天仙娘娘 4
老博士の名は、藤川弘蔵。IN-PSIDの総責任者であり、日本本部所長を務めている人物だ。
「よろしいのですか?」カミラが確認する。
「うむ。隊員ではない亜夢に、危険なインナーミッションへの協力を頼み続けるわけには……とも思っていたが。本人がその気なら、拒む理由もなかろう。どうかね、東くん?」
藤川の後ろから、角刈りの長身の男が姿を表す。インナーミッションチーフを務める東茂である。
「システムの方は、問題ないぞ」
口を開きかけた東を遮り、長く伸びた顎髭を撫でながら前に進み出た男の名は、アルベルト・ノイマン。IN-PSID本部技術統括部長を務めるドイツ出身の技術者だ。
「え、ええ。わかってます。それに、同行を禁じたところで、"アムネリアの魂"は、直人を通してミッションに入り込んでしまうでしょう。であれば」東は、腕組みをしながら答え、亜夢を見やった。
「同行させて、管理下に置いた方が、ミッションへの支障も少ない、と?」意図を理解したカミラに、東は頷いて答える。
「実は、東くんとちょうど今、そのことについて検討を進めていてな。アムネリア、それに亜夢は、正式にインナーノーツ凖隊員として迎えようと考えている。もっとも"二人"の意志次第、と思ってはいたが……この調子ならその点は、問題ないな」
東は苦笑いを浮かべながらインナーノーツ一同を見渡す。
「"二人"を……凖隊員に?」直人は、驚いた様子で聞き返した。
「よかったじゃん、亜夢! それにナオ!」強引に直人と亜夢の二人の肩を引き寄せ、ティムは嬉々として言い放った。
「はぁ⁉︎ お……オレは別に」俯きながら言葉を返す直人を、亜夢はきょとんとなって見つめている。
「おめでとう、亜夢。貴女、これから私たちの正式な仲間になれるって!」
カミラの言葉を聞いても、亜夢は状況がよく理解できていない。
「つまり、ミッションの時は、ナオと一緒ってことさ!」ティムは、亜夢の顔を覗き込んで言った。
「行っていいの? ……なおと⁉︎」
亜夢の大きな瞳に、焔の小さな輝きが灯る。
「えっ……まあ、そういうことみたい……」じっと見つめてくる亜夢の瞳から逃げながら、直人は呟くように答えた。
「やぁっっったああああぁ! なお……」肩に置かれたティムの腕をすり抜けた亜夢は、そのまま直人に飛びつこうとするも、伸ばした手が直人に触れることはなく、脱力して立ち尽くす。
「アムネリア……」
「……ありがとう……ございます……ともに……」「ちょっと! 出てこないでよ! 亜夢が……」亜夢の意識が、なんとか体を取り戻そうともがくも束の間。
「って、な、何??」亜夢は大きく項垂れ、しばらく身動きをしなくなった。
すると、今度はゆっくりと頭を持ち上げる。
一同はその間、無言のまま亜夢の挙動を、息を呑んで見守っていた。顔を上げた亜夢の表情は、先ほどまでの騒々しい気配をすっかり消し、静けさと気品に満ちていた。
「…………おやすみなさい……亜夢。しばらく眠らせておきます。さあ、参りましょう、なおと」
インナーノーツのファーストミッションは、五年もの間、眠り続けていた亜夢の深層無意識の探査であった。当初、『メルジーネ』と呼んでいた、亜夢のもう一つの人格(魂)『アムネリア』が、亜夢の意識を抑え込んで眠らせていたのである。『アムネリア』が『亜夢』の人格を認め、今は一つの肉体に、二つの人格(魂)が共生している状態だ。なるほど、アムネリアは、こうやって亜夢の意識を深層無意識深くに眠らせていたのかと、一同は背中に薄ら寒いものを感じながら、理解した。
「ア……アムネリア、亜夢は⁉︎」直人は、焦りを露わに問う。
「大丈夫、少しの間だけ」
アムネリアは、微笑を浮かべている。
氷のように冷たい笑みに皆が固まっている間、アムネリアは、長く垂れた髪を両の肩の前で束ねると、亜夢がいつもブレスレットのようにして手首に着けている、青のビーズで彩られたシュシュで手早く留めた。
「さあ、今のうちに参りましょう」
————
「どうした? あんまり乗り気じゃないって顔ね?」ティムは、訝しんで直人の物憂げな顔を覗き込む。
「……アムネリアの力は、オレたちにとって心強い味方……けど、亜夢とアムネリアにかかる負担は、オレたち以上だ……いくら元気になったとはいえ、療養中の身。ミッションのせいで、また何かあったら……」
ティムの視線から逃げるように、直人は自席のコンソールパネルを確認する素振りを見せる。
「うっわっ。やっさし〜〜、センパイ。その優しさ、アタシにも分けてほしいわぁ」サニは、わざとらしく嘯く。
「そ、そういうんじゃなくって‼︎ 」直人は、あたふたと顔を上げ、また俯いた。
「せっかく助かった命なんだ。なのに、それをオレたちが遣ってるみたいで……」
『なおと……ありがとう……"我ら"は大丈夫……』
ブリッジに音声変換されて響くアムネリアの声に、直人は思わず振り向いた。ブリッジ中央のフォログラムイメージ投影機が映し出す、アムネリアの仄青に輝く瞳と、直人の視線がぶつかり合う。美しい瞳の輝きに引き込まれそうになりながらも、なんとか我に帰り、直人は正面に向き直った。
「ふ〜ん」ティムは、微笑ましそうに二人を見守った。
「な、なんだよ、ティム!」「いや、べっつに〜」
フォログラムの後方で、口を尖らせたサニが自分の作業に戻りかけた時、<天仙娘娘>から通信が入った。
<天仙娘娘>チーム隊長、劉は、援護に対して謝意を述べたが、<天仙娘娘>ブリッジのピリピリとした空気は、通信モニター越しにも否応無しに伝わってくる。
「こわい、こわい」と普段、女好きを自称するティムですら、通信モニターから目を泳がせていた。
「迂闊よ、リュウ。全方位特化の船でも、隙をつかれたらおしまいよ」カミラは、臆する事なく忠告する。
『肝に銘じます』劉は、努めて抑えた口調で返答した。
「隊長、反応まだ来ます!」通信の間もレーダー監視に当たっていたサニが声を上げる。サニの捕捉した情報は、すぐさま<天仙娘娘>にもデータリンクされる。きつね顔の<天仙娘娘>副長は、小さく舌打ちした。
「左はこちらでカバーする。右、頼むわよ」カミラの判断に、劉は『承知……』とだけ答え、通信のマイクをミュートしかけた。
『ナオト‼︎』
そこに割り込んだ刺々しい呼び声が、通信モニターから自分の作業へと戻ろうとした直人の視線を強引に引き戻す。通信モニターの中で、浅黒い肌の少年のような顔立ちの女性クルーが、眉を吊り上げ、大きな栗色の瞳で睨みつけていた。
確か、自分と同様、ミッション装備担当のクルーかと、ミッション前の顔合わせを直人が思い出していると、彼女は無言で睨みつけたまま通信音声を切った。
「くくっ、可愛いライバル登場、だな?」隣席のティムは、面白いものが見れたとばかりに嬉々としている。
「知るかよ」とだけ返すと、直人は、淡々と次のターゲットへの対応準備にかかり始めた。