序章〜ハッピーエンドの始まり〜
いつだって物語の最後はハッピーエンドと相場が決まっている。
この国の昔話だって最後はめでたしめでたしで終わるし、シンデレラや白雪姫だって最後は王子様と結婚して幸せな結末になる。だがハッピーエンドなんてものは、物語の中でしか生きることのできない妄想だ。現実はいつだって理不尽だし、現代社会ではハッピーエンドなんて考える時間もない。
だが、本当にハッピーエンドはこの現代社会で生きることのできない儚い妄想なのだろうか。答えは否である。普段生活している中では気づくこともできない小さなハッピーエンドがこの世界で蔓延っている。
例えばそれは、夕日さす放課後の教室。勇気を出して告白した男子生徒。
例えばそれは、推していたアイドルがドームライブ開催することを知った時。
例えばそれは、小さな産婦人科で産声を上げる小さな命。
知らないところで誰もがハッピーエンドを経験している。これは大変素晴らしいことだ。
80年という長い人生の中で、ハッピーエンドが無いなんてつまらない。
だから私は夢をみる。いつか全人類がハッピーエンドを迎える世界が作りたいと。
ただ、最近の人間はハッピーエンドよりもゴシップや他人の不幸を求めている。
テレビをつければ、芸人の不倫だとか不祥事だとか。SNSをひらけばいつも誰かが炎上している。しまいには、復讐目的の主人公やクソみたいな主人公の作品が人気を博している。
正直、そんなものを読んで何が面白いのかがわからない。ハッピーエンドよりもバッドエンドがいいわけがない。だってそうだろう。人が死ぬのと人が死なない世界、戦争がある世界と戦争のない世界、いじめのあるクラスといじめのないクラス、どちらがいいと聞かれれば圧倒的後者だろう。ここで前者を選ぶのは社会不適合社か逆張りがかっこいいと思っているクソ野郎だろう。
それでは、世界をハッピーエンドで満たすにはどうすればいいか。答えは簡単だ。
前者を全員殺せばいい。改心させるなんて生ゆるいやり方では一生この世界は良くならない。勿論、前者にも人生があり、家族がおり、幸せがある。
だが、その先のハッピーエンドに比べれば必要な犠牲だ。バッドエンドに比べれば幾分かましだ。私の素晴らしい夢の礎になるなら本人たちも満足だろう。
だからこそ、上手くやらなければ。必要最低限の犠牲で済むように。
小さなハッピーエンドで終わらせるわけにはいかない。
仕事終わり、疲れた体に鞭を打って地元の産婦人科へ向かう。道中何人かに二度見されたがそんなのことは些細な問題だ。目の前の奇跡に比べたら。
「あなた、元気な男の子よ。私たちの…子よ」
汗ばんだ妻が、一つの小さな命を俺に差し出す。とても軽かった、自分と変わらない命の一つのはずなのにその軽さがより一層儚かった。昔、親戚の子を抱っこしたことがあるがこんなに柔らかかっただろうか。こんなに可愛かっただろうか。まだ、目は開いていないがどことなく妻の面影があった。これは将来美少年になるな。
「あぁ、あぁ」
俺はこんなに語彙力が無かっただろうか。出てくる言葉は「ああ」の一言だけ。本来なら、長い時間戦ってくれた妻に労いの言葉でもかけるのだろう。いや、俺労いの言葉一言も言ってないじゃん。
「樹、ありがとう、ありがとう。本当に……お疲れ様」
「いいのよ、これは私の仕事だもの」
慌てて出した言葉に妻はにこやかに笑った。きっと、今俺の考えていることも見透かしているのだろう。だが、そんなことよりも目の前の妻の笑顔に目を奪われてしまった。今まで、幾度となく妻の顔を見てきたがこんなにも綺麗な顔をしていたのか。化粧もなく、リップもつけず、髪の毛は長時間の出産だったからか汗でベタづいている。ただ、その顔がとても美しかった。
「ねぇ、あなた。この子の名前考えてくれた?」
「ああ、勿論さ。この子の名前は–––––」
「いい名前ね」
「そうだろう。そうだろう。この子が幸せで溢れるような人生になるよう一生懸命考えたんだぞ」
「あなたらしくて私は好きだわ。うん、––––。いい名前。きっとこの子はみんなのヒーローになってくれるわ。だって私たちの息子ですもの」
「そうだな。俺たちの息子だもんな」
きっと、この子の人生は幸せばかりではないだろう。嫌なこともあるし、怪我することもある。ただ、この一瞬だけはせめて願わせてほしい。
「この子の人生がハッピーエンドでありますように」
ようこそ。最高のハッピーエンドへ