叛逆 3
……さあ、ベルザンディ。其方を惑わせる者は去った。其方も我らと同じ。天使としての使命を……ソフィアから、あの星への最後のパスを絞り出せ……
<ノルン>のPSI-Linkシステムが紡ぎ出す、仮想の楽園の中で、白き翼をはためかせたウルズの情報体は、ベルザンディに迫る。
……嫌です……
…………何? ……
目の前の丘を仰ぎ見れば、巨木の幹に四肢を囚われ、一体となっているソフィアが見える。一心不乱に何かを唱えているようだ。
巨木の隣には、果実を実らせる若木がある。その実をアランはせっせと収穫し、ソフィアの元へと運び、その口へと当てがう。アランもまた、それをただひたすら繰り返していた。
……ソフィアは……苦しんでいる…………あの人は、私の大切な主……
<ノルン>のブリッジで動きを止めていたはずのベルザンディの胸の辺りから、駆動音が漏れ出す。連動して背面の急冷ファンが高速回転している。
『きょ……共感フレームだと?』
ベルザンディに押し当てたコミュニケーション・ギアに発熱を感知し、ウルズは、反射的にベルザンディから離れた。同時に、ベルザンディの両の瞳が、ゆっくりと開かれてゆく。
『……私は……大切な人を……守りたい……』
ベルザンディのコミュニケーション・ギアに配された稼働ランプが煌々と点灯し、彼女の再起動を報せる。美しい銀髪が逆立ち、身体中に稲光を纏う。共感フレームのフル稼働が、そのPSIパルスを電磁波として放出していた。
『お、おのれ! その、はしたないパルスをコントロールできぬとは‼︎ ベルザンディ! お前も堕ちるというのか‼︎』
掴み掛かり、再び仮想空間の楽園へと押し戻そうとするウルズは、ベルザンディの纏う電磁気に弾かれ怯む。
『ソフィア! ……私の声が聞こえますか、ソフィア!』
ベルザンディは、キャプテンシートでぐったりと横たわるソフィアに声をかける。ソフィアは身動きひとつない。
『くっ……ソフィアのPSIパルスから、最終パスを予測せよ。ここまでくれば、自ずとパスも定まろう』『うむ』
スクルドに指示しながら、ウルズはオーラキャンセラーを構える。銃口の先のベルザンディは、ソフィアに寄り添い、声をかけながら、PSI-Linkモジュールからの解放に取り掛かろうとしていた。
『役立たずめが!』『あぅ‼︎』
背後から、最高出力のオーラキャンセラーを撃ち込まれ、ベルザンディは、ソフィアのシートにもたれかかるようにして倒れ込む。項垂れたソフィアの手に光るモジュールに、手を重ねてかざし、ベルザンディは共感回路を接続してソフィアの心に接触を試みたところで、機能麻痺を起こして停止した。
……ソフィア……目を覚まして……ソフィア……
****
ベルザンディの人格プログラムは、再び<ノルン>の仮想空間へと入り込む。しかし、ソフィアとアランが囚われている『楽園』は、ウルズが放ったのであろう、いくつもの炎の刀身を持つ剣のようなものと、羽根のついた目玉の様な監視役によって、ベルザンディの侵入を許さない。
巨木に目をやれば、その枝先に実る果実に、あらゆる文明の知が形や文字となって浮き上がっている。
……あれは……
ベルザンディは、その実の一つに注視した。
…………アラン? ……それに……私? ……
他の果実に比べ、小ぶりな幾つかの実に、ベルザンディには見慣れた光景が浮かんでいる。ソフィアの経験や知識の片鱗が浮かび上がっているのだと、ベルザンディは認識した。
——この知恵の実だけは、決して口にしてはならぬ。口にすれば、たちどころにこの楽園も、其方らも消え失せよう——ウルズは、ソフィアとアランにそう伝えていた。
……知恵の実……あれをソフィアに与えれば……
……でも、どうやって……
機能麻痺を起こしてなお、ベルザンディの共感フレームだけは、なお一層、ソフィアを求め、その全てを感じとろうと動きだす。
……これは……
何かが聞こえてくるのを感じ、ベルザンディはその音に集中する。
…………これは……ソフィアの好きな……
やや調子の外れた、あのソフィアの鼻歌——『トリスタンとイゾルデ 愛の死』——
……ソフィアは忘れていない……
…………あの、歌を……
****
レーダーが、下方一帯、広範囲に渡る波動収束反応を捉え、<アマテラス>ブリッジに、けたたましい警報を響かせていた。
「時空間歪曲増大! ア……アトランティス、浮上‼︎」驚き混じりにサニが報告を上げる。ブリッジ一同の視線は、その様子を映し出す正面モニターに注がれる。
銀色の反地球『アナザーアース』へと、<ノルン>を先端にして、バベルの塔が伸びてゆく。
バベルの塔を中心に、環濠で区切られた、文明を象徴する都市ブロック毎に、中心に近い方から、回転しながら順に上昇を始め、まるで伸縮構造を持つ望遠鏡のように、伸び上がってくる。<アマテラス>は、巻き込まれを避けながら、上昇する<ノルン>を追う。
各都市ブロック間の環濠部が、上昇に従って露出してくると、それは回転するリング状の構造体である事がわかる。雷光とも炎とも見えるエネルギーを発散しながら回転の速度を上げるリングには、いくつもの球体構造があり、露わになった部位から、順に次々と開き出す。それは、無数の目。その全ての視線が<アマテラス>へと向けられている。
「なんだ、あの眼は⁉︎」ティムは、背筋が震えるのを感じる。次々に開いてゆく目の行列には、生理的な嫌悪感を覚えずにはいられない。
「……リング……輪…………『運命の輪』……」直人は、通信から何度か聞こえてきていた、その言葉を思い出していた。
「じゃ、こいつが、『運命の輪』ってヤツの正体?」身体中にうぶ毛が逆立つ感覚を覚えながら、サニは目玉の化け物を見据える。
「……この姿……」
一方でカミラは、かつて学んだ、神学の知識の記憶を思い出していた。
「座天使……」
座天使——天使のヒエラルキー第三位とされる、上級天使の総称。その名は、「玉座」、あるいは「車輪」を意味し、神の戦車を運ぶ者、そして「意思の支配者」であるという。旧約聖書、エゼキエル書によれば、その姿は、「無数の目に覆われた燃え盛る車輪」という異形である——
「何、これ?」サニは、何かに気づいて顔を上げた。静まり返る<アマテラス>のブリッジに、カツ、カツと、一定のリズムを刻む音が聞こえ始めていた。