この王都の屋敷には私とギル様だけだからだ。三人とも魔法が使えるので、掃除も洗濯も皿洗いも一瞬で終わる。

 それに、下手に使用人を増やしても、ギル様を誘惑しようとする不届き者が現れるか、『救国の乙女』を狙う工作員が紛れ込むだけなので、駆除作業のほうが面倒なのだ。

 

「あーあ、自信なくすわ。私って、そんなに魅力がないのかなぁ」


「シャルロッテ様は、お美しいですよ。焦らずとも、あと二、三年もすれば、自然と女性らしい体つきになりますから」


 ヘレナがのんびりとした口調で答える。

 四十を過ぎたヘレナは、夫も息子もいるせいか恋愛に達観しているところがある。「そんなに待てない」と常々口にしているのに、私の意見など右から左だ。


「その間に、ギル様に好きな人ができるかもしれないじゃないの」


 私だってバカじゃない。結婚したからもう安心、なんて思ってやしない。

 この国では、三年経てば『白い結婚』を理由に結婚の無効を申し立てることができるのだ。

 今からでも間に合うとチャンスを窺う令嬢が後を絶たないことは、王命の結婚にもかかわらず『幻の妻』の噂が消えない現状が証明している。

 社交場にも出られないお飾りの幼な妻だと軽視されているのだ。

 もし、どこかの令嬢がギル様を射止めるなんてことがあったら……。


「それはないと思いますけどね。坊ちゃまは、あれでシャルロッテ様を大切にしていらっしゃいますし」


「昨夜、4の字固めにされたのに?!」


「坊ちゃまが本気を出せば、骨折してますよ。男だろうが女だろうが容赦ない方ですから」 


「それはそうかもしれないけど……」


「うふふ、坊ちゃまったら、朝一番でシャルロッテ様のパジャマを注文するように命じておいででしたわ」


「まさか、あのイチゴ柄の?」


「はい、もちろんでございます」


 私はがっくりと項垂れた。

 確かにイチゴ柄のパジャマを愛用していたのは事実だけれど、それはもう三年も前のことである。

 きっと、ギル様のなかの私は、その頃から成長していないのだ。

 この屋敷に移ったときには「ロッテのお気に入りだろう」と何枚も用意してあったので、文句を言わずに着ていたわけだが、新調する際にはもっと大人っぽいものをと考えていたのに。

 このままでは、いつまで経っても子ども扱いだ。


 学習時間になったので、何とかならないものかと悩みながらリットのところへ向かう。

 執事のリットは、私の家庭教師も兼ねている。

 歴史や語学を習う日もあれば、家の帳簿に目を通すこともある。いずれ、本格的に公爵夫人として家政を担うときのために、少しずつ勉強しているのだ。


「十着も!」


 今朝、発注済みのパジャマの数に驚愕する。


「これから暑くなって汗をかきますから。これで一安心ですな」


 リットが暢気に言う。六十代という老齢のせいか、彼はオシャレよりも健康第一なところがある。


「そうじゃなーい!」


 思わず声に出た。

 キョトンとするリットに、色っぽい夜着の重要性をこんこんと説く。

 リットは「そんなもんですかねぇ」と腑に落ちないような表情で、一枚の注文書をつまみ上げた。

 

「では、この夏用の腹巻はやめておきますか?」


「そんなものまでっ!」


「子どもだろうが大人だろうが、ギルベルト様は若奥様を大切になさっていると思うのですがね」


「ギ、ギル様が指示したならいいわ。注文しておいてくれる?」


 ギル様の心遣いに気をよくして答えたものの、すぐに後悔する。

 いや、そうじゃないから。

 お腹が弱くて腹巻が必須だったのは、三年前までだってば!


 かくなるうえは、媚薬でも盛ってもらおうかしらと考えながら食堂へ行く。学習時間の後は、昼食なのだ。


「媚薬なんて必要ないですよ。シャルロッテ様は愛されてますって!」


 私の真剣な頼みごとを料理人のシュパンが笑いながら一蹴する。使用人のなかでは、シュパンが一番若いので、もしかしたら味方になってくれるかもしれないと期待したのだが違ったようだ。


「どうして、そう思うのよ? モグッ……」


 口を大きく開けて、照り焼きチキンサンドにかぶりつく。


「えー、だって食事はお二人で一緒に摂られてるじゃないですか」


「ムグ、ムグ……三日に一度だけどね」


「シャルロッテ様がいらっしゃるまで、ギルベルト様は食堂で召し上がったことがなかったんです。魔術の研究中で、食事に費やす時間が惜しいとおっしゃって」


「へえ」


 この国一番の大魔術師ともなれば、さもありなん。この日々の努力があるからこそ、二十代の若さで他の追随を許さない力を持っているのだ。魔術は天性の才があればいいというものでもない。

 私が感心していると、シュパンの肩がわなわなと震えだした。


「食事は生きることの基本ですよ! それなのに、あの方ときたら毎食、毎食、片手でつまめるハムサンドだけ……こんなのは食事じゃないっ。餌です、餌!」


「…………」


 相談する相手を間違えた。

 シュパンの価値基準は食べ物だ。どちらかと言うと、色気よりも食い気なところがあり、三十歳になるのに、まだ独り身である。

 この調子では、恋愛結婚は無理だろう。いつか素敵なお嫁さんを紹介してあげなくては。料理の腕はいいので、頑張ってお相手の胃袋をつかんでもらいたい。

 私は、黙々と食事を終えて席を立った。


 午後は、図書室で過ごす。

 外出することはあまりない。

『救国の乙女』の証であるピンク色の髪と深紅の瞳が目立つので、いちいち変身魔法をかけなくてはならないからだ。

 染まりにくい私の赤い瞳の色を完璧に変えられるのは、この屋敷ではギル様だけである。いない日は頼めないので、かなり不便だ。

 だけど、いいのだ。

 毎日が平和だから。

 私は今日も、お気に入りの恋愛小説を読みふける。



 ※※※



 もし「ギル様のどこがそんなにいいのか」と訊かれたら返答に困る。

 美男なら、他にもたくさんいるだろう。

 公爵の地位? 魔術師としての実力? それも魅力の一つには違いない。だけど、彼が貴族で魔術師だと知る前には、もう私の心はギル様のものだった。

 

「おまえは、アホか」


「え……」


 五歳か六歳の頃だろうか。これが記憶にあるギル様との一番古い会話らしい会話だ。

 ちっとも優しくなんかない。

『救国の乙女』として侯爵家でチヤホヤされていた私は、聞き慣れない『アホ』という言葉を投げつけられて呆気にとられた。


「あなたは尊い方なのですよ」

「いずれ多くの民を救う存在になるのです」 

「自分の使命に誇りを持ちなさい」

「すべてはこの国のためです!」


 こんなふうに、私は、自分の能力を皆のために使うことこそが美徳のように教えられてきた。それを真っ向から否定したのがギル様だった。


「少しは自分の頭で考えろ。おまえに擦り寄る大人たちは『命と引き換えに自分を助けろ』『国の犠牲になれ』『都合よく死ね』って言ってるんだぞ。しかも笑顔で。少しは恐ろしいと思えよ。もっと人を疑え」


 イライラした口調に恐怖を感じなかったのは、その怒りが私ではない違う誰かに向けられたものだとわかったからだろう。


「で、でも、わたしは、このスキルのために生まれたの」


「誰がそう決めた? おまえのスキルをどうするかは、おまえの自由だろう」 


「おとうさまも、おかあさまも、この国を救えとおっしゃるの」


 私は、いつも優しい両親が娘を犠牲にしても平気だなんて信じられなかった。いや、信じたくなかっただけなのかもしれない。

 ギル様の言い分を肯定してしまえば、今まで注がれた愛情を疑わなくてはいけなくなる。そんな勇気を持ち合わせてはいなかったのだ。

 とはいえ、幼かった私は、ギル様の言葉を理解する頭脳はなかったので、本能的にそう感じただけなのだけれど。

 

「おまえは、俺の婚約者だろう。俺の許可なくいなくなるなよ」


「こんやくしゃ……」


「結婚するってことだよ」

 

 将来、夫になる人。それはつまり、お母様にとってはお父様のことで、私が生まれる前から一緒にいて、私が()()()()()()()()()ずっと一緒にいる相手のことだ。

 そう考えると、親子よりも強い絆があるような、誰よりも親密で素敵な関係のように思えた。


「けっこんするのね。わたしたち」


 声に出したとたん、心が温かなもので満たされた。

 ふふふと笑うと「ヘンなヤツだなぁ」と手を引っ張られる。赤いバラが咲く迷路のような庭を迷子にならないように歩きながら、ギル様が念を押すように言う。


「とにかく、俺に断りなくスキルを使うなよ」


「うん、わかった。約束ね」


 私は、答えた。


 ずっと後になってから、ギル様の怒りの意味を知った。

 『救国の乙女』が持つスキル。

 それは自分の命を捨てて、味方全員を生き返らせるというものだ。

 たとえば、戦争で軍が全滅しても蘇らせることができる。伝染病で多くの死者を出しても、不慮の事故で国王が儚くなったとしても、私が味方と認識すれば復活が叶う。

 救国とはそういうことだった。

 実際に私は、自分一人の命で国民全員の命を引き換えにできるほどの魔力を持っていた。

 歴代の『救国の乙女』のなかには、命じられるまま兵器のように命を散らした者もいた。

 命令するのは国王だから、どんな使われ方をするかはその時代の君主次第だ。

 だから、どこの国も100年に一度、この世にたった一人だけ生まれるその娘を欲しがる。

 私は、大人の言いなりになるように洗脳されようとしていた。

 大義のためには躊躇なく、自ら命を差し出すように。

 私はあのとき、自分のために生きる道もあるのだと教えられたのだと思う。ギル様の言葉は優しくなかったけど、心は誰よりも優しかった。

 そう、それからギル様は私の運命の人になったのだ。



 ※※※



 私は、世の中の動きに疎い。

 友人はいないし、ギル様が噂話を嫌うので情報網がないのである。

 仕方がないので、私は、リットのいない夕食後の時間を見計らって、執事部屋にあるリアルタイムでニュースが読める魔道具をこっそりチェックしている。

 

『ハック子爵令嬢、夜会にてクーン伯爵令息に婚約破棄される! 妹に婚約者を寝取られ、悪夢のバースデー』

『マイネッケ辺境伯、長年の恋を実らせついに結婚。あまりの溺愛ぶりに周囲はドン引き!』

『ジブェ王国大使来訪まで二週間を切り、歓待準備もいよいよ大詰め。官僚たちの眠れない夜』

『王太子妃コルネリア様は、ティロリン地方のすっぱいオレンジがお気に入り』


 こんな感じのゴシップが、手のひらサイズの画面に表示される優れモノである。

 引きこもりとしては大助かりだが、ガセネタも混じっているので見極めが重要だ。


『ジブェ王国大使、初日に開かれる王室主催の歓迎パーティのエスコートにローエンシュタイン公爵を指名。関係各所は対応に苦慮』


 新しいニュースが表示され、私は目が点になった。

 ん? なんでこんなところにギル様の名前が? 近々、ジブェ王国から大使がやって来ることは知っているけど、エスコートってことは……大使は女性?

 動揺のあまり持っていた魔道具を取り落とす。ガタンッと大きな音が響いた。

 間髪入れずに、バタバタと廊下を走る足音がして扉が開いた。


「若奥様、ここで何をしていらっしゃるのですか?」


 リットに見つかってしまった。


「えーと、ははは」


 笑って誤魔化す。けれど、次回、ここへ忍び込むときには、かなり骨が折れるに違いない。

 拾おうとした魔道具を見て察しがついたのか、新聞を渡された。リアルタイムではないし、ゴシップ記事はほとんどないけど、世間の動きを知るには十分だということだろう。

 

「世界情勢に興味をお持ちなら、おっしゃってくだされば用意しましたのに」


 リットは、私の勤勉さに感動したようにうるうると目を潤ませた。

 しかし、私が知りたいのはギル様に関する情報だけである。当然、お堅い新聞には載っていない。


「いや、あの、魔道具のほうがいいかな。情報が早いし」


「不確かで品のない記事ばかりでございますよ」


 リットが顔をしかめた瞬間、ウィーン、ウィーンと警報が鳴り響いた。


「な、何?」


 執事部屋の机の横にある専用画面に、屋外の様子が映し出された。兵士らしき男が十人ほど、門の前で結界に身体の一部をめり込ませて動けなくなっている。


「敵襲です。ギルベルト様の結界が攻撃されると警報が鳴るのですよ。警備が手薄だと油断したんでしょうな。若奥様がお屋敷にいらしてから、刺客が送り込まれたことは何度かありましたが、この結界に手を出す愚か者はおりませんでした」


「知らなかったわ」


「余計なことは知らせないようにとのご指示でしたから」


 私の存在が正式に公表されていないにもかかわらず、どこから聞きつけてくるのか、小さい頃から狙われることがしばしばあった。

 現国王は平和主義なのだが、他国から見れば、軍事的な使い道のある私の存在自体が脅威らしい。攫って手に入れるか、無理なら殺しておこうという魂胆なのだ。

 それにしても、ギル様の魔法はすごい。強固な結界を張れる魔術師は、魔法先進国であるこの国でもわずかしかいない。

 ちなみに私の場合は、魔法を一切使えない。あり余る膨大な魔力は、どうやら『救国の乙女』のスキル専用ということのようだ。

 私もヘレナみたいに、魔法でちょちょいと洗濯してみたいなぁ。

 そんなことを考えていると、バリバリッという轟音とともに襲撃者たちが倒れた。


「えっ、もしかして死んだの?」


「ちょっとした雷撃魔法を仕掛けてあるだけですから、生きていると思います。殺したら拷問できませんからね。ギルベルト様は、全員処分して構わないと仰せですが、黒幕がわからないときりがないので」


 リットが平然とした顔で説明する。

 その間に警報が止み、公爵家の警備兵たちがわらわらと集まって、手際よく彼らを捕捉していった。

 それからは、何ごともなかったかのように静けさが戻った。

 

『ローエンシュタイン邸、襲撃される! 電撃魔法で反撃された犯人たちはショック死寸前』


 そんな速報が流れたかどうかは知らないけれど、夜中にギル様が帰宅した。二日続けて家に戻るのは、結婚後初めてのことかもしれない。



「ロッテ、しばらく本邸に滞在しないか?」


 翌日、朝食の席でギル様に提案された。

 ポットがふわりと浮いて、カップにコーヒーを注ぐ。空いた皿は、宙を泳ぐように洗い場まで飛んでいった。これらは、シュパンの魔法によるものだ。


「ギル様と一緒ならいいですよ。いつもの転移魔法はやめて、のんびり馬車で行きましょう。新婚旅行をしなかったので気分だけでも味わいたいです」


 私は、カリッと焼いたパンにイチゴジャムを塗りながら上機嫌で答える。


「いや、行くのはロッテだけだ」


 ギル様の無情な一言が、小鳥のさえずる爽やかな朝を台無しにした。

 ただでさえ会えるのは三日に一度なのに、これ以上離れるなんて冗談じゃない。


「じゃあ、行きません」


 私はつんとそっぽを向いた。


「ジブェ王国から大使が来るんだ。彼らが帰国した後に、俺も本邸に行くから」 


「イヤです。だったら私も大使が帰国するまで待ちます」


「それが、その大使というのがマリーナ王女なんだよ」


 ギル様は苦虫を噛み潰したような顔をして、コーヒーを飲んでいる。

 マリーナ王女とは、私たちの結婚を早める原因となった我がまま王女のことである。欲しいものは手に入れないと気が済まない性格で、周囲はほとほと手を焼いているらしい。

 私は、ホットミルクを口から噴き出した。ゲホゲホとむせて、ナプキンで口を覆う。


「ギル様を見初めたというあの王女ですかっ? あ、だから歓迎パーティでギル様にエスコートをさせようとしているわけですね。だったら、なおさらイヤです! 私もギル様とパーティに出席します。早速、ドレスを注文しなくては」


 こうしちゃいられないと立ち上がると、ギル様に「もう間に合わないからやめとけ」と止められる。

 確かに二週間前にドレスを発注するのは無茶である。私は、渋々、椅子に座り直した。


「俺はパーティに出席しないから、王女のエスコートはしない。当日は筆頭魔術師として、城の警備にあたるからな。それよりも、問題なのはロッテをこの屋敷に置いておくことだ。このところ刺客と思われる不審者の出没が増えている。昨夜は、とうとう襲撃された。おそらく王女の手先だろう。犯人の一人に見覚えがある」


「でも、ギル様のお陰で未遂に終わりましたよ。この屋敷にいれば安全なのでは?」

 

「奇襲ならな。だがロッテ、先触れもなく、突然、王女に押しかけられたら断れるのか? 仮にも国賓だぞ?」


「まさか、真正面から堂々とやって来ると……いえ、あり得るかも……」 


「だろ? 一度、邸内へ招き入れたら、何をされるかわかったもんじゃない。ここは危険だから、念のために本邸に避難してろ。あそこなら母上がいる。いちおう王妹だからな、王女も迂闊には手を出せない」


「う……」


 私はそれ以上反論できず、二日後に領地へ出発することになった。



 ※※※



 ガタゴトと馬車に揺られている。

「ロッテが旅行気分に浸りたいって言ってたからな」とギル様が用意してくれたのだけど、一人じゃ意味がない。

 リットとシュパンは屋敷の管理があるので留守番、ヘレナは出張しない契約である。家族は離れたらダメなんだというのがヘレナの口癖で、つまるところ夫の傍にいたいのだ。いいな、ラブラブで。

 そういうわけで、私はランチとお菓子の入ったバスケットを持たされ、御者とともに領地へ向かっているわけである。幸い王都の隣なので、ゆっくり進んでも夕方には到着するだろう。


 電撃で丸一日気絶していた襲撃犯は、マリーナ王女の私兵だった。戦意喪失した彼らは、拷問するまでもなく早々に自白した。王女は、私がいなくなれば自分がギル様と結婚できると考えているのだそうだ。

 やはり、結婚したからといって安心してはいけない。

 

 街を抜けて整備された林道に入る。

 森林を貫く一本道は、本邸までの近道である。迂回すれば国内屈指の観光地がある。近くまで来たので足を延ばしたいと思い、御者に頼んだものの「寄り道は禁止されておりますので」と断られてしまった。


「ああ、つまらない」


 思ったことがそのまま口に出た。

 同じような景色がしばらく続きすっかり退屈した私は、いつもより少し早いけれどランチを摂ることにした。

 バスケットのなかには、焼肉サンドとフライドポテトが入っていた。水筒にはミルク。私は背が低いので、積極的に飲むことにしている。

 ポテトをつまんでいると、突然、馬車がガクンと揺れて急停車した。何事かと窓から身を乗り出すと、少し先に、私たちの進路を塞ぐように魔法陣が光っているのが見えた。

 転移魔法で現れたのは、黒いローブを纏った魔術師らしき男と金髪を腰まで伸ばした令嬢、その護衛騎士だった。

 魔術師らしき男の顔は、フードを被っているので見えない。金髪碧眼の護衛騎士は、明らかに顔で選んだとわかる美丈夫である。

 

「キャハハ! 密告どおりね。こんな人気のない森を護衛もつけずに通るなんてバカじゃないの」


 令嬢が、上向きの鼻をさらにのけ反らせて高らかに笑う。


「私兵を失ったのは痛いですが、これで何とかなりそうですね、マリーナ様」


 護衛騎士が媚びへつらうように返事をした。


「あんなヤツらはクビよ、クビ! ホント、役立たずったらありゃしない。子どもの首一つ取れないんだから。やっぱり、頼りになるのは魔術師だわ」


「やっちゃっていいんですかぁ~?」


 黒いローブの魔術師が、面倒くさそうに間延びした声で尋ねる。


「やっておしまい!」


「報酬はきちんと払ってくださいよ~?」


「わかってるわよっ」


 察するに、あの令嬢はジブェ王国のマリーナ王女で、私兵による襲撃が失敗したので今度は自らやって来たらしい。

 武力がダメなら、魔力でということなのだろうが、陸路だろうが転移だろうが許可なく入国するのは条約違反になるのでバレたら大事である。そもそも、他国の公爵夫人を襲撃するのも大問題なんだけれども。


「あの~、道の真ん中にいると危ないですよ?」


 私は馬車の窓から顔を出したままの状態で、大きな声で通達した。

 こちらがのろのろ走っていたから急停車できたけど、猛スピードだったら馬に蹴られていてもおかしくはないタイミングだったのだ。密告があったのなら、もっと早く来て、待ち伏せすればいいのに。

 

「うるっさいわね! おまえが、ローエンシュタイン公の奥方ね。わたくしのものを盗むなんて許せない、殺してやるわっ」


 せっかくの親切心を無視して、王女が子犬のような甲高い声でキャンキャンとわめく。

 その間にも魔術師の呪文の詠唱が終わり、火炎魔法が発動した。熱風とともに馬車に炎が襲いかかる。その直後、黒煙で視界をふさがれた。


「キャァァーッ!」


「ごほっ、ごほっ」


「……」


 煙が霧散したあとは、王女たちが煤だらけになっていた。

 屋敷に結界が張ってあるなら、馬車にも同じものがあるとは考えなかったのだろうか。

 ローエンシュタイン家の馬車には、魔法反射と物理防御の結界が施されている。通常は、ギル様の転移魔法で事足りるため、馬車の出番もあまりないのだが。


「大丈夫ですかぁ?」


「殺してやる」と言うからには、それなりの殺傷能力があるはずなので、とりあえず安否を確認した。怪我でもされたら、御者一人で対応するのは大変である。

 

「けほっ、何なのよこれはっ! あんた、世界一の魔術師を豪語してるくせに、しくじってんじゃないわよ」


「そう言われましても、魔法反射なんて聞いてなかったんで」


 どうやら無事らしい。王女に叱責された魔術師は冷静に反論している。

 護衛騎士は、真っ黒になった自分の顔をハンカチで拭いている。手鏡を覗き込み「こんなに汚れてしまった……」と肩を落とした。


「何とかしなさいよ」


 苛立った王女が魔術師に詰め寄った。


「う~ん、それじゃ、ドラゴンでも召喚しますか」


 魔術師は少し考えたあと、杖で魔法陣を描き始めた。

 ドラゴンが吐く火は魔法ではないので、魔法反射の結界では防げない。

 私は慌てて馬車から飛び出して御者に逃げるように言った。御者台から引っ張るようにして降ろす。王女の狙いは私だ。関係ない人を巻き添えにするわけにはいかない。

 結界があるからと安心していた私は、すっかり余裕をなくしてしまった。

 それが伝わったのか、御者は、落ち着かせるようにポンポンと私の頭を撫でた。そして、王女たちに向かって心底バカにしたような目つきで言い放った。


「アホか、おまえら」


 ん? この声は。

 隣にいる御者であるはずの、ひょろっとしたそばかす顔の青年の姿が、陽炎のように揺らいだ。変身魔法が解かれ、銀の髪がなびく。


「ギル様?!」


 御者がギル様だったなんて、ずっと傍にいたのに気づかなかった。道中、何度か会話を交わしたときは、声も変わっていたのだ。

  

「あ、あ……」

 

 王女も愕然としている。

 護衛騎士は「マリーナ様に向かってアホとはなんだ!」と果敢に立ち向かう姿勢を見せているが、自分もアホ扱いをされているとは思っていないようだ。

 魔術師は淡々としている。すでに魔法陣を描き終え、呪文を唱えている最中だ。

 

「出でよ、ドラゴン!」


 威厳のある声が響き、魔法陣が金色に輝いた。


「ピギャ」


 子犬ほどの大きさの青いドラゴンが現れた。まだ、赤ちゃんらしい。つぶらな瞳が、すごく可愛い。


「あ……れ?」


 魔術師が首を傾げた。

 明らかに納得のいっていない様子を見て、ギル様は鼻で笑った。


「成体を召喚するだけの魔力が足りないんだよ。三人の転移と火炎魔法の上級呪文、それに魔法反射を食らう寸前に咄嗟に無効化させたろ」


「あ~、そうでした。ドラゴンは最上位種族だ。せめてバジリスクにしておけばよかったなぁ」

 

「どちらにせよ同じことだ。襲われると知っていて、何の対策もせずにのこのこやって来たと思うのか?」


「その調子だと、密告者は公爵ってことかな」


 魔術師は、自分たちが罠にはめられたのだと気づいたあとでも平然としている。

 私のほうは、当事者なのに何も知らされていなかったので、びっくりしていた。無警戒に馬車でのろのろ進んでいたのも、道草を許されなかったのも敵を誘い込むためだったということか。さすがギル様である。


「なっ……この女さえいなくなれば、わたくしたちは結婚できるのですよ? それなのに……あなたはこのブス女に騙されているのです!」


 二人のやり取りを聞いていた王女が、憐れむような眼差しでギル様に訴えた。

『救国の乙女』特有の髪色と瞳を隠すために、私は今、ダークブラウンの髪と薄茶の瞳に黒縁眼鏡、ベージュのワンピースという地味ないでたちである。

 だからって、言うに事欠いてブスとは何だ、ブスとは!

 私は、悔しさのあまりギル様の白いローブの袖をぎゅっと握りしめた。


「俺の妻を侮辱するな、ブタ女!」


 ギル様が一喝したので、私は思わず、ぷぷっと吹き出してしまった。上を向いた王女の鼻は、煤だらけで黒ブタに似ていた。


「わ、笑ってんじゃないわよっ。わたくしは、ジブェ王国の王女よ。お、お父様に言いつけてやるんだから」 


「やれるもんならやってみろ。第一、来訪前の王女がこんなところにいるわけないだろ。()()()()()()()()()()()()()は、この場で成敗してやる」

 

 ギル様がニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 護衛騎士が素早くこちらの腹を読んで「マズいですよ。内緒で城を出てきたうえに密入国です。身元不明の犯罪者とみなされても言い訳できません」と王女に耳打ちをしている。

「じゃあ、身分が証明できれば問題ないわけ?」と尋ねる王女に、護衛騎士は「それはそれで国際問題です」と答えた。


「仕方ないわね、ずらかるわよ」


 王女が仏頂面で魔術師に指示する。


「だったら、走ったほうがいいですよ~。どうやらこの森、転移魔法で来ることはできても出て行くことは無理みたいだ」


 魔術師は、のんびりと返事をした。「前金はお返しできませんからね」と付け加えて。


「なんですって! 帰れない?!」


 王女と護衛騎士は青ざめる。

 どう考えても、走って帰れる距離ではない。


「妻を襲っておいて、このまま黙って逃がすと思うのか」


 ギル様が殺気立つと、王女は「ひっ」と怯えて後ずさる。


「ゆ、許して? 許してくれたら、わたくし、あなたの愛人で我慢してあげてもいいわ」


「俺にブタは必要ねぇよ!」


 どこまでも傲慢な王女にギル様の怒りが爆発した。無詠唱で魔法を発動させたかと思うと、次の瞬間、王女たちを眩い光が包み込み、二匹のブタと一匹のネズミに変えていた。ネズミがちょろちょろと茂みに入るのを見たブタ二匹は、慌てた様子で去っていった。


「……ブタにしちゃったんですか」


「十年間は元に戻らないから安心しろ。だが、魔術師のほうは自分だけ先にネズミに変身して逃げやがった。あいつは昔からずる賢いからな」


「知り合いですか? 世界一の魔術師って言ってましたけど」


「大袈裟に喧伝して、高額な依頼料を吹っかけるので有名な男だよ。逃げ足が早いだけで、大したヤツじゃない」 


 以前は冒険者ギルドにいたが、無茶な依頼を受けては前金だけ奪っていくので居場所がなくなり、各地を放浪しているらしい。

 私は、そんな無責任な魔術師に召喚されて取り残されたドラゴンを抱っこした。ピギャ、ピギャと寂しそうに鳴く。試しに昼食用の焼肉サンドを与えてみたら、美味しそうにがぶりと食べた。


「わぁ、可愛い」


「ドラゴンは小さいうちから餌を与えれば懐くぞ。連れて帰るか?」


「はいっ!」


 私たちは、来た道を引き返した。

 もともと、この林道で王女たちが現れることを想定していたので、本邸まで行くつもりはなかったそうだ。

 御者台に並んで座り、二人でランチの残りとおやつを食べながら馬車に揺られた。楽しかった。

 王都の屋敷に着く頃には、ドラゴンの名前は『あおちゃん』に決まった。青いので『あお』。そのまんまだ。



 ※※※



 今、王都の屋敷は、賑やかだ。

 ドラゴンの『あおちゃん』が加わったのと、帰ったときには、拘束されていた王女の私兵たちが犬になっていたからである。警備兵に世話されて、キャンキャン、ワンワンとはしゃぎ回っている。


「『あんな王女のところに戻るくらいなら、()()()()()()()()()()()()になりたい』と皆さん口を揃えておっしゃるものですから」


 リットはそう言うが、『犬』の意味が違うと思う。

 ギル様曰く「命を助けてやっただけ感謝してもらわないとな。敵に寝返るヤツは、どうせまたやる」ということらしい。人として信用できないので、番犬として躾けることにしたようだ。

 ブタになった王女と護衛騎士は、魔法が解ける十年後には人間に戻れるが、ブタと同じ速度で老化が進む。その頃に帰れる場所があるのかどうかは謎である。

 あのあと、ジブェ王国側からマリーナ王女の急病が発表され、代理として第三王子が来訪した。急な変更により、王宮の事務方がてんてこ舞いだったのは言うまでもない。

 間諜によると、お昼寝中だったはずの王女が忽然と姿を消し、王宮内は騒然としていたそうだ。結局、お気に入りの護衛騎士と駆け落ちしたとの結論に落ち着き、目下のところ捜索中だ。しかし、王女の我がままに手を焼いていたので、見つかって欲しくないのが皆の本音である。

 取り逃がした魔術師の行方はわからない。とっくに国を出て、また碌でもない依頼を受けているのだろう。放っておいても害はないが、次に会ったときはぶっ殺すとギル様は息巻いている。



 それから数か月後に誕生日がやってきて、私は一歩大人に近づいた。

 ヘレナやリットから祝ってもらい、シュパンの作ったご馳走をあおちゃんと食べた。

 ギル様は出仕していて朝までいない予定だったけれど、夜更けに帰宅した。プレゼントはクマのぬいぐるみ。またもや子ども扱いだ。だけど、嬉しい。


「だ・か・ら、寝込みを襲うなと何度言ったらわかるんだっ!」


 私は、性懲りもなくギル様に夜這いをかけ、再び“足4の字固め”を決められてしまった。

 今度はちゃんとマダムの言う通り白いレースの夜着にしたのに、何が悪かったのだろう。

 早々に降参して、居住まいを正す。


「やっと十四歳になったんです。ギル様だって、私のことを『俺の妻』だと言ってくれたじゃないですか」


「まだ十四だ! どうして焦るんだ? 本当なら、成人してから結婚するはずだったんだぞ」


「だって、成人して社交場に出るようになったら、私が『救国の乙女』であることはもう隠せません。現状ですら狙われることがあるのに、もっと騒がしくなるでしょう? 出産するなら平和なうちにと思ったんです」


 我が国の成人年齢は十六歳だ。貴族女性にとっては、社交界デビューの年齢でもある。

 私はローエンシュタイン公爵夫人として正式にお披露目され、このピンクの髪と深紅の瞳が人々の目にさらされるのだ。当然、注目を浴びる。

 王宮内での変装、変身は禁止されており、瞳や髪色を変える選択肢はない。だからと言って、ずっと引きこもって生きるのも違うと思う。


「アホか! だからって早すぎるだろう。出産は命がけなんだ、少しは自分の身体のことも考えろ」


「でもっ」


 残念ながら歴代の『救国の乙女』が、寿命をまっとうした例は少ない。この平穏が有限のものならば、やっぱり私は好きな人との子どもが欲しい。

 

「いざとなったら国の一つや二つ、滅ぼしてしまえばいいだけだろうが。ちょっとくらい騒がしくなるからって心配するな。俺はロッテを守れないほど弱くない」


 私の不安を払拭するように、ギル様は事も無げに言う。

 魔力が強い者同士だからだろうか? ギル様が本気を出せば、国どころか世界を滅ぼすことも可能だと薄々感じることがある。

 無詠唱で王女をブタにするなんて、彼からすればお遊びみたいなものだ。

 国を救う少女のために国を滅ぼす魔術師、か。

 なんだか、おかしい。だけど、悪くない。

 うん……悪くない。

 

「だから、もう寝ろ。成人したら領地で盛大に結婚式のやり直しをすると母上が張り切っている。おあずけだった新婚旅行もするからな。それまでは、色気なんか出さずに、ちゃんとイチゴ柄のパジャマを着てろよ?」


 ちゃんと考えていてくれたのだと思うと堪えきれなかった。私は、ギル様の腕に縋りついて泣いた。


「うわぁ~ん、ギル様、好きです。大好き!」

 

「うわぁ、今度は、なんだっ」


 ギル様は、あたふたしていたけれど「離せ」とは言わなかった。その代わり、困ったように大きな手で私の頭を撫でた。

 その不器用な手のひらの温かさに安堵して、次から次へと涙が溢れた。


「ほら、安眠魔法をかけてやるから」


「グズッ……じゃあ、ここで一緒に眠ってもいいですか?」


「しょうがないなぁ」


 やっぱり、ギル様は私の運命の人だ。

 いつも傍にいて、いつの間にか大好きになっていて、私の夫で、大魔術師。

 そして、世界を相手に戦ってくれる唯一の人。


 この夜、私たちは、初めて手を繋いで眠った。キングサイズのベッドの真ん中で、ふわふわとした夢心地の魔法に身をゆだねながら。



最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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