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INNER NAUTS(インナーノーツ)第二部  作者: SunYoh
第三章 運命の輪
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叛逆 7

 この一月ほど前の事だ。しばらく音信の途絶えていた昔馴染のカミラが、重度のPSIシンドロームを発症したという報せが、アランの元に舞い込んだ。IN-PSID EU支部附属病院に運ばれるも、症状は重く、治療できる可能性は、日本のIN-PSID本部だけだという。カミラは、間もなく、日本に移される。アランもそれに同行するつもりだ。


 ……インナースペースに生成した人工の魂情報場によって、AIを制御する。人とは何か? ……その根元に迫る、ここでの研究が、カミラの抱えこんだ闇を解く、鍵となるはずだ……俺が救う……必ず! ……それが、俺の成すべきことなんだ……


 ……だが、お前にとっては、裏切りに違いない……許してくれ……ソフィア……


 アランは、膝に置いた拳を一層、固く握りしめていた。


 舞台のトリスタンとイゾルデの歌の応酬が、熱を帯びてくる。


「……よく聞いてほしい。私の償いの誓いを! トリスタンの栄光、それは誠実! トリスタンの悲惨、それは無謀な反抗! ……心を欺きながらも、夢見続けてきたことはただ一つ。この永遠の悲哀を慰めるもの……」舞台の上でトリスタンが、金の盃を高らかにかざし、「何より得難い、忘却の酒よ。お前を飲もう!」と、盃を呷る。


 すると、イゾルデは、金の盃をトリスタンからむしり取り「裏切り者! 半分は私のものよ‼︎」と、残りを一気に飲み干す。緊迫した音楽のボルテージが最高潮に達し、弾けるのと同時に二人は倒れ込み、舞台は暗転する。


 張り詰めた空気が、劇場を包み込む。


 やがて、舞台に横たわるトリスタンとイゾルデが、柔らかな照明の中に浮き上がってきた。


 暗がりの中、二人はゆっくりと身体を起こし、お互い駆け寄る。


「トリスタン!」「イゾルデ!」


 死の秘薬を飲んだはずの二人は蘇った。溢れ出る感情と、燃える情熱を伴って。


「トリスタン! 不実で優しい方!」


「イゾルデ! 私の大切な人!」


 激しく抱擁し合う二人は、愛を語らう歌に酔いしれる。ブランゲーネによって、金の盃に注がれていたのは、二人の秘めた想いを解き放つ、魔法の媚薬。だが、薬はただのきっかけでしかなかったのかもしれない。



 ……そう……あの時、いっそ……


 膝の上に乗せた拳を解き、アランはその手をソフィアの方へとゆっくりと差し出す。


 …………こんな媚薬でもあれば……ずっと一緒にいたかった……でも……ワタシは……


 ソフィアの手もまた、再びアランを求めていた。


 …………俺は……あの時…………カミラを救う為とはいえ………………ソフィアを捨てた……こんなにも……俺を必要としてくれた……孤独を安らぎに変えてくれた……ソフィアを……俺は…………これでよかったのか……


 …………ものわかりのいい女なんて、ワタシの柄じゃないのに……アランに嫌われたくなくて……でも……


 ……ブランゲー……ベルちゃん……


 ……ワタシ……どうすれば良かったのかな……


 アランとソフィアの手が触れ合い、二人はハッとなって、お互いを見つめ合う。


 その瞬間、劇場は消え失せ、虚空の中に、たわわな果実を幾つも実らせた巨木が、二人の目の前に聳え立つ。


 ……知恵の実……


 ソフィアが見上げると、そこには、数多の文明の様相と共に、ソフィアの記憶を映し出す実がいくつも見える。同じように、アランの記憶の実もある。


 その中に、たった今、鑑賞していた劇を映す、大きな実が一つ、二人の目に留まる。それだけではない。二人が共に過ごした日々もまた、浮かんでくる。劇の風景に折り重なって、幾つもの思い出が、その実に凝縮されていた。


 …………神は言った……この実を口にすれば、永遠の命は失われ、この楽園は消え去ると……


 ……こうやって……何も語らない貴方と二人……何の不安も無い、この一時の楽園で……それもいい……けど……


 ソフィアは、自ずとその実に手を伸ばす。


 ……俺は……あの時……カミラを選んだ。選ばざるをえなかった……その決断を知られまいと、目の前の仕事に逃げていた……


 ……けれど、俺は……ソフィア……お前を……


 アランもまた、自ずとその記憶の実に手を伸ばしていた。


 ……身勝手な女って、貴方はそう思うかしら……


 …………でも……貴方を失いたくなかった……ワタシには、貴方しか……


 その大きな実は、大木から静かに離れ落ち、二人の手の中へと収まる。


 ……そう……


 何処からか、声がする。


 ……これは貴女が欲した、あのトリスタンとイゾルデの媚薬……


 ……魂を解放を願うなら……ソフィア……


 ……この実を……


 <ノルン>のブリッジに、突如、『創世プログラム』実行エラーのアラートが立つ。


 アナザーアースの招致に、注力していたウルズとスクルドは色めき立つ。


『くっ! ベルザンディ‼︎ やはり、お前か⁉︎』


 仮想空間監視モニターの映像を切り替えていくと、ソフィアとアランが、スイカほどある知恵の実を手に見つめあっている。


『ソフィア‼︎』


『ならぬ! その実に口を出しては‼︎』


 しかし、ウルズの声は届かない。


 ……たとえ命が尽きようと……ワタシは、ワタシの思うように! ……


 ……ソフィア……お前と共に、歩む世界が許されたなら! ……


 アランとソフィアの姿は、再びトリスタンとイゾルデとなり、果実は大きな黄金の盃へと姿を変えていた。


 二人は一緒に、その盃を呷る。炎の剣が、その二人を裂こうと頭上に現れ、盃目掛けて急激に落下するも、その瞬間、楽園は眩い光に包み込まれていく——



「みて! ユグドラシルが‼︎」


 メインモニターを指さし、サニは声を張り上げた。<アマテラス>の一同は、モニターに映る虹色に蠢く世界樹の変容に、目を見開いた。


 まばゆい光をとめどなく拡散し、成長し続けていたユグドラシルの像が、光を失い、硬直し影のようになって空間に溶け込んでゆく。

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