文明イデア 2
ユグドラシルの根が伸びるウルザブルンから、泉の様相がゆっくりと消え、<ノルン>の周辺空間は、雲が開けていくかのように、その中に包み隠していた大パノラマを押し拡げる。その拡大は、<アマテラス>の周辺空間にも及び、<ノルン>は、押し出されるようになって、<アマテラス>の目の前に戻ってきた。
<アマテラス>の一同は、モニターに映る周辺空間の変容に目を見張る。
<ノルン>のはるか下方に伸びる、ユグドラシルの根に重なるように、真っ先に見えてきたのは、巨大な円柱、否、建造物——
その異様に、皆は息を飲む。
それは巨大な塔。神話に語られる、あの「バベルの塔」だ。
そのことは、皆、すぐにわかる。何故なら、その塔の形は、あの有名なピーテル・ブリューゲルの絵画に表された姿、そのものなのだから。
「バベルの塔」は、その堂々たる全貌をユグドラシルの根と一体となって現した。
さらに下方、塔の裾野を見やれば、塔を中心に、同心円の環濠のようなものが幾重にも、果てしなくひろがっている。波動収束フィールドの最大である直径100キロメートル相当程度の領域は、そのほんの一部を表出させているに過ぎない。
同心円が描くその景観は、確かに、かのプラトンが書き記した「アトランティス」の都市構造を彷彿とさせる。
「なんだ、あれは……」下方を映すモニターに目を凝らす直人。同心円で区切られた区画には、次々と都市のようなものが浮かび上がってくる。
「……すっげぇな、おい」「あれはエジプト? ……こっちはローマ……なの?」直人に続いて、ティムとサニも、その光景に目を見張る。ギザのピラミッド、ローマの円形闘技場……。各時代の象徴的な建造物と周辺に現れる街並みは、その在りし日の姿を再現し、煌々と輝いている。
「アジアっぽいのも……中国かしら? ……これは……江戸の街?」自席の端末で、詳細にモニタリングするカミラは、それが古今東西、あらゆる文明の集合体であることに気づく。水地を渡る船、飛び交う航空機、各地を繋ぐ列車、車等も見えてくる。
中心の塔に近いほど、近現代、逆に離れるほど古代の文明の様相を示しているようだ。塔は絵画のそれより遥かに高くなっているが、天井部は未だ無く、暗黒の内側空間をのぞかせる。また塔の壁面では、スロープを登ってくる何者かの行列が、絶え間なく塔の壁を積み上げ続けていた。
一方、下方の同心円の環濠に見えていたものは、どうも機械仕掛けの歯車のようなものらしい。それらがゆっくりと各文明の間を一定の速度を保って回っているように見えるが、それが何なのか、解析データは何も答えを示さない。
『ありとあらゆる文明の絶頂期を映し取った文明のデータベース……とでも……』
<ノルン>のソフィアも、この大パノラマから目が離せない様子だ。
『いや、違う。むしろ、こっちが先、なんだ。あの、塔の周辺を見てみろ』アランは、塔により近い区画の一部を拡大してみせる。他に比べモヤモヤとして形が定まらないが、今の時代にはまだ存在しない空中都市や、宇宙船とその発着ポートか何かのようにソフィアには見えた。
「あれはおそらく、近い未来に実現されうる世界……」「じゃあ、ここは……」
アランはソフィアの瞳をしっかりと見据え、頷いた。
「ああ。まさに地球文明の設計図……彼女達が言うとおり、『文明のイデア』なんだ」
『……そのとおりだ、ニンゲン』スクルドの声音と、音声変換によって出力される、無機質な合成の声がアランに答える。
「スクルド……もう、ほんと……一体どうしちゃったのよぅ〜」
突然現れた奇想天外な世界に目を奪われ、すっかりガイノイド達の異変を忘れかけていたが、<ノルン>が、『何者かの意志』に乗っ取られかけていることをソフィアとアランは再認識する。
「わっ⁉︎」突然襲いかかる、船全体にかかる強い力に、ブリッジが揺さぶられ、ソフィアはキャプテンシートにしがみついた。
<ノルン>は、『バベルの塔』の方へと引き寄せられている。
「くっ! 引っ張られる! 発進、急げ! ソフィア!」アランは叫ぶ。ソフィアは、キャプテンシートから緊急操作を試みるが、コントロールを受け付けない。
「ダメ! ロックされてる⁉︎ ウルズ⁉︎」
船の振動に、微動だにしないウルズ、スクルドは、無表情のまま赤く色づいた瞳で、ソフィアとアランを凝視している。
『こちらで引き上げる! ナオ‼︎ 誘導波、牽引‼︎』『はい!』<アマテラス>からの通信に、ソフィアは頷くだけで精一杯だ。
直人はPSI-Linkモジュールへと意識を集中させる。それに応じて、<アマテラス>から<ノルン>へと伸びる誘導波の形が、何本かの光のロープのように収束し、朧げに浮かび上がる。
「来い、<ノルン>!」「推力、最大‼︎」直人とティムは協力してかかるも、<ノルン>の落下は止まらない。
「こっちが引っ張られる!」
『亜夢も‼︎』<アマテラス>に再び、鳳凰の翼が浮かび上がり、大きく羽ばたく。強力な推力を得るも、<ノルン>の落下を引き止めるにとどまった。
『無駄なあがきを。ニンゲン達よ……全てを運命に委ねよ』『左様……お前たちには、まだ、ここで大切な仕事がある』
ウルズ、スクルドの瞳が、また怪しげな赤みある色に発光すると同時に、<ノルン>のPSIバリアが同色に変わる。すると<アマテラス>からの誘導波は、同調を失い、いとも簡単に外れてしまう。
「誘導波が⁉︎」誘導波に手応えがなくなったのを、直人は瞬時に感じとっていた。
「<ノルン>は⁉︎」「『バベルの塔』へ向け、降下し続けてます!」カミラに答えて、サニが声を張る。
「何をするつもり……」
カミラは下部モニターに映る<ノルン>の行手に暗黒の大口を広げて待ち受ける、バベルの塔を睨め付ける。
次第にゆっくりと、未完のバベルの塔の頂へと到達する<ノルン>。塔の円周の直径は、<ノルン>と相対的に数十キロに及ぶ。塔の壁面を積み上げる、沢山の「動き回る何か」以外、周りには何もない。広大な暗黒の空間に、<ノルン>はポツリと浮かんでいた。
『文明のイデア……アトランティス。ニンゲンは、この文明を、現象界に生み出す為の手足……アトランティスの計画に基づき、モノを作り、増やし、維持し、そして文明を回し続ける歯車となる……ニンゲンはその為にあるのだ』
ウルズがそう言う間に、動き回っていたもの達が、いつのまにか、人のような形に変わっているのに、ソフィアとアランは気づく。顔らしきものもあるが、どれも皆、同じ。体つきも寸分違わぬ、人体の複製。
次第に人というより、むしろ蟻の群れに見えてくる。
「泥人形か……」アランは呟いた。ゴーレム——アランの口にした言葉に、ソフィアは、最初の人間、アダムは土から作られたことをふと思い出していた。
延々と塔の壁を積み上げ続けるゴーレムの群れ。一切の無駄を削ぎ落とした、純然たる『労働』の美しさが、そこにある。ソフィアとアランは、眉を顰めるしかなかった。
『ニンゲンの使命……それは文明を絶やさず、成長させ続けること……』
ウルズとスクルドは、ガイノイドポートを離れ、アランとソフィアの前へと進み出る。
『お前たちにも、その使命を果たしてもらう』
『最期のニンゲンとして……』