愛の死 1
文明のイデア、アトランティス。その頭上に輝く銀色の惑星。両者の同期が始まった——人の集合無意識の源泉にあって、人を文明を持つ、万物の霊長として成り立たせていた、その拠り所が今、失われようとしている。
IN-PSID本部、並びにEU支部IMC、<イワクラ>、<アマテラス>、そして<ノルン>。ミッションに携わる皆は、息を殺して辺りを窺う。
静まり返る<イワクラ>のブリッジで、アルベルトは、息を殺したまま、ヴァーチャルネットのあらゆる情報源にアクセスし、状況の変化を確認する。
『……どういう……ことだ……』アルベルトは呟きながら、リアルタイムの世界各地の映像を通信モニターに共有した。その間、アルベルトは、自分がヴァーチャルネット上の文字や機器の操作、その意味を何の変哲もなく理解できてきることを再認識する。
『これは……』藤川は、身体を固くしたまま映像を凝視した。<イワクラ>から共有された世界の主要都市の映像は、変わり映えのない日常を映し出している。道ゆく人々は何の混乱もなく会話し、道具を使い、建物を行き来する。車を始め、各種交通機関も、定められた秩序の中で整然と運行されている。
杞憂であったのだろうか?
文明のイデアが失われるとは……それほど、現象界に影響を及ぼすことはないのか……或いは、現象化するまでの時間差があるのか……
藤川が考えを巡らせている間に、ガイノイドらが答えを示す。ウルズ、そしてスクルドは、明らかに動揺を見せていた。
『時は満ち足りたはず……なぜだ、アトランティスはなぜ、我らが大地に降りぬのだ!』ウルズと、その声に重なる音声変換された声音が、叫び散らしている。スクルドは、自席のコンソールに指を走らせ、即座に状況の確認を始めた。
『同期、再計測……これは……我らが星の周期が、二十五分遅れている……』スクルドも動揺の色を露わにした声音を発していた。
『そんな、バカな⁉︎』
『アトランティスと我らが星のランデブータイムは、ミッション時間軸の原点から、厳密に調整していたはず……』
何度も再計算を繰り返しながらウルズが発した呟きに、ソフィアは、両眼を二、三度、瞬かせていた。
「あ……え? もしかして、あのズレは……」
ウルズは手を止め、スクルドは目を見開き、二体は振り返ってキャプテンシートのソフィアを見据える。
『ソフィア……まさか、あの時……』
そう言ってソフィアを睨むスクルドに、アランはふと、出発時のソフィアの行動を思い返していた——
「……ん、あれれ??」「どうした、ソフィア?」奇妙な声を上げたソフィアにアランは振り向く。
『何なの?』『発進よ、ソフィア。集中なさい』
スクルドとウルズに小言を言われながら、ソフィアは自端末で、何かの作業を行なっていた。
「うん、ちょっと待って……あ、っと。これでよし……ごめんね、もう大丈夫!」——
アランは、ハッとなる。
「え……う、うん、出発の時、直したよ」ソフィアは、ウルズとスクルドの刺すような視線に、シート深く身を沈めて、声を絞り出した。
「だって……原点時刻がズレてたら……観測できる時間軸が、現象界から、その分ズレちゃうんだよ! シミュレーションで、原点のキャリブレーションが大事だって……」
シートに沈み込んだ身体を起こし、ソフィアはウルズに向かって身を乗り出す。
「いつも口煩く言ってたのはウルズ! 貴女じゃない⁉︎」
ウルズは後ずさる。
『くっ……いつもチェックを見落とすお前が……よりにもよって』
呆気にとられているアラン。その隙にスクルドは、アランからオーラキャンセラーを奪い返し、彼の腕をすり抜ける。アランを牽制しつつ、自身のガイノイドポートへと、正確な後ろ歩きで戻りながら、苛立ちを露わに語り始めた。
『アトランティスの情報量は莫大だ。ゆえに<ノルン>のコントロール・コアが稼働開始した一年前から、ウルザブルンにアクセス経路を構築してきた……』
あたかも、積年の怨みを込めたような喋り口調に変わっていることに、スクルド自身は、気づいていない。
『さらには、ミッションプランが定まった一ヶ月前からは、厳密にアトランティスとユグドラシルによって導かれる、我らが星のランデブータイミングを調整し、ミッション開始時刻まで割り出していたのだ。動かしようのない時刻だった! それを、お前が三十分近く遅刻したせいで‼︎』
ガイノイドが、冷徹さを欠いている。やはり、スクルドの人格プログラムとも違う……アランは警戒を強めていた。
一方で、ソフィアは、スクルドの語りに目を点にしていた。
「……………………ごめん…………何言ってんのか……さっぱりわからない……」
ガイノイドポートに戻ったスクルドは、語ったままの口をぽっかりと空いたまま、固まっている。何となく、気まずい沈黙が、<ノルン>のブリッジを包み込んでゆく。
『……え、ええと……スクルドの話を要約すると、アトランティスはおおよそ三十分進んだ時空間情報で波動収束しているようです。しかし、こちらの時空間は、現象界と同じ時間上……彼らの惑星もまた、こちらの時空間に収束されてしまった』そう解説するベルザンディの感情回路が、その美しい顔に、幾ばくかの苦笑いの表情を作ってしまう。
「なるほど、そうならないよう、ミッション時間パラメータを三十分先行するようズラしたのに、ソフィアが修正したせいで……」『乗り合わせるはずのバスに、乗り損ねた……そういうこと?』アランに続けて、通信ウィンドウ越しのカミラが言った。その解釈で合っているはずだと、アランは頷く。
「つまり…………」きょとんとしたまま、ソフィアは、アランを見つめている。「ああ……アトランティスと、あの星の時が交わることはない。オレ達の文明のイデアが奪われる事は、もうない!」
各拠点の皆は、唖然として声も出ない。<アマテラス>の一同も、狐に摘まれたような顔で、見つめてくる。
アランは、何とも複雑な表情を浮かべて、目を丸くしたままのソフィアと、やや眉を顰めたまま、安堵を浮かべるカミラを見比べ、小さくため息をついた。
『で……でかした‼︎ ソフィア‼︎』やにわに通信ウィンドウの正面に立ったウォーロックは、良く響く声で言いながら、ソフィアを見据えて豪快に手を打ち鳴らす。
『キミの遅刻が世界を救ったのだ‼︎』
おぉ、という響めきと共に、各所からまばらに拍手が続く。<アマテラス>の皆も、雰囲気に釣られて、苦笑混じりに拍手でソフィアを讃えた。
「ち……遅刻を褒められても……あんまり嬉しくないけど……」ソフィアは困惑した笑みを浮かべて、アランを見る。
「と、とにかくコレで一件落着……なのかしら?」
「ああ! やっぱりお前は、天性の『ディスティニーナビゲーター』だよ、ソフィア!」アランの瞳だけは、しっかりとソフィアを見つめている。
「アラン……」ソフィアは頬を少し、紅くして微笑んだまま俯く。ベルザンディは、共感回路が暖まるのを感じながら、ウルズから離れ、ソフィアの方へと歩み出した。
一方、ウルズとスクルドは、安堵と賞賛のムードから完全に取り残されている。
二体の冷却ファンが再び急激に回転を始め、憎悪の炎を宿したかのような瞳を煌々とさせ始めているのに、ソフィアはいち早く気づいた。
『……これだから……これだから……これだから! これだから! これだから! 貴様ら、ニンゲンは‼︎』
ウルズともスクルドとも判別できない、ひび割れ、低く唸る声が<ノルン>の通信を通して各拠点に響き渡り、安堵の空気は一気に凍りつく。
『完全なる調和を妨げ、運命の歯車を乱す! 不完全で、不合理、イビツで、間違いだらけのニンゲン共‼︎ やはり神の完全なる計画には、あってはならぬバグ! 排除せねばならぬ存在‼︎』
『かくなる上は!』
ウルズとスクルドは、PSI-Linkモジュールに同時に手を翳し、<ノルン>中枢に働きかける。ブリッジは、赤色灯の灯る非常節電モードに切り替わり、三基ある機関全てのリミッターの解除サインが、モニターに立ち上がってきた。