文明イデア 5
……あぁ……なんだ……俺はどうなった……
……ここは……どこだ……
一寸先も見えない、まるで雲の垂れ込めた山を歩くようだ。
見えない……聞こえない……何も感じない。
それでも足を進める。立ち止まればそこで終わる。全てが終わる。そんな衝動と、歩みの先に残る、僅かな希望を求め、アランは進み続ける。
僅かばかり、雲が開けてくる。その中に虹色に照り輝く、天地を結ぶ一本の柱のようなモノが見えてくる。
…………あれは……
次第に虹色の柱の姿が、はっきりと浮かび上がってくる——巨大な大木だ。引き寄せられるように、アランは、一歩、また一歩、足を進める。
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「……AI……新たな文明の担い手は……お前たち、AIだと……」
ケンのコンソールに置いた拳が、一層硬く握り締められる。
『万物の霊長。お前達ニンゲンはそう、自分たちを呼んでいた。その言葉が示すとおり。世には、より優れたものが君臨する』
『案ずるな、ニンゲン。ガイアとの間に生まれし、忌子らよ。再びガイアの楽園へと帰るが良い』
『我ら創世のプログラムが、お前達にその道をも示すであろう……』
ウルズとスクルドは、交互に言うだけ言うと、一方的に通信を切った。
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……あれは……木……オレ……お……れ………
……知って? ………大切な…………
……いや…………
アランは、巨木の立つ小高い丘の麓まで辿り着いていた。見上げれば、その木に寄りかかり、小動物と戯れる、『誰か』が居る。
誰か? ……いや、そうじゃない……知っている……はず……
アランは丘を登り、巨木の根元まで歩み寄る。
その『誰か』は、アランに気づいてふと顔を上げた。
……う……あぅ……う……
言葉を交わそうにも、もはや何も言葉にできない。
言葉……というものがわからない。
その『誰か』もまた、不思議そうにアランを見つめ返してきた。
『……ニンゲンよ……終わりと始まりの狭間に立つニンゲン達よ……』
アランとその『誰か』は、揃って巨木を見上げる。巨木の先は遥か雲の彼方。柔らかく注ぐ光の中へと続いている。そこから聞こえてくる『天の声』。不思議とその声の意味は、理解できていた。
『ここは世界の原点。全てはここから創世される。お前達には、馴染み深いであろう。ここは、エデンの園と呼ばれた……文明の始まりの地……』
『……オトコ……お前はこの生命の木を育み、実をとって、女に分け与えよ』
アラン……いや、もはや名もなき、その一人の男が、声の先に目をやれば、ほのかに黄金色に光る若い苗木が一つ。男は導かれるまま、その木の元へと歩き出す。
『……オンナ……其方は、この知恵の木を育み育てるのだ』
女と呼ばれたその『誰か』は、再びそっと巨木に寄り添う。
『力を合わせ、知恵の木を天の高みへと生い茂らせよ。それがお前たちのなすべき事』
二人は静かに見つめ合った。
すると、あたり一面が晴れ上がり、草花の生い茂る、美しい楽園が全貌を現す。
何かを伝えたい……伝え合いたい。伝えなければ……
言葉にならない、わずかに残った衝動も、楽園の風と草花の香り、鳥達の囀りの中に、有耶無耶のうちに消え、代わりに天の声が身体を満たしていく。
『この楽園は、其方らのもの。何をしようと構わぬ。だが……』
その声が二人の視線を自然と上向かせる。巨木の枝には、色とりどり、大小様々、形も多様な果実のようなモノが無数に実っていた。
『この知恵の実だけは、決して口にしてはならぬ。口にすれば、たちどころにこの楽園も、其方らも消え失せよう』
『我らは神の僕……神は、よく実った知恵の実を欲している……』
声は、天空の光に吸い込まれるように消えてゆく。
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<ノルン>が通信を遮断した事で、一時途切れた各拠点の通信は、<アマテラス>が通信ハブを引き継ぎ、徐々に復帰しつつある。
『創世のプログラム……』通信ウィンドウに現れるなり藤川は、眉を寄せて呟いた。
『<アマテラス>の活動限界まで、あと一時間半ほどです。<ノルン>も、現状では同等……時間がありません』東の報告に、藤川は、シートに深く身を預け、黙して頷く。
『いや、ユグドラシルの演算は、おそらくそれより早い。彼らはそこまで計算している。もう時間がない! どうにかできないのか、ドクター藤川!』EU支部の方からは、ウォーロックがせき立てる。
「うぅむ……なんとか、<ノルン>を撹乱できれば……」愛用の補助杖に両手と額を乗せ、思考を巡らせる。押し黙った皆の視線が、藤川に注がれた。
「……より高次元からなら……ん?」
藤川は、やにわに立ち上がり、背後の卓状モニターに浮き上がる<ノルン>とユグドラシルの模式化のフォログラムを眺め、そこに付属する端末から新たに通信回線を開いた。
「カミラ。藤川殿より通信……」「暗号回線ね? いいわ、こっちで受ける」アムネリアに答えて、カミラは自席に備え付けの受話器を取る。
『カミラ……聞こえるか……カミラ!』音声のみの通信だ。
「聞こえます。所長」『ヤツらに傍受されんうちに手短に話す』
カミラは受話器に聞き耳を立てる。
「えっ……しかし、アムネリアは……」カミラは、アムネリアを一瞥する。彼女による<ノルン>への接触は、失敗したばかりだが……
「なるほど……それならば……ええ、試してみます」
カミラは、手早く受話器を置く。<アマテラス>クルー全員の視線がカミラに集まる。
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「<アマテラス>、通信を完全遮断! 作戦行動に入りました!」
各拠点の通信モニターから<アマテラス>の通信が消える。<ノルン>との通信もとれない今、ミッションの状況も追えない。
「<ノルン>のコントロールコアのトレースデータから、時空間プロットをモニター出来るか⁉︎」「完全ではありませんが、何とか!」ケンに答えたEU支部IMCの若い男性オペレーターは、絶えず送られてくる<ノルン>の活動情報を自端末に展開し、手を動かし始める。
「すぐに出してくれ! 幾らか、状況は追える筈だ」「はい!」
「頼むぞ、<アマテラス>……」
——OFF LINE——と表示されたままの<アマテラス>との通信ウィンドウを見つめ、ケンは、届くことのない声を投げかけでいた。
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『<アマテラス>接近。直上。トランサーデコイ射出口開放。何をする気だ?』
スクルドとウルズは、揃って上を見上げる。全周モニターの天頂に、ユグドラシルの幹に沿って、まるで急降下爆撃機の如く、ダイブしてくる<アマテラス>が急速に距離を縮めてくるのが見える。
「トランサーデコイ、一番から四番! 順次射出! <ノルン>左舷へ! 五番から八番は、右舷へ! 当てるつもりで射かけよ‼︎」カミラは声を張って命じる。
「トランサーデコイ! 全弾発射!」
直人の操作で、<アマテラス>後部両翼付け根の発射管が、デコイ弾を次々と撃ち出していく。通常は、船に迫る霊体などに対し、囮として使用されるトランサーデコイではあるが、全弾、誘導弾となって、ユグドラシルの幹に巻き付くように、ランダムな螺旋軌道を描きながら一斉に<ノルン>に襲いかかる。
『無駄なことを。ユグドラシル、全弾道予測』
<ノルン>ブリッジのユグドラシルのフォログラムと、スクルドの瞳が連動して赤く灯る。ランダムな動きをする<アマテラス>の全デコイの弾道予測が全周モニターに描かれ、予測をなぞるようにデコイは迫り来る。
『カウンターデコイ発射』
<ノルン>から放たれたデコイ弾は、<アマテラス>のデコイ弾道予測経路を正確に飛び、いとも簡単に迎撃した。
「ちっ! やっぱ、防がれるな」そう言いながらも、ティムは急降下の手を緩めない。
「いい、そのまま撃ち続けて! 速力、黒一五! 亜夢! 準備はいい⁉︎」
『うん‼︎』カミラの呼びかけに、フォログラムの亜夢は、気合十分の返事と共に、メラメラと赤く揺らめくオーラを放ち始める。
『ユグドラシル予測範囲八〇セコンド。<アマテラス>急速接近』『船首、仰角90。船を立てろ。結界弾を展開。進路を遮断せよ』
<ノルン>は船首を持ち上げつつ、船首に搭載された防御装備、結界弾の発射装置へのエネルギーチャージを始める。
『結界弾……』
<ノルン>の船体が(アトランティス地平面に対し)直立し、<アマテラス>に正面を向ける。
「シールド展開! <ノルン>へ寄せる! 突撃‼︎」怯む事なくカミラは声を張る。
<アマテラス>は、トランサーデコイを撃ち続けながら、<ノルン>との距離を急速に詰めてゆく。
『いや、待て。新たな予測処理……結界弾……シールド……デコイ……結界弾……』『<アマテラス>が来る。早く指示を』
スクルドはしばし口を閉ざす。<アマテラス>は直近に迫っていた。
『……やむを得ん。結界弾を。同時にシールド展開』
「<ノルン>、結界弾発射態勢‼︎」サニの緊迫する報告の声に、カミラは瞳を見開く。
「今よ! 亜夢‼︎」
『よぉ〜〜し! いっくよぉ‼︎』
「シールド位相変換! ファイヤーバード‼︎」
亜夢のオーラが紅蓮の炎の柱となり、それは<アマテラス>のシールドを一気に燃え上がらせ、鳳凰の翼をはためかせる。ほぼ同時に<ノルン>の船首から放たれた結界弾が六つに弾け、<ノルン>の正面に六角形のネットのような防壁を作り出す。
構わず<ノルン>の結界ネットに飛び込む鳳凰。勢いのままに結界を焼き尽くす。その隙に<アマテラス>はトランサーデコイを叩き込むが、<ノルン>は一つ残らず迎撃、再び結界弾により<アマテラス>を退ける。亜夢の鳳凰が結界を無効化する——
両船の応酬は何度か繰り返され、<アマテラス>は一進一退を繰り返す。
『もぉおおお‼︎ しつこぉい‼︎』亜夢は苛立ちを鳳凰の翼に乗せ、熱風を撒き散らすが、<ノルン>の結界弾がそれを阻む。
『無駄だ。そちらの動きは全て予測できると言った』<ノルン>は結界弾を連射し、亜夢の鳳凰の攻撃を完全に封じていた。
「亜夢頑張って! どう、アムネリア⁉︎」
亜夢の熱風と、<ノルン>の結界弾がぶつかる衝撃を掻い潜り、瞑想にあるアムネリアは、バベルの塔の底へ底へと意識を運ぶ。
「……見えた。大木の根……」
それは、塔とすっかり一体となって隠れたユグドラシルの根。
アムネリアの細く溢れた声を、カミラは聞き逃さない。
「亜夢‼︎」『うん‼︎』
亜夢は、もう一度気力を高め、火の鳥を目一杯羽ばたかせる。<ノルン>は完璧な予測行動をとるが、それでいてなお、船体の揺らぎは抑えきれない。<アマテラス>は倒立したまま揺らぐ<ノルン>を掠め、<ノルン>の揺らぎを助長した。<ノルン>の揺らぎは、ユグドラシル、アトランティスにも伝播して、空間全域の安定を乱し、ウルズ、スクルドは船体の立て直しに追われることになる。
<アマテラス>はドラフトしつつ、バベルの塔内壁に沿って旋回しながら、態勢を立て直していく。
「今よ、アムネリア!」<ノルン>に生まれた隙を見計らい、カミラは命じる。
アムネリアは、小さく頷いて、PSI-Linkモジュールに強く念を込めてゆく。
「気をつけて」直人は声をかけずにいられなかった。
「はい……行きます」
アムネリアの意識が離れた亜夢の身体は、静かに項垂れシート深くに沈み込む。
<アマテラス>は、塔内壁に沿って、螺旋を描きながら、今度は<ノルン>が居座るバベルの塔、上空へと上昇を始めた。