文明イデア 1
山間の集落は、とうに日は落ち、夜闇に包まれている。街灯は殆ど無く、御所と周辺屋敷から溢れる僅かな灯りだけが、街並みの影をぼんやりと形作っていた。
「……くくっ。あの娘、あんな良い声で鳴けるんじゃねぇか。なぁ、熾恩」焔凱は、ヘッドホンをそっと外し、含み笑いを溢す。タブレット端末のパネルの光が、暗がりの中に巨漢の白い歯列を三日月型に浮かび上がらせていた。
「うっせぇよ、エロじじい。くそ、病み上がりの初仕事が、こんな盗聴なんてよ。ジッちゃんも、烏共にでもさせれば良いだろうに!」
熾恩は、焔凱を鋭く睨みつける。
「相手は夢見だ。アイツらでは勘付かれる。オマエもそうやって苛立つと、悟られるぞ」「んな、ヘマは……」ハッと何かに気づいて、熾恩はヘッドホンを耳に押し付けた。焔凱もヘッドホンをかけ直す。
『……どうした?』ヘッドホンの向こうから、若い男の声が訊ねる。ピリピリとした静寂が、二人の耳を探るように突いてくるようだ。二人は息を殺し、思考を止めてやり過ごす。
『……何か、気配が……』
落ち着きの中に、可憐さを残した少女の声が答える。
『そう鋭敏過ぎる霊感体質は、気も休まらんであろう……案ずるな、ここには何人も立ち入ることはできぬ』『……はい……あっ! ……』衣擦れの音と共に、耳に感じた違和感は消えていた。
熾恩が面白くなさそうに舌打ちをするので、焔凱は鈍い笑いを吹きこぼさずにはいられない。熾恩は、もう一度睨みつけ、ヘッドホンから聞こえてくる会話に集中した。
『……それで……風辰は? ヤツが遷宮を先延ばしにしているのは明らか……何をしようとしている?』
『……ぞ、存じませぬ…………ただ……』
会話に混じる女の切なく甘い吐息に、熾恩は、奥歯を噛みしめながら、会話の録音を開始する。
『……なんだ、申せ』
『……翁は、このところ、お頭を伴って、度々……外出されております』
『くく、いい年こいて、まさか愛人狂い、というわけではあるまい?』『そ、それはただの噂。それを……お二人は、意図的に放置して……うっ』
『……ということは、やはり隠し事があると』
『えぇ……お二人が向かう先は……紀伊の……人の立ち入らぬ山中』
『紀伊の山中……何があるのだ?』
熾恩と焔凱は、聞き耳をたてる。
『小夜!』
『っ……な、内密に……していただけますか?』『無論だ』
『……はぁ……はぁ…………これから、お話しすることは、御所でも、限られたものしか知りませぬ。ですが、我ら夢見には、お頭が必要と判断すれば、事のあらましをお教えくださいます。夢を……判別する手がかりとなる故……』『うむ……』
『二十一年前……その地で、ある秘儀が執り行われました。魂寄せの秘儀……そう聞いております』
『魂寄せ……まさか、『神子』の⁉︎』
『……はい。しかし、儀式は失敗。神子の魂は現世と常世の狭間で漂うこととなりました』
『神子は、遷宮の妨げとなる世の穢れを祓うという。神子の魂を探す為、この二十年余り、遷宮を先送りにしてきたと聞いてはいるが……』
『それは口実』『やはりそうか』
『翁は、自らの目的の為……神子を手にしようとしています。お頭は、それを知りながら……』
『その目的とは?』
『…………三宝神器……』
熾恩と焔凱は息をのみ、頷きあう。
『三宝……神器? なんだ、それは?』
『……わ、わかりま……はっうん……ダメ……』
『……か……かの地は、未だ唯ならぬ霊威を発し……封じられた……地……三宝……神器は、おそらく、その地と……それが何か、私たちには何も。ですが……』
『小夜、その三宝神器とやらを探ってくれ! 必ずや、風辰の企みを掴む事ができよう!』
『太子様……あぁ……』『今上御所はもう次期薨る! その時、目障りとなるは風辰! ヤツは早いうちに潰さねばならぬ!』『う……あ……はい……』『いや、風辰だけではない! こんな腐り切った御所など! 私が潰す! ……小夜……私と共に来い!』
『あっんん……太子様……太子……』
熾恩は、ヘッドホンを外すと、盗聴と録音を停止した。焔凱は、幾分顔を顰め、熾恩を一瞥し、ゆっくりとヘッドホンを外す。熾恩は、ムッとしてヘッドホンを奪いとり、機材をまとめ始めた。
焔凱は、盗聴していた屋敷の方を見やる。盗聴小型ドローンが戻ってきたところを捕え、アタッシュケースにしまう。
「……風辰殿の睨んだとおりか。やはり黒だったな、あの女。そして、あの太子殿は」
「ああ、黒も黒。真っ黒だぜ」
手早く片付けを終えた二人は、夜闇に紛れ、その場を後にした。
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「アトランティス……だと……」藤川は、唸るように呟く。
ウルズとスクルドが共に発した『アトランティス』——一万二千年ほどの有史以前に存在し、はるかに進んだ文明を有していたという幻の島(大陸)と国。科学がその存在を否定しようとも、人々を魅了してやまない。その言葉を聞いた皆は、魂の奥底が揺さぶられるのを感じていた。
……やはり……仕掛けてきたか……
ウォーロックは押し黙ったまま、豹変したウルズとスクルドを映す<ノルン>ブリッジの映像を凝視した。
『ちょっと、何言ってんだか、わかんない‼︎』ソフィアが叫んでいる。
『わからない……か。ならば見せてやろう!』
ウルズの瞳が怪しく輝くと、<ノルン>の機関が、軽妙な起動音と共に、船体を小刻みに振るわせ始めた。
『一番主機、システムジェネレーターへ再接続? 稼働再開、ウルズ姉さん⁉︎』
「ユグドラシルが‼︎」
<ノルン>を下方に伸び広がる、世界樹の根が蠢く。根は『ウルザブルン』と呼ぶ、<ノルン>下方に広がる泉のような集合無意識情報集積場深くへと更に流れ込む。
「次元深度5.3、<ノルン>周辺領域に時空間歪曲⁉︎ 急激な波動収束反応です! 力場推定最大領域は……えっウソ!」状況をモニタリグしていたサニは、目を見開いて、素っ頓狂な声をあげた。
「どうした⁉︎」ティムが振り向いて訊ねる。
「推定最大領域二万キロを超える……これは……地球規模よ!」「な、何ですって⁉︎」カミラは身を乗り出して、<ブリッジ>前方モニターに注視した。
目の前のユグドラシルが大きく揺らぐ。その揺らぎは<アマテラス>の波動収束フィールド全域に広がって、何かを朧げに形造り始める。
『……刻の番人よ……『運命の輪』よ』『我らが、大いなる文明イデアを今、ここに』
祈りを捧げるかのように、ウルズ、スクルドは腕を高らかに掲げ、呪文のような文言を発声していた。
ユグドラシルのフォログラムが、二体のガイノイドの祈りに、虹色の輝きで応え始める。