混淆 2
IN-PSID China附属病院、対人インナーミッション専用区画ドーム内は、にわかに騒然となっていた。
対PSI現象化防護服を装着した医療班の五人が、一つのミッション対象者収容カプセルに取り付き、救護活動に当たっている。
「ドレーンパイプ、来ました!」「よし、ポンプ回せ!」
雨桐が収容されたカプセルは、急激に湿気が高まり、液化した水が内部に溜まり始めていた。明らかに、深層心理の水のイメージが、現象化していた。体外ばかりではなく、雨桐の身体にも水は、現象化し続け、医師らは、その水抜き対応に追われる。
「雨……桐……」立ったままミッションを見守っていた容は、急によろけ、自席深くに腰を落とす。
「支部長‼︎」『容!』
China支部のIMCも、色めきだつ。
容は、自席の背もたれに崩れ、額に手をやる。その顔、首筋に汗なのか、大粒の水滴が噴き出している。駆け寄ったIMC主任は、椅子をリクライニングに倒し、医療スタッフを呼び出す。もう一人の女性オペレーターは、噴き出した水滴を、咄嗟に取り出した自分のハンカチでぬぐい始めた。
「……あ、ありがとう……大丈夫よ」そう言いながら、容はよろよろと立ちあがろうとする。
『容、無理はするな! ミッションを通して、共時性現象が発現しているのかもしれん』モニター越しに藤川が呼びかけている。
「そう、かも……しれませんね……」
若手の男性オペレーターが、休憩ブースから取ってきたタオルを差し出した。ありがとう、と伝えると、顔に容は噴き出す水をタオルで拭った。タオルに拭われた化粧跡が付いている。
酷い顔になっているに違いないと、容は口紅が落ちかけた口元に笑みを浮かべる。
「フフ……バカですね、私。雨桐の気持ち……今の今まで……全く……大切な友達だなんて……」
「でも……」手にしたタオルを固く握りしめ、容は顔を上げた。
「私は諦めない。雨桐、貴女の命も、貴女との友情も!」
「PSIブラスター一番から三番、撃てぇ!」
<アマテラス>右弦上部に設置された三つの半球が、青白い雷光を生み出し、捻り合う光のストリームとなって、空間を切り裂く。
雨桐の表層無意識域の心象風景は、浮腫の塊となった雨桐の抑圧コンプレックス体がぶちまけた、穢れた水に沈み、一変していた。そこはまるで、ヘドロの渦巻く下水の水底——四方八方から押し寄せる水流に、<アマテラス>は翻弄される。
押し寄せる大量の水の塊が、妖魔か、妖怪か、あるいは、様々な生き物か、自然現象を表しているのか、判別しがたい怪異の形をとって<アマテラス>に襲いかかる。<天仙娘娘>のように、中国の古典イメージを収束データベースとして使ったなら、きっと先程の妖怪達と同種の形となった事だろう。
だが、そんな「味付け」をしている余裕は、現状の<アマテラス>にはない。
PSIブラスターとトランサーデコイを撃ちわけながら、<アマテラス>は、身に降りかかる怪異を退ける。その弾幕をくぐり抜けてくるものは、アムネリアがコントロールする、水の羽衣によって、情報素子へと還元されていく。
だが、<アマテラス>が、その流れを抑え込むことは到底難しい。<アマテラス>をすり抜けた流れは、次元のギャップを超え、四次元(空間+時間)の現象界で、雨桐の身体を起点に物質化しているのだった。
「チッ、キリがないぜ! ナオ、こうなったらPSI波動砲ぶち込んでやれ!」
「無茶だよ、ティム! そんな事したら、この患者の心と身体まで消し飛ばしてしまう!」「けどよ!」言いながら、ティムは突発したアラームに反応、船を回頭させる。前方から急速接近した、アメーバー状の水塊が左舷側を掠めていくのをモニターが映し出す。
「サニ、流出ポイント算出はまだ⁉︎ そこにアクセスしない限り、この流れは止められない!」
流れを生み出しているとみられる、あの雨桐の抑圧コンプレックス体は、既に見失われている。それを見つけ出さなければ——
「空間座標はおおよそ! けど、時間パラメーターが安定しなくて! ちょっ! 手伝ってよ、アム……」サニは、怒鳴りながらアムネリアのフォログラムの方へ視線を向ける。彼女は、直人の迎撃漏れを、巧みなシールドコントロールでフォローしていた。
「チッ! アタシだって‼︎」サニは、自席のコンソールに設けられたPSI-Linkモジュールを鷲掴みする。
「サニ!! 待ちなさい、こんな状況でダイレクトは!」「何度もやってる!」
昂ったテンションにも関わらず、サニは、二、三度呼吸を整えただけで、自らの精神をモジュールが放つ、青緑の光の中へ深く落とし込む。
「波動……収束フィールド……捕まえて!」
PSI-Linkシステムに意識をダイレクトに接続することにより、サニの意識はたちまち拡張していく。感じるまま、空間中の違和感の方へと感覚を指向する。
「……うぅキモ……キモ…….キモいのよぉ……もう‼︎……」
不快な海に自らの精神を泳がせながら、サニは、向かうべく先の時空間座標をシステムにプロットし始めた。
「よし! 進路を開く! 座標データリンク! ナオ、PSIブラスター全門斉射!」
「PSIブラスター全門収束モード! 発射!」
PSIブラスター全門から生み出されたエネルギーの束は、<アマテラス>の正面で捩り合い、真っ直ぐに空間を貫く。ヘドロの海にポッカリと空洞が口を開いた。
「全速前進!」「ヨーソロー!」
「……目標、座標……〇-四-コンマ二-マイナス二……」変性意識のまま、進路をナビゲートするサニ。だが、その行手を遮るように、サニの無意識のビジョンに、何者かの影が立ち現れる。影が、急速に広がってゆく。
『いけない!』
「えっ! ……何⁉︎」アムネリアの声が聴こえた気がしたかと思うと、サニは<アマテラス>の船内へと意識が引き戻されていた。
「サニ!」直人が振り向いて呼びかけている。
「何、今の……」
サニが狼狽している間に、影はすっかり<アマテラス>の周辺空間を支配していた。アムネリアのフォログラムの方をサニが見やれば、片膝を崩し、映像が乱れている。
「助けて……くれたの?」
『……連なる水の記憶……』アムネリアは、画像が回復するともに、姿勢を整えると、両手の指先を伸ばし、何かを感じ取っている。
「……!」不意に何かに気づいて、サニは自席コンソールに向き直る。
「音声入力に感⁉︎ オートチューニングで変換します!」気を取り直して作業を始めると、すぐに<アマテラス>のブリッジに、何者かの声が流れ始めた。
『……生きるため……そう……全ては生きるためじゃ……』
『…………されど……大地は…………神は……それを許さぬ…………誰かが贖わねばならぬ……』
『……定めじゃ……』
雨桐でも、彼女の記憶の誰かでもない声である事は、インナーノーツも、彼らを見守るスタッフらも、皆すぐに直感した。
アムネリアの両目が大きく見開く。
『……渦が……来ます……』